道長の直系。関白太政大臣忠実の息子。母は右大臣源顕房のむすめ、従一位師子。左大臣頼長・高陽院泰子の兄。基実・基房・兼実・兼房・慈円・覚忠・崇徳院后聖子(皇嘉門院)・二条天皇后育子・近衛天皇后呈子(九条院)らの父。藤原忠良・良経らの祖父。
堀河天皇の嘉承二年(1107)四月、元服して正五位下に叙され、昇殿・禁色を許され、侍従に任ぜられる。鳥羽天皇代、右少将・右中将を経て、天永元年(1110)、正三位。同二年、権中納言に就任し、従二位に昇る。同三年、正二位。永久三年(1115)正月、権大納言。同年四月、内大臣。保安二年(1121)三月、白河院の不興を買った父忠実に代わって関白となり、氏長者となる。同三年、左大臣・従一位。崇徳天皇の大治三年(1128)十二月、太政大臣。近衛天皇代にも摂政・関白をつとめたが、大治四年(1129)の白河院崩後、政界に復帰した父と対立を深め、久安六年(1150)には義絶されて氏長者職を弟の頼長に奪われた。以後美福門院に接近し、久寿二年(1155)の後白河天皇即位に伴い忠実・頼長が失脚した結果、氏長者に返り咲いた。保元三年(1158)、関白を長子基実に譲り、応保二年(1162)、出家。法名は円観。
永久から保安(1113-1124)にかけて自邸に歌会・歌合を開催し、自らを中心とする歌壇を形成した。詩にもすぐれ、漢詩集「法性寺関白集」がある。また当代一の能書家で、法性寺流の祖。日記『法性寺関白記』、家集『田多民治(ただみち)集』がある。金葉集初出。勅撰入集は五十九首(金葉集は二度本で数えた場合)。
春 4首 夏 2首 秋 1首 冬 2首 恋 7首 雑 3首 計19首
花薫風といふ心をよみ侍りける
吉野山みねの桜や咲きぬらむ麓の里ににほふ春風(金葉29)
【通釈】吉野山の峰の桜が咲いたのだろうか。麓の里に吹いてくる春風は、花の気(け)に満ちている。
【補記】「花薫風」すなわち《桜の花を薫らせる風》を主題に詠んだ歌。山桜にはかすかな香を放つ種もあるが、掲出歌の「にほふ」は《花のけはいが何となく感じられる》というほどの用い方。新味はないが風格のある歌で、『今鏡』は「わたの原」の歌と共に忠通の代表作として賞賛している。
【他出】和歌一字抄、田多民治集、今鏡、古来風体抄、歌枕名寄、題林愚抄
【主な派生歌】
風越の峰の桜や咲きぬらむ麓に花のふらぬ日ぞなき(藤原実定)
白雲のたつたの桜咲きにけり外山をかけてにほふ春風(後鳥羽院)
深山花を
峰つづきにほふ桜をしるべにて知らぬ山路にまどひぬるかな(金葉46)
【通釈】峰から峰へと咲き連なる桜に手引されるまま、知らない山に入り込み、道に迷ってしまったことよ。
【語釈】◇しるべ 手引き。道案内。
【補記】第五句「かかりぬるかな」とする本もある。
【他出】和歌一字抄、題林愚抄
【参考歌】紀貫之「古今集」
わが恋は知らぬ山路にあらなくにまどふ心ぞわびしかりける
白河院「雲葉集」「続千載集」
峰つづきにほふ桜をわがものと折りてや来つる春の日ぐらし
【主な派生歌】
梅の花にほひを道のしるべにてあるじもしらぬ宿に来にけり(藤原公行[詞花])
吹く風のさそふ匂ひをしるべにて行方定めぬ花の頃かな(後嵯峨院[続拾遺])
鳥羽院位おりさせ給うて後、白河に
常よりもめづらしきかな白河の花もてはやす春のみゆきは(新拾遺121)
【通釈】常にもまして尊く喜ばしいことでございますよ。白河の桜に引き立てられて一層豪勢な春の御幸は。
【語釈】◇白河 地名。今の京都市左京区岡崎あたり。白川とも書かれる。白河殿と呼ばれた御所があった。◇御幸 上皇・法皇・女院などのお出かけを言う(天皇の場合は「行幸(ぎょうこう)」)。◇もてはやす 美しさを引き立てる・大切にする・ほめそやす、などの意がある。
【補記】保安五年(1124)閏二月十二日、譲位して間もない鳥羽院は白河院と共に白河の花見に出かけられた。花見の後、白河御所で歌会があり、鳥羽院と供奉者の和歌が披露された。忠通の歌もこの時のもの。同じ時に詠まれた歌には、源有仁の「影きよき花の鏡と見ゆるかなのどかにすめる白川の水」(千載集)など、勅撰入集歌が少なくない。
