春 夏 秋 冬 哀傷 雑
春
福島の貞心尼の春のはじめの文のかへし文のはしに
天が下にみつる玉より黄金より春のはじめの君がおとづれ
【語釈】◇福島 越後国古志郡。◇貞心尼 良寛晩年の法弟(略伝参照)。◇天が下にみつる 地上に満ちるほどたくさんの。
きさらぎ
冬ごもり 春にはあれど 埋み火に 足さしのべて
つれづれと 草の庵に とぢこもり うち数ふれば
きさらぎも 夢のごとくに すぎにけらしも
【語釈】◇冬ごもり 「春」にかかる枕詞。万葉集巻十六などに用例がある。◇埋み火 炉などの灰の中に埋めた炭火。
百鳥の木伝ひて鳴く今日しもぞ更にや飲まむ一つきの酒
【語釈】◇百鳥 さまざまな種類の鳥。
阿部定珍の歌「さすたけの君がいほりに来てみれば春ものどかに百鳥のなく」への返し。
手毬をよめる
冬ごもり 春さりくれば 飯乞ふと 草のいほりを
立ち出でて 里にい行けば たまほこの 道のちまたに
子どもらが 今を春べと 手まりつく ひふみよいむな
汝がつけば 我はうたひ あがつけば なはうたひ
つきてうたひて 霞立つ 長き春日を 暮らしつるかも
かへしうた
霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ
【補記】類想の良寛歌は少なくない。「この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし」など。
【主な派生歌】
子供等と鞠つき遊びたはむれし良寛思(も)へばわれは寂しゑ(吉井勇)
師常に手毬をもてあそびたまふとききて、「これぞこの仏の道に遊びつつつくやつきせぬ御のりなるらむ」(貞心尼)。御返し
つきてみよひふみよいむなやここのとを十とをさめてまた始まるを
【補記】鞠つき歌。貞心尼の録した『はちすの露』より。次の歌も同じく。
あくる日はとくとひ来給ひければ、「歌や詠まむ手毬やつかむ野にや出でむ君がまにまになして遊ばむ」(貞心尼)
御かへし
歌もよまむ手毬もつかむ野にも出でむ心ひとつを定めかねつも
むらぎもの心楽しも春の日に鳥のむらがり遊ぶを見れば
【語釈】◇むらぎもの 「心」にかかる枕詞。
【鑑賞】「平淡極まる歌であるが、滋味豊かにして、心隈なく行きわたり、先づ以て良寛の至上境だと申すことの出来る歌であらう」(茂吉「良寛和尚の歌」)。
「良寛調の特色をほぼ代表する作といへるが、歌は事柄を単純に叙述するものでなく心情を高らかに調べるものであることを知る者にとつては、同時にこの単純さが容易ならぬ単純さであり、これ以上を抒べる必要はなく、否これ以上を抒べてはならぬ道理をも会得するに難くあるまい」(吉野版良寛集)。
むらぎもの心は和ぎぬ永き日にこれのみ園の林を見れば
【鑑賞】「『これのみ園の林を見れば』に至つては良寛の独擅場であつて、この心境は、つひに曙覧にも元義にも、景樹にも真淵にもないものである。強ひて材料に類似を求むれば、二十一代集などに見える、所謂釈教の歌に見出すことが出来るに過ぎまい。即ちこの歌の奥にはそれほど仏教的なところがあるのである。仏教ではよく『林』のことをいふ。つまりあれである」(茂吉「良寛和尚の歌」)。
鉢の子
鉢の子は 愛しきものかも 幾年か わが持てりしを
今日道に 置きてし来れば 立つらくの たづきも知らず
居るらくの すべをも知らに かりこもの 思ひみだれて
ゆふづつの かゆきかくゆき とめゆけば ここにありとて
わがもとに 人はもて来ぬ うれしくも 持て来るものか その鉢の子を
かへしうた
