荒木田久老 あらきだひさおゆ 延享三〜文化元(1746-1804) 号:五十槻園(いつきのその)

延享三年十一月二十一日、代々伊勢神官を勤める家に生まれる。父は外宮(げくう)権禰宜(ごんのねぎ)度会(わたらい)正身(まさのぶ)。初名は正恭(まさただ)、後に正薫(まさただ)。通称、弥三郎。子に久守がいる。
宝暦三年(1753)、外祖父宇治秀世の養子となり、権禰宣職を継ぐも、のち離縁。明和八年(1771)、従四位下となるが、安永二年(1773)、位記を返上して辞職、荒木田久世の養子となり、内宮(ないくう)権禰宣の職に就く。この時名を久老と改めた。寛政元年(1789)、再び従四位下に叙せられる。文化元年八月十四日没。五十九歳。墓は伊勢市浦口の天神丘墓地にある。
明和二年(1765)、江戸に下り賀茂真淵に師事する。万葉集を初めとする古典の研究に打ち込み、『万葉考槻の落葉』『祝詞考追考』『日本紀歌之解』ほか多数の著がある。家集は『槻の落葉歌集』(『近世万葉調短歌集成』『荒木田久老歌文集竝伝記』に収録)。弟子に足代弘訓がいる。
以下には『八十浦之玉』『槻の落葉歌集』より計六首を抜萃した。

 

春のはじめの歌

はつ春の日影のどけき神岡の神の()かげをあふげもろもろ(八十浦之玉)

【通釈】初春の陽光がのどかな神岡――この神の御霊を仰ぎ敬いなさい、皆さん。

【語釈】◇神岡 神を祀る山。作者が伊勢神官であることを思えば、伊勢の神路山と解するのが自然であろう。◇御かげ 神霊。「かげ」には光の意もあるので、「御威光」の意ともなり得る。

【補記】『八十浦之玉』は文政五年(1822)の序を持つ本居大平撰の古学派の和歌集成。『槻の落葉』には「初春の初日かがよふ神国の神のみかげを仰げもろもろ」として所載。同書の巻頭に並び立つ立春詠「若歴木(わかひさぎ)いや若ゆべき時まけて大川のべに春立ちにけり」も捨て難い。

安永八年九月、神嘗祭(かんなめまつり)御占(みうら)に仕へまつりて

拆鈴(さくすず) 五十鈴(いすず)の宮の 真木さく ()御門(みかど)に 大宮つかへ あれつぎて あはつかへんと 鵜自物( う じ もの) 頚根(うなね)()き抜き 猪自物(ししじもの) 膝折りふせて かしこくも 伺候(さもら)ふ時に いちじろく 吾名(あがな)呼ばひて 掻鳴(かきな)す (あめ)詔琴(のりごと) さやさやに 御占(みうら)あはせる 事のよろしさ

御占とふ大前(おほまへ)を照らす月影のあかき心にあはつかはへな(槻の落葉歌集)

【通釈】[長歌] 五十鈴の宮の檜の御門、この大神宮にお仕えし、幾代も続いて、私はお仕えしようと、鵜のように首を突き出し、猪のように膝を折り曲げ地面に臥して、畏れ多くも神意を伺っていると、はっきりと私の名を繰り返し呼んで、掻き鳴らす天の詔琴がさやさやと、神の卜定に併せて鳴る――なんと素晴らしいこと。
[反歌] 占いで御心を問う、神の御前――そこを照らす月の光のように穢れのない心で私はずっとお仕えしよう。

【語釈】◇拆鈴 裂け目のある鈴の意か。類音の「五十鈴」に掛かる枕詞。◇五十鈴の宮 伊勢内宮の別称。◇真木さく 「檜」の枕詞。「真木」は杉檜など直立する針葉樹。「さく」は「割く」意とも「栄(さ)く」意ともいう。◇檜の御門 檜で作った門。伊勢神宮の社殿は総檜作り。◇あれつぎて 生れ継ぎて。代々の神官の家に生まれて。◇鵜自物 鵜のように。「頚根衝き抜き」に慣例的に冠する詞。◇頚根衝き抜き 首を前に突き出して。◇猪自物 猪や鹿のように。「膝折りふせて」に慣例的に冠する詞。◇天の詔琴 神が憑き、託宣をするのに用いる琴。古事記によれば、大国主命が根の堅洲国から逃れる際、生大刀・生弓矢と共に持ち出したもの。◇さやさや ものが触れ合う時に鳴る音。古事記には枯野という船から作った琴を掻き鳴らすと、水に浸かった海藻が触れ合うように「さやさや」と鳴ったとある。◇あはつかはへな 吾は仕はへな。「仕はへ」は「仕ふ」に反復継続の意を表す助動詞「ふ」が付いたもの。「な」は決意を表す終助詞

