6. 気象学 夏の学校(2004年7月24日)

”歴史の中の気象学―地表面熱収支、 新ポテンシャル蒸発量”
	著者:近藤純正
		6.1 はしがき
		6.2 貞山堀と北上川改修工事(災害克服)
		6.3 野蒜築港計画(気象観測のはじまり)
		6.4 学問の象徴ミミズク(気象学のはじまり)
		6.5 戦後の水資源開発(十和田湖の蒸発)

		6.6 AMTEX研究(熱収支式の基本的な性質)
		6.7 乾燥域の水収支・熱収支(気候変化)
		6.8 新ポテンシャル蒸発量利用の勧め
		文献
		クイズの解答

質疑・応答 Q&A は前章の「気象学夏の学校 Q&A」に掲載してあります。

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日本気象学会夏期特別セミナー(若手会夏の学校)が宮城県野蒜で開催されたこと から、宮城県に焦点を当て、歴史の中に見る気象学上のトピックスを紹介する。 そうして、地表面の熱収支における基本的な性質をクイズを交えながら復習し、 気候指標としての新ポテンシャル蒸発量の有用性について述べる。



6.1 はしがき

セミナーの会場が宮城県鳴瀬町(現・東松島市)の野蒜(のびる)だと聞き、明治時代の 野蒜築港計画を思い起こした。この計画は途中で台風の襲来によって 中断したできごとなので、話しておきたいと考えた。さらに、 さかのぼる江戸時代に、伊達政宗が開いた貞山堀や新田開発のこと、 東北大学気象学研究室に飾ってあった「学問の象徴・ミミズクのステンド グラス」のこと、そして私が熱収支・水収支研究をはじめた頃の 社会状況を思い出す。今回は、気象学の背景にあったこうした社会状況 も交えながら話をしたい。

後半では、地表面の熱収支におけるエネルギー配分の基本について復習し、 大気現象との関連を考察しよう。また、旧来式のポテンシャル蒸発量の 利用は適当でないので、今後利用すべき新・ポテンシャル蒸発量の 利点について説明したい。

6.2 貞山堀と北上川改修工事(災害克服)

今から400年前の昔、1600年に徳川家康(1542~1616)は、天下分け目の 「関ヶ原の合戦」で大勝利をおさめ、1603年には江戸幕府が 開かれた。1614年の主要な大名の石高は仙台・伊達62万石、加賀・前田 120万石(のち1664年には103万石)、薩摩・島津73万石であった。

石 ( こく ) はコメに換算すると150kgに相当し、1石はヒト一人を養う 生産高と見なすことができる。日本の江戸時代の人口は現在の約1/4で あった。昭和のはじめまで、日本人のコメ年間消費量は150kg (1石=10升)であった(現在は60kg)。昔の石高は、その藩の現在の 中心都市(県庁所在地など)における人口に概略一致する(ただし市町村合併 により市が拡大されている場合は旧市内の人口と比較すること)。 もし、その人口が昔の石高よりかなり多い都市は明治時代以降で大きく発展 したと考えることにしている。

大国の藩主・伊達政宗(1567~1636)は仙台城の建設と藩政に力を注ぎ、 また支倉常長(1571~1622)を派遣使節としてヨーロッパ(ローマ、スペイン) へ送ることをしている(1613年)。

サン・ファン・バウティスタ号の復元
写真6.1 支倉常長ら一行「慶長使節」を乗せ、月浦(つきのうら)から出航 したサン・ファン・バウティスタ号の復元。現在、石巻市渡波(わたのは) 字大森のサン・ファンパークに展示中。

仙台城築城前のこと、伊達政宗は米沢城を中心とした福島と山形に またがる領地を持っていたが、豊臣秀吉(1537~98)に一揆騒動の疑いを かけられて明渡しを命ぜられ、1591年宮城県北西部の岩出山に移転させられて いた。

しかし、伊達政宗は、関ヶ原の合戦では徳川家康側につき62万石を認められ、 仙台・青葉城に1601年初入城した(仙台城の完成は1610年)。

仙台藩では政宗以来、新田開発をつづけ、実際の石高は100万石を超えたと いわれる。余剰米は江戸に輸出していた。政宗のころから、仙台米を 水上輸送するために、仙台湾沿いに、阿武隈川河口の荒浜から松島湾の 塩釜まで全長31.5kmの運河を掘った。この運河は政宗の追号・貞山 にちなみ貞山堀と呼ばれるようになった。

後述の野蒜築港計画に併せて、1878~1884(明治11~17)年には、石巻の 北上川から鳴瀬川に至る13.9kmの北上運河と、鳴瀬川から松島湾にいたる 3.6kmの東名運河が完成した。こうして、貞山堀と合わせて 北上川河口付近~松島湾~阿武隈川河口までの約60kmの水路網ができあがった。

貞山堀ボート練習風景
写真6.2 貞山堀における東北大学漕艇部のボート練習風景、1961年6月撮影。 (東北大学名誉教授・浜口博之氏のご好意による。)

貞山堀航空写真
写真6.3 貞山堀の航空写真、左下は仙台空港の東端部、写真上は北東方向を示し、 遠方のやや広い水域は名取川河口・閖上(ゆりあげ)、そのはるか遠方に 松島湾が見える。(「東北大学漕艇部百年史」に記載の 写真より転載、作成者・関信男氏から許諾をえたものである。)

ボート部練習水域
図6.1 東北大学ボート部の練習・遠漕水域図(紫・ピンク色)。 平泉~松島湾~荒浜~福島市の範囲にわたり、明治~昭和時代まで 水路網の利用が可能であったことがわかる。 (「東北大学漕艇部百年史」に記載の図より転載、作成者・谷澤直人氏 から許諾をえたものである。)

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河川は人々に恩恵をもたらすと同時に数多くの洪水を起こした。 江戸時代に北上川、迫川(はざまがわ)、江合川の改修工事が何度も 行なわれた。明治以降になっても北上川第一期改修工事(1911~1934) が行なわれ、洪水時の水量の大部分は東向きの追波川(おっぱがわ) から追波湾に流すようになった。こうして北上川下流部はわが国を代表する 穀倉地帯となっていった。

こうした努力は、気象災害克服の統計結果に表れている。 図6.2 は西暦1300年以後に起こったコメ凶作の気象原因比率の変遷である。 1600年以前の戦国時代には、凶作は主に干ばつと洪水によるものであった。 これは現在の発展途上国の姿に似ている。

凶作原因の変遷
図6.2 1300年以後におこった凶作の気象原因比率の変遷。 (「地表面に近い大気の科学」 (東京大学出版会)、図9.7 より転載)

