藤原兼房 ふじわらのかねふさ 長保三〜延久元(1001-1069)

中関白道兼の孫。中納言兼隆の嫡男。母は左大弁源扶義女。子に相模守兼仲・讃岐上座静範・法性寺上座円範ほかがいる。
讃岐守・備中守・右少将などを経て、中宮亮正四位下に至る。
長元八年(1035)の関白左大臣家歌合、永承四年(1049)の内裏歌合、同五年の祐子内親王家歌合、左京大夫道雅障子絵合などに参席し、また天喜二年(1054)には自邸で歌合を主催した(播磨守兼房朝臣家歌合)。和歌に執心する余り、夢に柿本人麻呂を見、その似姿を絵に描かせて秘蔵していたという。のち、これを模写して初めて人麿影供を行なったのが藤原顕季なのだという(柿本影供記、十訓抄)。後拾遺集初出。勅撰入集は十六首。

道雅卿家歌合に梅花をよめる

散りかかる影は見ゆれど梅の花水には香こそうつらざりけれ (金葉20)

【通釈】梅の花が風に散り、池の上に舞いかかる――その影は水面に映って見えるが、香りまでが水に移ることはないのだ。

【補記】藤原道雅が西八条の山庄で催した歌合「左京大夫八条山庄障子和歌合」に出詠した歌。道雅の左京大夫在任は寛徳二年(1045)十月から天喜二年(1054)七月の死去の時までで、歌合の開催もその間と推測される。掲出歌は、《水の流れる庭に咲く紅梅を人々が見に来た》という景を描いた障子絵を題とする歌。一番左、勝負判無し。

【主な派生歌】
時鳥すがたは水にやどれども声はうつらぬ物にぞありける(藤原忠通[金葉])

永承四年内裏の歌合に、擣衣をよみ侍りける

うたたねに夜や更けぬらむ唐衣うつ声たかくなりまさるなり(後拾遺337)

【通釈】転た寝するうちに夜が更けてしまったのか。カランコロンと衣を打つ音がひときわ高く聞えるようになった。

【語釈】◇擣衣(たうい/うちぎぬ) 布に艶を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。◇唐衣(からころも) もともと大陸風の衣裳を言うが、のち衣服の美称としても用いられる。なお擣衣の音は「カラコロ」と聞きなされるので、擬音が掛詞になっている(「きぬたうつ音はからころ唐衣ころもふけゆく遠の山里」大田垣蓮月)。

【補記】永承四年(1049)十一月九日、関白左大臣頼通の後援で後冷泉天皇が主催した内裏歌合。掲出歌は十一番左勝(判詞は無い)。夜が更けるにつれて、砧を打つ音が高くなる。擣衣の響きによって、冷えまさる晩秋の夜の風情を歌っている。

【他出】新撰朗詠集、袋草紙

屏風絵に車おさへて紅葉見る所をよめる

古里はまだ遠けれど紅葉ばの色に心のとまりぬるかな(後拾遺345)

【通釈】帰るべき故郷はまだ遠いというのに、道中の紅葉の色美しさに心を奪われ、一向に先へ進まないことよ。

【語釈】◇心のとまりぬるかな 「とまる」に車が止まる意を掛けている。

【補記】藤原道雅主催の「左京大夫八条山庄障子和歌合」で、障子絵を題に詠んだ歌。

題しらず

言はぬまはまだ知らじかしかぎりなくわれ思ふべき人はわれとも(後拾遺620)

【通釈】私が思いを打ち明けていない今は、まだあなたは知らないでしょう。限りなく自分のことを思ってくれる人がいるとしたら、それは私だということを。

【語釈】◇われ思ふべき人 この「われ」は、作者が恋している相手の女性の身になって「われ」と言っている。

【補記】後拾遺集巻十一、恋一。

能因法師身まかりて後よみ侍りける

ありし世にしばしも見ではなかりしをあはれとばかり言ひてやみぬる(新古845)

【通釈】生前、しばらくでも無沙汰すると、あなたに会わずにいられなくなったものです。それが今は、ああ、と溜息をつくばかりで諦めてしまうのです。あなたはもう亡くなってしまったのですから。

【語釈】◇しばしも見ではなかりしを 暫くの間さえ逢わずにはいなかったのに。

【補記】先輩歌人能因法師が亡くなった後に詠んだという歌。能因の没年は明らかでなく、永暦六年(1051)までの生存が確認されるのみ。掲出歌は永万元年(1165)頃に成立した藤原清輔撰『続詞花集』にも採られているが、その詞書には「能因身まかりにけるに、めのもとへいひつかはしける」とあり、能因の出家前に娶った妻に贈った歌か。

静範法師、八幡の宮の事にかかりて伊豆国にながされて、又の年五月に、内の大弐三位のもとにつかはしける

五月闇ここゐの杜のほととぎす人しれずのみ啼きわたるかな(後拾遺996)

【通釈】五月闇の空を、古々井の杜に住む時鳥がひっそりと鳴いて渡るように、私は子を恋しがって人知れず泣き続けています。

【語釈】◇静範法師 兼房の子。興福寺の僧。康平六年(1063)十月十七日、陵墓盜掘事件に連座して伊豆国に配流された(扶桑略記)。◇八幡の宮 石清水八幡宮。◇大弐三位 名高い女房歌人。兼房の父兼隆の妻。◇五月闇(さつきやみ) 陰暦五月、梅雨の頃の闇夜。◇ここゐの杜(もり) 古々井の杜。静岡県熱海市の伊豆山神社の杜という。仮名違いだが「子恋ひ」に掛けて詠まれた歌枕。

【補記】作者の子、静範法師が康平六年(1063)に伊豆国流罪となり、その翌年五月、宮中に仕えていた大弐三位(兼房にとっては父の元妻)に贈ったという歌。大弐三位の返しは「ほととぎすここゐの杜に鳴く声は聞く夜ぞ人の袖も濡れけり」。

【他出】奥義抄、五代集歌枕、宝物集、歌枕名寄


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年03月22日