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3. 私の散歩道、かながわ

朝日新聞神奈川面には毎週木曜日、読者からの推薦に もとづく「私の散歩道かながわ100選」が連載されて いる。第1回目の2002年2月14日版に掲載された「冬 の湘南海岸」(茅ケ崎海岸)は私が推薦してあった ものだ。茅ケ崎海岸の遊歩道は柳橋から藤沢市鵠沼 (くげぬま)まで9.6km、車道から離れ、所々に板張 り道もある。東には江の島、沖合には烏帽子岩(えぼ しいわ)の岩礁が見える。冬は西に富士山が美しい。

他の人から推薦された「私の散歩道」にも行ってみる と、いつも素晴らしい道に出会える。しかし、それら は2時間ほどの短いコースが多く、私はその延長コース も探して歩いてくる。しかし迷って、ハイキングには 適当でない道に入ることもあり、行き戻りつを繰り返 すので、1回につき6~10時間ほど歩くことになる。

3.1 湘南海岸と葉山
3.2 酒匂川
3.3 ふれあいの森・泉の森
3.4 洒水の滝と21世紀の森
3.5 緑の回廊
3.6 多摩川沿い

3.1 湘南海岸と葉山

2001年12月から翌年1月にかけて、平塚から江の島、 鎌倉、葉山、油壷などの名所旧跡に寄り道しながら6日間かけて三浦 半島先端の城ヶ島まで歩いたのだが、寄り道しなければ何日間で 行けるかを試してみたくなった。

2002年5月14日火曜日、自宅を6時前に出発。平塚駅から海岸道路に出て、 相模川河口の湘南大橋を渡り、茅ケ崎海岸の遊歩道を歩き、8時間後の 14時前に葉山御用邸の南にある県立葉山公園に到着した。距離は30km余り である。そのときの体力に余裕が感じられた。

そこで、5月20日月曜日、自宅を5時に出発。こんどは、逗子~葉山間は 内陸の名越トンネルを経て7時間30分後に県立葉山公園に到着。昼食後、 京浜急行終点の三崎口駅までを目標とした。

三崎口駅に着いたのは16時 であったので、さらに城ヶ島までを目指した。12時間20分後、 ついに城ヶ島に到達できた。寄り道は少なくしたので、距離は49km であった。心臓の悪い私でも、ゆっくり歩けば1日に50kmも歩ける ことがわかり、嬉しかった。

私はこの4月までには、伊豆半島先端の石廊崎まで、さらに1週間 連続して歩く四国遍路を2回行なっているうちに、不思議にも、 長距離を歩いても足のふくらはぎが痛くなる ことはなくなっていた。

1日に50kmも歩こうとすると、ほとんど寄り道ができない。楽しむ ためには35km以内がよいと思う。その点、平塚から葉山までの距離は 適当であるが、逗子~葉山間の海岸通りには歩道のない区間がある。 それゆえ、この区間は可能な限り、磯や砂浜を歩こうと計画し、 こんどは6月1日土曜日4時25分、ほぼ日の出時刻に自宅を出発した。

午後1時前に県立葉山公園に到着した。約33kmのコースである。 御用邸の隣の旧別邸は葉山しおさい公園となっており、その隣の 旧高松宮別荘には県立近代美術館が建設中なので、完成すれば これらも見学できる。このコースでは、さまざまに変化する 海岸風景が次々と見られ、私の気に入りである。

私は葉山にはもう4回も行った。御用邸のご門には、いつも若い 警官が立っていて、「こんにちは!」の挨拶を交わしてくれる。 「ご門の写真を撮ってもよいですか?」と問うと、 「ご遠慮していただいております」という。こんどは 「ご門が写真に入らないように、車道の写真はいいですか?」 と問うと、「御用邸の塀が写真に写り、警備上困りますので・・・」 といわれた。

3.2 酒匂川

新聞にはJR御殿場線松田駅から「松田山ハーブガーデン」、 開成町の「あじさいの里」、開成水辺スポーツ公園を経て、 小田急線開成駅までのコースが紹介された。

私はこの延長として、 6月14日金曜日、酒匂川の土手沿いに河口まで下り、そのあと 国道1号線を平塚まで歩いた。大磯の旧東海道の並木道 は素晴らしかった。 時間(休憩も含む)は9時間40分であった。

