夕立 ゆうだち(ゆふだち) Summer evening shower

入道雲 夕立直前の空

夕立と言えば普通《夏の夕方の俄雨》を指すが、もとはおそらく動詞「夕立つ」から来た語で、夏に限らず、夕方に強い風が起こったり、突然雲が現れたりすることを言ったのだと思う。神々・精霊の物騒な活動が活発になる夕暮という時間帯に対する、古人の不安が籠められた語だ。

炎熱の陽射しも傾いた頃、ふいに一陣の大風が吹き、その風が積乱雲を吹き寄せる。しばらくすると沛然と雨が降り、じきに止む。夏はそんなことが多いため、やがて「夕立」だけで夏の夕方の俄雨を言うようになったものであろう。

『新古今集』 題しらず  西行法師

よられつる野もせの草のかげろひてすずしくくもる夕立の空

夕立の雨に先立つ烈風が野の草を乱し、糸を()るように絡み合わせる。その風が運んで来た巨大な雲によって、野原一面が陰り、にわかにあたりは涼しくなった。驟雨が降り出す直前の景を大きく捉えた、西行晩年の丈高い自然詠だ。

平安時代には既に「夕立」で雨を指すこともあったようだ。しかし西行の歌の「夕立の空」はまだ雨が降っていない空、「夕立雨のけしきが現れた空」ということである。

自然が見せる変化の相を歌人は好んだから、夕立は恰好の歌題であった。殊に玉葉風雅は夕立詠の秀歌の宝庫である。
まず玉葉集より何首か。

(をち)の空に雲たちのぼり今日しこそ夕立すべきけしきなりけれ 中山家親
山たかみ梢にあらき風たちて谷よりのぼる夕立の雲 西園寺実氏
風はやみ雲の一むら峰こえて山みえそむる夕立のあと 伏見院
夕立の雲まの日かげ晴れそめて山のこなたをわたる白鷺 藤原定家
暮れかかるとほちの空の夕立に山の端みせて照らす稲妻 世尊寺定成

ついで風雅集より。

衣手にすずしき風をさきだててくもりはじむる夕立の空 宮内卿
松をはらふ風は裾野の草におちて夕だつ雲に雨きほふなり 京極為兼
行きなやみ照る日くるしき山道に()るともよしや夕立の雨 徽安門院
虹のたつ麓の杉は雲にきえて峰より晴るる夕立の雨 楊梅俊兼
月うつる真砂(まさご)のうへの庭たづみあとまですずし夕立の雨 西園寺実兼

風と雲が劇的な動きを見せ、まもなく激しい雨をもたらすが、やがて嘘みたいに空は晴れわたり、暑熱を洗い流したような涼しさが残る。自然のダイナミックな変化を短時間のうちに展開し、夕立詠は夏の巻のクライマックスをなす観がある。
もとより夕立は時に雷雨を伴う恐ろしい天気でもある。

『常山詠草』 夕立  徳川光圀

夕立の風にきほひて鳴る神のふみとどろかす雲のかけ橋

天を突き刺すような入道雲の中に梯子が掛けてあって、雷神が踏み轟かしながら降りて来る。その響きが、風の音と烈しさを競い合っている、という。夕立の「(たち)」を雷神の降り立つ意に解する語源説があるが、それもまた魅力的な説ではある。

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  『万葉集』巻十六  作者未詳
夕立の雨うち降れば春日野の尾花が(うれ)の白露思ほゆ

  『詞花集』(題しらず) *曾禰好忠
川上に夕立すらし水屑(みくづ)せく梁瀬(やなせ)のさ波こゑさわぐなり

  『金葉集』(二条関白の家にて雨後野草といへる事をよめる) *源俊頼
この里も夕立しけり浅茅生に露のすがらぬ草の葉もなし

  『新古今集』(雲隔遠望といへる心をよみ侍りける) *源俊頼
とをちには夕立すらし久かたの天の香具山雲がくれゆく

  『新古今集』(百首歌の中に) *式子内親王
夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしのこゑ

  『新古今集』(千五百番歌合に) *西園寺公経
露すがる庭の玉笹うちなびきひとむらすぎぬ夕立の雲

  『遠島百首』(夏) 後鳥羽院
夕立の晴れゆく峰の雲間より入日涼しき露の玉笹

  『風雅集』(建仁四年百首御歌の中に、夕立) 後鳥羽院
片岡の(あふち)なみより吹く風にかつがつそそく夕立の雨

  『玉葉集』(三十首歌人々にめされし時、遠夕立) *九条左大臣女
夕立のとほちを過ぐる雲の下にふりこぬ雨ぞよそに見えゆく

  『嘉元百首』(夕立) *二条為子
やがてまた草葉の露もおきとめず風よりすぐる夕立の空

  『新続古今集』(延文百首歌に、夕立を) *二条為明
いとどしくあべの市人さわぐらし坂こえかかる夕立の雲

  『風雅集』(野夕立) *惟宗光吉
富士の嶺は晴れゆく空にあらはれて裾野にくだる夕立の雲

  『風雅集』(夏歌の中に) *花園院
夕立の雲とびわくる白鷺のつばさにかけて晴るる日のかげ

  『光厳院御集』(夕立) 光厳院
吹きすぐる梢の風のひとはらひここまで涼しよその夕立

  『草根集』(夕立風) *正徹
吹きしをり野分をならす夕立の風の上なる雲よ木の葉よ
  (夕立過山)
草も木もぬれて色こき山なれや見しより近き夕立のあと
  (遠夕立)
山づたひ夕立うつる風さきに木の葉も鳥もふかれてぞ行く

  『下葉集』(海村夕立) *堯恵
浪の上は千里(ちさと)に晴れて(みぎは)なる木末(こずゑ)にしづむ夕立の空

  『紅塵灰集』(夕立) 後土御門天皇
鳴神の音はたかをの山ながらあたごの峰にかかる夕立

  『正親町院御百首』(夕立) *正親町院
鳴神のただ一とほり一里の風も涼しき夕立のあと

  『桂林集』(遠夕立) *一色直朝
すずしさのいま()が方になりぬらん遠ざかりゆく夕立の雲

  『後水尾院御集』(晩立) 後水尾院
夏の日のけしきをかへて降る音はあられに似たる夕立の雨
俄にも波をたたへしにはたづみかはくもやすき夕立のあと
常は見ぬ山のみどりに滝落ちて名残もすずし夕立の雨

  『倭謌五十人一首』(夕立) *宮川松堅
知る知らず宿りし人のわかれだに言葉のこりて晴るる夕立

  『賀茂翁家集』(夕立をよめる) *賀茂真淵
にひた山うき雲さわぐ夕立に利根の川水うはにごりせり
大比叡(おほびえ)小比叡(をびえ)の雲のめぐり来て夕立すなり粟津(あはづ)野の原

  『桂園一枝』(湊夕立) *香川景樹
茜さす日はてりながら白菅(しらすげ)の湊にかかるゆふだちの雨


公開日:平成22年08月22日
最終更新日:平成22年08月22日

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