K11.温暖化は進んでいるか(2)
著者:近藤純正
	11.1 温暖化資料解析におけるノイズ
	11.2 古い観測資料の解析方法
	11.3 都市と田舎観測所における気温の経年変化
		(1)石垣島と伊原間アメダス
		(2)宮崎と小林アメダス、月之原試験場
		(3)熊本と三角アメダス、西合志試験場
		(4)境と智頭アメダス、下市アメダス
		(5)相川と弾崎
	11.4 風速と気温の経年変動に見る都市化
		(6)多度津と滝宮アメダス
		(7)伏木と栃波アメダス
	11.5 気温の16地点平均上昇率
	11.6 内陸と海岸の気温上昇率の比較
	まとめ
	文献と資料
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地上付近の気温変動は、自然的な原因によるほか、(1)二酸化炭素 など温室効果気体の増加によるもの、(2)都市化によるもの、(3)陽だ まり効果によるものがある。これら(1)(2)(3)は、まったく 異なるメカニズムによって生じる気温変動である。 特に近年注目されるようになったものは(1)による「地球温暖化問題」 である。

日本および世界中で観測された気温データを見ると、確かに上昇傾向 である。しかし、100年間以上にわたって気温が観測されてきた 観測所の多くは都市に設置されている。近年の都市は人口の密集化、 人工熱の増加、植生面積の減少、道路の舗装など、いわゆる都市化されて 気温データは狭い範囲しか代表しなくなった。

そこで、都市化の影響の少ない田舎の観測所のデータを解析して、地球温暖化 の実態を知ることが緊急の課題となっている。 これは4章「温暖化は進んでいるか?」の続きである。 (2005年10月5日完成)


11.1 温暖化資料解析におけるノイズ

温暖化資料の解析において、2種類のノイズが考えられる。その1は 都市化による気温上昇、その2は陽だまり効果による気温上昇である。

その1:都市化
都市では次に示す都市化の要因によって、平均気温はその周辺部よりも高めに 観測される。特に、年最低気温(極値)が上昇する。

(1)ビルによる天空率の減少
平らな陸面であるよりも、ビルなどができると、その複雑な起伏に よって日中はより多くの日射量を吸収するようになる。夜間は、ビルなど 構造物からのより大きな赤外放射(目にはみえない)によって、夜間の放射 冷却が弱められる。

(2)人工熱の増加
日本を例にとると、年平均日射量は130~160W/m2である。 また夜間の正味放射量(地表面の放出する赤外放射量と大気からの下向き 放射量の差)は晴天日に50~80W/m2程度、曇天日は20~ 50W/m2程度である。これらと比べると、人工熱は10 W/m2(住宅地の目安)~100W/m2(東京都心域 の目安)、場合によっては1,000W/m2に達する場合もあり、 無視できない大きさである。

(3)熱的パラメータの効果
地表層の熱容量と熱伝導係数の積を地表層の熱的パラメータと呼ぶ。 特に積雪地域では雪の熱的パラメータは小さく、夜間の地中からの 熱伝導が少なくなり、結果として夜間の放射冷却が激しくなる。 ところが近年の都市(小都市も含む)では冬期、機械によって徹底した道路 除雪が行われるようになり、熱的パラメータが以前より大きくなったことから 激しい放射冷却は起きなくなった。 これが積雪域都市における年平均気温の上昇をもたらす要因となっている。
*注: 本ホームページの「身近な気象」の 「8. 都市化と放射冷却」の図8.1を参照。

(4)その他
植生地の減少によって、蒸発散量が少なくなり、その結果として平均気温が 高くなる。
ビルなど障害物が増加すれば、都市域では乱流が強化され、上下混合に よって下層の高温気塊が上空へ拡散される。逆に障害物の増加は 風に対する粗度(抵抗)を増し下層の風を弱め、上下混合が弱くなる。 このように障害物の増加はプラスとマイナスの作用をもつ。

その2:陽だまり効果

陽だまり効果とは、観測所周辺の風が人家等に よって弱められ、気温とくに地温が高くなる現象であり、このホームページで はじめて導入された新用語である。 小都市(村落)であっても陽だまり効果によって平均気温が上昇する。

注意:都市化と陽だまり効果の違い
上記の都市化の項で説明した、赤外放射に及ぼす天空率の減少は、地表面から 天空を見上げたとき、ビルなどが水平線から高度角が30度以上に及ぶ ような場合である。 盆地の場合、周囲の山を見渡す高度角が30度以下では赤外放射への影響は 無視してよい(近藤、1982、第6図)。一方「陽だまり効果」では、 気温観測露場の風を弱めることによって地温を上昇させる効果があり、 天空率の減少をもたらすような大きな構造物ではなく、人家あるいは ビニールハウスのような小規模の構造物によって生じる。 こうした人為的なもののほか、気温の観測所周辺の樹木・植え込み などの影響として陽だまり効果が生じる場合もある。

昔、農家では完全な温室を作るかわりに、自然材料で作物の周りを囲む 風防装置によって寒気の流入を防いでいた。つまり、陽だまりを作ることで 作物を寒さから守っていた。陽だまりの中では日中は風が弱くなるので 地温・気温は高くなり、夜間は風防装置の囲い(カヤ、アシなど自然 材料を編んで作った簡単な覆いをかければ一層効果的)からの長波放射に よって放射冷却が弱められる。これは温室よりも簡単・手軽で経済的である。

風速が弱まると、地温が上昇するという熱収支的な関係は「水環境の 気象学」図6.3、式(6.33)や「地表面に近い大気の科学」の5章などを 参照のこと。

今回、石垣島にある(独法)国際農林水産業研究センター沖縄支所の気象 観測露場を見学した。このセンターは元の熱帯農業研究センター沖縄支所 (1970年設立)である。

このセンターで観測されている気象資料をもとに、陽だまり効果について 調べた。

詳しいことは、クリックして 「石垣島の研究センター露場の陽だまり効果」を参照し、プラウザの「戻る」 を押してもどってください。
石垣島の研究センター露場の陽だまり効果


陽だまり効果は、観測露場のごく近傍(5m~50m程度の距離内)が人家や ビニールハウス等によって建てこんでくると生じる現象であり、 平均気温が高めに観測される。

陽だまり効果による年平均気温の上昇量を次表にまとめた(後述の資料も含む)。
   表11.1 陽だまり効果による年平均気温の上昇量
    距離は温度計(百葉箱)の建物等からの距離
    今津と虎姫は滋賀県内の区内観測所
	砺波気象通報所と福野農学校は富山県庄川流域