翌6月15日土曜日、JR東海道線鴨宮駅から西に向かい飯泉橋から 酒匂川の土手を上流に歩き、途中で小田原市栢山(かやま)の 二宮尊徳記念館を見学。再び酒匂川土手にもどり、素晴らしい 並木を上流に、前日の逆コースを歩く。

「開成町あじさい祭」の期間中であり、あじさいの里は賑わっていた。 地元の婦人たちが高知の「よさこい鳴子おどり」をアレンジした 唄で踊っていた。 松田山ハーブガーデンからは、この日歩いた道を追うことができた。 このコースは16km、7時間である。

3.3 ふれあいの森・泉の森

6月21日金曜日、小田急線大和駅から 遊歩道プロムナードを西へ10分間ほど歩くと、ふれあいの森に入る。 面積は約22ヘクタールと書かれている。ここは藤沢市鵠沼(くげぬま) 海岸まで流れる小川「引地川」の上流である。

川岸はなるべく自然の姿を残す「近自然工法」という方法で、 失われたふるさとの川を復元し、魚や鳥類など生き物と共に 親しめるように整備されていた。

さらに北へは、面積42ヘクタールの泉の森に続く。 しらかしの茂った林の隙間から池が見え、心が和む。 北のほうへ行ってみると、林の中の遊歩道が縦横に伸びていた。 水源地の湧水を利用した小さな滝、その近くに水車小屋が作られている。

公園内の大和市自然観察センターが管理事務所となっていて、 展示物を見学できた。金曜日だが多数の人々が散策していた。 新興住宅の地域にこんな素晴らしい公園があることに驚く。 公園内を2時間ばかり散策したあと、引地川に沿い7kmほど下り、 藤沢市長後高校の手前、長後橋で東に向きを変えて長後駅まで歩いた。

この下りコースの途中、川沿いは開発が進み、川のごく近くまで家が 密集し、人工的な護岸により自然が失われ残念に思った。 これが乱開発の姿であろう。この道はお勧めコースにはならないだろうが、 さらに下ると、こんどは違って、川岸には所々に大きな桜の並木道や、 手入れされた樹木の並木があった。

これら両地域は、その開発時代の人々、あるいは関係者の自然観が それぞれ違っていたのであろう。つまり、その違いが景観上の差として、 化石のように残されていると思った。

これからの開発に際しては、 河川沿いは両岸の土手から最低50mの範囲内は規制を設け公共・共有地 としておくべきだろう。そうすれば、防災面からもよく、 川沿いに公園が造られ、希望者には花畑、菜園として利用させられる。

3.4 洒水の滝と21世紀の森

6月29日土曜日、JR御殿場線山北駅から南に見える城山、河村城址 公園へ登った。城山への道はよく整備されていた。

頂上の城址には説明石版があり、次の内容が刻まれていた。 「城山の標高は約225m、酒匂川との比高差は約130m。 この周辺では、相模・甲斐・駿河三国の境界線が交差することから、 数多くの城砦群が築かれていたが、なかでも河村城は甲斐・駿河から 足柄平野に至る交通の要衝に位置していた。」

城山を南西側に下りてから、酒匂川に架かる高瀬橋を渡り、 洒水(しゃすい)の滝を訪ねた。大勢の人々が流れ落ちる滝を見ていた。 説明板には次の内容が書かれていた。

「森と水と山の国日本には、いたるところに名瀑がある。 深緑の断崖から落下する純白の滝を、先人たちは神とあがめ、 かけがえのないふるさとの遺産として残してくれた。 この洒水の滝が、全国から公募した日本の滝百選の一つに選ばれた。」

滝の下流300mほどのところにもどると、「21世紀の森」への案内 矢印が目に入った。お土産小屋のおばさんに「21世紀の森まで行くのに 何時間くらい掛かりますか?」と尋ねると、 「相当な時間が掛かりますよ。ここから登るより南足柄市の内山まで 20分ほど歩き、右折して山のほうへ向かい、21世紀の森を経て、 こちらへ降りてくるほうが楽ですよ」と教えられた。

内山からは、広くてゆるい坂道を通り、標柱「21世紀の森」の奥から 金太郎コースの山道を登っていくと立派な建物「森林館」があった。 私が上のほうへ登って行くと、公園を手入れしていたおばさんから、 「雨になりそうだし、迷わないように気をつけて行ってください」 と励まされた。

