ゲームの日本史、または、日本史の中のゲーム


鎌倉時代のゲーム

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鎌倉時代、南北朝時代(1192〜1338)

年代のあるもの
西暦和暦事象資料備考
1195源頼朝が賭博全般の禁令を出す。 
1198建久六源頼朝が放鷹を禁止  
1199正治元「囲碁式」刊行。 玄尊著。日本最古の棋書といわれる。
1202建久十将棋。「明月記」 
1212建暦二鳩合わせ。「明月記」 
1223貞応二手鞠会が行われる。「吾妻鑑」
1226嘉禄二賭博の禁令。「吾妻鑑」
1229安貞三目増し。「吾妻鏡」 
1240仁治元『双六、四一半、目勝以下博打の事堅く之を停止すべし』「関東評定事書」 
1242仁治二双六、四一半、目増、字取等の博打の禁令。 
1244寛元二双六、四一半、目勝等の禁令。 
1253建長五日蓮と弟子の吉祥丸が碁を打つ。 現存する最古の棋譜。
1263弘長三鞠奉行の記述。「吾妻鑑」

年代のないもの
事象資料備考
手鞠「吾妻鏡」 
『双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、〜』「徒然草」110段
『囲碁・双六好みて明かし暮らす人は、〜』「徒然草」111段
将棋「太平記」 
犬合わせ(闘犬)「太平記」 
双六「古今著聞集」1254(建長六年)完成
七半「古今著聞集(巻第十二博奕 四百二十三)」「七半」は2個のサイコロを振り、目の合計が7になれば賭金の半分をやりとりするものと言われている。
醍醐天皇の輔弼であった文章博士の紀長谷雄(きのはせお)が、 朱雀門の上で鬼と双六の勝負をし、勝って美女を手に入れた記述。「長谷雄草紙」 

その他のこの時代の遊び

事象備考
蹴鞠 
貝覆い 


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