167. 神奈川県の震生湖
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関東大震災の時にできた震生湖がある。50年ほど前に来たことはあるが、その時の
風景はわずかしか覚えていない。
ここに、2017年12月2日、気温観測を続けている秦野市千村からの帰りに
寄り道した。平沢の住宅街から南の丘に登り、尾根伝いに歩くと南側に急斜面の
公園(写真①)、その下に震生湖があった。
写真① 震生湖に降りていく斜面の公園(2017年12月2日)。
湖岸に建てられた案内板には次の説明がある。
震生湖
震生湖は一九二三年(大正十二年)九月一日の関東大震災の時、渋沢丘陵の一部
が崩落し、その土砂が谷川をせき止めてできた自然湖です。
この湖周辺では、一年を通して多くの野鳥を見ることができ、「かながわの探鳥
地五〇選」に選ばれています。
海抜一五〇メートル、最大幅八五メートル、長径三一五メートル、周囲一〇〇〇
メートル、平均水深四メートル、最大水深十メートル。
秦野市
震生湖では、ハイキングする人や釣りを楽しむ人たちがいた。湖岸での釣り人や
数艘のボートが出ている(写真②)(写真③)。
写真② 震生湖、湖岸の釣り人。
写真③ 震生湖、ボートの釣り人たち。
写真④ 太陽光発電施設。
湖からの帰りに別の道を登っていくと、多数の太陽光パネルが一面に広がって
いる(写真④)。休耕地を利用した発電所だろうか。
尾根を西に歩くと眼下の秦野市街の北方に標高1252メートルの大山と、
1567メートルの丹沢山が一望できる(写真⑤)。これらは丹沢大山国定公園に
属している。
大山は富士山のような美しい形から、昔から山岳信仰の対象とされてきた。
山頂と中腹には阿夫利神社がある。私はこれまで数回登ったことがある。
写真⑤ 大山(遠方の右)と丹沢山(遠方の左)。
写真⑥ 大震災埋没者供養塔。
震生湖の尾根沿いの場所に、関東大震災のとき埋没した人の供養塔がある。
約百年後の今でも、花とミカンが供えられている(写真⑥)。供養塔の裏側には
次の文字が刻まれている。
大震災埋没供養塔
山口丑五郎四女ヨネ行年十三才
山口条蔵三女トフ行年十一才
南秦野村有志一般建立
関東大地震は関東地方に大災害をもたらした。東京や横浜では大火災と、
それに伴う火災旋風が発生し、死者・不明者は十万人以上もでた。現在、私の
住む神奈川県平塚では相模川に架かる東海道本線の鉄道橋が倒壊し
(小さな旅102)、熱海・小田原間にある根府川駅一帯では山体崩壊による
地滑りで列車が駅もろとも海中に流された(小さな旅のたより103)。
「102.大地震の跡:茅ケ崎と平塚」
「103.大地震の跡:根府川と一夜城」
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