春の野に菫つみつつ鉢の子を忘れてぞ来しあはれ鉢の子
【語釈】◇鉢の子 托鉢に持ち歩く鉢や椀。
【主な派生歌】
鉢の子と鞠といづれぞ陽にあてて鞠はすみれの花の香のする(北原白秋)
鉢之子に菫たんぽぽこきまぜて三世の仏にたてまつりてむ
【先行歌】遍昭「後撰」
折りつればたぶさに汚るたてながら三世の仏に花たてまつる
かぐはしき桜の花の空に散る春のゆふべは暮れずもあらなむ
あしひきの青山越えてわが来れば雉子鳴くなりその山もとに
【鑑賞】「一首はきはめて新鮮であつて、軽浮にながれず、良寛一流にゆたかでのどかである」(茂吉「私鈔」)。
山住みのあはれを誰に語らましあかざ籠に入れかへるゆふぐれ
【語釈】◇あかざ アカザ科の一年草。若葉・芽は食用。吸い物の具などにした。
夏
国上山松風すずし越え来れば山ほととぎすをちこちに鳴く
【語釈】◇国上山 越後国西蒲原郡、弥彦山塊の一峰。標高313メートル。中腹に越後最古の名刹国上寺があり、万元和尚が晩年を過ごした五合庵があった。良寛は万元を慕って四十代後半からこの庵に住んだ。◇をちこち 遠く近く。
さ苗ひくをとめを見ればいそのかみ古りにし御代の思ほゆるかも
【語釈】◇さ苗ひく 田へ移し植えるために、若苗を苗代から引き抜く。◇いそのかみ 古り・古るにかかる枕詞。
あしひきの山田の爺がひねもすにいゆきかへらひ水運ぶ見ゆ
【語釈】◇いゆきかへらひ 行き来を繰り返し。
第五句、「松はこぶ見ゆ」とする本もある。
【鑑賞】「調が古拙でどつしりとしてゐて、艷ぽく無いところに妙味がある」(茂吉「私鈔」)。茂吉の選鈔した歌は結句が「松はこぶ見ゆ」となっていて、茂吉は「『松はこぶ』といふ写生の句が面白いゆゑ此儘にして置く」とことわっている。
ひさかたの雨の晴れ間にいでて見れば青みわたりぬ四方の山々
【語釈】◇青みわたりぬ 一面に青くなった。新緑を言う。「青みわたり」は和歌にはあまり使われなかった語。用例「三笠山さしても見えず夏なればいづくともなく青みわたれり」(曾禰好忠「曾丹集」)。
【鑑賞】「この歌は『青みわたりぬ』で緊まつた。良寛の歌は総じてすらすらと行つてゐるから、平凡過ぎるやうに思ふかも知れないが決してさうではない」(茂吉「私鈔」)。
或夏の頃まうでけるに、いづちへか出で給ひけむ見え給はず、ただ花がめに蓮のさしたるがいと匂ひて有りければ、「来て見れば人こそ見えね庵守りてにほふ蓮の花のたふとさ」(貞心尼)。御返し
みあへするものこそなけれ小瓶なる蓮の花を見つつしのはせ
貞心尼の『はちすの露』より。◇みあへ おもてなし。饗応。◇見つつしのはせ 見ながら私のことを偲んでください。万葉集4-587、14-3515に用例がある。
秋
ふみ月十五日の夜よみたまひしとぞ
風は清し月はさやけしいざともに踊り明かさむ老のなごりに
【先行歌】大伴四綱「万葉」4-571
月夜よし川の音清けしいざここに行くも行かぬも遊びて行かな
ひさかたの 月の光の きよければ 照らしぬきけり
唐も大和も 昔も今も うそもまことも
【語釈】◇ひさかたの 月、日、光などにかかる枕詞。◇照らしぬきけり 射し貫いた。遍く澄明な光で照らされることにより、相反する事物が一貫するものとなった。
月よみの光を待ちて帰りませ山路は栗の毬の多きに
五合庵を訪れた阿部定珍が帰ろうとする時に詠んだ歌。◇月よみ 月の神、月読命から月のことをこう呼んだ。上代はツクヨミと発音した。
【先行歌】
月読の光に来ませ足引の山を隔てて遠からなくに(湯原王「万葉」4-670)
