28.伊達政宗の跡を訪ねて

近藤 純正

2004年6月5~6日、伊達政宗(1567~1636)のゆかりの地・宮城県 玉造郡岩出山町、仙台城跡と政宗の墓「瑞鳳殿」、および石巻市渡波 (わたのは)サン・ファン・パークに展示されている「慶長使節船」の復元船、 その出帆港「月浦」を訪ねてきました。

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岩出山城跡と有備館
伊達政宗は米沢城を中心とした福島と山形にまたがる領地を持っていたが、 豊臣秀吉(1537~98)に一揆騒動の疑いをかけられて明渡しを命ぜられ、 1591年宮城県北西部の岩出山に移転させられていた。

政宗が岩出山城築城の際には、城の外堀として、また農業用水のために 江合川から取水して「内川」を造った。内川はコメどころの大崎平野を 潤してきた。現在、市街地を流れる内川沿いの約2kmの道は、石畳の 遊歩道として整備されている。

JR陸羽東線の有備館駅の西南側には有備館がある。有備館は江戸時代の1691年、 岩出山の武士の子弟に教育を授けるために、岩出山伊達家3代敏親(としちか) が開設した学問所である。

有備館の庭園は1715年に造られたもので、池の南側には樹齢約300年の 山桜がある。この山桜は1715年に京都公家「冷泉家」(れいぜいけ) より贈られた大和国(奈良県)吉野の桜といわれている。近年の 桜「そめいよしの」などは大木になると空洞ができるのだが、樹齢300年の 山桜を知って私は驚いてしまった。

有備館から内川を越え、山に登ると岩出山城址の城山公園に至る。 展望台から見下ろす岩出山市街部のはずれに江合川を望むことができた。


岩出山城跡の城山(JR岩出山駅から望む)

市街地を流れる内川

有備館の森公園の脇の内川

有備館と庭園内の池

有備館主屋の内部

樹齢300年の山桜(正面中央)

岩出山城跡・城山公園の伊達政宗像

城山公園から見下ろした市街


仙台城跡と瑞鳳殿
伊達政宗は、関ヶ原の合戦では徳川家康側につき勝利をおさめたので、 62万石を認められ、仙台・青葉城に1601年初入城した(仙台城の完成は1610年)。

仙台城の南には深い竜ノ口峡谷、東には広瀬川があり天然の要塞となって いる。


仙台城跡のある城山、西公園歩道橋から望む

仙台城の南側・竜ノ口峡谷

仙台城隅櫓。前方は市街、城跡へは右へ登る

伊達政宗の騎馬像

仙台城跡から見た仙台市街、眼下に広瀬川

政宗の墓「瑞鳳殿」(場所は向山1丁目)


支倉常長と慶長使節船
仙台藩主・伊達政宗(1567~1636)は支倉常長(1571~1622)を 派遣使節としてヨーロッパ(ローマ、スペイン)へ送った(1613年)。

慶長使節船「サン・ファン・バウスティスタ」は、1613年10月28日、 月浦(つきのうら、現在宮城県石巻市)から藩士一行180名余を乗せて 出航した。この木造洋式帆船の黒船は、太平洋を二往復している。 現在、木造復元船が石巻市渡波(わたのは)字大森のサン・ファン館 に展示されている。


サン・ファン・バウンティスタの復元(全長53m)

支倉常長の船室

軍艦ではないが、いざという時のために大砲を搭載

厨房のかまど

月浦湾を見下ろす場所に立つ支倉常長像

月浦港から石巻湾の遠望

港の奥が出航した場所といわれている

牡鹿半島周辺の地図

「牡鹿半島周辺の地図」は国土地理院数値地図20万 (地図画像)によって作成したものである。

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