津守国基 つもりのくにもと 治安三〜康和四(1023-1102) 号:藤井戸神主

歌道家津守家の祖。津守氏は古来住吉神社の神主を世襲した氏族。父は住吉神主基辰(津守氏系図によれば信国)。母は神主頼信の娘という。子の有基・景基も勅撰歌人。
康平三年(1060)、住吉神社の第三十九代神主となる。延久元年(1069)、叙爵。
白河院に親近し、藤原顕季・同公実ら院側近の歌人と交流した。また橘俊綱の伏見邸歌会にもしばしば参加し、良暹・賀茂成助らと親交があった。源経信との交遊も窺われる。康平六年(1063)の丹後守公基歌合、延久四年(1072)の通宗気多宮歌合などに出詠。歌道執心の逸話は多く、後拾遺集撰進の際、撰者藤原通俊に小鰺を贈り、果して三首の入集を得たというゴシップなども伝わる(このため後拾遺集は「小鰺集」と綽名されたという)。また自ら催した歌会で詠んだ「薄墨に…」の歌は評判になり、「薄墨の神主」と呼ばれるようになったという。晩年の自撰と目される家集『津守国基集』(『国基集』とも)がある。後拾遺集初出。勅撰入集二十首。

帰る雁をよめる

薄墨にかく玉づさと見ゆるかな霞める空にかへる雁がね(後拾遺71)

【通釈】薄墨色の紙に書いた手紙のように見えるなあ。霞んだ空を、並んで帰ってゆく雁の群は。

【語釈】◇薄墨 薄墨紙の略。◇雁がね もと雁の鳴き声を言ったが、ここでは単に雁のこと。

【補記】曇り空を薄墨紙に、列をなして飛ぶ雁を手紙の文字になぞらえた。古来雁が書信を届ける使者に擬えられたことに因む見立てであって、ただ似て見えるというだけの歌ではない。後世、多くの模倣歌を生んだ。

旅宿の雪といふ心をよめる

ひとりぬる草の枕はさゆれどもふりつむ雪をはらはでぞ見る(後拾遺409)

【通釈】草を枕に結び、独り野宿していると、雪が降ってきた。凍えるほどの寒さだけれども、体に降り積もるのを払いもせずに、野を白く覆ってゆく雪を眺めるのだ。

住吉の堂の壇の石取りに紀の国にまかりたりしに、和歌の浦の玉津島に神の社おはす。たづねきけば、「衣通姫のこのところをおもしろがりて、神になりておはすなり」と、かのわたりの人言ひ侍りしかば、よみて奉りし

年ふれど老いもせずして和歌の浦にいく代になりぬ玉津島姫(国基集)

かくよみて奉りたりし夜の夢に、唐髪あげて裳唐衣きたる女房十人ばかり出できたりて「嬉しき喜びに言ふなり」とて、取るべき石どもを教へらる。教へのままに求むれば、夢の告げのままに石あり。石造りして割らすれば、一度に十二にこそ割れて侍りしかば、壇の葛石(かづらいし)にかなひ侍りにき

【通釈】永く生きてきたけれど年老いもせずに、和歌の浦に鎮座して幾代を経たのだろう、玉津島姫は。

【語釈】◇壇の石 祭礼を行なうための土壇の縁石。◇和歌の浦 紀伊国の歌枕。今の和歌山市にある。「若」を掛ける。◇玉津島 和歌山市の和歌の浦にある島。現在は妹背山と呼ばれている。玉津島神社が祀られていた(現在は移転)。◇玉津島姫 玉津島神社の祭神。古くから衣通姫と同一視された。

【ゆかりの地】玉津島神社 和歌山県和歌山市。もと玉津島(妹背山)にあったが、現在は近くの奠供(てんぐ)山麓に移る。祭神は玉津島姫。和歌の浦の地名から、和歌の神として尊崇されるようになった。

【鑑賞】「国基が詠じたのは、文学は古代以来、今に至るまでつづく、由緒のある、歴史の古いものだが、それが単なる古さではないといふ事情である。彼は、文学は古いけれども新しい、年老いてはゐても若い、といふ事情を指摘した。といふよりもむしろ、古いがゆゑに新しく、年老いてゐるがゆゑにかへつて若々しいといふ条件を明らかにした。(中略)驚くに足りるのは、平安朝の歌人である神主が、文藝の本質とも言ふべきこのやうな消息を感じ取つてゐて、さらにまた、それを一首の和歌にすつきりと封じこめたといふことだらう」(丸谷才一『新々百人一首』)。

ものいひける女の髪をかきこしてけづるを見てよめる

朝ねがみ()手枕(たまくら)にたわつけて今朝は形見とふりこして見る(金葉358)

【通釈】起き抜けの寝乱れた髪。誰に手枕をしてもらって寝ぐせがついたというのか、今朝、おまえはそれを恋人の形見のように、肩越しに振り向けて見ている。寝ぐせをつけたのは、ここにいる私なのに。

【語釈】◇ものいひける女 特別な間柄の女。情を交わした女。◇かきこしてけづる 垂れた髪を前にまわして梳(くしけず)る。◇朝ねがみ 朝寝髪。朝起きたばかりの寝乱れた髪。◇たわつけて 寝癖をつけて。「たわ」は「撓む」と同根で、弾力を有しつつ曲がっている様子を表わす語。◇ふりこして 量の豊かな髪を肩越しに前へ振り向けるさまを言うのであろう。

【鑑賞】一緒に朝を迎えた恋人の前で、一心に髪をくしけずる女――その姿を見て、男が詠んだ歌である。寝ぐせをつけたのは自分なのだという満足感がある一方で、ふと自分が取り残されたような不満も覚える。女と髪との親密な関係に、男は妙な嫉妬をおぼえたのではないか。

題しらず

わぎもこが額の髪の乱れよりたわき眉根(まゆね)を見しが恋しき(国基集)

【通釈】妻の額髪のほつれの下に、しなやかに撓む眉が見えたっけ――恋しいなあ。

【語釈】◇たわき眉根 しなやかに曲がった眉。タワは撓む・手弱女などのタワと同根。

藤原範永朝臣、摂津守になりて、住吉社に初めて臨時祭おこなひ侍りける時、松のもとにて物申しけるついでによみ侍りける

我が身こそ神さびまされ住吉の()だかき松の陰にかくれて(続後拾遺1332)

【通釈】松の木よりも私の方こそずっと神さびているよ。名高い住吉の、高く生い繁った松の陰に隠れるようにして、長の年月過ごしてきたのだ。

【語釈】◇摂津守 範永の任官は治暦元年(1065)六月十三日。◇住吉社 住吉大社。もともと航海の神を祭る社であるが、平安後期から和歌の神として歌人たちの尊崇を受けるようになった。当時の社は海岸線にあり、松の名所でもあった。◇木だかき 名高い(住吉の松)の意をかける。◇松の陰にかくれて 作者国基は四十年以上にわたって住吉社に奉仕した。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日