月待ちて家にはゆかむ我が挿せるあから橘影に見えつつ(粟田女王「万葉」18-4060)
【鑑賞】「何とも云へないやさしい心の歌である。…堪へられない程よい心の歌である」(茂吉「私鈔」)。「良寛和尚一代のすぐれた歌の一つではなからうか」(茂吉「良寛和尚の歌」)。
ゆふぎりに遠の里べはうづもれぬ杉立つ宿にかへるさの道
【語釈】◇杉立つ宿 杉林に囲まれた宿。古今集に「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」がある。
秋もややうらさびしくぞなりにける小笹に雨のそそぐを聞けば
秋の雨の晴れまに出でて子どもらと山路たどれば裳のすそ濡れぬ
【鑑賞】「この歌も淡々としてゐるが、実に楽しい歌である。『霞立つ天の河原に君待つといゆきかへるに裳の裾ぬれぬ』(万葉巻八、一五二七)、『君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪解の水に裳の裾ぬれぬ』(巻十、一八三九)等の結句を応用してゐるが、『子供らと山路たどれば』につづけたので、新しくなつた」(茂吉「良寛和尚の歌」)。
秋の日の光りかがやく薄の穂これの高屋にのぼりてみれば
【鑑賞】「第三句までは如何にも単純で直接で印象的表現法である。そして第三句で一寸切れたものである。それから第四句第五句でどんな大袈裟な事を言ふかと思へば単に、ここの高屋にのぼりて見れば、といふのである。この辻褄の合はない様な子供らしい言ひ振りが此の歌を偉大ならしめた所以である」(茂吉「私鈔」)。
秋山をわが越えくればたまほこの道も照るまでもみぢしにけり
【語釈】◇たまほこの 「道」にかかる枕詞。
【鑑賞】「表はし方は実に洗練されたものである。第三句の『玉ぼこの』なども決して無意味では無く、『路も輝るまで』は此歌の場合決して動かすべからざる尊い句である」(茂吉「私鈔」)。
冬
やまたづの向ひの岡にさを鹿たてり 神無月しぐれの雨にぬれつつ立てり
【語釈】◇やまたづの 「むかひ」に懸かる枕詞。ヤマタヅはニワトコの古名。なおこの歌は旋頭歌。
水や汲まむ薪や伐らむ菜や摘まむ朝の時雨の降らぬその間に
飯乞ふと里にも出でずこの頃はしぐれの雨の間なくし降れば
下句は万葉集8-1553、10-2196に用例がある。
日は暮れて浜辺をゆけば千鳥啼くどうとは知らず心細さよ
ひさしくやまふにふして
うづみ火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとほりぬ
夜もすがら草のいほりにわれ居れば杉の葉しぬぎ霰降るなり
【語釈】◇杉の葉しぬぎ霰降る 杉の葉に霰が叩きつけながら、葉の間を押し分けるようにして落ちてゆく様をいう。シヌギはシノギに同じ(当時の万葉訓読法に拠ってノをヌとしている)。用例「奥山の菅の葉しぬぎ降る雪の消なば惜しけむ雨な降りこそ」大納言大伴卿3-299。
由之をゆめに見てさめて
いづくより夜の夢路をたどりこしみ山はいまだ雪の深きに
あしひきの山の椎柴折り焼きて君と語らむ大和言の葉
【通釈】山の椎の小枝を折り焚いて、炉辺であなたと和歌について語ろう。
【語釈】◇大和言の葉 和歌。これは貞心尼に贈った歌。
貞心尼に
あづさゆみ春になりなば草の庵をとく訪ひてませ逢ひたきものを
【語釈】◇あづさゆみ 「春」にかかる枕詞。◇とく訪ひてませ すぐに訪ねて来てください。「とく訪ひてまし」「とく出てきませ」とする本もある。
