本居春庭 もとおりはるにわ 宝暦十三〜文政十一(1763-1828) 号:後鈴屋(のちのすずのや)

宝暦十三年二月三日、伊勢国津の母勝子の実家で生れる。本居宣長(当時三十四歳)の長男。幼名、健蔵。のち健亭。
幼少より病弱で、常に父の側にあり、書物を筆写するなどして父の学問を助けた。二十九歳頃から目を患い、三十二歳で完全に失明した。父の計らいで京都へ行き鍼術の修業を積み、松坂に帰京後、鍼医として開業した。従妹の壱岐と結婚し、二子をもうける。三十九歳の時、父と死別。本居家の家督は養子の稲掛大平が継いだが、その後も松坂に留まって研究・著述活動を続け、「後鈴屋社」を組織して和歌・国学を多くの門弟に教えた。文政十一年十一月七日、没。六十六歳。墓は松阪の樹敬寺にある。
動詞活用の法則を解明するなど、国語学の分野で偉大な功績を残す。著書に『詞の八衢(やちまた)』『詞の通路(かよいじ)』などがある。家集は『後鈴屋集』(続歌学全書三・本居宣長全集・校注国歌大系十六などに所収)。

以下には『後鈴屋集』より十首を抄出した。

  5首  3首  1首 哀傷 1首 計10首

朝鶯

春寒みうつる日かげのかた()のみ木伝(こづた)ひてなく今朝の鶯

【通釈】春もまだ寒いので、今朝の鶯は日のあたる方の枝でばかり枝移りして鳴いている。

【補記】浅春の朝の鶯の趣をこまやかに捉えている。練り上げた詞、繊細な調べによって題の本意を丁寧に歌い上げるのが作者の身上。題詠に執したゆえ発想が類型的なのは致し方ないとしても、家集『後鈴屋集』に収められた作の全体的な水準は高く、その歌才を父宣長の上に置く論者も少なくない。

月前梅

風たえてかすむとはなき梅が香もうつるはうすき袖の月影

【通釈】風が途絶えて、霞む程ではない夜、梅の香もかすむわけではないけれども、袖への移り香は薄く、袖に映る月の光もまた薄い。

【補記】「かすむ」は「霞が立ちこめる」「(梅の香が)はっきりしなくなる」の両義、「うつる」は「袖に香が移る」「月影が袖に映る」の両義で用いられている。

朝花

咲きそめて夜のまの夢のまさしくもにほふ朝けの庭ざくらかな

【通釈】明け方、庭の桜が咲き始めて、夜の間に見た夢がそのまま実現したように朝日に美しく映えている。

【補記】庭の桜が咲く夢を見て、目覚めればその夢が正夢だと知った。『後鈴屋集』の桜花詠は二百首近くに及び、集中の圧巻。

朝落花

さめやらぬ夢かとばかり庭ざくら散りぬる花にたどる朝戸出

【通釈】朝、戸を開けて外に出ると、庭の桜は散ってしまっていて、覚めきらない夢ではないかと思うほど、花に心は迷うのである。

【語釈】◇散りぬる花にたどる 散ってしまった花が夢か現実かと迷いながら庭を歩く。◇朝戸出 朝、戸を開けて外に出ること。万葉集に見える語。

【補記】花の散る夢を見たあと目が覚め、現実に散ってしまった花を見て、これは夢の続きではないかと疑う気持。

落花

山桜命にかへて惜しめとや見はてぬ夢と花の散るらむ

【通釈】山桜は、私の命に換えても惜しめというのだろうか。見果てぬ夢とばかりに花が散っている。

【補記】古今集の本歌は、恋人に逢えた夢が覚めることを「命にもまさりて惜しく」と詠んだ。それを、落花を惜しむ歌に本歌取りしたのである。

【本歌】壬生忠岑「古今集」
命にもまさりて惜しくあるものは見はてぬ夢のさむるなりけり

さびしさはそことも見えず立ちこめてただ秋霧の夕ぐれの空

【通釈】寂しさは、どこがそう見えるというのでもなく、あたり一面に立ちこめて、ただ秋霧ばかりの夕暮の空よ。

【補記】邪道の読み方ではあるが、若くして失明した作者の境涯に思いを馳せずにはいられない。

【参考歌】寂蓮「新古今集」
さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮
  冷泉為村「為村集」
水上はそことも見えず立ちこめて霧より暮るる秋の川波

夕紅葉

てりそひて一しほ色のこま錦日もいりかたの峯のもみぢ葉

【通釈】日が傾く頃、いっそう輝きが増さり、色が濃くなった、高麗錦のごとき峯の紅葉よ。

【語釈】◇一(ひと)しほ いっそう。ひときわ。また名詞として「染液に一回浸すこと」をも意味し、「色」の縁語となる。◇こま錦 高麗錦、すなわち高麗国から渡来した錦。万葉集ではもっぱら「紐」の枕詞として用いられた語。掲出歌では「濃(こ)」と掛詞になり、また「日も」を導く枕詞として働いている。◇日もいりかたの 日が沈む頃の。

【補記】詞のうるわしさを第一とし、「ずいぶん辞(ことば)をととのふべき」とした父宣長の教えに終生忠実な春庭であった。

雨後紅葉

村時雨過ぎこしかたの色見ればゆくさきうすき山のもみぢ葉

【通釈】山の紅葉は、ひとむらの時雨が通り過ぎた方を見ると色が濃くなっていて、その行き先はまだ色が薄い。

【語釈】◇村時雨(むらしぐれ) 一しきり降って通り過ぎてゆく時雨。「むら」は「ひとかたまり」の意。

【補記】雨に濡れた紅葉はいっそう色が濃く見え、これから濡れるだろう紅葉は薄く見える。「時雨に濡れるたびに紅葉は色を濃くする」という古くからの常識も前提として踏まえている。

【参考歌】藤原定家「続後撰集」
小倉山しぐるるころの朝な朝な昨日はうすき四方のもみぢ葉

海辺時雨

沖遠くかきくらすより音たててまだき時雨(しぐ)るる磯の松風

【通釈】遠い沖で空を暗くしたと思うと、音を立てて、早くも時雨を降らせる磯の松風よ。

【語釈】◇まだき まだその時にならないのに、という意味の副詞。時雨の雲はまだ磯に届かないが、風が沖から雨を運ぶために、「まだき時雨るる」と言っている。◇磯の松風 磯辺の松を鳴らして吹く風。新古今時代にたびたび結句として用いられた。

【補記】第三句「て」の小休止、結句体言止めという一首のまとめ方は型通りであるが、大景を動的に捉えて生彩ある一首。

哀傷

父の身まかりけるはてに人々集まりて歌よみけるに、紅葉を

散り過ぎし人の世悲しこぞの色に帰る紅葉を見るにつけても

【通釈】木の葉が散るようにこの世を去ってしまった人の命が悲しい。去年の色に戻った紅葉を見るにつけても。

【補記】父宣長の一周忌、享和二年(1802)九月二十九日の作。陰暦九月末はあたかも紅葉の盛りを迎える季節である。同日、山室の墓に詣でての作は「藤衣かふる月日はきてもなほ涙はてなき我が袂かな」(大意:喪服を脱ぐ日が来てもなお私の袂に涙は尽きない)。


公開日:平成19年12月09日
最終更新日:平成19年12月09日