図6.2 は宮城県についての統計であるが、東北地方全体についても同じことが いえる。天下太平の幕藩体制下において、各藩は自国の発展のために、 森林を保護し、洪水を防ぎ灌漑用の水路を整備した。そうして時代とともに、 大規模な洪水と干ばつは克服されてきた。

私はこの図を仕上げたとき、たいへん驚き、さまざまな教訓をえた。 日本が発展途上国から先進国になるのに300年間も掛かっていることである。 また、この図から、平和と教育、自立心の重要性を読み取るようになった。

明治時代以前、現代のような気象学はなかったが、自然を総合的にとらえる 思想は存在していたのであろう。そうして自然の恩恵は利用してきた。 器械と計算機の出す結果に頼りがちな現代人と違って、昔の人々は自然を よく観察していたように思う。

例を挙げよう。(その1)融雪の季節、かつて学者は「雪解け量は 気温に比例する」としていたが、雪国の農業従事者は「融雪は強風日に 大きい」と言っていた。後者のほうがより科学的(熱収支の原理) であるように思う。(その2)沿岸において、海底まで及ぶかすかな うねりが泥を巻き上げ海色が変わることから、漁師は遠方にできた 台風を知っていた。

6.3 野蒜築港計画(気象観測のはじまり)

近代的な気象観測がはじまる以前、人々は体感・観察によって気象を 把握していた。 宮城県遠田郡涌谷では涌谷城主・伊達安芸の家臣であった花井安列は 1833年11月から14年間にわたり、天保年間の毎日の天候記事を記録 している。その方法は、例えば暑さについては「暑く御座候」「大暑」 「暑甚敷」「難渋暑」「近年覚無之暑気」という具合に、暑さをデジタル的 表現で記録している。雨の降り方、風速等も同様である。

詳細は、本ホームページの「身近な気象」→ 「3.気候変動と人々の暮らし」(3.2節)に説明されています。そこへは 次をクリックして行くこともできます。 その場合、左上にあるプラウザの「戻る」を押して戻ってください。
「気候変動と人々の暮らし」へ

明治政府は東北地方の開発のために現在の宮城県鳴瀬町野蒜(現・東松島市)に近代的な 港湾と、運河による交通網の整備を計画した。野蒜港の工事が1879~ 1882年に行なわれたが、第一期工事が落成してまもない1884(明治17) 年9月、台風の襲来により突堤が崩壊してしまった。このことが第二期 工事を行うことなく野蒜築港計画は中止となった。

野蒜築港計画と併せて1881(明治14)年7月に野蒜測候所で 気象観測が開始されたが、1887(明治20)年8月に野蒜測候所は宮城県に 移管し、石巻に移転することになった。

野蒜測候所跡
写真6.4 野蒜測候所跡の記念碑

1800年代は、アメリカは太平洋を航行する船舶や捕鯨船の寄港地として 日本の開国をもとめるようになった。アメリカはクジラの油を 持ち帰っていた。三陸沖にはクジラが多く、水や生鮮食品の補給が 必須な時代であった。しかし1860年代以降、アメリカでは油田が次々と 発見されるようになり、やがて、三陸沖の捕鯨にはこなくなった。

1984年春の異常低温により、金華山島でシカが大量死したことがあり、 気候変動を調べたことから、東北地方でもっとも古い 気象観測資料は金華山灯台における1882年6月であることを知った。 日本の近代化と、外国からもとめられた灯台の設置により近代的な気象観測 が始まったといえようか。

1833年11月 花井安列が天候日記を記録しはじめる
1853年6月 アメリカのペリーが浦賀に来航
1854年1月 日米和親条約、日英・日露和親条約
1866年5月 米、英、仏、露と江戸条約: 灯台・航路標識の設置
1860年代 アメリカ アパラチア油田の開発
1869年1月 神奈川県三浦半島の観音崎に、日本ではじめて西洋式の灯台
1874年5月 御前崎灯台 点灯開始(1635年に徳川幕府は見尾火燈明堂を建設)
1876年11月 金華山灯台 点灯開始
1881年7月 野蒜測候所で気象観測開始(仙台に設置予定が急きょ変更)
1882年6月から金華山灯台の気象観測資料あり

6.4 学問の象徴ミミズク(気象学のはじまり)

1880年頃から日本の生糸生産(養蚕業)が盛んになり、主要な輸出品となる
1882年5月 東京気象学会創立(1888年6月大日本気象学会と改称)
1883年2月 日本で天気図の発行開始
1895年10月~12月 野中 到・千代子夫妻が富士山頂で冬期気象観測
1898年 佐野理八(絹糸工場経営)が宮城県金山(丸森町)に測候所開設
1904年 中国の魯迅(ろじん、1881~1936)が仙台医学専門学校に留学
1907年 東北大学創設
1914年から岡田武松 東北大学物理学科気象学担当教授
1917年 佐野理八 2千円を大日本気象学会に寄付(佐野賞設立)
1918年 佐野理八 東北大学物理学科に気象観測室を寄贈
1925年 日本でラジオによる天気予報開始
1932~33年 第2回国際極年(国際地球観測年の前身)
1957~58年 国際地球観測年International Geophysical Year
1959年 気象庁に電子計算機が設置され、数値予報テスト開始
1965年~1999年 富士山頂剣ケ峰にレーダー設置
1974年 アメダス(地域気象観測システム)の運用開始
1977年 気象衛星「ひまわり」の運行開始

気象学会は当初、1882年(明治15年)5月に東京気象学会として 創立,1888年6月に大日本気象学会と改称、1941年7月18日に 組織を変更し社団法人日本気象学会となる。

日本では1883年から天気図が発行されるようになった。天気予報の精度を 向上させるためには、高層気象の観測が必要だとして、 1895年10月~12月に野中到・千代子夫妻は富士山頂で気象観測 を行なった。このことは新田次郎(1912~1980)の小説「芙蓉の人」にある。 小説の最後に、1932~33年の第2回国際極年(国際地球観測年の前身)の 話が出てきて、岡田武松が登場する。「芙蓉の人」は何度読んでも感動する。

「芙蓉の人」抜粋文が、このホームページの 「身近な気象」の中の「4. 富士山頂の冬の気圧」の 4.1 節に掲載して あります。「芙蓉の人」抜粋文へは、次をクリックして行くこともできます。 その場合、左上にあるプラウザの「戻る」を押して戻ってください。
「芙蓉の人」抜粋文へ

佐野理八は福島県二本松と宮城県金山(現在の 丸森町)で製糸工場を営んでおり、養蚕と気象の関係が密接なことを痛感し、 岡田武松(1874~1956、東京大学と東北大学の 兼任教授、中央気象台第四代台長)の指導のもと、金山に私設の測候所を 1898年に開設した。