【鑑賞】「『逢ひたきものを』といふ結句は古今独歩である。…此歌の結句ほど利いてゐる、換言すれば一首に響きわたる結句は甚だ希有である事を発見してゐるゆゑに、此歌を誦する毎に此結句を涙を流して恭敬するのである。」(茂吉「私鈔」)
あすは春といふ夜
なにとなく心さやぎていねられずあしたは春のはじめとおもへば
【鑑賞】「越後の冬の永さ陰鬱さを土台にしてみる時、この歌は一層の妙趣を覚えさせる」(吉野版良寛集)。
哀傷
ひたしおやに代りて
かいなでて負ひてひたして乳ふふめて今日は枯野におくるなりけり
末の子を失った友人山田杜皐(とこう)に送った手紙に見える歌。詞書の「ひたしおや」は養い親。
こぞは疱瘡にて子供さはに失せにたりけり。世の中の親の心にかはりてよめる
人の子の遊ぶを見ればにはたづみ流るる涙とどめかねつも
【先行歌】皇子尊宮舎人等慟傷作歌「万葉」2-178
御立たしし島を見る時にはたづみ流るる涙止めぞかねつる
都良子が死にけりと人のいひければ
秋のゆふべ虫の音ききに僧ひとり遠方里は霧にうづまる
【語釈】◇都良子 三島郡与板の俳人中川都良。
【異文】秋のゆふ虫音を聞きに僧ひとりおほ方里は霧にうづまる
雑
高野のみ寺にやどりて
紀の国の高野のおくの古寺に杉のしづくを聞きあかしつつ
【語釈】「帰郷の前、高野山金剛峰寺に登って亡夫の菩提を弔った時の作かといわれている」(吉野「良寛」)。良寛三十八歳頃の作。
出雲崎にて (二首)
たらちねの母がかたみと朝夕に佐渡の島べをうち見つるかも
【語釈】◇たらちねの 「母」にかかる枕詞。なお佐渡島は良寛の母の出身地。◇うち見つるかも 万葉集8-1645に用例がある。「我が宿の冬木の上に降る雪を梅の花かとうち見つるかも」。
いにしへにかはらぬものはありそみとむかひに見ゆる佐渡の島なり
【語釈】◇いにしへにかはらぬものは 「百敷にかはらぬものは梅の花折りてかざせるにほひなりけり」(源公忠)、「年ふれどかはらぬ物は鶯の春しりそむる声にぞありける」(藤原定頼)、「よろづ代にかはらぬものは五月雨のしづくにかをる菖蒲なりけり」(源経信)など、類想の表現は平安和歌に少なくない。◇ありそみ 有磯海。ここでは越の海(日本海)をいう。歌枕紀行越中国参照。
国上にてよめる (三首)
きて見ればわが古里は荒れにけり庭もまがきも落葉のみして
【先行歌】藤原公実「堀河百首」・徒然草
むかし見し妹が垣根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして
いにしへを思へば夢かうつつかも夜はしぐれの雨を聞きつつ
【先行歌】平貞行「新続古今」
いにしへを思へば身さへふりにけり窓うつ雨の夜半の寝覚に
あしひきの山べにすめばすべをなみしきみ摘みつつこの日暮らしつ
【語釈】◇しきみ 樒。モクレン科の常緑灌木。葉と樹皮から抹香を作ったり、仏前に供えたりする。
いざここにわが身は老いむあしひきの国上の山の松の下いほ
【先行歌】読人不知「古今」
いざここに我が世はへなん菅原や伏見の里のあれまくもをし
里べには笛や太鼓の音すなりみ山はさはに松の音して
【語釈】◇笛や太鼓の音 「盂蘭盆の踊りの囃子であろう」(吉野「良寛 )。◇さはに 「平面に広がり散らばって数量・分量の多くあるさま。たくさん」(岩波古語辞典)。◇さはに松の音して 山のあちこちから、風が松を響かせる音が聞えてくる。そこには、里からの笛太鼓の音がかすかに混ざっているのである。
【鑑賞】「淡々と言ひ放つてゐて然かも微妙な歌である。『さはに松の音して』此句は甚だ簡潔であつて然かも無量の心を蔵してゐる。」(茂吉「私鈔」)