観 測 場 所     年代(年) 気温上昇  距離    建 物 等
(1)横浜測候所      1920  0.8℃ 5~10m 2階建て庁舎  
(2)今津、寺の庭   1910  0.6℃ 5~10m 修行僧の平屋食堂
(3)今津、高島高校  1960  1.0℃  15m  3階建て校舎
(4)虎姫、郡役所   1910  0.5℃ 5~10m 2階建て木造
(5)石垣島農センター  2000    0.5℃   8m   ビニールハウス
(6)砺波気象通報所  1960  0.6℃  10m  庁舎・官舎、植込み
(7)福野農学校    1968以前  0.3℃   25m  2階建て校舎、植栽
(8)滝宮アメダス   1992以後  0.3℃ 5~20m 生垣、ビニールハウス
(9)網走地方気象台  1978以後  0.15℃  17m  新庁舎2階建て、平屋会議室
(10)北海道農研センター  2000年以前 0.2℃   22m   北東側、他に南に温室
*(1)横浜測候所: 距離は当時の写真から推定した値。
本ホームページの「研究の指針」の 「7.都市気温上昇と風速の関係」の図7.6に示す関東大震災に よる火災後の横浜において年平均気温が約0.8℃低下したのは、火災によって 陽だまり効果がなくなったことによる。

*(3)今津、高島高校: 校舎は鉄筋コンクリート3階建て。
本ホームページの「研究の指針」の 「4. 温暖化は進んでいるか」の4.7節の後半部分の図4.13において、 陽だまり効果が滋賀県今津について説明されている。

*(5)石垣島農センター(国際農林水産業研究センター沖縄支所の略): 距離は 同センターの早野美智子さんに測量していただいた。半地下構造のビニール ハウスの露場面からの高さ=1.5m、幅=4m、長さ=75m。

*(7)福野高校の植栽: 本館と百葉箱の間の植栽(樹高5m前後)、及び 百葉箱南側の生垣(樹高1~2m)が風を弱める作用として働く。
植栽や生垣がなかった場合の「陽だまり効果」を起こす 1~2階建て建物からの限界距離は25m程度(暫定値)であろう。 本ホームページの「写真の記録」の 「47.富山と荘川流域の観測所」の「(4)福野の観測所」において 陽だまり効果を起こした周辺環境の詳細が説明されている。

*(8)滝宮アメダスの植栽ほか: 距離5~7mに樹高2~2.5mの生垣、 距離15~20mに高さ3mのビニールハウスと樹高5~10mの樹木ある。 さらに遠方にもビニールハウスや高い樹木が生長中である。

*(9)網走地方気象台:古い平屋建て庁舎での陽だまり効果はゼロとして、 2階建新庁舎(会議室のみ平屋建)による陽だまり効果である。

*(10)北海道農業研究センター旧露場。

11.2 古い観測資料の解析方法

(a)最高・最低気温の平均値の補正
昔の区内観測所(現在のアメダスの前身)では、毎日の最高気温と最低 気温の観測が行なわれていた。最高・最低の平均値は近似的に日平均気温に 相当するが、若干の補正が必要である。

   年平均気温=最高・最低気温の平均値+補正量

と定義し、各観測所に対する補正量を観測データから求めると、 次表のようになった。
   表11.2 最高・最低気温から年平均気温を推定する際の補正量
       *  1991, 1999, 2000, 2002年のデータは欠
       ** 1985, 1986年のデータは欠
       ***2000, 2001年のデータは欠

観測データ   比較期間(年) 補 正 量  採用する補正量   適用観測所
伊原間アメダス  1979~1991  -0.13℃      -0.1℃   伊原間
月之原試験場*   1988~2003   -0.28℃     -0.3℃   月之原試験場
小林アメダス   1978~1981   -0.29℃     -0.3℃    小林
三角アメダス**  1978~1990  -0.25℃     -0.2℃   三角
西合志試験場***  1997~2004    +0.04℃      0.0℃   西合志試験場
滝宮アメダス     1979~1989    -0.03℃      0.0℃   滝宮
仙遊地区試験場   2000~2004    -0.08℃     -0.1℃   仙遊地区試験場  
智頭アメダス     1979~1991    -0.37℃     -0.4℃   智頭
下市アメダス   1979~1991    +0.13℃     +0.1℃   下市、御来屋
砺波アメダス   1979~1991    -0.16℃     -0.2℃      栃波、福野
粟島アメダス     1979~1988    +0.00℃      0.0℃   粟島
(b)毎日3回観測と4回観測の時代の補正
観測所によっては、毎日6、14、22時の3回観測、あるいは毎日3、9、15、 21時の4回観測の時代があった。新潟県佐渡島北端にある弾崎灯台(はじきざき、 現在はアメダス)では1919(大正8)年から1974(昭和49)年まで気象観測 が行われ、その資料は佐渡海上保安署に保管されている。

現在の24回観測の平均値を基準とした場合、3回または4回観測の平均値との 差を補正値とする。

   年平均気温=3回(または4回)観測の平均値+補正量

と定義し、2000年12月~2001年11月までの1年間(365日)について調べると 次表のようになった。1952までが3回観測、1953年からが4回観測であるので、 表にしたがって補正を行う。

  表11.3 3回観測(6, 14, 22時)の平均値、4回観測(3, 9, 15, 21時)
         の平均値、または最高・最低気温の平均値から年平均気温を推定
         する際の補正量(単位:℃)
      参考にために季節ごと(冬:12~2月、春:3~5月、夏:6~8月、
           秋:9~11月)の補正量も示した。

地点:弾崎灯台
    24回平均 3回平均 補正量 4回平均 補正量   最高最低 補正量 日較差
 年平均 13.40    13.33 0.07   13.46 -0.06   13.44  -0.04   5.3

 冬平均   3.21      3.19  0.02   3.23 -0.02     3.17     0.04   4.3
 春平均  11.01     10.90  0.11    11.05 -0.04    11.18   -0.17   6.5
 夏平均  22.90     22.87  0.03    22.99 -0.09    22.99   -0.09   5.0
 秋平均  16.29     16.16  0.13    16.39 -0.11    16.22     0.07   5.2

11.3 都市と田舎観測所の比較

以下で示す年平均気温の経年変化の図の作成にあたっては、気象庁図書室、 各地方気象台等で入手したデータのほか、気象庁編集「気象庁年報2003年度 版」CD-ROMに記載のデータ、および気象庁ホームページの「気象統計情報」 の「気象観測(電子閲覧室)」に掲載されたデータを使用した。