当時の蚕糸業界にその名をうたわれていた佐野は、1917(大正6)年に 大日本気象学会に2千円を寄付し、さらに翌年、東北大学物理学科に 気象学観測室を寄贈している。このレンガ造りの建物の塔になっている 三階部分に登るらせん階段に面した窓には、学問の象徴、知恵の神様の使い としてギリシャ神話に登場するミミズクのステンドグラスがはめられていた。 現在、そのステンドグラスは東北大学記念資料室に保存されている。

注:1917年におけるコメ1升(1.5kg)の値段が0.2円前後であったので、 2千円は当時15トンのコメの値段に相当する。現在、コメ15トンの市価は 500~1,000万円程度である。

気象観測室とステンドグラス
写真6.5 1918年に造られた東北大学気象観測室(左)と、階段の窓に 飾られていたミミズクのステンドグラス(右)

1945年1月、戦争の拡大により気象学の必要性が高まり、地球物理学講座 は学科に昇格、気象観測室はその教室となる。

太平洋戦争末期の1945年7月の空襲で東北大学理学部は多くの建物を焼失 するが、この教室は加藤愛雄(地球電磁気学)らの必死の消火活動で難を 免れた。私は、そのときの消火活動に対する感謝状を加藤愛雄教授 (1905~1992)から見せてもらったことがある。この教室は戦後、 2階と3階にモルタル造りの部屋を増築した。私たち恩師の先生方は その建物で研究をされていた。建物の本体はレンガ造りで、中央の 風力塔の上には風向計と風速計があり、前庭には百葉箱が設置されていた。

戦後の地球物理学科は3講座(地震学、地球電磁気学、気象学)から構成 されていた。当時の3教授は、粗末な研究設備と食糧難にもかかわらず、 世界的な独創性の高い研究をしている。私の指導教授・ 山本義一(1909~1980)は大気放射学を確立している。大気放射学は、 現在の衛星リモートセンシングの基礎ともなっている。

私が大学生・院生の時代にはこの建物を研究室として使った。 新しい研究棟ができても、私は好んでこの古い建物に長く住み、 手回しのタイガー計算機と計算尺を使い、放射伝達・大気の冷却加熱の 計算をしていた。1957年11月館野高層気象台の刈り取った広場で、 井上栄一(1917~1993、大気乱流学・いまでは境界層物理学)のいた 農業技術研究所などと共同で境界層観測を行った。当時の館野は松林が 広がった原野のような場所であった。

図6.3は、大気放射の伝達のみを考慮したときの接地境界層の大気冷却の 時間経過である。気温鉛直分布の形は静穏夜間に形成される実際の 安定大気層内の気温分布によく似ている。

接地気層の放射冷却
図6.3 大気放射だけを考慮したときの地表面と大気 の冷却についての数値計算結果。同じ結果を対数目盛の高さ(左図)と、 直線目盛の高さ(右図)で表してある。曲線につけた数字は夕方からの 経過時間(hr)を示す。 (地表面に近い大気の科学、図4.16より転載)

日本における気象学のパイオニアは岡田武松といわれており、私の恩師 らが気象学の基礎を学んだのは岡田の教科書だったと聞いている。 私が高校のとき最初に勉強したのは山本義一の気象学概論(大学2~ 3年生向き)である。

気象学における標準的教科書は、
岡田武松(1874~1956) 気象学講話(1928)、気象学礎石(1937)など
山本義一(1909~1980) 気象学概論(1950)、新版気象学概論1976)
小倉義光(1922~ ) 一般気象学(1984)、一般気象学第2版(1999)
であろう。これらは約30年の間隔で出されている。

1950~70年代の概況
1945年8月15日に第二次世界大戦が終結し、その直後の10年余は混乱と 復興の時代であった。死者・行方不明が1000人以上の水害が多発した。 また、戦後の復興に伴い、電力需要が急速に増加し、しょっちゅう停電 が起こる有様であった。

当時の電力はおもに水力発電であったので、水資源 確保の目的で人工降雨の実験が各地で行なわれ、気象学講座をもつ大学では 雲の微物理学が盛んであった。

私が学生のころ、東北大学では人工降雨の実験や電子顕微鏡による 凝結核の研究などが行なわれていた。一方、東北電力株式会社からは、 十和田湖からの蒸発による水の損失の研究を東北大学に委託してきた。

1950~70年代における世界の大気境界層大規模実験観測
1956年のアメリカ O'Neill 実験
1967年のオーストラリア Wangara 実験
1974年と'75年、日本が中心となったAMTEX 気団変質実験
1956年の O'Neill 実験は、質の高いデータが得られ、世界中で約20年間 にわたって境界層の研究に利用された。

1958年の国際地球観測年(IGY, International Geophysical Year) は地球物理学の観測が行なわれた。ちょうど南極観測が始まった年で もある。東北大学気象学教室では、日射と大気放射の特別観測を引き受け、 私たち学生と教官は当番で泊り込んで観測した。
なお、1980年以前の気象庁における日射量の観測精度は高くはなかった。

6.5 戦後の水資源開発(十和田湖の蒸発)
6.6 AMTEX研究(熱収支式の基本的な性質)

1958年に始めた十和田湖の蒸発の研究から東シナ海AMTEX 研究までの経過は、 本ホームページの「身近な気象」→「十和田湖物語」 に説明されています。次をクリックして行くこともできます。その場合は、 左上にあるプラウザの「戻る」を押して戻ってください。
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熱収支の基本的な性質

地表面温度を決める要素として次のものがある。
① 蒸発(蒸発散):蒸発があれば地表面は低温となる
② 入力放射量:大きければ高温となる
③ 気温:高ければ蒸発が大きく、地表面は気温に比べ低温
④ 湿度:高ければ蒸発が少なく、地表面は高温
⑤ 風速(粗度、交換速度):大きいほど、日中は低温、夜間は高温
⑥ 地表面のアルベド:高ければ日射の吸収が少なく低温
⑦土壌の熱容量×熱伝導係数:大きければ地表面温度の変動振幅が小さい

クイズ1
図6.4 は日本各地の湖面年蒸発量の緯度分布である。年蒸発量は、緯度の低い 南日本では1,000mm前後であるのに対し、緯度の高い北海道では500mm程度 である。このような緯度分布となる最も重要な要素は次のうちのどれか?

