伝未詳。源重之の子に三男一女を記す『尊卑分脈』に拠れば、重之の一人娘であったことになる。父の家集に「京よりくだるに、たごの浦にて、むすめ」と前書された歌があり、父の陸奥下向に同行したらしい。家集『重之女集』があり、百首歌の体裁をとる。新古今集初出。勅撰入集十八首。
題しらず
春の日は花に心のあくがれて物思ふ人とみえぬべきかな(続千載88)
【通釈】春の日となると、桜の花に心をすっかり奪われて、ぼうっとしているので、物思いに耽っている人に見えてしまうだろうか。
【補記】「物思ふ」は恋する意を帯びる。『重之女集』では第二句「花に心を」。
題しらず
よも山の木々の紅葉もちりはてて冬はあらはになりにけるかな(新後拾遺479)
【通釈】周囲の山の木々の紅葉もすっかり散ってしまって、冬は隠れもなく目に見えるようになった。
題しらず
人を思ふおもひを何にたとへまし室の八島も名のみなりけり(続後拾遺639)
【通釈】人を恋して燃やす思いの火を、何に喩えたらよいのだろう。煙をあげるという室(むろ)の八島(やしま)も、実は名前ばかりの所だということだ。
【語釈】◇おもひ 「ひ」に「火」を掛ける。◇室の八島 下野国の歌枕。常に煙を発しているとされた。歌枕紀行参照。
【参考歌】在原業平「後撰集」
大井河うかべる舟のかがり火にをぐらの山も名のみなりけり
藤原実方「詞花集」
いかでかは思ひありともしらすべき室の八島のけぶりならでは
題しらず
いへば世のつねのこととや思ふらむ我はたぐひもあらじと思ふに(玉葉1523)
【通釈】私の思いを言葉にして言えば、世間一般のこととあなたは思われるでしょう。私自身は、世間の人々の恋とは比べようもあるまいと思うのですが。
【参考歌】敦道親王「和泉式部日記」
恋といへば世の常のとや思ふらむ今朝の心はたぐひだになし
更新日:平成16年06月09日
最終更新日:平成19年10月15日