(1)石垣島と伊原間アメダス
沖縄県石垣島地方気象台と、北部の伊原間アメダスにおける年平均気温の 経年変化を比較した。石垣島気象台は現在では周辺部が市街地となって いるが、以前は街はずれであったと聞く。
石垣島の年平均気温の経年変化
図11.1(a) 石垣島における年平均気温の経年変化。赤の実線は長期的傾向を示す。
伊原間の年平均気温の経年変化
図11.1(b) 伊原間における年平均気温の経年変化。緑の実線は長期的傾向を示す。 参考値としての+印は石垣島データに+0.1℃加えた値である。

石垣島の図(a)によれば、長期傾向として、1970年のころから年平均気温は単調 に増加している。これは気象台周辺の都市化が進んだためではないだろうか。 1900~2000年までの気温上昇量は100年間あたり 約0.7℃である。

一方、伊原間(図b)では石垣島におけるほどの顕著な気温上昇は認めら れず、100年間あたり約0.3℃の上昇である。

注意: 伊原間は1955年以前の観測値はないので、石垣島の観測値を参考の ためにプロットしてある。ただし、1956~1968年について両地点の13年間 平均気温を比較すると石垣島は伊原間より0.1℃低いので、 石垣島に+0.1℃を加えた値のプロットである。

本ホームページの「写真の記録」の 「40. 石垣島と波照間島の観測所」で述べたように、伊原間アメダスの 北東側には中学校があるが150m離れているので、その影響はほとんど 無しとみてよいだろう。しかし、アメダスの東側には市営住宅6戸分1棟 が1996年に建設されている。

伊原間における風速の経年変化
図11.2 伊原間アメダスにおける年平均風速の経年変化。青の実線は 長期的傾向を示す。

図11.2に示した年平均風速の経年変化を見ると、市営住宅の建設後に風速 は以前に比べて約90%となった。今後、風速・気温の経年変化を監視して いく必要がある。

注意: 今後、気温資料を気候変動の実態把握の目的で利用する場合、 伊原間の2000年以後は代替観測所を選定しなければならない。

(2)宮崎と小林アメダス、月之原試験場
宮崎の気温経年変化
図11.3(a) 宮崎における年平均気温の経年変化、赤色の実線は長期変化の 傾向。
小林の気温経年変化
図11.3(b) 宮崎県小林における年平均気温の経年変化、緑色の実線は長期変化 の傾向。

宮崎の図(a)によれば、長期傾向として、1980年のころから年平均気温は急激 に上昇している。1900~2000年までの気温上昇量は 100年間あたり約1.2℃である。

一方、内陸にある小林(図b)では宮崎ほどの顕著な気温上昇は認められず、 100年間あたり約0.4℃の上昇である。 小林は都城の北西、直線距離で約32kmにある。

都城市にあった都城測候所は、現在は無人のアメダスとなっている。都城市は 人口13万人、面積306平方kmの小都市である。アメダスは都市域にあり総合 運動公園がすぐ見える場所にあるが、周辺は住宅地となっている。測候所庁舎 跡地は売りに出されており、将来の観測露場の周辺は建て混んだ状態になる ことが予想される(本ホームページの「写真の記録」の 「41. 宮崎・鹿児島・熊本の観測所」 を参照)。

一方、都城の都市中心部から西方約5kmの月之原台地には九州沖縄農業研究 センター畑作研究部の気象観測露場がある。この周辺は広く開けている。 気温データは1962年からの40年余分が整理されている。 今後の50年~100年間にわたり地球温暖化検証のための観測所として適地で あり、観測所の周辺環境を保つようにして欲しい。

現時点では40余年の短期間データであるが、小都市・都城の都市化および 都城アメダスごく近傍における陽だまり効果を監視していく上でも重視したい。

月之原の気温経年変化
図11.4 (下)月之原試験場における年平均気温の経年変化、(上)都城と 月之原試験場の年平均気温の差の経年変化。

図11.4 の下図は月之原試験場における年平均気温の経年変化、上図は都城 アメダスと月之原試験場における年平均気温の差である。1980年代に差が急速 に大きくなり、1990年以後は1℃の差でほぼ落ち着いている。今後、都城 測候所庁舎の跡地(現在の都城アメダスの隣接地)の利用状況と温度差の 変化に注目しよう。

(3)熊本と三角アメダス、西合志試験場
熊本の気温経年変化
図11.5(a) 熊本における年平均気温の経年変化、赤色の実線は長期変化の傾向。
三角の気温経年変化
図11.5(b) 熊本県三角における年平均気温の経年変化、緑色の実線は長期変化 の傾向。

都市化の進んだ熊本の図(a)によれば、長期傾向として、戦後の1950年のころ から年平均気温は上昇している。 1900~2000年までの気温上昇量は100年間あたり 約1.5℃である。

一方、三角(図b)においては長期的な気温の上昇傾向は 明瞭ではない

注意: 三角では1926年以前の観測値はとびとびなので、熊本の観測値を 参考のために+印でプロットしてある。ただし、熊本で都市化の影響が 無視できるとみなされる1927~1942年の16年間について、平均気温が 両地点で一致するように、熊本の値に+1.4℃を加えてある。
また、三角で観測されていない期間の1967~1970年、1971~1976年については それぞれ郡浦と松島における観測値をプロットしてある。

三角アメダスは標高60mの山の尾根にある旧三角中学校(廃校、 校舎などはそのまま残存)の校門東側の敷地内に設置されている。 アメダスの南側には道路を挟んで墓地がある。墓地からは三角東港と市街 域を見下ろすことができ、気象観測所として適地 である。

しかし、アメダスを囲むフェンスから南東側3mには桜の木、ほかに1m~ 2mほどの範囲内に8本の小さな植木がある。 東側には2m離れて8m×5mの壊れかかったプレハブ物置がある。 南西側には2mほど離れて門柱とブロック塀(4段×10列)ある。

北東側は広い運動場があり広域的には適地であるが、ごく近傍における これら物置と桜と小さな植木が気象観測には邪魔と思う。桜はやや大木であり、 枝はときどき切り落とされたようであるが、小さな植木の生長が気掛かりである。