一帯は素晴らしい森林公園である。斜面も多く、広いので公園内の 手入れは大変だろうと思った。 「花の木の森」、「あかしあの森」を経て山頂近くのテレビ塔に着く。

ここの標高は530mほどあり、視界が開け、眼下に酒匂川、河村城址があった。 休憩後、洒水の滝のほうへ降りていった。内山から洒水の滝入り口までは 約3時間であった。

酒匂川に沿って下った。岩流瀬(がらせ)橋には「かながわ橋100選」 と書かれていた。新大口橋を渡ると、幅の広い土手は公園となっており、 「文命堤」の説明板があった。酒匂川の氾濫を防ぐために、 文禄から慶長年間、つまり江戸幕府が開かれる1600年の前後に築かれた 堤である。数組の老若男女が飲食会を開いていた。

文命提の端に酒匂川サイクリングコースの起点があった。 サイクリングコースを経て、御殿場線松田駅に到達した。 次回のハイキングコースは、山北駅を出発し、21世紀の森、洒水の滝、 河村城址を経て、山北駅にもどる道順が適当であろう。 距離は15km、8時間である。

3.5 緑の回廊

7月7日日曜日、横浜市営地下鉄中川駅から東に向かって 歩き始めた。400mほど歩くと、「緑道・公園案内図」が設置されていた。 緑道には「くさぶえのみち」と「ふじやとのみち」、さらに南の ほうには「せきれいのみち」「ささぶねのみち」「ゆうばえのみち」 と名づけられている。

これら緑道は「山崎公園」「牛久保西公園」 「牛久保公園」「徳生公園」「神無公園」「山田富士公園」、 さらに南の「早渕公園」「せせらぎ公園」「茅ケ崎公園」 「大原みねみち公園」「葛ケ谷公園」「都筑中央公園」を結んでいる。

これら12の公園を結ぶ緑道は途中で途切れる区間もあるが、 横浜市都筑区内でほぼ円形をなし、直径2.5kmほどの緑の回廊を作っている。 山崎公園、牛久保公園、茅ケ崎公園には上り下りの山道もあった。 大都市の中に、素晴らしい緑道と公園が造られたことに驚きを感じた。 多数の人々が散歩しており、また池には釣り人がいた。

緑道「ふじやとのみち」の途切れる東の端にくると、 南方に小山の森が見えたので、登って行くと頂上に山田神社があった。 この神社の本殿は天保13(1842)年の造営で、彫物の多用が特徴である と書かれていた。

表参道の階段を下り、一般道路を800mほど歩くと、早渕公園と緑道 「せきれいのみち」へ入った。早渕公園の高台から見下ろすと、 広場では少年たちが野球をしていた。

せせらぎ公園の池の脇に「この公園は昭和54年度日本都市計画学会賞受賞」 と説明された記念碑があった。 池には蓮の花が咲き、隣には移築復元されら古民家があり、 「港北ニュータウンの開発の際に内野家より寄贈されたもの」 と書かれていた。

緑道を横断する車道橋の下を抜けると、子供たちが小川で生き物を 探して遊んでいた。 これら公園と緑道の周辺にはマンションも多く、住民たちの憩いの場 となっている。人々の顔が幸せそうに見えた。

この日の最後に都筑中央公園に着くと、 山頂には大きなリングの「ニュータウン建設 事業記念碑」があった。説明版には、「港北ニュータウン建設事業は、 乱開発を未然に防止し都市と農業が調和し、住環境の整備された 新しいまちを市民参加のもとに建設することを基本理念として、 昭和四十年から始められた日本最大規模のまちづくり事業です。 熱心な討議と調整を重ね、幾多の困難を克服し事業を推進してきました。」 と記されていた。

やはりそうだったのか。 私が探し求めていた都市の中のハイキングコースがここにあったのだ。 歩行者専用道は地下鉄センター南駅まで続いていた。

公園内の散策も含めると、このハイキングコースは約15km、6時間である。 都筑区の緑道と同じような歩行者専用道路が各区や市町村にも造られ、 しかもそれらは各行政域で閉じたものではなくて、互いに結ばれて いればよいと、私は夢のようなことを考えてしまった。