やまかげの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも
初句を「あしひきの」とする本もある。◇苔水 苔清水に同じ。苔の間を伝い流れる清水。◇苔水の の「の」は「のように」といった意味の使い方。上三句は「かすかに」を導く序。◇すみ 住みに澄みを掛ける。
【鑑賞】「此歌は良寛そのものを表現したもので、良寛歌集中の秀歌である」(茂吉「私鈔」)。
「万葉調中の良寛調として完璧に渾熟してゐる」(吉野版良寛集)。
行燈の前に読書する図に
世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる
【語釈】◇ひとり遊び 「僧侶としての良寛が、自由にこだはりなく生活してゐる。寂しい孤独の生活をしてゐるのを、『ひとり遊び』と云つたものである」(茂吉「良寛和尚の歌」)。
【鑑賞】「一首の調べは、ゆつたりと運んでゐるが、軽薄にながれず、一種の万葉調(良寛的万葉調)を成して居る」(同上)。
芭蕉翁の賛
みづぐきの筆紙もたぬ身ぞつらき昨日は寺へけふは医者どの
【語釈】◇みづぐきの 万葉集では水城・岡にかかる枕詞として用いられている。ミヅグキは筆を意味する歌語でもあり、ここでは筆にかかる枕詞として使った。◇昨日は寺へ… 寺や医者の家に筆や紙を借りに走る、ということ。第二句「筆をももたぬ」「筆墨もたぬ」とする本もある。
およしさによみておくる (三首)
かしましと面伏せには言ひしかど此の頃見ねばさびしかりけり
【語釈】◇およしさ 山田杜皐(とこう)の家の女中。「さ」は「さん」の方言。◇面伏せには 「相手が恥じ入るやうにであらう」(吉野版良寛集)。
【先行歌】持統天皇「万葉」2-236
いなといへど強ふる志斐のが強ひ語りこの頃きかずてわれ恋ひにけり
くさむらの蛍とならば宵々にこがねの水を妹たもうてよ
【語釈】◇蛍 「およしがつけた良寛の綽名。蓋し、こがねの水(酒)を所望するからであらう(蛍の出る時節、或は時節には拘らず日の暮れに山田家を訪ふことが多かつたためかともいふ)」(吉野版良寛集)。◇たもうてよ 給ひてよ。下さいよ。
身が焼けて夜は蛍とほとれども昼はなんともないとこそすれ
【語釈】◇身が焼けて 酒に酔ったことをいう。◇蛍とほとれども 蛍のように光を発するけれども。
しきりに風吹き雨降りたしなみつつ島崎にいたりぬ。人の家づとをこひたりければ
笠はそらに草鞋はぬげぬ蓑はとぶわが身一つはいへのつととて
【語釈】◇いへのつと 家の苞。家への手土産。
あまつたふ日はかたぶきぬたまほこの家路は遠しふくろは重し
【語釈】◇あまつたふ 「日」にかかる枕詞。◇ふくろ 托鉢用の頭陀袋。◇いへのつと 家の苞。家への手土産。
寺泊に飯乞ひて
こき走る 鱈にもわれは 似たるかも
あしたには かみにのぼり
かげろふの 夕さりくれば 下るなり
【語釈】◇寺泊 新潟県三島郡寺泊町。信濃川河口の港町。◇飯乞ひて 托鉢をしてということ。
おのが姿をゑがける画に題す
良寛僧がけさの朝花もてにぐるおんすがた後の世まで残らむ
吉野秀雄『良寛 歌と生涯』によれば、解良栄重(けらよししげ)の『良寛禅師奇話』に次のような逸話があるという。「上人一日山田の駅某が菊の花を折る。主人見とめて花盗人也とし、其図を絵にかきて、是に賛をせばゆるさんと云。上人筆をとりて、良寛僧がけさのあさ花もてにぐるおむすがた後のよまで残らむ」。「山田の駅某」は良寛の友人山田杜皐(とこう)のことか。