三角における風速の経年変化
図11.6 三角アメダスにおける年平均風速の経年変化。青の実線は 長期的傾向を示す。

三角アメダスにおける年平均風速の経年変化を図11.8に示した。長期的には 風速の変化は認められない。しかし、気温には、陽だまり 効果が現れてくる可能性がある。将来にかけて注目したい。 気象観測露場の周辺は風通りをよくしておかなければ、観測値は10m程度の 範囲の気温しか代表しなくなる。

筆者が三角支所(三角町役場は市町村合併により2005年1月15日から 宇城市三角支所となる)の総務課長・永木 伸さんを訪ねて相談したところ、 気象台から桜の木などの伐採を御願いすれば、市でも検討しますと の回答を得た。三角アメダスは気象災害予報のみならず地球温暖化のモニター 地点として重要な地点であることを理解していただけた。

熊本市中心部から北方約10kmの西合志町須屋には九州沖縄農業研究 センターの気象観測露場がある。ここは広く開けており 気象観測には適地である。気温データは1952年からのデータが整理 されている。

西合志試験場の気温経年変化
図11.7 (下)西合志試験場における年平均気温の経年変化、(上)熊本と 西合志試験場の年平均気温の差の経年変化。

図11.7 の下図は西合志試験場における年平均気温の経年変化、上図は熊本地方 気象台と西合志試験場における年平均気温の差である。1950年代と1980年代 以後の差が急速に大きくなり、2000年ころには差は1.3℃に達している。 今後の温度差の変化に注目しよう。

西合志試験場の航空写真
図11.8 九州沖縄農業研究センターを南方向から撮影した航空写真、 赤字 M の真下に白っぽく見える小さな長方形は気象観測露場 (九州沖縄農業研究センター提供による写真)

西合志試験場の気象観測露場:
緯度=北 緯 32度52分52秒
経度=東経130度44分19秒
標高=87m

航空写真(図11.8)において試験場敷地の南西部分(左下)の形状は欠けて いるが、敷地は東西1,200m、南北約1,500mのほぼ四角形である。 敷地の東側を南北に走る道路をはさんで、熊本電波高専、養護学校、国立病院など がある。北方には住宅地が広がっている。写真後方(南方)にある熊本市街部 と西合志町の間は緑地と住宅地などが散在した地域となっている。

気象観測露場は理想的な場所にあるので、今後の50年~100 年間にわたる地球温暖化の検証に役立つ重要地点であると判断できる。 同時に、現時点では50余年間のデータであるが、熊本の都市化の影響による 温暖化がこの地区まで及ぶかどうか、監視していく上でも重要である。

「研究の指針」の「K10.都市化の判定基準」 の「10.6 まとめと観測精神」の章でも述べたように、温暖化原因を整理 すると、

(1)都市化によるローカルな気温上昇
(2)巨大都市など広域都市がもたらす都市周辺 (田舎も含む)の気温上昇
(3)二酸化炭素など温室効果ガスの増加にともなう グローバルな気温上昇

の3つにまとめられ、西合志では今後(2)と(3)を監視するうえで 重要となる。(2)について熊本の場合、観測所のある試験場の環境は 変わらなくても、周辺が開発されて住宅地となり熊本のベッドタウンとして 変化してくれば、気温上昇が検出できる可能性がある。

(4)境と智頭アメダス、下市アメダス
鳥取県内陸の智頭(ちず)と日本海沿岸の御来屋(みくりや、現在の下市 アメダスの西方約7km)では1895年からの気温データがある。 1917年までは午前10時の気温のみ、1919年以後は最高・最低気温も観測 されるようになった。

御来屋では当初、役場で観測が行なわれていたが、1900(明治33)年 5月1日より旧・名和高等小学校(現在の呼び名で旧・名和小学校)に 移転している。ただし、観測所の呼び名は1955年頃まで御来屋のままで あったが、1955年頃に改名され「名和」となった。その後、小学校が 統合され、1961年10月に新築された現・名和小学校へ移転している。 旧・名和小学校と現・名和小学校の位置は同じ緯度、経度であるが、 1分以内の違い(約2km以内の違い)がある可能性はある。 詳細は「写真の記録」の 「51. 鳥取と境ほかの観測所」の「(5)名和の観測所跡」を参照の こと。

智頭の1940年以前についてデータの品質を調べる。智頭の年平均気温と 西方の境測候所の年平均気温の差、同様に南方の岡山気象台の年平均気温 の差を求めてみると、年々変動が非常に大きい。これは智頭における 観測データの品質が悪いと判断した。

さらに智頭の年平均気温が1936年以前と1939年以後で不連続的になっている。 これは昔の智頭の観測所が山の頂上にあり、のちに平地の農林高校の農場に 移転し周辺環境が大きく変わったことによると判断した。 詳細は「写真の記録」の 「51. 鳥取と境ほかの観測所」の「(1)智頭アメダス」を参照の こと。

そこで智頭の1939年以前について、境における気温で代用することにした。 ただし、1941~1950年の10年間の比較から、標高182mの内陸の智頭の平均 気温は境より1.3℃低いとした。

御来屋については、1921~1934年(14年間)について計算してみると、
御来屋:(10時の気温)-(最高気温と最低気温の平均値)=1.8℃
である。したがって、1917年以前についてはこの補正によって(最高気温と 最低気温の平均値)を推定した。この推定値に0.1℃を加えた値を御来屋 (1968年以降は下市)の年平均気温とした(表11.2参照)。

なお、御来屋で観測されていない1901~1910年の期間は、下市の東12kmの 八橋(同じく海岸域)での観測値を代用した。その際、10時の気温は八橋より 御来屋が0.4℃高温(1912~1917年の平均)であるので、このぶんを補正 した。

以上のデータ処理の方法で求めた年平均気温の経年変化を図11.9b, c に示した。

境の気温経年変化
図11.9(a) 境における年平均気温の経年変化、赤色の実線は長期変化の傾向。
下市の気温経年変化
図11.9(b) 鳥取県下市における年平均気温の経年変化、緑色の実線は長期変化 の傾向。
智頭の気温経年変化
図11.9(c) 鳥取県智頭における年平均気温の経年変化、緑色の実線は長期変化 の傾向。

気温上昇率は、この100年間に境で約1.1℃に対し、 下市で0.2℃、智頭で0.1℃程度である。

(5)相川と弾崎
新潟県佐渡島の北西岸にある相川測候所、および北東端にある弾崎灯台と 弾崎アメダスの気温データを解析する。相川測候所では1995年に現在地の 埋立地に建てられた合同庁舎に移転し、年平均気温が約0.7℃上昇したので 1994年までのデータを使用する(観測所の周辺環境については 本ホームページの「写真の記録」の 「46. 新潟・相川・弾崎の観測所」 を参照)。