【他出】田多民治集、古今著聞集、歌枕名寄
【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
何に菊色そめかへしにほふらむ花もてはやす君も来なくに
新院位におはしましし時、牡丹をよませ給ひけるによみ侍りける
咲きしより散りはつるまで見しほどに花のもとにて
【通釈】咲いてから散りきるまで眺めているうちに、花のもとで二十日を過ごしてしまったことになるのだ。
【語釈】◇牡丹 千載集では夏の花とするが、詞花集は春の花としている。◇二十日経にけり 白氏文集の「花開花落二十日。一城之人皆若狂」を踏まえる(→資料編)。
【補記】詞書の「新院」は崇徳天皇の譲位後の通称。崇徳天皇の在位は保安四年(1123)から永治元年(1141)まで。
水草隔船といへる心をよみ侍りける
夏ふかみ玉江にしげる蘆の葉のそよぐや船の通ふなるらむ(千載204)
【通釈】夏も深いので、玉江の蘆が繁って水路を隠している――その蘆の葉がそよぐことで、ああ船が往き来しているのだなと知れるのだ。
【語釈】◇玉江 摂津国の歌枕。今の大阪市高槻市あたり。河内平野を満たしていた湖の名残である三島江の一部を言ったらしい。◇蘆(あし) イネ科の多年草で、水辺に生える。穂の出ないうちは蘆(芦)、穂の出た後は葦と書く。◇通ふなるらむ 通っているのだろう。「なる」はいわゆる伝聞推定の助動詞で、葉のそよぐ音から舟が通っていると判断していることを示す。「らむ」は現在推量の助動詞。
【他出】和歌一字抄、田多民治集、続詞花集、和漢兼作集、題林愚抄
六月二十日ごろに秋の節になる日、人のもとにつかはしける
【通釈】真夏の太陽の光が射してはいるけれども、風ばかりは秋の気配を感じさせることよ。
【補記】晩夏六月中に立秋となった日に、「人」に贈ったという歌。『田多民治集』には詞書「六月の二十日比に秋の立ちし日、俊頼朝臣に給はせし」とあり、この「人」が源俊頼と知れる。俊頼の家集『散木奇歌集』によれば、俊頼は畏れ多くて返歌を躊躇っていたが、忠通が「しきりに召しける」ので、二日後に次の歌を奉った。「おのづから萩女郎花咲きそめて野べもや秋のけしきなるらむ」。
【他出】散木奇歌集、田多民治集、和漢兼作集
月の歌三十首よませ侍りける時、よみ侍りける
秋の月たかねの雲のあなたにて晴れゆく空の暮るる待ちけり(千載275)
【通釈】秋の月は、高山の頂にかかる雲の彼方にあって、しだいに晴れてゆく空が暗くなるのを待っているのだった。
【補記】夕暮、高嶺の彼方にあってなかなか現れない月を、空が晴れて暗くなるのを待っているのだと見立てた。月の出を待望する心を、月の側に身を置き、月の心になって表現している。『田多民治集』には詞書「月三十五首」とある。永暦元年(1160)頃に忠通が催した歌会に自ら出詠した歌。
【他出】田多民治集、定家八代抄、近代秀歌、和漢兼作集、題林愚抄
【主な派生歌】
庵さす岡辺の森の木の間より暮るる待ちける夕月夜かな(藤原為家)
風の時となるにやあるらむ夏の日も暮るる待ちてぞ涼しかりける(伏見院)
永久三年十月家歌合 水鳥
三島江や葦の枯葉の下ごとに羽がひの霜をはらふをし鳥(夫木抄)
【通釈】三島江では、冬枯れした葦の葉の下ごとにオシドリがいて、身をふるわせては羽交いに積もった霜を払い落している。
【語釈】◇三島江 かつて河内平野を満たしていた湖のなごり。現在の大阪府高槻市の淀川沿岸にあたる。◇葦(あし) 既出。◇羽がひ 鳥の背の翼が交わるところ。単に羽のことも言う。
【補記】永久三年(1115)十月の「内大臣家歌合」。忠通が内大臣であった時に家で催した歌合に、自ら出詠した歌。六番十二首の小規模な歌合で、判などの記録は残っていない。「忠通が主催した歌合のうち、確認できるものとして最初の歌合である」(新編国歌大観解題)。
【参考歌】志貴皇子「万葉集」巻一
葦辺ゆく鴨の羽がひに霜ふりて寒き夕べは大和し思ほゆ
題しらず
さざなみや志賀の唐崎風さえて
【通釈】さざ波寄せる琵琶湖畔、志賀の唐崎に吹く風は肌寒く、比良の山の頂きには霰が降っているようだ。