【補記】安永八年(1779)九月十日、神嘗祭に仕える神官を卜定する式に参加した時、自分の名が呼ばれた誉れを感謝し、奉仕の決意を述べた。当時作者は三十二歳、伊勢内宮の権禰宣の職にあった。長歌は『八十浦之玉』にも所載。

【参考】祝詞 祈年祭
宇事物頚根衝抜弖、皇御孫命能 宇豆乃幣帛乎、称辞竟奉久登宣(鵜じもの頚根(うなね)衝き抜きて皇御孫(すめみま)の命のうづの幣帛(みてぐら)を称辞(たたへごと)(を)へまつらくと宣る)
  作者未詳「万葉集」巻一
藤原の大宮つかへあれつくやをとめがともはともしきろかも

登戸隠山作歌

三篶(みすず)刈る 信濃の国 (いは)はしる 水内県(みのちあがた)に ありたたす 戸隠(とがくし)の山 神の山 山がらか (うべ)(かん)さび (かみ)からか うべも貴き 梓弓(あづさゆみ) 原野(はらぬ)ゆ見れば 五百重山(いほへやま) い立ちへなりて 遥々(はろばろ)に 富士の山見ゆ 名ぐはし 飯縄(いづな)の山も この山の おやじ連峯(つるね)ぞ ぬば玉の 黒姫山も さしなみの 隣の山ぞ 群山(むらやま)も よりて(つか)ふる 戸隠の 神の御稜威(みいつ)を (かしこ)みて をろがみ(まつ)り (ぬか)づきまつる

戸隠の山に(いほり)朝戸出(あさとで)の真袖に払ふ(あま)の白雲

伝へ聞く薬()まねど白雲の棚曳(たなび)く上にわれは来にけり(槻の落葉歌集)

【通釈】[長歌] 信濃の国の水内県に聳えておられる戸隠の山、この神の山は、山の品格ゆえなるほど神々しく、神の品格ゆえなるほど貴いことよ。原野をずっと見渡せば、幾重にも山が重なって立ち隔たり、遥かに富士の山が見える。その名も美しい飯綱山も、この戸隠山の同じ連峰であるぞ。黒姫山も、立ち並ぶ隣の山であるぞ。どの山も服従してかしずく戸隠の神――その御威光を畏れて、拝み奉り、深くお礼し奉ります。
[反歌一] 戸隠の山に宿り、翌朝外に出れば、天の白雲を両手の袖で払うことよ。
[反歌二] 伝え聞く仙薬は飲んでいないけれども、白雲がたなびく上に私はやって来たのだった。

【語釈】[長歌] ◇三篶かる 地名「信濃」の枕詞。万葉集の「水薦苅」「三薦苅」は現在「みこもかる」と訓まれるのが普通であるが、かつては「みすずかる」と訓まれた。◇石はしる 「水内県」の枕詞。◇水内県 長野県の旧水内(みのち)郡にあたる。◇戸隠の山 長野北部、新潟県との境近くに聳える山。天手力男命ほかを祭る戸隠神社がある。◇梓弓 弓を「はる」と言うことから、「原野」の枕詞に用いた。◇名ぐはし 名が美しい。◇飯綱の山 長野市北西にある円錐形の火山。山頂に飯綱神社(飯綱権現)がある。◇ぬば玉の 「黒」の枕詞であることから、黒姫山に冠した。◇黒姫山 長野県信濃町にある火山。別名信濃富士。◇さしなみの 差し並ぶ。並び立つ。万葉集巻六の「刺並之」をかつて「さしなみの」と訓んだことから(現在では「さしならぶ」が定訓)。◇よりて仕ふる 服従してお仕えする。万葉集巻一、柿本人麻呂の吉野讚歌に見える詞。
[反歌] ◇真袖 片袖に対する語で、両袖のこと。◇伝へ聞く薬 飛行長生の仙薬。漢土の説話類によく出て来る。万葉集巻五大伴旅人の歌に「雲に飛ぶ薬食むとも」とある。

【補記】天明六年(1786)、神官としての用務を帯びて信濃国に赴いた時、戸隠山に登っての作。信濃から北陸道を経て帰国するまでの歌日記が「信濃下向の歌」として残されている。「故郷の花散る頃を降る雪にまがへて偲ぶ信濃路の春」など旅情溢れる佳詠が並ぶ。


公開日:平成21年01月14日
最終更新日:平成21年01月14日