弾崎アメダスは1997年からのデータしかないが、ほぼ同地点の弾崎灯台で 1934~1973年の期間のデータがあるのでそれを使用する。参考のために、 粟島アメダスの1979年以後のデータも使用する。

弾崎の気温経年変化
図11.10 新潟県佐渡島の相川と弾崎における年平均気温の経年変化、 緑色の実線は長期変化の傾向。

図11.10に示すように、1934~1973年の40年間における平均気温は 相川と弾崎灯台でほとんど等しい。すなわち、
	      相川測候所:12.99℃
	      弾 崎 灯台:13.00℃
相川については1995年以後はプロットしていないが、1997~2004年 の8年間の平均値は次の通りである。
		新潟気象台: 14.24℃
		相川測候所: 14.21℃
		弾崎アメダス:13.46℃
		粟島アメダス:13.39℃
この比較によれば、相川測候所では合同庁舎に移転し、露場周辺が 広い舗装道路となり、またビルの存在により、約0.7℃の気温上昇が生じた。 他の都市に比べれば、周辺のビルはそれほど込み合っていないが、こうした 周辺環境の変化が0.7℃の上昇として現れたのであろう。

上図では緑の線で長期変化の傾向を描いてあり、1900~1910年は福井県伏木 (日本海沿岸)における長期変化の傾向を参考にしたものである(伏木にお ける年平均気温の経年変化は後述の図11.16(a) を参照)。 この緑の線(相川と弾崎の傾向)によれば、100年間の気温 上昇は0.3℃程度である。


11.4 風速と気温の経年変動に見る都市化

(6)多度津と滝宮アメダス
香川県の多度津測候所は瀬戸内海の海岸沿いにあったが、1964年から その北側の海水浴場が埋めたてられ住宅地となり、日の出町ができた。 現在の観測所は海岸から約1kmとなり、無人化されている。 そのため気温は都市化の影響を含むと考えられる。

いっぽう多度津から東南東16kmの綾南町の滝宮(たきのみや、標高60m) の模範農場(現在は農業経営高校)には1900年から観測所が設置されている。 開設当初から1915年までは毎日10時に気温が観測されていたが、1916年からは 最高気温と最低気温も観測されるようになった (本ホームページの「写真の記録」の 「45. 高松ほか香川県内観測所」を参照)。

滝宮における1916~1926年の11年間について調べてみると、
(10時の気温)-(最高気温と最低気温の平均値)=1.6℃
である。それゆえ、1915年以前については10時の気温から1.6 ℃を引き算した値を(最高気温と最低気温の平均値)の年平均値とした。

滝宮では当初、模範農場で観測が開始されたが、1940年4月1日に滝宮 小学校に移転、1968年9月14日に現在のアメダス地点(農業経営高校の農場) に移転した。小学校に設置された時代の1940~1952年の年平均気温が不連続 的であるため、その期間については多度津測候所のデータで補完した。 すなわち、多度津が都市化の影響を受けていないと判断できる1920~1957年 を比較して、滝宮の年平均気温は海岸の多度津より0.3℃低いとした。

現在の滝宮アメダスは高校農場内にあり、近くにはビニールハウスができ、 さらにアメダスのすぐ近くの生垣その他の樹木が生長し陽だまり効果が表れる ようになった。すなわち後掲の 図11.12(b)で説明するように、1990年過ぎから年平均が高めになって きた。それゆえ、1990年以後は財田アメダスの気温を接続して利用する。

財田(標高65m)は滝宮(標高60m)より南方の内陸にある。 1982~1991年期間の年平均気温を比較すると、財田が0.2℃高い。 それゆえ、財田の気温より0.2℃引き算した値を滝宮に接続する。

図11.11(a)と(b)はそれぞれ多度津と滝宮・財田における 年平均気温の経年変化である。

多度津の気温経年変化
図11.11(a) 多度津における年平均気温の経年変化、赤色の実線は長期変化の 傾向。
滝宮の気温経年変化
図11.11(b) 香川県滝宮における年平均気温の経年変化、ただし、1985年以降 は財田の年平均気温から0.2℃引き算した値をプロットしてある。 緑色の実線は長期変化の傾向。

図11.11の(a)(b)を見比べると、100年間の気温上昇率は 多度津で1℃に対して、滝宮・財田で0.1℃程度である。

次に、多度津における都市化の影響を見るために滝宮アメダスとの温度差を 調べる。図11.12(a) の上図は多度津と滝宮の年平均気温の差の 経年変化である。1964~1982年にかけて気温差が0.3℃から1.3℃に 大きくなった。つまり、多度津の観測所は周辺の都市化 によって年平均気温は約1℃の上昇があった。

ところが、1990年代に温度差は小さくなりはじめ、2000年代には1.1℃と なった。

多度津と滝宮の気温差経年変化
図11.12(a)  (上)多度津と滝宮の年平均気温の差の経年変化、 (下)滝宮における年平均気温の経年変化。

滝宮と財田の気温差経年変化
図11.12(b) 滝宮と財田の年平均気温の差の経年変化。

温度差が1990年代以後小さくなりはじめた理由として、(1)滝宮アメダスの 周辺の低木と南東側50m前後に背丈10m前後の樹木があり、これらが伸びたこと、 (2)生垣を挟んで北側のビニールハウス、道路を挟んで西側のビニールハウス が大型化したこと、(3)多度津測候所の庁舎・宿舎が解体され、風速計が 測風塔から鉄塔に移設されたことが考えられる。

(1)(2)は滝宮の「陽だまり効果」によって年平均気温が上昇し、多度津・滝宮 の温度差が相対的に小さくなる。(3)は多度津の風通りがよくなり、多度津の 年平均気温が相対的に下降する。

これらの詳細を検討しておこう。

多度津における都市化の影響:
図11.13は別章で示した図9.6、図10.18の再掲示である。 年平均の気温差と年平均風速の対応が明瞭である。 すなわち、1965~1983年に風速は減少し、気温差は増加した。

滝宮アメダスにおける風速の減少:
1984~90年、1991~97年、1998~2004年の各7年間の平均風速は1.46m/s、 1.40m/s(96%)、1.24m/s(85%)と減少の傾向である。これは滝宮アメダス で「陽だまり効果」を生じ、平均気温が以前に比べて0.3℃程度上昇 したと考えられる(図11.12b)。