3.6 多摩川沿い

7月12日金曜日、JR南武線武蔵中原駅を出発。北に向かうと、 新田開発のために徳川家康の指示で造られたという二ケ領用水があった。 これは上流の多摩川から引かれ、稲城領と川崎領の二ケ領の用水路であり、 全長が35kmほどもある。

この付近の両岸は垂直のコンクリートで固められ、 並木が水路を覆っていた。この用水と並行に歩いたのち、川崎市の等々力 (とどろき)緑地に向かった。バス通りの歩道は、樹木が覆い被さる ほどに生い茂り、気持ちがよい。

緑地の北西側に市民ミュージアムがある。 ここは以前に来たことがあり、博物館を現代風にしたような機能をもつ 大きな建物である。緑地内の樹林を歩いていると、婦人に会い、 「池を見てきました。ハスがきれいでしたよ・・・。 バス停留所はどの付近ですか?」と聞かれた。 私は彼女とは反対方向に歩いてきたので、さきほど通り過ぎた バス停留所を教えた。

彼女は、もしかして、私と同じように、 昨日の新聞に掲載された「私の散歩道」を見て、遠くからこの緑地に きたのではないか、と思った。私は、新聞に紹介された道順とは逆に 歩いていた。

樹林の間から広い池が見えた。花壇にきれいな花があり、ベンチで ひと休みする人もいた。広い池に架かった細長い橋には色とりどりの パラソルが一列に並び、何十人もの人が釣りをしていた。 並びの小さな池には大きなハスの花が咲いていた。

多摩川の土手に上がると、河川敷が広々と見えた。 土手のサイクリングロードに沿って荘川桜エドヒガンの苗木が 植えられていた。この苗木は、やがて、きれいな桜並木となり、 木陰をつくってくれるだろう。

河川敷の水流に近いところの小道を歩いていくと、 「かわさき水辺の楽校・等々力校」の施設整備の予定地の看板がある。 魚の棲む池などで子供たちの遊び・体験・学習などの活動が予定されている、 とあった。

丸子橋を対岸へ渡ると東京都大田区である。浅間神社があった。 あとで多摩川台公園の管理事務所・古墳展示室でもらったパンフレット によると、この浅間神社は古墳の上に建造されている。神社の北側には 亀甲山(かめのこやま)古墳があった。

説明板によると、 この古墳は大田区から世田谷区におよぶ古墳群中最大の前方後円墳であり、 全長107mもある。この公園にはさらに6つの円墳が並んでいた。 古墳群の周囲には遊歩道が整備され、散歩する10人余りの人々に会った。 多摩川を見下ろすこの丘陵からは、澄んだ日には富士山や大山が見える、 と書かれていた。

亀甲山古墳脇のあずまやでは、小さな管楽器を吹いている人がいた。 私はその曲を聴きながらおにぎりを食べた。

こんどは東京都側の河川敷を歩いた。土手のそばには新しい マンションが次々と建設されていて、住環境が変化しつつあった。 しかし、パークハウスという集合住宅群の場所では、土手と建物の間には 桜並木が造られていて、嬉しく思った。河川敷では腹ばいになり 強い日差しに肌を焦がす若者たちがいた。

さらに下っていくと、土手下の河川敷で帽子も被らず日笠も差さず、 若い女性が読書にふけっていた。気温は30℃を越えているにもかかわらず、 何とまあ!

こんどは多摩川大橋を渡り川崎市側へ戻ると、明治天皇が観梅された という御幸公園があった。昔のこの付近には広い梅園があったのだろうか。

続いて東芝研究開発センター内の東芝科学館へ入った。私は一人だったのに、 館内を詳しく案内してもらった。 高温超伝導の実験や、太刀の刃の上に回転するこまを乗せるロボット実験、 その他の面白い最新技術を見ることができた。

六郷橋近くの史跡案内板には、「関東でも屈指の大河である多摩川の 下流域は六郷川と呼ばれていた。元禄元年(1688)7月の大洪水で 六郷大橋が流されたあとは、明治時代に入るまで渡船となっていた」 とあった。そうか、「六郷の渡し」とはこの付近のことだったのか。

この日は下流にある川崎大師まで歩いたが、増水で破損した土手の 一部は工事養生中のため通行できなかった。それゆえ、次回は、 東芝科学館の見学後はJR川崎駅に向かのがよいだろう。 その場合の距離は20km、7時間となる。

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