【語釈】◇さざなみや 「さざなみ」は楽浪とも書き、琵琶湖西南部一帯の古名。「さざなみや」は「志賀」の枕詞。荒い冬景色であるから「さざ波」の景を兼ねるとは見ない。◇志賀の唐崎 滋賀県大津市唐崎。琵琶湖の西岸。唐崎は辛崎とも書く。◇比良の高嶺 琵琶湖西岸の山々。主峰は標高1214メートルの武奈ヶ岳(ぶながたけ)。◇霰ふるなり 目には見えないが、風の寒さから山に霰が降っていることを感じ取っている。「なり」は視覚以外の感覚から判断していることを示す助動詞。
【補記】『田多民治集』などにも見えない歌で、新古今集がいかなる歌書からこの歌を採ったか不明。
【主な派生歌】
霰ふる志賀の山ぢに風こえて峰に吹きまく浦のさざ波(藤原定家)
冬さむみ比良の高嶺に風さえてさざ波こほる志賀の唐崎(後鳥羽院)
恋の歌とてよめる
いはぬまは下はふ葦の根をしげみ
【通釈】岩沼の底を葦の根がびっしりと這っているように、ひっそりと隙もなくあの人を思い続けている。口に出して言わない間は、やはりこの恋を知ってはもらえないだろうなあ。
【語釈】◇いはぬま 「岩沼」「言はぬ間」の掛詞。
【補記】元永元年(1118)十月二日、自邸で催した三十六番歌合。題「恋」、三番左勝。
【主な派生歌】
かくれぬの下はふ葦のみごもりに我ぞ物思ふゆくへしらねば(源実朝[続後撰])
寄水鳥恋
逢ふこともなご江にあさる葦鴨のうきねをなくと人しるらめや(金葉454)
【通釈】貴方に逢うこともできず、私は辛い独り寝に泣いている。奈呉江の葦辺で餌を漁る鴨が、ぷかぷかと水に浮きながら鳴き声をあげるように…。あの人は知ってくれるだろうか、いやそんなわけもないのだ。
【語釈】◇なご江 越中の歌枕。万葉集には「奈呉乃江」とある。富山県新湊市にあった放生津潟の古称。「な」に「無し」の意を掛ける。◇うきね 葦の「浮き寝」と、歌の主人公の「憂き寝」の掛詞。また「ね」には「音」(鳴き声・泣き声)を掛ける。
【他出】田多民治集、歌枕名寄
恋の歌とてよみ侍りける
あやしくもわがみ山木のもゆるかな思ひは人につけてしものを(詞花187)
【通釈】不思議なことに、この我が身が深山木(みやまぎ)の薪よろしく燃えるものよ。「思ひ」の火は、あの人に点けたというのに。
【語釈】◇わがみ山木 「我が身」「深山木」の掛詞。◇思ひ 思ひのヒに火を掛けるのは王朝和歌の常套。◇人につけてしものを 人に思いを寄せたことを、火の縁から「つけて」と言った。
【補記】「もゆる」「つけ」は火の縁語。
【他出】金葉集三奏本(重出)、後葉集
【主な派生歌】
花さかぬ我が深山木のつれづれといくとせ過ぎぬみよの春風(藤原定家)
しのびつつ色にや出でんあしひきのわがみやま木の時雨降る頃(順徳院)
新院位におはしましける時、雖契不来恋といふことをよませ給ひけるに、よみ侍りける
来ぬ人を恨みもはてじ契りおきしその言の葉もなさけならずや(詞花248)
【通釈】来てくれなかった人を、最後まで恨み通すことはやめましょう。手紙で逢おうと約束してくれただけでも、あの人なりのせめてもの情けだったのだわ。そうじゃないかしら。
【補記】新院すなわち崇徳院が天皇の位にあった時、「雖契不来恋」の題で詠ませたという歌。約束したのに恋人が訪れなかった時の思いを、女の立場で詠む。
恨恋の心を
恨みじと思ふ思ひのともすればもとの心にかへりぬるかな(玉葉1791)
【通釈】あの人を恨んで何になる、恨むまい。何度もそう思うのだが、その決心も、どうかしたきっかけで、もとの心に戻ってしまって、やはりあの人を恨んでしまうのだ。
【他出】田多民治集、万代集
題しらず
冬の日を春より長くなすものは恋ひつつ暮らす心なりけり(千載796)
【通釈】短いという冬の日を春の日よりも長くするものは、人を恋しく思いながら過ごす心なのであった。
【補記】夕方になれば逢えるかもしれないという期待が、短いはずの冬の日を長く感じさせる。藤原頼宗の家集『入道右大臣集』に「後朝、人にかはりて」の詞書で全く同じ歌が見え、忠通作としたのは千載集の選者俊成の誤解か。『後葉集』は頼宗の作とする。
恋
限りなくうれしと思ふことよりもおろかの恋ぞなほまさりける(田多民治集)