庁舎解体の影響:
2002年1~3月に測候所庁舎・宿舎が解体され、風速計が 測風塔から鉄塔に移設された。このとき風速計の地上高度は13.1mから 12.1mに1m低くなったが風速観測値は殆んど変化していない。 これは露場付近の低い高度の風速が強くなったことを意味し、多度津における 年平均気温は低下の傾向となる。

多度津の風速経年変化
図11.13 多度津における風速の経年変化。緑の線は風速計地上高が10.4m の時代(旧庁舎)の経年変化の傾向。赤の線は現在使用されているプロペラ 型パルス式風速計が以前から継続して使用されてきたと仮定したときの風速 経年変化の傾向、ただし、その地上高度は13.1m(2002年1月30日以前)、 または12.1m(2002年1月30日以後)である。なお測候所庁舎の解体は 2002年3月27日である。

以上の検討結果から、1992年以後については、滝宮に替わる田舎観測所を財田 アメダス(2000年3月8日に現在地の財田町我久水源地に移転)とした。

なお、将来の予備観測所候補として、近畿中国四国農業研究センター 四国研究センター生野地区(いかのちく、傾斜地基盤部、善通寺市生野町 2575)の気象観測露場をあげておきたい。

(7)伏木と栃波アメダス
富山県の伏木測候所(現在はアメダス)では1886年から気象観測が開始された。 その内陸の約22kmにある栃波市(となみし)五郎丸の富山県農業研究センター 野菜花き試験場には「栃波アメダス」がある。このアメダスの前身に相当する 区内観測所は当初1903年に東山見に、1907年から福野にあった。福野は 農学校(現在の福野高校)で1968年まで観測が行なわれた。

砺波では、当初砺波気象通報所で観測が開始され、1977年10月18日に砺波市 消防署に移転、1998年7月3日に現在地の農業研究センターに移転している。 砺波と福野の両地点で同時に観測が行なわれた1957~1968年の12年間 (砺波の気象通報所時代)について平均気温を求めてみると、福野で13.34℃、 砺波で13.46℃となり福野が0.12℃低温である。 したがって、福野の気温に0.1℃を加えた値を栃波アメダスに接続して 利用する。

ただし後述するように、砺波気象通報所時代には、ごく周辺に建物が 建て込んでおり、年平均気温が「陽だまり効果」に よって0.6℃高めであったので補正する。

福野における観測は農学校(現・福野高校)で明治時代から1968年まで 行われたきた。この観測所における「陽だまり効果」を推定してみる。 福野は砺波に比べて0.12℃低温だが、もしも気温に地域による差がないと すれば、福野の陽だまり効果は0.5℃と推定できるのだが、地域による平均 気温の差がある。

そこで地域による平均気温の差を見積もってみよう。現在の砺波アメダスの 南方(陸側)約12kmのところに南砺高宮アメダス(市町村合併により南砺市と なり福光アメダスが名称変更した)がある。両アメダスともに周辺は田んぼで 囲まれ、地域の気象を代表できると考えられる。それゆえ、両アメダスから 年平均気温の地域による差を求めてみよう。

1979~1998年の20年間の平均気温を求めると、砺波は13.12℃、南砺高宮 (福光)は12.85℃となり、後者が0.27℃低温である。福野はこれら両地点 のほぼ中間にあるので、地域的には福野は砺波より0.14℃低温であると 推定できる。したがって、福野の農学校時代における 「陽だまり効果」は0.34℃(=0.6-(0.12+0.14))と推定できる。

注意(1)
「陽だまり効果」は気候変化のデータ解析上悪いのではない。 陽だまり効果があっても、それが長期にわたり一定であれば経年変化の解析に 利用できる。

以上により準備ができた。続いて伏木(1886年から)と富山 (観測開始は1939年)について解析をはじめる。 まず、風速の経年変化を調べてみよう。

富山と伏木における年平均風速の経年変化を図11.14(上)(下)に示した。 ただし、図において注意すべきは、4杯式風速計は廻りすぎの 特性があり、プロペラ型発電式(風車型発電式)風速計は弱風速で回転が悪く 見かけの平均風速を過小評価する特性がある。この特性を考慮して、 赤い線で実際の風速の経年変化を示してある。特性の詳細については、 本ホームページの「研究の指針」の「9. 風で環境を 観る」の9.2節に(1)u-誤差、(2)v-誤差、(3)w-誤差として説明されている。

富山・伏木の風速
図11.14 年平均風速の経年変化、(上) 富山、(下)伏木。 赤の線は現在使用されているプロペラ型パルス式風速計が以前から継続して 使用されてきたと仮定したときの風速経年変化の傾向、ただし、上図中の 緑の線は風速計地上高が14.1m(旧庁舎)から20m(新庁舎)に 変更になってからの経年変化の傾向。

図11.14において赤の線を見ると、1970年代から1980年代にかけて、 富山(上図)に比べて伏木(下図)の風速が急激に弱化している。 ちなみに、1973年から1981年までの風速弱化は富山で0.92(=2.4/2.6) に対し、伏木で0.83(=2.25/2.7)である。

ところが1985年以降については、伏木の年平均風速はほぼ一定になり安定 しているのに対し、富山ではその後も風速の緩慢な弱化が続いている (1986年~2000年間の減少量は0.94である)。この緩慢な弱化と富山の 1985年以後の急激な気温上昇(後掲の図11.5と図11.16a)がよく対応している。

ちなみに富山地方気象台の新庁舎は1986年1月28日に完成し、また観測露場 の南側に新道・富山北大橋が開通した。詳細は「写真の記録」の 「47. 富山と庄川流域の観測所」 を参照)。

注意
図11.14上において、1986年1月30日に富山地方気象台は新庁舎移転に ともなって風速計地上高度が14.1mから20mに変更された。
同下図において、伏木測候所では1982年10月15日に風速計の着雪を融解する 目的で赤外照射装置を風速計の近くに取り付け、同時に風速計高度を14.6m から15.1mへと0.5mだけ高くしている。このわずかな高度変化と赤外照射 装置の取り付けによって、年平均風速は約0.5m/s(24%)も大きくなった。 この風速変化は平坦地における風速の高度変化からは説明できない大きさで あり、測風塔と照射装置の影響が大きく寄与しているものと判断される。

