64. 青森県の深浦測候所(現・特別地域気象観測所)
近藤 純正
青森県の日本海側にある旧深浦測候所(現・特別地域気象観測所)を訪ねた。
(完成:2007年4月3日、管理の部分に加筆:7月1日)
もくじ
(1)はしがき
(2)旧深浦測候所
(3)今後の観測所の管理
(1)はしがき
青森県西部、日本海沿岸にある旧深浦測候所は港を見下ろす海岸段丘の上の
標高66mにある。気象観測には適地であるが、1970年頃から年平均風速は
減少しはじめ、現在もその傾向が続いている。一般に、年平均風速が減少
すると、「陽だまり効果」によって年平均気温が上昇するのだが、ここでは
周辺の観測所と比べた場合、年平均気温に顕著な上昇傾向は見えない。
深浦が地球温暖化など長期的な気候変動、つまり日本のバックグラウンド
温暖化量を観測できる数少ない観測所の一つになりうるかどうかに大きな
期待がもたれる。そのために、風速減少の原因をつきとめたい。
深浦町は世界自然遺産「白神山地」の町である。黒崎駅の近くから白神岳
(標高1235m)への登山口があり、むつ岩崎駅からは白神ラインが、おいらせ
駅からは追良瀬川林道に入ることができる。この地域には天然記念物の
クマゲラやイヌワシを始め、ブナ原生林が広がる。
土・日にはJR快速列車「リゾート・しらかみ」の青池、ぶな、くまげらの3本
が秋田駅から出るが、平日は列車の便数は少ない。
図64.1は深浦における年平均風速の経年変化である。
1970年頃の風速=4.25m/s
2005年頃の風速=3.8m/s
風速の減少率=(4.25-2.8)/ 4.25=0.34
つまり34%という大きな減少率である。
図64.1 深浦における年平均風速の経年変化
プロットは観測値、赤線は4杯式風速計の回り過ぎ特性により風速が強く
観測され、発電式は重くて微風で回転し難い特性により弱く観測されることを
考慮して描いた真風速の推定値を示す。
秋田(1939年以前)と深浦(1940年以後)のデータを結合して得た、深浦に
おける年平均気温の長期的な傾向は「研究の指針」の
「K35. 基準5地点の温暖化量と都市昇温(2)」
の図35.4を参照のこと。
(2)深浦測候所
2007年3月28日、秋田大学の本谷研博士と一緒に、観測所周辺の観察に
出かけた。JR秋田駅6時34分発、深浦に9時40分に到着した。
JR深浦駅から海岸段丘の階段を登っていくと、平坦地があり、畑や住宅が
ある。深浦町字岡町の金沢兼作さんご夫妻に会い、旧測候所への道を
尋ねると、「すぐそこに整備された階段通路があるので、そこを登れば
わかる」と教えていただいた。この公園は観光名所として、以前には賑わって
いたという。
登ってみるとミニ公園の広場があり、西~北方向がよく見える。さらに東へ
進むと、旧測候所の測風塔と旧庁舎、フェンスで囲まれた露場があった。
深浦は藩政時代からの交通の要衝であった。旧測候所敷地の南東側の
道路脇には次のことを記した案内板があった。
御仮屋
藩政期 風待ち湊として北前船の出入りでにぎわった頃、奉行所がこの地に
置かれ 藩主巡行の折りの旅宿(仮屋)にも使われた。九代藩主寧親
(やすちか)公は、特にこの仮屋が気にいられ「無為館」と名づけ
しばしば逗留した。深浦十二景にも「無為館松嵐」が選ばれ、今、松に吹く
風に往時が偲ばれる。
津軽深浦
見渡してみると、年平均風速がこの30年余にわたって減少傾向になっている
原因が理解できた。
すなわち、測風塔から見たとき、南側から南西側に風速計の
高度(13.3m)を超える松が数本ある。この背丈が風速計高度をはるかに
超え、枝葉も風速計高度以上の部分が多くなった頃だろうか、1970年~
1980年に急激に減少し、その後も減少傾向を生じさせている。
現在の松は案内板に記された藩政時代の松というよりは、二代目の松なのかも
知れない。これは熱海の海岸にある「お宮の松」も、現在のものは二代目
なのだから、・・・・・・・(後述の注を参照:松の背丈測定の後)
熱海海岸の「お宮の松」については、本ホームページ中の「小さな旅」の
「2.伊豆・石廊崎への旅」の
「2.5 熱海の海岸」において説明があるように、
もとの松は江戸時代前期の1645年頃、老中松平伊豆守信綱が
植えさせた松の1本であった。明治30(1897)年から読売新聞に連載された
尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に、主人公の貫一とお宮の泣き別れの場面と
して熱海海岸が登場したことで「初代・お宮の松」と呼ばれるようになった。
風速観測に邪魔になっている松は2代目だとしても、深浦十二景の
「無為館松嵐」という由緒ある松であるので、伐採はできない。
次に現在の状況について、以下の写真で見てみよう。
写真1 測風塔の下から見た旧深浦測候所の周辺、左から順番に北、
東、南。西の方向の眺め。
風通りがよいのは北側であり、樹木の枝は所々切り落とされている。今後も
成長すれば、切り落とすべきだろう。この北側の樹木の下は急峻な崖となって
おり、測候所敷地は崖下までである。
写真2 測候所敷地内への入り口の南側にある道路から
西~北方向の写真。