(ⅰ)南ほど日射量が多い
(ⅱ)南ほど気温が高い
(ⅲ)南ほど日照時間(または可照時間)が長い
(ⅳ)その他

湖面蒸発緯度分布
図6.4 湖面の年蒸発量の緯度分布。 (水環境の気象学、図14.5;表14.5に基づく)

クイズ2
図6.5 は夏期晴天日に830mの上空から放射温度計を用いて観測した仙台 市街地から丘陵地にかけての地表面温度(市街部ではビルや住宅 の屋上、森林では樹冠部、水田ではイネの葉面の温度)の分布である。 台原森林公園や七北田川に比べて、市街地の地表面温度が高いのは蒸発 (蒸発散)が少ないことによる。
一方、広瀬川河川敷(渇水により水の涸れた砂礫や運動場)の温度が 周辺の市街地構造物に比べて低温となる主な理由は、次のうちのどれか?

(ⅰ)河川・河川敷は「風の道」となっている
(ⅱ)水の涸れた河川敷は、森林や水面に比べて、アルベドが大きく白っぽく見える
(ⅲ)河川敷は粗度(凸凹度)が小さく、市街地に比べて顕熱の交換が弱い

ヘリによる地表面温度
図6.5 ヘリコプターによる地表面温度の観測。 (菅原広史氏のご好意による;地表面に近い大気の科学、 図7.1、より転載)

クイズ1 と2 の解答は、最後の「文献」の うしろに掲載してある。

クイズ3
図6.6 は南日本における蒸発散量(30地点平均)の季節変化である。 森林の蒸発散量は湖面蒸発や草地(気象台の観測露場など)の蒸発散量に 比べて大きい。この傾向を生むもっとも効果的な要素は次のうちのどれか?

(ⅰ)森林では蒸発散を起こす葉群が多層構造になっている
(ⅱ)風の中で葉が揺れ動く
(ⅲ)森林は他に比べて粗度が大きく熱・水蒸気交換が盛ん
(ⅳ)降雨日の蒸発(濡れた樹体からの遮断蒸発量)
(ⅴ)アルベドが低い(日射量を多量に吸収する)

森林・湖・芝生地の蒸発散量季節変化
図6.6 南日本における蒸発散量(30地点平均)の季節変化、森林と浅い湖と 芝生地の比較。(水環境の気象学、図14.7より転載)

クイズ3の解答は、すぐ後の「(3)風速が非常に 強いときの熱収支」の項で説明される。

地表面における熱収支量(顕熱・潜熱輸送量、地中伝導熱、地表面が放出 する赤外放射量)と地表面温度の時間変化は、通常、①地表面の熱収支式、 ②③顕熱・潜熱輸送量のバルク式、④地中伝導熱を表す4つの式を解くこと によって得られる。

ここでは基本的な性質を理解するために、式①~③の3式を用いて定常時の 性質をもとめてみる。式を見るだけで特徴がわかるように、極限的代表的な 条件について調べることにしよう。

熱収支式:R↓=σTs+H+lE+G

ここでは、地中伝導熱:G=0の場合を想定する。
ここに、入力放射量:R↓=(1-ref)S↓+L↓、ref:地表面の日射に 対するアルベド、S↓:水平面日射量、L↓:大気からの長波放射(赤外放射) 量、Ts:地表面温度、T:地上気温、rh:地上大気の相対湿度 (rh=0~1)、CHU:交換速度(=顕熱輸送のコンダクタンス)、 σ:ステファン‐ボルツマン定数、β:蒸発効率(β=0~1、蒸発が ないときβ=0、水面の場合β≒1、草地や水田でβ=0.3~0.8)とする。

(1)放射平衡時の地表面温度

風が弱く、顕熱・潜熱輸送量が無視できるとき、地表面温度は次の近似式 で表される。

Ts≒T+(R↓-σT)/4σT

地面と大気の温度差(Ts-T)は有効入力放射量(R↓-σT) に比例することがわかる。
日中の代表例として、T=20℃(=293.2K)、R↓=925W/m2のとき、 Ts=84.2℃となる。これは屋根に取り付けた太陽光温水器の水温が 上がりうる最高極限値に相当する。

注意:有効入力放射量は正味放射量Rn=(R↓-σTs)と異なる。 後者は観測地点が近傍であっても地表面の種類により50W/m2程度、 またはそれ以上も違うことがある。ここでは地表面温度の予測を問題 としているので、正味放射量は既知とはできない。

(2)密な森林内の連続的な融雪量

密な森林内では日射は届かなく、樹木の温度は気温 T に等しいと近似できる ので、雪面に入る森林樹体からの長波放射量はL↓≒σT となる。融雪が起きている状態の積雪面温度をTs=0℃とすれば、 融雪量は次式で与えられる。

融雪量(kg m-2s-1)≒4σT(T-Ts) /lF 、(ただし風速=0の条件)

lF は氷の融解の潜熱(0℃で0.333×10J kg -1)。 ここで気温T=10℃とすれば融雪量=12.7mm/dとなる。一般に林内では 林外より融雪量は少ないと考えられがちであるが、気温が高く密林の場合には 林内の融雪が大きくなることがある。

上式は融雪量が気温に比例することを示しているが、これは風速=0 とした場合であることに注意のこと。

(3)風速が非常に強いときの熱収支

地表面と大気の温度差:Ts-T=-β[qSAT(1-rh)] / (γ+β⊿)

顕熱輸送量:H=cpρCHU(Ts-T)

ボーエン比:Bo≡H/lE=-1

ただし、大気の相対湿度は飽和でなく、 rh<1 の条件とする。
ここに γ=cp/l (近似的に定数)、cp:空気の定圧比熱、 l:水の気化の潜熱、qSAT:気温Tにおける飽和比湿、 ⊿:飽和比湿qSATの温度Tに対する増加割合、 ただし気温Tにおける値である。

上式によれば、地表面温度は気温より低くなり、顕熱輸送量 H は大気から 地表面へ輸送される。また、地表面に供給された顕熱が蒸発を起こす エネルギーとなる。

ボーエン比が近似的に-1となる性質は、現実的には、有効入力放射量 (R↓-σT)がゼロに近いとき(曇天や降水時)に現われる。 雨の日に濡れた森林樹体から蒸発(これを遮断蒸発という)が起きる。 そのエネルギー源は大気から森林に供給される顕熱である。 顕熱輸送にともなって降雨時の森林上の大気は冷却されていることになる。

日本の森林では年蒸発散量500~1000mmのうち、30~40%は日射量のない 降雨日(年間100日程度)に起きている。この結果、 日本のような多雨気候の地域では、森林からの年蒸発散量が湖面や裸地面の 年蒸発量より大きくなる