山田杜皐老の「初とれの鰯のやうな良法師やれ来たといふ子らがこゑごゑ」といひしに
大めしを食うて眠りし報いにやいわしの身とぞなりにけるかな
【語釈】◇山田杜皐老 「三島郡与板の豪家、俳句と絵を善くした」(吉野版良寛集)。
いほにきてかへる人見送るとて
山かげの真木の板屋に雨も降り来ね さすたけの君がしばしと立ちどまるべく
この歌は旋頭歌。寛政十三年(1801)八月、江戸の国学者兼歌人大村光枝が良寛の五合庵を訪ね、明くる日出立しようとした時の作。◇さすたけの 「君」にかかる枕詞。
乙宮の森の下屋の静けさにしばしとてわが杖うつしけり
【語釈】◇乙宮の森 国上山麓の乙子神社。文化十三年(1816)、五合庵より移住。◇杖うつしけり 引っ越したことを言うが、杖を引きつつ山を下りて来たイメージや、杖以外にはこれといった持ち物もないことなども暗示して、味わい深い句である。
乙宮の森の木下にわが居れば鐸ゆらぐもよ人来たるらし
【語釈】◇鐸ゆらぐもよ 鐸は「神社の本殿前に釣った大鈴」(吉野版良寛集)。「僧家の訪問には鐸鈴を鳴すのが礼儀であるといふことである」(茂吉「私鈔」)。書紀歌謡「鐸ゆらぐもよ、置目来らしも」に由る。
いくむれか鷺のとまれる宮の森有明の月雲がくれつつ
大島花束『校註良寛歌集』による。吉野秀雄校註『良寛歌集』では「八重菊日記」から本文をとり、次のように載る。
いくむれか鷺のとまりけり宮の森有明の月はかくれつつ
松之尾の松の間を思ふどち歩きしことは今も忘れず
【語釈】◇松之尾 越後国西蒲原郡。
述懐の歌 (二首)
いそのかみ古のふる道しかすがにみ草ふみわけ行く人なしに
【語釈】◇いそのかみ古の 「ふる道」にかかる序。
ますらをの踏みけむ世々のふる道は荒れにけるかも行く人なしに
以上二首は阿部定珍宛手紙に書かれた歌。
【鑑賞】「良寛の激越した悲憤の情がここに奔騰している。それは直接的にいえば仏教界の墮落に対してのものであろうが、書道・詩歌道等何に対してのものと見てもさしつかえない。そして良寛の昂揚した精神は当然醇正な万葉調を呈し、よくその緊張を伝えている」(吉野「良寛」)。
いにしへは心のままに従へど今は心よわれにしたがへ
【語釈】「論語の『従心所欲』などのこと」(吉野秀雄校註『良寛歌集』)
墨染のわが衣手のひろくありせば 世の中の貧しき人を蔽はましものを
この歌は旋頭歌。
捨てし身をいかにと問はばひさかたの雨ふらば降れ風ふかば吹け
法の塵にけがれぬ人はありと聞けどまさ目に一目見しことはあらず
【語釈】◇法の塵 「法をけがす塵」(吉野版良寛集)。「仏法を修めて、その仏法に執着しすぎること」(岩波大系本)。◇まさ目に 直接自分の目で。
【鑑賞】「一首の調も張つて居り良寛の信念を吐露して余りある歌である。」(茂吉「私鈔」)
あわ雪のなかに顕ちたる三千大千世界またその中に沫雪ぞ降る
【語釈】◇三千大千世界 重層的に成り立っている全宇宙をいう。
ぬばたまのよるはすがらに糞まりあかし あからひく昼は厠に走り敢へなくに
【語釈】◇糞まりあかし 一晩中下痢に苦しめられたことをいう。◇厠に走り敢へなくに 厠まで走りきれないのに。この歌は死に近い頃の作。旋頭歌。
この夜らの いつか明けなむ
この夜らの 明けはなれなば
をみな来て はりを洗はむ
こいまろび あかしかねけり 長きこの夜を