【通釈】これ以上ないほど嬉しいと思ったことがある。でも、それよりも、この愚かな恋の方がさらに上だったよ。
【語釈】◇限りなくうれしと思ふこと 「位人臣を極めること」(丸谷才一『新々百人一首』)。「つまりこれは摂政関白より恋が上といふ和歌なのである」(同書)。
月の歌あまたよませ侍りける時、よみ侍りける
さざなみや国つ
【通釈】ああ、かつて楽浪(さざなみ)と呼ばれた国――さざ波の寄せる近江の国の神様のお心も今は冷えきり、寒々とした湖の入江のほとり、荒れ果てた旧都の跡には、ただ月だけが澄んでいる。
【語釈】◇さざなみや さざなみ(楽浪)は琵琶湖西南部一帯の古名。志賀や大津など。◇国つ御神 国土を支配する神。「天つ御神」の対語。◇うらさえて ウラは心。心が冷え冷えとして。「浦さえて」(琵琶湖の浦が寒ざむと澄んで)を掛ける。◇古き都 かつて天智天皇は近江大津宮に遷都した。また志賀の穴生(あのう)は景行・成務・仲哀三代の皇居の地とされる。◇月ひとりすむ 「すむ」は澄む・住むの掛詞。
【他出】田多民治集、定家八代抄、時代不同歌合、歌枕名寄、愚見抄、六華集、正徹物語
【本歌】高市黒人「万葉」巻一
楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
左京大夫顕輔、
思ひかねそなたの空をながむればただ山の端にかかる白雲(詞花381)
【通釈】あなたに逢いたいという思いが抑えきれずに、そちらの方の空を眺めると、ただ山の稜線に白雲がかかっているのが見えただけだ。
【補記】藤原顕輔が近江守であった時、遠い郡へ赴任することになり、便りに付けて贈ったという歌。顕輔は近江守に天承元年(1131)から保延元年(1135)まで在任。また永治元年(1141)から天養二年(1145)までは同国権守。
【他出】後葉集、時代不同歌合
【参考歌】藤原頼孝「続詞花集」「千載集」
思ひかね昨日の空をながむればそれかと見ゆる雲だにもなし
【類想歌】
思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞふる(*藤原俊成[新古今])
思ひかねそなたの空をながむれば雲さへ我を隔てけるかな(藤原実定)
新院位におはしましし時、海上遠望といふことをよませ給ひけるによめる
わたのはら漕ぎ出でてみれば久かたの雲ゐにまがふ沖つ白波(詞花382)
【通釈】海原に漕ぎ出して遠望すると、沖合には、雲と見紛うばかりに白波が立っている。
【語釈】◇わたのはら 大海原。「わた」は海を指す古語。万葉集には「わたつみ」「わたの底」などの語が見える。◇久かたの 雲にかかる枕詞。◇雲ゐ 雲のあるところ、空。単に雲の意味にも転用された。この歌では空とみる説と雲とみる説が古来対立。
【補記】保延元年(1135)四月二十九日、崇徳天皇の内裏歌合での作。第四句を「雲居にまよふ」として載せる本もある。
【鑑賞】「海上遠望をよめり。心は明か也。これは我舟にのりていへる心也。歌のさまはたけありて余情かぎりなし。眺望の歌などにかくれたる心はあるまじき也。ただ風情をおもふべきにこそ」(応永抄)。
【他出】和歌一字抄、後葉集、田多民治集、今鏡、古来風躰抄、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合、百人一首、題林愚抄
【主な派生歌】
わたの原しほ路遥かに見渡せば雲と浪とはひとつなりけり(藤原頼輔[千載])
わたの原漕ぎ出でて見れば久方の雲ゐも波のうちにぞありける(藤原家隆)
わたの原波と空とはひとつにて入日をうくる山の端もなし(藤原定家[風雅])
わたのはら八重の潮路を見わたせば雲につらなる沖つ白波(惟明親王)
わたの原ながめの果てはひとつにてむら雲わくる沖つ白波(九条良平)
和田の原うち出でて見れば山梨の花とやいはん沖つ白波(正徹)
和田の原空もひとつにほのぼのと霞へだつる沖つ白波(冷泉為村)
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:令和4年05月08日