地球の気候にとって水循環は重要な役割をしている。 森林に降った雨水は地中にしみ込み、 根から吸い上げられた水は葉面からの蒸散により大気へと 循環している。この過程はゆっくりとした遅い水循環 である。これに対して、降雨時およびその直後の濡れた樹体からの蒸発は 速い水循環といえる。

注意: ここでは熱収支の基本的な性質を理解するため特殊条件 についての式を導いた。正確な熱収支量を知るには具体的な風速等 の数値を用いて計算すること。

(4)平衡蒸発量

水面または積雪面の場合、それらの表面を地表面と呼ぶ。この場合の 地表面は水蒸気飽和(β=1)である。大気の湿度が飽和(rh=1)で、 強風の極限における蒸発量のことを平衡蒸発量と呼ぶ。平衡蒸発量は 湿潤気候地域における地表面蒸発量の概略値に等しいことから、蒸発量の 目安に利用することがある。

この条件のとき、次の関係式が成立する。

潜熱輸送量:lE=β⊿×(R↓-σT)/(γ+β⊿)
ボーエン比:Bo=γ/β⊿

蒸発効率β=1としたときの蒸発量 E が平衡蒸発量である。

「大気の湿度が飽和であるので、蒸発が起きるのはおかしい」と思うかも しれない。しかし、そうではないのだ。大気が飽和であっても地表面に 放射のエネルギーが与えられている限り、つまり(R↓-σT) >0であれば地表面は気温より高温となり、エネルギーを放出しなければ ならない。そのエネルギーの一部が蒸発を起こすのだ。

身近な例として、湯沸かしやかんの内部が水蒸気飽和になっても、下から火力 が与えられている限り、やかんの水面で蒸発が起こる。その蒸気がやかんの 蓋の下面で凝結し、水滴となって落下してくる。これは大気中の水循環に 類似している。

上式が示すように、ボーエン比、つまり入力したエネルギーが顕熱と潜熱に 配分される割合は気温に著しく依存する。

特殊な条件に成り立つ式で考察したが、一般の気象条件でもボーエン比は 気温とともに小さくなる傾向を示す。その理由は、⊿が強い気温依存性を もつからである。

(5)日中の代表的条件における地表面温度と気温の差

一般に熱収支量および地表面温度と気温の差は交換速度(CHU: 顕熱のコンダクタンス)に依存する。ここでは日中の代表的な条件として、 (R↓-σT)=700 W/m2、T=20℃、rh=0.5のとき を想定する。

図6.7 は、地表面と大気の温度差(Ts-T)を交換速度の関数とし、 蒸発効率βをパラメータとして表したものである。

交換速度と地表面・大気の温度差の関係
図6.7 地表面と大気の温度差と交換速度との関係。各曲線は地表面の 蒸発効率βを0.1きざみで描いてある。背丈の低い草地の場合、横軸の 0.02 m/s は風速で 7 m/s 程度に相当する。 (水環境の気象学、図6.3より転載)

交換速度が小さいとき(風速が弱いとき)、地表面温度と気温の差 (Ts-T)はプラス(顕熱は地表面から大気へ向う)であるが、風速が 強くなるとマイナス(顕熱は大気から地表面へ向う)となる。プラスから マイナスに変化するときの風速は地表面の蒸発効率β(湿り具合)に 依存する。

6.7 乾燥域の水収支・熱収支(気候変化)

1980年代後半の状況
中国の乾燥域の水収支・熱収支の研究を日中共同でやらないか、という 打診があった。この話は後で整備されてGEWEX(全球エネルギー・水循環 実験計画)、GEWEXアジア・モンスーン実験へと発展していくことになるが、 当初はちょっと違っていた。つまり、日本の資金援助の目的で、研究が 終われば観測機器は中国へ残してくる、ということであった。

私としては、1つには、そういう話には乗れないこと、2つめとして、 中国乾燥域での蒸発量は熱収支量に換算して±20W/m2程度であり、 この大きさは従来法による観測誤差に相当する。それゆえ、従来法では 不十分なので、現地に行く前に新手法を開発すべきだと考えた。

ぬれた松の幹の重量変化
実は、森林などの植生が雨でぬれたとき、ぬれた植物がどのように 乾いていくか、という実験をしていた。宅地造成地から松の木の幹を もらってきて、水でぬらして手造りの風洞に入れて重さを測った。

風洞実験模式図
図6.8 風洞内に入れた濡れた松の幹。

クイズ4
重量変化を調べ図6.9 のように描いた。風速1m/s の場合を緑色の曲線で示し た。こんどは風速を3m/s してみると、カーブはどのようになったか? 次の 答えの中から正解を選べ。

(ⅰ)カーブ(a)のようになった
(ⅱ)カーブ(b)のようになった

松の幹の重量変化
図6.9 松の幹の重量変化の実験曲線。

クイズ5
2つの砂漠 a と b がある。雨が降ってから数十日以上の時間が経過した。 両砂漠において大気の湿度のみ異なるが、日射量、気温、土壌種類など 他の条件はまったく同じだとする。大気の湿度の高い a 砂漠に立つ人 A と、 乾燥した b 砂漠に立つ人 B がいた。日中、大きな蒸発量を観測するのは どちらか?

(ⅰ)A が日中、多い蒸発量を観測する
(ⅱ)B が日中、多い蒸発量を観測する
(ⅲ)A も B も日中、同じ蒸発量を観測する

クイズ4 と5 の解答は、最後の「文献」の うしろに掲載してある。

裸地面蒸発の特徴

裸地面蒸発の特徴をまとめてみる。
(ⅰ)土壌が比較的湿潤なときの蒸発量は、ごく表層の土壌水分量すなわち 蒸発効率βに強く依存し、また、地表面温度と気温の差、および風速 U に 依存する。
(ⅱ)ところが、土壌が乾燥してくると、蒸発量は,表層土壌水分量と 土壌種類、つまり土壌内の含水率と大気比湿によって決まるようになる。 この特徴は、蒸発量評価の従来法では考慮されていない性質である。

中国全域の裸地面熱収支

裸地面の熱収支の特徴を理解した後、中国各地の裸地面熱収支量をもとめた。 図6.10 は各地に4種類の土壌があるとした場合の年平均顕熱輸送量と潜熱輸送量 の和を棒グラフに示したものである。白い縦棒は顕熱、ハッチ部分は 潜熱輸送量である。中国の東南部では潜熱が大きいが、砂漠が広がる 北西部では潜熱輸送量は僅かである。

中国の熱収支分布図
図6.10 中国各地に4種類の土壌(1, 2, 3, 4)があるとした場合の年平均 顕熱輸送量(白い縦棒)と潜熱輸送量(ハッチ部分)の和の分布。棒グラフ の高さの説明は、図の左下に60W/m2の大きさで示してある。 (地表面に近い大気の科学、図8.3より転載)