次ぎに、観測所周辺が都市化、あるいは建物が建て込むことによって年平均 気温が変化したかどうかを調べてみよう。

図11.15(上)は富山と伏木の年平均気温の差である。風速の図11.4で気づいた ように、伏木の風速が時間的に先に減少しはじめたことに対応して、1970年~ 1985年にかけて気温差が減少している。気温差の減少は伏木の気温が相対的に 上昇したことを意味する。

ところが1985年以後になると気温差は増加しはじめた。これは富山の気象台 周辺が宅地化され新道・富山北大橋が開通したことによる。

以上のように、都市化の影響が風速と気温の経年変化によく現れている。

富山の気温経年変化
図11.15 年平均気温の差の経年変化、青線は長期変化の傾向を示す。 (上)富山と伏木の差、(下)富山と砺波の差。下図において長期変化 の傾向が1976~1977年で不連続的に変化しているのは、砺波の観測所が 砺波気象通報所から消防署に移転したことによる。

図11.5(下)は富山と砺波の気温差である。注目すべきは、砺波の観測所 が砺波気象通報所から消防署への移転にともない1976~1977年に気温差が 不連続的に変化した。0.6℃の上昇は、砺波気象通報所における気温が 「陽だまり効果」の影響によって年平均気温が0.6℃高めであったことを 意味する。

砺波消防署は町外れにあり周辺には田んぼが広がる。また、現・砺波アメダス の周辺も田んぼが広がっている。これらに比べて気象通報所は周辺が建物 で込み合っていた。現在の気象通報所跡周辺は住宅街となっている。

図16に富山、伏木、砺波における年平均気温の経年変化を比較して示した。

富山の気温経年変化
図11.16(a) 富山県伏木における年平均気温の経年変化、赤色の実線は長期 変化の傾向。
伏木の気温経年変化
図11.16(b) 富山県伏木における年平均気温の経年変化、赤色の実線は長期 変化の傾向。
栃波の気温経年変化
図11.16(c) 富山県栃波における年平均気温の経年変化(砺波気象通報所時代 のプラス印は1957~1976年、それ以後のダイヤ印は砺波消防署時代と現 アメダス時代、福野のプロットは1968年以前)。緑色の実線は長期変化 の傾向。

図11.15によれば、この100年間の気温上昇は伏木で約 0.9℃に対し、栃波で約0.3℃である。

11.5 気温の16地点平均上昇率

これまでの解析によって、気象庁が地球温暖化の実態把握を行う目的で 「都市化の影響が少ないとして選んでいる17の気象官署」のすべてに おいて、都市化の影響が見られる。 この17気象官署とこれまで解析した16の田舎観測所における平均気温の 経年変化を下に掲げる図11.17に比較した。

17気象官署は、網走、根室、寿都、山形、石巻、伏木、長野、水戸、 飯田、銚子、境、浜田、彦根、宮崎、多度津、名瀬、石垣島である。
16田舎観測所は次の16地点である。
沿岸田舎観測所(8地点):えりも岬、金華山、弾崎、石廊崎、 下市、室戸岬、三角、伊原間*
内陸田舎観測所(8地点):江丹別、小国、飯山、福野、木之本、智頭、 滝宮-財田、小林

(*) 注意: 石垣島の伊原間アメダスの東側には1996年に 住宅が建てられ風速の減少が始まったので、今後、気温資料を気候変動の 実態把握の目的で利用する場合、2000年以後は代替観測所を選定しなければ ならない。

16地点平均気温
図11.17 (上)気象官署17地点の平均気温の経年変化、(下)田舎観測所16地点 の平均気温の経年変化。

図11.17によれば、(1)30~50年程度の短周期については気象官署と田舎観測所 における変動はよく似ている。(2)1960~1980年は寒冷化の時代であったが、 1980年代以後に急激な温暖化が見える。都市の気象官署では都市温暖化の影響 によって寒冷化時代は顕著でないが、1980年代以後の温暖化は都市の効果も 重なって一層顕著に現れている。 (3)この100年間当たりの気温上昇率は田舎観測所で概略0.2℃であるのに 対し、気象官署では0.9℃である。(4)気象官署の気温上昇率は、特に戦後 の1950年以後に大きくなった。

図11.18に気象官署と田舎観測所の気温差の経年変化を示した。ただし、 1900~1920年期間における気温差がゼロになるようにずらしてある。

16地点気温の差
図11.18 気象官署17地点と田舎観測所16地点の平均気温の差の経年変化。

この図によれば大部分が中都市にある気象官署の平均気温は、2000年の時点 において、田舎観測所よりも約0.7℃上昇している。

都市化は風速の減少という形でも表れる。今後の参考のために、 都市化による年平均風速の変化量と減少量を次表にまとめた。この表には 「研究の指針」の「K10.都市化の判定基準」の 10.3節で求めた結果も含めてある。

        表11.3 年平均風速の変化量と減少量
    変化量=期間の初めの風速を100%として、その後の風速を%で表示
    減少率=100%-変化量
	* 21年間の最初の7年間平均を基準とし、最後の7年間の変化量

   気象官署:気象台と旧測候所(特別地域気象観測所)        
      観 測 所   期 間 (年)   変化量  減少率
      網 走     1950~2000  87%   13%
	    雄 武	 1965~2000    82%   18%
      寿 都    1950~1989  92%    8%

      富 山    1973~2000  86%   14%
      伏 木    1973~1981  83%   17%
       境     1950~2000  81%   19%
      多度津    1960~1982  63%   37%
	
   アメダス
      滝宮アメダス 1984~2004  85%*  15%
	  三 角    1979~2004 100%    0%
      伊原間    1995~2004  90%   10%

北海道の西海岸にある寿都では風速の減少率が8%であるが、気温の経年 変化の図から判断すると、都市化の影響が見られ、100年間の気温上昇率は 0.4~0.5℃/100y、最近の50年間では0.3℃/50y 程度である。

それゆえ、対象とする観測所において風速の減少率が 5%以上となれば、年平均気温にも都市化の影響を含む ものと考えてよいだろう。

11.6 内陸と海岸の気温上昇率の比較

田舎観測所16地点を沿岸観測所8地点と、内陸観測所8地点の2つに分けて 気温経年変化に違いがないかどうかを調べたのが図11.19である。

沿岸と内陸の気温変化
図11.19 (上)沿岸の田舎観測所8地点における平均気温の経年変化、 (下)内陸の田舎観測所8地点における平均気温の経年変化。

沿岸と内陸における気温の長期変動は似ている。しかし、1945年以前に ついて沿岸観測所の気温がそれ以後に比べて0.1~0.2℃程度低いことが わかる。

この理由として2つのことが考えられる。(その1)観測所数が8と 少ないこと、(その2)特に三陸沿岸にある金華山(島)の気温経年変動の 傾向が8地点平均値に影響を及ぼしていることである。

