清原深養父 きよはらのふかやぶ 生没年未詳

舎人親王の裔。豊前介房則の子(または房則の祖父備後守通雄の子とも)。後撰集の撰者元輔の祖父。清少納言の曾祖父。
延喜八年(908)、内匠允。延長元年(923)、内蔵大允。延長八年(930)、従五位下。晩年は、洛北の北岩倉に補陀落寺を建てて住んだとの伝がある。
寛平御時中宮歌合・宇多院歌合などに出詠。貫之・兼輔らと親交があった。古今集に十七首入集。勅撰入集四十二首。家集『深養父集』がある。中古三十六歌仙小倉百人一首にも歌を採られている。

  2首  1首  4首  1首  6首  3首 計17首

題しらず

うちはへて春はさばかりのどけきを花の心や何いそぐらむ(後撰92)

【通釈】毎日春はこれほどのどかであるのに、花の心は何故急いで散ろうとするのだろうか。

【語釈】◇うちはへて 長々と。ずっと続けて。もともと「うちはへ」は「(縄などを)張り渡す・さし渡す」意の動詞だが、ここでは副詞的な用法。

弥生のつごもりがたに、山を越えけるに、山河より花の流れけるをよめる

花ちれる水のまにまにとめくれば山には春もなくなりにけり(古今129)

【通釈】花が散り浮かぶ水の流れにしたがって尋ねて来ると、桜はすっかり散り果てて、山にはもう春はなくなってしまったのだ。

【補記】山の桜は里の桜に遅れて咲く。

月のおもしろかりける夜、暁がたによめる

夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ(古今166)

【通釈】夏の夜はまだ宵のうちと思っている間に明けてしまったが、月はこんな短か夜では、まだ西の山の端に辿り着いていないだろう。雲のどこに宿を借りているのだろうか。

【語釈】◇まだ宵ながら まだ宵であるのに。まだ宵だと思っているうちに。宵(よひ)は夜の初めの時間。夕と深夜の間。◇明けぬるを 明けてしまったが。「を」は逆接の接続助詞。◇月やどるらむ 月は宿っているのだろう。「やどる」は寝る場所を取る(定める・借りる)意。普通なら、西方にある山が「月の宿る」場所なのであるが、今夜はどこかの雲を代りに宿としているだろう、それはどこか…といった気持。

【補記】第四句、「雲のいづくに」とするテキストもある(新編国歌大観では「新撰和歌」「時代不同歌合」「後六々撰」「古来風躰抄」「百人秀歌」「百人一首」などが「雲のいづくに」となっている)。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、深養父集、後六々撰、新撰朗詠集、古来風躰抄、時代不同歌合、定家八代抄、近代秀歌(自筆本)、百人一首

【主な派生歌】
夏の夜はまだ宵ながら明けぬとやゆふつけ鳥の暁のこゑ(慈円)
大和路や都も遠きひむろ山まだ宵ながら岩戸あくなり(藤原家隆)
夏の月はまだ宵の間とながめつつぬるや河辺のしののめの空(藤原定家)
宵ながら雲のいづことをしまれし月をながしと恋ひつつぞぬる(〃)
折しもあれ雲のいづくに入る月の空さへをしきしののめの途(〃)
山路行く雲のいづこの旅枕ふすほどもなく月ぞ明け行く(〃)
夕づくよかたぶく空はよひながら雲のいづくにありあけの月(藤原忠良)
夏の夜は雲のいづくにやどるともわがおもかげに月はのこさむ(藤原良経)
郭公まだ宵ながら明くる夜の雲のいづくになきわたるらん(後鳥羽院)
郭公雲のいづくにやすらひて明がたちかき月になくらん(〃[続拾遺])
あかなくに雲のいづくにやどりつつはるればあくる夏の夜の月(〃)
月だにも雲のいづくに夏の夜のやみはあやなし曙の空(順徳院)
卯の花の籬は雲のいづくとてあけぬる月の影やどすらむ(藤原為家[続古今])
暁の空とはいはじ夏の夜はまだ宵ながら有明の月(西園寺公相[続古今])
久方の雲のいづくの影ならで木のまあけ行くみじか夜の月(伏見院)
よひのまに明けなば明けよ天つ空雲のいづくと月はたどらじ(正徹)

秋の歌とてよめる

幾世へてのちか忘れむ散りぬべき野辺の秋萩みがく月夜を(後撰317)