降水量と蒸発散量の関係

一般に、降水量と蒸発散量の関係は、図6.11 のように表わされる。 温暖で日射量の多い気候では上の曲線、寒冷で日射量の少ない気候では 下の曲線のようになる。普通、プロットは 1対1の斜めの点線より右側に 分布する。

気候による蒸発量の違い
図6.11 年間の蒸発散量と降水量の関係、温暖多照気候と寒冷寡照気候の比較。 斜めの点線は「蒸発散量=降水量」の関係、点線と曲線の縦軸上の差が流出量 (利用できる水資源量)。斜めの点線の左側は灌漑耕地における関係、点線と 縦軸上の差が灌漑量である。(地表面に近い大気の 科学、図7.15より転載)

降水量が非常に多くなると、蒸発量は上限値に近づいていく。 この上限値は、湿った地表面からの蒸発量、つまり可能蒸発量であり、 気候条件によって決まる値である。これをポテンシャル蒸発量と呼ぶ。

しかし、旧来のポテンシャル蒸発量の定義はあいまいなものが多い。 比較的しっかりした定義のポテンシャル蒸発量、例えば、ペンマンの 定義では正味放射量 Rn を使うようになっている。 しかし正味放射量は同じ地域でも、地表面の種類によって、50W/m2 くらい違うことがある。現在では、熱収支量は可能ならば±10W/ m2 の精度が要求されるので、明確なポテンシャル蒸発量の定義が必要となって きた。

新・ポテンシャル蒸発量

黒い湿った標準面を想定し、その標準面からの蒸発量をポテンシャル 蒸発量と定義する。

具体的には、標準面のアルベドは0.06、黒体度は0.98、蒸発効率は 1とする。これは水面に相当する。また標準面の空気力学的な粗度は 0.005m、温度分布に対する粗度は0.0003m、したがって交換速度は、 草丈の低い草地、ないし裸地に相当する値とする。

この定義によるポテンシャル蒸発量は、地表面の種類によらず、 各地域の日日の気象条件だけで決まる量である。 それゆえ、熱収支量の変動が気候条件によるものか、植生等の地表面条件 の変動によるものかを区別して見ることができるようになる。

降水量、蒸発量、流出量の気候学的関係

新・ポテンシャル蒸発量で年蒸発量と年降水量を割り算して両者の関係を 図6.12に表わしてみた。すると、土壌の種類ごとに関係は明瞭に分類される。 Soil 1 黒丸は関東ロームに相当するような保水性のよい土壌、Soil 4 白丸 は排水性のよい砂地に相当する。たいていの土壌は、これらの線の間に入る。

裸地面水収支気候
図6.12 年蒸発量と降水量の関係、いずれもポテンシャル蒸発量で割り算し、 土壌種類ごとに示した。(地表面に近い大気の 科学、図8.2、より転載)

土壌種類ごとのプロットは各平均曲線の周辺に分布しているが、 ばらつきは雨の降り方による。例えば南平は「しとしと雨」(△印、ただし 土壌番号4の砂土のみ青色印で表す)、長沙は「集中豪雨的な雨」 (◇印、ただし土壌番号4の砂土のみ赤色印で表す)が多いところである。 集中豪雨的な傾向が強い地域では、流出量が多くなり、 そのぶん蒸発量は少なくなる。 この図は対数グラフに表していることに注意のこと。

気候区分

1980年代から気候変化と水資源について関心が集まるようになってきた。 日本でも昔から水争いがあったが、将来はもっと広い地域間、あるいは 国家間で水資源が大きな問題となってくるであろう。

降水量(P)とポテンシャル蒸発量(Ep)の比(P/Ep)を「気候湿潤度、 Wetness Index:WI」と定義し、気候を表す指標とする。また、 降水量(P)と蒸発量(E)の差(P-E)を流出量と定義する。 流出量は実際に使うことが可能な最大量であり、多いほど水資源量が豊富 といえる。


	表6.1 気候湿潤度 WI による気候区分。

(気候区分)           (水資源の状態) 乾燥域     WI≦0.1   流出はほとんど生じない 半乾燥域   0.1<WI≦0.3 土壌種類により流出が生じる 亜湿潤域   0.3<WI≦1   排水のよい土壌で流出量は多くなる 湿潤域     1<WI    土壌種類によらず流出量が多い



6.8 新・ポテンシャル蒸発量利用の勧め

新・ポテンシャル蒸発量の利用例を示してみよう。日々の蒸発量は、 気象条件によって激しく変動するので、ポテンシャル蒸発量で無次元化 した量を調べる。

1993年は近年まれにみる日照不足の冷夏となり、コメの出来は悪く、 水田の蒸発散量は少なかった。蒸発散量を調べても、それが少な かった原因は気候条件によるのか、イネの育ち(植生条件)に よるのかは不明である。

新・ポテンシャル蒸発量 Ep は気象条件を表す量なので、蒸発散量 E を Ep で 割り算した無次元蒸発散量 E/Ep としてみれば、植生状況の影響がわかる ことになる。冷夏の1993年と暑夏1994年のイネの植生期間について比較して 表に示した。


	表6.2 冷夏年と暑夏年の無次元蒸発量の比較。

    1993年  1994年    (冷夏)     (暑夏) 植生期間         5/12~10/30    5/8~9/19 植生期間の日数      172日       135日 蒸発散量E(mm/d)       2.07        3.18 降水量P(mm/d)        5.00        3.67 ポテンシャル蒸発量Ep(mm/d) 2.57        3.79 E/Ep             0.80       0.84 P/Ep            1.94        0.97



冷夏の無次元蒸発散量0.80に対し、暑夏のそれは0.84であり、 それらの差は小さい。このことから、冷夏年の蒸発散量が少なかったのは、 植物の状態によるというよりは、異常な低温気候によるものであったと 解釈できる。

各種地表面の無次元蒸発量
図6.13 各種地表面における年蒸発量と降水量の関係、いずれもポテンシャル 蒸発量で割り算してある。(地表面に近い大気の 科学、図7.19、より転載)

図6.13 は各種地表面における無次元蒸発散量と気候湿潤度(WI=P/Ep) の関係である。1対1の斜めの線と蒸発散量の差が流出量である。普通の 自然条件では、斜めの線より右側にプロットされる。左側にプロットが 存在する地点はオアシスや灌漑農耕地などである。そこでは蒸発散量 と斜めの線の縦軸上の差は、他の地域から地下を流れてきた湧水量、 あるいは人工的な灌漑水量に相当する。