その1については、今後地点数を増やして検討するとして、ここでは その2を検討してみよう。

図11.20は金華山の年平均気温の経年変化である(「4.温暖化は進んでいる か」の図4.6(b)に同じ)。この図によれば、金華山では1945年を境として 年平均気温がジャンプ状に上昇している。

金華山の年平均気温の経年変化
図11.20 金華山における年平均気温の経年変化。緑の実線は長期的傾向を示す。 参考値としての+印は江の島のデータ。図4.6(b)に同じ。

親潮と黒潮の潮境
図11.20 三陸沖における親潮と黒潮の潮境の長期変動を示す模式図。 (身近な気象の科学、図13.1;Kondo, 1988, Fig.13 より転載)

三陸の沖合いには黒潮(暖流)と親潮(寒流)の潮境がある。この潮境の 南下・北上が数十年サイクルで起きており、岩手県~福島県沖の海水温度が ジャンプ・ダウンを繰り返している。潮境が南下すると海水温度が低下し、 北上すると海水温度が上昇する。それに伴なって沿岸域の年平均気温も低下・ 上昇する。

1945年に起きた年平均水温のジャンプは金華山の隣の江の島で1.38℃、福島 県塩屋埼で1.53℃であった。この水温ジャンプに伴なう金華山の年平均気温 のジャンプは0.6℃である(図11.20)。水温ジャンプの概略半分程度の 気温ジャンプである。

北海道~三陸~八丈島にかけての沿岸水温年平均値の経年変化を図11.21に 示した。親潮・黒潮の潮境から遠い北海道と八丈島では水温のジャンプは 認められないことがわかる。

海水温度の経年変化
図11.21 北海道~三陸~八丈島にかけての沿岸水温年平均値の経年変化。 グラフは上から北海道浦河(襟裳岬)、岩手県宮古蛸の浜(とどが崎)、 宮城県江の島、福島県塩屋埼、房総南端野島崎、八丈島三根。 (身近な気象の科学、図13.6;地表面に近い大気の 科学、図9.6;Kondo, 1988, Fig.14より転載)

数十年以上に渡る大規模な海水温度変動は三陸沖、特に宮城県と福島県沖で 顕著になる現象であり、その周辺沿岸に影響があるのみで、日本全域の沿岸域 に及ぼす影響は小さいと思われる。

まとめ

(1) 前回の中間報告「4.温暖化は進んでいるか」に続き、年平均気温の経年 変化を調べ、新しい結果を追加することができた。

(2) 田舎観測所16地点について調べたところ、年平均気温の上昇率は100年間 当たり約0.2℃である(「4.温暖化は進んでいるか」で調べた8地点の 結果と同じである)。

(3) 気象庁が気候変動観測所のうち”都市化の影響が小さい”として選んでいる 17気象官署の平均気温は、1950年以後の戦後復興期以後、都市化の影響が 大きくなり2000年時点で、田舎観測所よりも気温は約0.7℃高くなった。

(4) 数十年以下の短周期で見ると、1960~1980年は寒冷化の時代であり、1980年 代以後の温暖化は顕著である。大部分が都市にある気象官署では、1980年代 以後の温暖化は都市化の影響も重なって一層顕著に現われている。

(5) 田舎観測所の沿岸と内陸を比較したところ、全体的な変化傾向は似ているが、 1945年以前について沿岸観測所が低温である。その原因として、三陸沖 で1945年に起きた水温ジャンプの影響が金華山の年平均気温に含まれて いることが考えられる。

(6) 陽だまり効果について、8地点のデータ(年平均気温の上昇量と、周辺 状況)が揃った。気温観測は、1~2階建て建物や樹木から少なくとも30m 離れた風通りのよい場所で行うべきだろう。この距離が15~30mしか ない場合でも、その周辺環境が大きく変わらないように管理が必要である。 生垣は風通りを悪くするので、フェンス状の囲いを推奨したい。

(7) 香川県多度津と富山について、年平均風速の変化と都市化による気温上昇 の関係を詳細に調べた。

(8) 都市化は年平均風速の減少と同時に、年平均気温の上昇として表れる。 年平均風速に5%(暫定値)以上の変化があれば、都市化の影響が出始め たものと考える。

上記(4)に関連して、
1980年代以後の気温急上昇は二酸化炭素の増加による地球温暖化が 現れはじめたのだろうか?
いえ、そのように簡単には断言できないのが温暖化問題の難しい点 である。振り返ってみると、1980年のころ平均気温が低下する時代に、 一部では「地球寒冷化、氷河時代に向かう!」が話題になった。 ところが最近の2000年のころ世界の平均気温が急上昇する傾向となり、 「二酸化炭素の増加による地球温暖化がはじまった」と信じる人が増えた。

20~30年程度の短期間の気温下降・上昇から、長期変動の地球温暖化だと 速断してはならぬ。しかし、二酸化炭素の増加による直接的な影響でな くても、人間による地表面の改変、大気・海洋汚染によって地球 の熱収支バランスが急変し、フィードバック過程を通して急激な温暖化 が起き始めた可能性を否定するわけではない。


文献と資料

近藤純正、1982:複雑地形における夜間冷却ー研究の指針、天気、29、 935-949.

近藤純正、1987:身近な気象の科学ー熱エネルギーの流れー.東京大学出版会、 pp.189.

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近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学、朝倉書店、pp.350.

近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学、東京大学出版会、pp.324.

資料
農林水産省九州農業試験場、1988:宮崎県都城市(月之原台地)の累年気象表、 研究資料第71号、pp.178.

四国農業試験場栽培部作況研究室、1973:試験成績書(気象資料の部)、 (仙遊地区の資料).

農林水産省四国農業試験場、1988:四国農業試験場研究資料、第1号、pp.129. (生野地区の資料)

農林水産省四国農業試験場、1992:四国農業試験場研究資料、第9号、pp.596. (仙遊地区の資料)

各地の気象台・測候所:気象年報、気象月報.

気象庁、1953~1964:全国気象旬報別冊.

気象庁、1965:気象庁観測技術資料第29号、全国気象年報.

気象庁、1966~:観測所気象年報.

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