【通釈】何年経ってのち忘れるのだろうか。いずれは散ってしまうはずの野辺の秋萩を、冴え冴えとした月光によって磨きあげるように、色美しく見せるこの月夜を。

【語釈】◇幾世へて 何年にもわたって。この「世」は「年」の意味。

【他出】深養父集、和歌一字抄、袋草紙

【主な派生歌】
天つ風氷を渡る冬の夜の乙女の袖をみがく月影(*式子内親王[新勅撰])
庭しろき玉をのべたる光かなこほれる雪をみがく月夜に(正徹)

題しらず

川霧のふもとをこめて立ちぬれば空にぞ秋の山は見えける(拾遺202)

【通釈】川霧が山の麓をすっかり包んで立ちこめたので、秋の山は空に浮かんでいるように見えるのだった。

【他出】寛平御時中宮歌合、深養父集、古今和歌六帖、金玉集、深窓秘抄、和漢朗詠集、奥義抄、定家八代抄

【主な派生歌】
麓をば宇治の川霧たちこめて雲ゐに見ゆる朝日山かな(*藤原公実[新古今])

題しらず

なく雁のねをのみぞ聞くをぐら山霧たちはるる時しなければ(新古496)

【通釈】雁の鳴き声ばかりを聞くことよ。小倉山では、霧が晴れる時がないので。

【語釈】◇ねをのみぞ聞く 鳴き声ばかりを聞く。霧が深く、姿は見えないのである。◇をぐら山 小倉山。京都嵐山あたりの山々。「小暗い」意を掛ける。

【他出】深養父集、古今和歌六帖、歌枕名寄

神なびの山をすぎて龍田川をわたりける時に、もみぢの流れけるをよめる

神なびの山をすぎゆく秋なれば龍田川にぞ(ぬさ)手向(たむ)くる(古今300)

【通釈】神奈備山を越え、過ぎてゆく秋なので、秋は龍田の神への手向として龍田川に紅葉を幣(ぬさ)として捧げるのだ。

神なびの山(奈良県生駒郡 三室山)
神なびの山(奈良県生駒郡 三室山)

【語釈】◇神なびの山 奈良県生駒郡三郷町の龍田大社背後の山。かつては龍田山とも呼ばれ、現在の地図には三室山と記される。大和から河内・摂津方面へ向かうには、生駒越えと共に龍田越えがよく利用された。後世、奈良県生駒郡斑鳩町の神奈備山と混同される。◇龍田川 奈良県生駒郡三郷町あたりの大和川を龍田川と呼んだらしい。歌の「神なび山」の南側を廻るように流れている。万葉集以来の歌枕。紅葉の名所。現在龍田川と呼ばれているのは、生駒山地東側を南流し、大和川に合流する川である。◇幣 神への捧げ物。古くは木綿・麻を用い、のち布や紙を用いるようになった。

【補記】龍田山を過ぎて龍田川を渡る時、散り紅葉が水面を流れてゆくのを見て詠んだという歌。人が峠を越えるとき神に手向をする風習があったが、そのことになぞらえて、秋が神奈備山に紅葉を手向けたと見立てた。紅葉を幣になぞらえる趣向は菅原道真や紀貫之の古今集歌にも見られ、当時の流行であったらしい。なお、『深養父集』の詞書は「神なび山をまうできて、立田河をわたるとて、紅葉のながれけるを見て」とあり、龍田大社に参詣後の詠であったらしい。

【他出】深養父集、五代集歌枕、歌枕名寄

【主な派生歌】 もろこしの山をすぎゆく秋なりとしたふ心のわれおくれめや(伏見院)

雪のふりけるをよみける

冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ(古今330)

【通釈】冬でありながら空から花が落ちて来るのは、雲のかなたはもう春だというのだろうか。

【語釈】◇花の散りくる 雪を花びらに見立てる。

【他出】深養父集、古今和歌六帖、和歌体十種(高情体)、奥義抄、和歌十体(高情体)、定家八代抄、題林愚抄

【主な派生歌】
朝まだき御法の庭に降る雪は空より花の散るかとぞ見る(中原清重[千載])
雲さゆる吉野の里は冬ながら空より花のふらぬ日はなし(祝部成茂)
法の庭空に楽こそきこゆなれ雲のあなたに花や散るらむ(慶政[風雅])

題しらず

恋ひ死なばたが名はたたじ世の中のつねなき物と言ひはなすとも(古今603)

【通釈】私がこのまま恋い焦がれて死んでしまったなら、誰のせいだと評判が立つでしょう、あなた以外の誰でもありますまい。いくらあなたが「人の世は無常なもの」などと言ってごまかそうとしたって――。