乾燥気候地域において、ある気候湿潤度の所で農耕が計画されたとき、 必要な灌漑量はこの図から算定することができる。

水田、森林、草地に対する曲線が斜めの線の左側に少しはみ出ているのは、 この図が1年間ではなくて暖候期について描いてあるからである。 はみ出ている分は、暖候期前の冬期に降った降水(積雪を含む)が 貯えられていて、その水が暖候期に消費されることを意味する。

シベリアでの無次元蒸発散量
図6.14 シベリアのタイガ林と草地における降水量と蒸発散量の関係、ただし 両軸ともポテンシャル蒸発量で割り算した値である。 (Yamazaki et al., 2004)

図6.14 はシベリア永久凍土地、ヤクーツク近郊(北緯62度)のタイガ林と 草地における降水量と蒸発散量の関係である。 赤色の+印は観測期間中(4月下旬~9月上旬)の降水量Pを 用いた場合、青色△印は4月の段階で積もっていた積雪水量を P に加えて 解析した結果である。2つの点に注目したい。

その1:赤色の+印のプロットの大部分は1対1の斜めの線より 左側にある。これは、水収支的に通常の自然状態ではない。 つまり、暖候期だけの降水、蒸発散、流出はバランスしていない。 しかし、青色の△印は大部分が斜めの線の右に入るので、植生は冬期の積雪 による水を消費して生存していることになる。それにしても、プロットは 斜めの線の近くに分布しており、植物は水資源的に厳しい(流出量の少ない) 地域に生きている。

その2:草地の無次元蒸発散量は0.5程度、カラマツ林のそれは0.4程度 である。前記の日本における図と比べてみる。草地は日本とほぼ同じ大きさ であり、シベリアでは草地にとっては短期間ながら、夏は恵まれた気候で あると判断される。ところが、カラマツ林の無次元蒸発散量は日本の森林の それ0.6~0.8に比べてかなり小さく0.4である。

年間を通すと、シベリアの気候は森林の存在にとって厳しい。 これを生き抜くために森林の構造はどのようになっているのか?


	表6.3 シベリア永久凍土地、タイガ林における夏期観測の結果。
	注:カラマツ林の70%は落葉樹カラマツ、残りは常緑樹アカマツ
	と落葉樹カンパ類。PAIは森林内外での日射量の比から、葉がラ
	ンダム分布をしていると仮定して逆算したPAIの「有効値」であ
	る。それゆえ実際のPAIはこの値の2倍程度と思われる。
	(Yamazaki et al., 2004)
           カラマツ林      草地 PAImax(夏)      1.1         1.5 PAImin(冬)      0.75        0.35 差          0.35        1.15 ボーエン比              0.2~0.3



表6.3 は植生面積指数PAI(葉面のほか幹・枝の断面面積を含む指数)を示 している。PAIの夏と冬の差は冬期に落葉する葉面の寄与 であり、カラマツ林では0.35である。 つまり水資源的に厳しい条件にあるために、森林は夏の蒸発散を 防ぐため、少ししか着葉しない。相対的に幹・枝が多く、夏に森林が 吸収する日射量の多くを顕熱に変換し、大気をせいいっぱい温める働きを している。(注:日本の標準的な森林の葉面積指数は6前後である。)

温められた大気は、そこに生える草や近くに住む動物たちの活動を活発にする。 こうした働き、自然環境の仕組みにロマンを感じるのである。

理科年表(丸善発行)によって調べてみると、北緯62度のシベリヤ・ ヤクーツクにおける1月の平均気温は-41.2℃であるが、7月のそれは18.7℃ であり、北海道の10地点における7~8月の平均気温に等しい。つまり、厳寒 となる冬のシベリヤは、夏には高緯度にもかかわらず動植物にとって 活動に適した気温となっていることがわかる。

日本など恵まれた気候帯に存在する森林とは違って、シベリアの森林は こうしたけなげな働きをしていることに注目したい。 参考までに日本の森林と浅い湖における5~8月の4ヶ月間の平均熱収支量 とボーエン比を示した。5~8月の日本の森林でのボーエン比は0.32であり、 シベリアのそれに比べてかなり小さい(蒸発散が大きい)。


	表6.4 5~8月の日本の北海道~沖縄における4ヶ月間熱収支量の
	平均値(近藤、1994、表14.5~14.8に基づく)
           標準的森林        浅い水面 蒸発散量E(mm)     388           345 潜熱輸送量lE(W/m2)    90.4          80.4 顕熱輸送量H(W/m2)     29.0          19.0 ボーエン比H/lE       0.32          0.24



新・ポテンシャル蒸発量は黒い湿った標準面からの蒸発量として 明確に定義されるので、気候指標として利用できる。新・ポテンシャル 蒸発量は近接した地域では同じ値をもつことになる。

一方、前述したように、旧来のポテンシャル蒸発量(例えばペンマン式)は 正味放射量を入力パラメータとして用いている。正味放射量は地表面状態 (アルベドなど)に依存するので、旧来のポテンシャル蒸発量は地表面状態 にも依存し、蒸発散量の変動に寄与する植生活動と気象条件を区別できない。 つまり気候指標としては好ましくない。以下で、このことを示しておこう。

旧来のポテンシャル蒸発量の比較
図6.15 旧来のペンマン式によるポテンシャル蒸発量の比較 (山崎ほか、2004)
左: 近接する森林と草地の日ポテンシャル蒸発量(シベリア)
  *積雪期、 ■草が茂る前、△草刈後、 ●草の繁茂期
右: 近接するオアシスと砂漠の日ポテンシャル蒸発量(中国乾燥域)
    ×寒候期 ●暖候期(4~9月)、

図6.15 は山崎ほか(2004)によって確かめられた旧来式ポテンシャル蒸発量の 森林と草地(シベリア)、およびオアシスと砂漠(中国の乾燥域)における 比較である。図からわかるように、旧来式ポテンシャル蒸発量は 地表面が異なれば違った値を示すので、気候指標として利用できない

隣接する2地点における旧来式ポテンシャル蒸発量の比較において、 シベリアの積雪期の値が1対1の線から大きくずれて草地で小さいのは、 積雪の高アルベドが正味放射量を小さくしたからである。それゆえ、 旧来式を利用する限り、水収支熱収支に及ぼす気候条件と地表面条件の 効果が分離できないことになる。

中国の乾燥地域について比較した右図においても同様である。したがって、 水収支熱収支を考察する上で旧来式は用いないほうがよい。今後、より詳細な 熱収支量が必要とされ、変動原因を理解する際には新・ポテンシャル蒸発量 を使用することにしよう。

注: 気象観測では風速は様々な不統一の高度で観測されている。 新・ポテンシャル蒸発量には観測風速を用いるのだが、標準蒸発面から 高度1mの風速を推定して計算することになっている。その場合、 対象地点の周辺の粗度を考慮して、まず高度50mにおける地域代表風速 (近藤、1994、p.125;p.326)を推定したのち、地表面に粗度 z0=0.005mの標準蒸発面があるとして、対数分布を仮定して 高度50m の風速から高度1mの風速を推定する手続きをとる。 地域代表風速は周辺数km~数十km範囲を代表する風速である。 この手続きを行うならば、より広域の気候指標としてのポテンシャル 蒸発量を知ることができる。
研究目的によるが、高度1mの風速を推定するための実測風速の観測高度と 設置場所を選定しよう。

文献

近藤純正、1982:大気境界層の科学、東京堂出版、pp.219.

