歌枕紀行 越中国
―こしのみちのなかのくに―
有磯海・布勢の海・多胡の浦・奈呉の浦
越中の国の主な歌枕(五十音順)
有磯海 高岡市から氷見市にかけての海岸。家持の万葉歌の普通名詞「荒磯」が歌枕に変じた。
わが恋はありその海の風をいたみ頻りに寄する浪の間もなし(伊勢[新古今])
射水川 現在の小矢部川にほぼ重なるが、奈良時代、小矢部川と庄川は小矢部市と福岡町の中間辺で合流しており、その合流点以下を射水川と呼んだ。
朝床に聞けば遥けし射水川朝漕ぎしつつ唄ふ舟人(家持[万葉])
鵜坂川 神通川上流の古称。
見るままに人の心のうさか川渡る瀬多しいかが頼まん(衣笠家良[夫木抄])
卯花山 万葉集で「卯の花の咲いている山」を意味した普通名詞がその後歌枕化し、砺波山あたりと考えられた。
明けぬともなほ影のこせ白妙の卯花山のみじか夜の月(宗尊親王[新千載])
雄神川 庄川の古称。石川・岐阜県境の白山に発し、砺波平野を通って富山湾に注ぐ。
雄神河くれなゐにほふ乙女らし葦附とると瀬に立たすらし(家持[万葉])
辟田川 不明。現在の高岡市または小矢部市あたりを流れていた川をいったらしい。鵜飼を詠み込むのが普通。
年のはに鮎し走らば辟田川鵜八つ潜けて河瀬尋ねむ(家持[万葉])
辟田川くだす鵜舟にさす棹の音さゆるまで夜はふけにけり(讃岐[夫木抄])
渋谷 越中国府のあった高岡市の北西、現在雨晴海岸と呼ばれるあたり。
馬なめていざうち行かな渋谷の清き磯廻に寄する波見に(家持[万葉])
多胡の浦 布勢水海(下記参照)の入江。氷見市に田子の地名が残る。田子の藤波参照。
多胡の浦の底さへにほふ藤波をかざしてゆかむ見ぬ人のため(内蔵縄麻呂[万葉])
立山 北アルプス西北端の立山連峰。もとは「たちやま」と訓み、万葉集の歌では毛勝三山などを含めた呼称だったらしい。
わが上へ越の立山傾くと思ふばかりの夜のあられかな(与謝野晶子)
砺波の関 倶梨伽羅峠にあった関。越の三関のひとつ。
焼大刀を砺波の関に明日よりは守部やりそへ君を留めむ(家持[万葉])
奈呉の浦 富山湾のうち、新湊市沿岸あたりの海。ただし万葉集の「奈呉の浦」は新湊市にあった放生津潟の古称。「なごの海」の名でも多く詠まれた。
あゆの風いたく吹くらし奈呉の海人の釣する小舟漕ぎ隠る見ゆ(家持[万葉])
なごの浦にとまりをすれば敷妙の枕に高き奥津白波(後二条院[続千載])
早月川 万葉集では「延槻河」。大日岳に発し、滑川市・魚津市の間で富山湾に注ぐ。
立山の雪しくらしも延槻の河の渡り瀬鐙漬かすも(家持[万葉])
旅の空晴れぬながめにうつる日もはやつき川を越ゆる白波(尭恵[北国紀行])
布勢水海 富山県氷見市にあった広大な淡水湖。特に垂姫の藤がよく詠まれた。
布勢の海の沖つ白波あり通ひいや年のはに見つつ偲はむ(家持[万葉][新勅撰])
布施の海や春深からし垂姫の霞の袖もおもがくしせり(村田春海[うけらが花])
二上山 高岡市・氷見市の境に位置する双峰の山。
玉くしげ二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり(家持[万葉])
三島野 『和名抄』には越中国射水郡三島の名が見える。一説に、富山県射水郡大門町二口の地かという。鷹狩などが行われた狩猟地。
三嶋野に霞たなびきしかすがに昨日もけふも雪は降りつつ(家持[万葉])
©水垣 久 最終更新日:平成12-05-01