【語釈】◇たが名はたたじ 誰の名も立つまい。私を除いては、の意を暗に含む。

【他出】深養父集、後六々撰、源氏釈、河海抄

【主な派生歌】
語るともたが名はたたじ長からぬ心のほどや人に知られむ(藤原義孝)
恋ひ死なば我がゆゑとだに思ひ出でよさこそは辛き心なりとも(*藤原実国[千載])
あだなりと言ひはなすとも桜花たが名はたたじ峰の春風(飛鳥井雅経[続拾遺])

題しらず

今ははや恋ひ死なましを相見むとたのめしことぞ命なりける(古今613)

【通釈】今はもう、いっそ恋い死にしてしまいたいよ、ああ。「お逢いしましょう」と期待させたあなたの約束が、私の生きる力だったのだ。その願いも空しくなった今はもう…

題しらず

みつ潮のながれひる間を逢ひがたみみるめの浦に夜をこそ待て(古今665)

【通釈】満ちて来る潮が流れて干潮になるまでの間は逢うのが難しいので、海松目(みるめ)が流れ寄る浦で、夜になってあなたに逢える時を待っている。

【語釈】◇ながれひる間 潮が流れて干潮になるまでの間。「干る間」「昼間」を掛ける。◇逢ひがたみ 逢うのが難しいので。◇みるめの浦に 海松布(みるめ)が流れ寄る浦。「見る目」(逢う機会)の意を掛ける。

【他出】深養父集、古今和歌六帖、歌枕名寄

題しらず

心をぞわりなき物と思ひぬる見るものからや恋しかるべき(古今685)

【通釈】心というものは、わけの分からないものだと思ったよ。とうとう思いを遂げてあなたと逢うことができて、恋しさも満たされたはずなのに、逢っているからこそまたこんなに恋しい思いがする…そんなことがあるものだろうか。

【語釈】◇わりなき 判断がつかない。どうにもしようがない。◇見るものから あなたと逢っているがゆえに。「ものから」は原因・理由をあらわす助詞。

【他出】深養父集、後六々撰

題しらず

恋しとはたが名づけけむことならむ死ぬとぞただに言ふべかりける(古今698)

【通釈】「恋しい」とは、誰が名付けた言葉なのだろう。そんなこと言わずにただ、「死ぬ」と言うべきだったのだ。

【他出】深養父集、古今和歌六帖

題しらず

うれしくは忘るることもありなましつらきぞ長きかたみなりける(新古1403)

【通釈】嬉しい思い出だったら、忘れることもあるだろうに、あの人の薄情さゆえの堪えがたい苦しみだけが、長く消えない恋の形見だったのだ。

【他出】深養父集、古今和歌六帖、時代不同歌合

あひしりて侍りける人の、あづまの方へまかりけるをおくるとてよめる

雲ゐにもかよふ心のおくれねば別ると人に見ゆばかりなり(古今378)

【通釈】遥かな国へと旅立つあなたを追って空さえも往き来する心は、あなたに遅れずについて行きますので、人の目には別れると見えるだけであって、心は離れ離れにならないのです。

【他出】深養父集、古今和歌六帖、後六々撰

時なりける人の、にはかに時なくなりて嘆くを見て、みづからの、嘆きもなく、喜びもなきことを思ひてよめる

光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思ひもなし(古今967)

【通釈】光の射し込まない谷では春もよそごとなので、咲いてすぐに散る心配もありません。

【補記】詞書の大意は「時めいていた人が俄に時を失い嘆く様を見て、自分にはそのような嘆きも喜びもないことを思って詠んだ」。不遇の身を「光なき谷」に擬え、花が咲き散る物思い――すなわち栄枯盛衰に伴う喜憂も無縁だと自嘲的に顧みた。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、深養父集、定家八代抄、時代不同歌合

【主な派生歌】
日影みずさきてとくちる色もなし谷は蛍ぞ光なりける(藤原定家)
桜花咲きてとく散るならひこそ我が身の春の物思ひなれ(嘉喜門院[新葉])
春もまだよそにぞ寒き谷の戸に咲きてとく散る花の淡雪(望月長孝)
ひかりなき谷にも風はよそならで咲きてとく散る山桜かな(本居宣長)

題しらず

昔見し春は昔の春ながら我が身ひとつのあらずもあるかな(新古1450)

【通釈】昔経験した春は、昔の春そのままであるのに、我が身だけは変わってしまったなあ。

【補記】老いの嘆きを詠む。

【本歌】在原業平「古今集」
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして


更新日:平成16年02月15日
最終更新日:平成21年09月01日