【語釈】◇をみな 世話をしてくれていた女。◇はり 「いばり・くそまりの「はり」「まり」と同語で、糞尿のこと」(吉野版良寛集)。◇こいまろび 輾転反側し。「こい」は倒れ臥す、「まろび」は転がる意。万葉集に用例が多い(3-475,9-1740など)。◇長きこの夜を これも万葉集に頻出する句(4-485など)。
「この長歌、由之の「八重菊日記」に出づ。良寛の臨終近き頃の歌反古の中にあつたもの」(吉野版良寛集)。
【鑑賞】この歌(詩)は吉本隆明によって近代詩の先駆的作品として高く評価された。「近代的な人間苦、あるいは社会苦に近づくような<苦>の表現をじぶんの病苦をもとにして、じぶんの仏教や老荘の思想からもっとも遠ざかったところで無意識に良寛は表現しました」(「良寛詩の思想」『言葉という思想』所収)。
かくて師走のすゑつ方に俄におもらせ給ふよし、人のもとより知らせたりければ、打ちおどろきて急ぎまうでて見奉るに、さのみなやましき御気しきにもあらず、床のうへに座しゐたまへるが、おのが参りしをうれしとやおもほしけむ
いついつと待ちにし人は来りけり今はあひ見てなにかおもはむ
むさし野の草葉の露のながらひてながらひ果つる身にしあらねば
この二首は『はちすの露』より。詞書は貞心尼による。これらの歌を詠んで間もなく良寛は没した。
月の菟
天雲の むか伏すきはみ たにぐくの さ渡る限り
国はしも さはにあれども 里はしも あまたあれども
み仏の 生れます国の あきかたの そのいにしへの
ことなりき 猿と菟と 狐とが 言をかはして
あしたには 野山にかけり ゆふべには 林にかへり
かくしつつ 年のへぬれば ひさかたの 天のみことの
きこしめし 偽りまこと しらさむと 旅人となりて
あしひきの 山ゆき野ゆき 艱みゆき
食しものあらば たまへとて 尾花折り伏せ 憩ひしに
猿は林の 秀枝より 木の実を摘みて まゐらせり
狐は簗の あたりより 魚をくはへて 来りたり
菟は野べを 走れども 何もえせずて ありしかば
汝は心 もとなしと 戒めければ はかなしや
をさぎうからを 欺くらく 猿は柴を 折りて来よ
きつにはそれを 焚きて給べ 任けのまにまに なしつれば
炎に投げて あたら身を 旅人の贄と なしにけり
旅人はこれを 見るからに 萎えうらぶれ こい転び
天を仰ぎて よよと泣き 土にたふれて ややありて
土うちたたき 申すらく いまし三人の 友だちに
勝り劣りを いはねども 我れはをさぎを 愛ぐしとて
元の姿に 身をなして 骸をかかへて ひさかたの
天つみ空を かき分けて 月の宮にぞ 葬りける
しかしよりして つがの木の いやつぎつぎに 語りつぎ
言ひつぎ来り ひさかたの 月の菟と いふことは
これがよしにて ありけりと 聞くわれさへに 白妙の
衣の袖は 徹りて濡れぬ
【語釈】◇月の菟 『今昔物語』天竺部巻五第十三話に同様の説話がある。さらに古くはインドの神話に由来する。◇天のみこと 天にあって宇宙を支配する神。『今昔物語』では帝釈天とある。
松山の鏡
越なるや 松の山べの をとめごが 母に別れて
忍びずて 逢ひ見むことを むらぎもの 心にもちて
あらたまの 年の三とせを すぐせしが 師走の暮に
市に出で もの買ふ時に ます鏡 手にとりみれば
わが面の 母に似たれば 母刀自は ここにますかと
よろこびて います日の如 言問ひて 有りのかぎりの
価もて 買うてかへりて 朝にけに 見つつしぬぶと 聞くがともしさ
【語釈】◇松山 新潟県東頚城郡松之山。◇聞くがともしさ 聞くのは羨ましい、の意。母の面影を鏡に見ることの出来た娘を、羨ましがっているのである。良寛は若き日の玉島修行中に母を亡くしている。