4枚を横に合成したため、部分的に歪んでいる。撮影場所は、写真3の
露場の向こうにある旧宿舎の右手、2mほど盛り上がった所に生えている
松の木の付近である。
写真3 露場、3枚を横に合成してある。写真の左端に庁舎の一部
が写っている。
露場の向こう側の一段低い敷地内には旧宿舎があるが、写真では見えない。
写真4 旧宿舎の東側から西方向を見上げた写真。
中央に写っている旧宿舎の屋根の上の向こう側に露場のフェンスが見える。
左手の松は測風塔の南側に、中央部の松は測風塔の南西側に位置しており、
これらの成長によって年平均風速が減少している。また1960年代にあった南南西
~南西の強風(月最大風速=12~22m/s)は無くなり、2000年代の北寄りの
強風(月最大風速=8~15m/s)が目立つようになった。
この写真の撮影場所の後方には小さな神社がある。深浦町字岡町の
金沢兼作さんによれば、神社周辺の樹木は成長と伐採が繰り返されて
きたという。今後もそれでよいだろう。
10時27分ころ、北北西方向に伸びた日陰を利用して松の背丈を測定した。
測風塔を含む風速計の陰の長さ、LA=12.2m
風速計の高度(気象官署履歴による)、ZA=13.3m
松の陰の長さ、LP=17m
ゆえに、松の背丈、ZP=LA×(13.3/12.2)=18.5m
1960年代の卓越風向は、冬に西寄り、春~秋に南南西~南西であったのが、
2000年代には冬は変わらず西寄りの風、春~秋には南~南南西にずれている。
また、1960年代にあった南南西~南西の強風(月最大風速=12~22m/s)
は無くなり、2000年代の北寄りの強風(月最大風速=8~15m/s)が目立つ
ようになったのは、松の木の生長によるものだと思われる。
注:
現在18.5mの松が30年前に13.3mだったとして年間0.17m伸びたことになる。
過去もこれと同じ成長速度だったとして、18.5m÷0.17m=107年、つまり
樹齢は100年以上であることは間違いない。風速が急激に減少し始めたときの
樹高が風速計高度の1.2倍(=16m)だとすると、年間0.08m伸びたことに
なり、樹齢は230年以上となる。
津軽藩9代当主寧親(やすちか)は1765年生れ1833年没である。したがって、
ここに生えている松は当時植えられたものか、あるいは2代目なのかもしれ
ない。
(3)今後の観測所の管理
深浦気象観測所は、都市化の影響を受けていない北海道寿都、
三陸沿岸の宮古、四国南東端の室戸岬と並ぶ数少ない観測所の一つである。
深浦観測所の周辺環境を良好に保つには、深浦町住民の
理解と協力を得なければならない。
公園と周辺:
(1)玄関前の道路の南側にある松(写真2の左方に写っている)は
由緒ある松なので、伐採することはできないが、公園としての美観を保つ
ために、3年に1回程度の剪定をしよう。
(2)その松の根本付近に繁茂する笹は毎年刈り取り、公園としての美観を
保つようにしよう。この笹がなければ、南方向にある港や遠景を望むことが
でき、まさに名所にふさわしい公園となる。
(3)公園内には若い桜がやや密に植えられている。これらの大部分は
移植しよう。移植先は、たとえば坂下の道路脇が適当であろう。残す桜は
大木にならぬよう、3年ごとに剪定する。
現在の測候所の敷地内
(4)観測所敷地の南側にある道路と観測所敷地の間に植えられた生垣
(写真2のほぼ中央部に見える、2007年3月28日現在の背丈=2.8~3m)
が成長・繁茂すると風通りが悪化し、ローカルな気温(観測露場の気温)
が陽だまり効果によって上昇する。無人化後、この生垣の背丈と密度を一定
に保つことは困難であるので、生垣は伐採し、現在張られているバラ線の
フェンスのみ残しておく。美観的にはバラ線の代わりに、風通りが
よい背丈の低い形式の囲いがよかろう。
(5)測候所測風塔の北側にある敷地内の樹木の枝はこれまで切り落と
されてきたが、今後も繁茂するたびに切ることにしよう。あるいは、管理が
難しいので伐採しておこう。この樹木の崖下まで測候所の敷地なので、
処置・管理は青森地方気象台の判断に期待したい。
(6)庁舎の解体後の敷地には植栽しない。
仮に背丈が伸びない植木を植えるとしても、1m以下に保つよう管理し、
一般公園のように密に植えないこと。
世界自然遺産「白神山地」をもつ深浦町には、気候変動を監視するに
ふさわしい旧深浦測候所・由緒ある公園がある。ここは世界に誇れる自慢
の場所である。住民の協力を得て、観測環境を保っていってほしい。
深浦の周辺観測所との比較から、深浦では陽だまり効果は不明確である、
ただし、1980年以後のデータによる。1980年以前も含めて、繁茂した笹に
よって、年平均気温が0.1~0.2℃程度上昇している可能性がある。
測候所開設当時(1940年)~終戦後の頃、この笹は繁茂していたかどうか?
このことについて、測候所開設当時から事情をご存知の金沢兼作さん(80歳)
に問い合わせたところ、現在入院中の知人にも聞き合わせしていただいた。
1940年(昭和15年)当時、笹はあったが現在のように繁茂していなく、
南方の港~海岸線が見通せたという(4月3日)。