近藤純正、1993:乾燥域における地表面熱収支の研究指針(2)計算結果、 水文・水資源学会誌、6, 230-237.

近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学―地表面の水収支・熱収支―. 朝倉書店、pp.350.

近藤純正、1995:河川水温の日変化(1)計算モデル、水文・水資源学会誌、 8, 184-194.

近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学―理解と応用―. 東京大学出版会、pp.324.

菅原広史、1994:都市気候システムにおける地表面状態の役割, 1994年東北大学大学院理学研究科地球物理学専攻修士論文、pp.101.

東北大学漕艇部百周年記念事業会百年史部会(編)、2003:東北大学 漕艇部百年史、pp.709.

Yamazaki, T., H. Yabuki, Y. Ishii, T. Ohta and T. Ohata, 2004: Water and energy exchanges at forests and a grassland in eastern Siberia evaluated using a one-dimensional land surface model. J. Hydromet., 5, 504-515.

山崎剛・徐健青・矢吹裕伯・大畑哲夫、2004:近藤・徐のポテンシャル 蒸発量の利点と従来概念との相違.水文・水資源学会2004年度研究 発表会要旨集

クイズの解答

クイズ1の解答
湖面の年蒸発量
(付図6.1) 左図は日本各地の湖における年平均気温と年蒸発量の関係、 右図は年平均気温と年間ボーエン比の関係である (「地表面に近い大気の科学」 (東京大学出版会、2000年)、図5.5 より転載)

湖面の年蒸発量の緯度分布を決めるもっとも重要な要素は気温の緯度分布 とみなされる。
詳細は、次の「備考」をクリックして参照し、 プラウザの「戻る」を押してもどってください。
備考「湖面の年蒸発量の緯度分布」

クイズ2の解答
宮沢橋横断による気温観測
(付図6.2) 仙台市広瀬川に架かる宮沢橋を横断する道路沿いに観測した 気温分布、1994年7月26日の晴天日午後。 (菅原広史、1994、より転載)

図によれば、水が少なく浅い広瀬川の水温は30.1℃である (ただし同じ夏期晴天日ではあるが、年月日は異なる)。 しかし、河川敷を含む川の上では気温は27~28℃で水温より低いので、大気は 川の水温で冷やされたわけではないことがわかる。晴天日には海風が水田地帯 の上空を通り広瀬川に沿って仙台市街に吹いてくる。障害物の少ない河川は 「風の道」として夏期市街地の高温化を緩和する働きをしている。河川沿いに は涼しい、やや強い風が吹くことで地表面温度の上昇が抑えられる。
なお、中流~下流域における河川では水深が浅く日射量が強いとき、日中の 水温は気温より高くなることが多い(近藤、1995)。

河川敷には砂礫のほか、運動場など裸地もあり、市街地に比べアルベド が多少大きいようにも見える。この効果は、「風の道」の効果に比べて 大きくないと思われる。

クイズ4の解答
この現象は、生活の知恵として役立つ。厚いものの乾燥速度は風速に ほとんど無関係になることに類似している。

乾燥時の蒸発の抵抗表示
(付図6.3) 蒸発面の乾燥化が進んだ状態における蒸発の抵抗表示式。

蒸発体が湿っている場合には、蒸発(水の気化)は表面で起きる。 乾燥化が進むと水の気化は半乾燥層の内部で起きるようになる。 半乾燥層内の蒸発面から表面までを水分子が拡散する抵抗を r2、表面から 大気内を拡散する抵抗を r1 とすれば、合成抵抗は r=r1+r2 で表される。 乾燥化が進んだ状態では蒸発面から表面までの距離が長くなり、r1<<r2 と なり、合成抵抗は近似的に r≒r2 となる。つまり、大気中の抵抗 (したがって大気中の風速)にほとんど無関係に水蒸気の流れ(蒸発)が 生じるようになる。

松の幹の表皮が乾いてくると、重量変化は図6.9の曲線(b)のように減少し、 風速 3m/s と 1m/s での曲線の傾斜はほとんど同じになる。

クイズ5の解答
乾燥域の潜熱日変化
(付図6.4) 左図:裸地面の乾燥化にともなう潜熱輸送量(蒸発量)の 日々変化。
右図:乾燥化が十分進んた状態における潜熱輸送量の日変化。 (近藤、1993、より転載)

左図は、日平均気温が24℃、大気の日平均相対湿度が0.5 (水蒸気量は 日平均気温に対する飽和水蒸気圧の50%)の条件で計算した結果である。 図に示すように、潜熱輸送量(蒸発量)は日中大きく夜間は小さくなると いう日変化をするが、土壌の乾燥化が進むと、しだいに日変化の振幅が 小さくなり、夜間はマイナスの値をとるようになる。

そして十分に時間が経過すると、右図に示すように、日中は蒸発、夜間は凝結 を繰り返し、日平均蒸発量がゼロの平衡状態となる。空気は高温で水蒸気を 多く含むのに対し、土壌などは加熱すると水分が出て行く。大気内水蒸気量 と土壌内水分量は、たえず釣り合うような方向に水蒸気が流れている。

右図(上)は大気の相対湿度が0.5の場合、右図(下)は大気の相対湿度が 0.3の場合である。 大気の水蒸気量が多いときは夜間の凝結が多いぶんだけ日中の蒸発も多くなる。 水蒸気量がゼロの極端な場合には、大気・土壌間で移動する水蒸気の流れは 生じなくなる。

湿度の高い夏期、お菓子のクッキーを置いておくと湿ってくる。その湿った クッキーを加熱すれば乾燥するのも同じ理由によるのである。

質疑・応答 Q&A は前章の「気象学夏の学校 Q&A」に掲載してあります。

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