90. 南大東島地方気象台

著者:近藤 純正

日本におけるバックグラウンド温暖化量、つまり都市化の影響と日だまり効果 を含まない自然の気候変動による長期的な気温変化を知るために、気象観測所 の周辺環境を調査し、昨年(2007年)までにその結果をまとめた。今回2009年 2月26日、残してあった沖縄本島のはるか東方、九州の南方にある南大東島を 訪問した。南大東島は西太平洋の孤島であり、観測上の重要な位置にあり 高層気象観測も行っている。気候変動の観測拠点としても重要である。 近傍には対照とする気象観測所がなく、データの品質チェックが難しいこと から、バックグラウンド温暖化量の評価からはずしてあった。今回現地 を観察することができたので、±0.1℃程度の誤差を含む可能性はあるが、 諸々の誤差を補正することによって、南大東島におけるバックグラウンド 温暖化量を求めることができた。 (完成:2009年3月8日)

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  	  もくじ
		1.はしがき
		2.旧観測所の周辺環境
		3.現在の観測所の周辺環境
		4.バックグラウンド温暖化量
		まとめ

1.はしがき
2004年からの5年間にわたり、各地の気象観測所の周辺環境の視察を行い、 気象観測データに及ぼすさまざまな誤差を補正することにより、日本のバック グラウンド温暖化量(都市化などの影響を含まない田舎の地球温暖化量)を もとめることができた。それに基づき、全国91都市について都市化による 都市昇温量の経年変化も同時に知ることができた。

参考: それらの結果は、本ホームページの「身近な気象」の 「M42.正しく知ろう地球温暖化 (講演)」 「M41.日本のバックグラウンド温暖化量と都市昇温量」や、 「研究の指針」の 「K40.基準34地点による日本の温暖化量」と、 「K41.都市の温暖化量、全国91都市」、および 「K42.都市気温と環境の短期的な変化」に示してある。

今回、2009年2月26~27日に南大東島を視察した。
南大東島は絶壁の海岸に囲まれている。島の周辺部は標高が高く、中央部は 周囲より低く、盆地状の地形である。そのため気象台のある集落からは 海は見えない。島のやや北寄りの中央部には小さな湖沼が多いが海水と つながったものも多いらしく、少雨期には水不足になるという。人口は1500 人弱であり、サトウキビ生産が主な産業である。島の北部からは北大東島が 見え、その人口は500人余と聞く。

北港
図90.1 建設中の南大東魚港、遠くに見えるのが北大東島(2009年2月27日撮影)。

南大東島地方気象台の官署標石は旧観測所では14.4m、新観測所では15.3mと なっている。島の北東部にある空港の滑走路脇に最近設置されたアメダス 「旧東」(標高=48m)がある。北大東島にも最近アメダス「北大東」 (標高=22m)が設置されたので、今後は南大東島地方気象台の気象データ の品質チェックは容易となる。

南大東島の観測所は1942年2月に創立したが、太平洋戦争中の1945年4月12日の 空襲により一時的な移転などの事情により、データが揃うようになったのは 1947年からである。

1995年の庁舎建て替えに際して、旧地点(南大東村字南143番地)から現在地 (南大東村字在所306番地:古くから高層気象観測を行っていた場所)に 新築するほうが効率的であることから、旧位置から西南西へ450mの場所へ 新築・移転したという。

後述の4節でも示すように、1950年代に風速の観測値に異常が見られ、 風速計を測風塔から北側鉄塔に4年間変更している。その後の風速観測値が ほぼ安定した1960年代以降、1995年の新庁舎への移転直前までの30年余の 期間、年平均風速は4.25m/sから3.75m/sまで12%の減少がある。これは、 気温を観測する露場に対しても、周辺環境の変化を表すことを意味する。

今回の訪問で確認したいことは次の通りである。
(1)1945年の空襲、そして観測資料が揃うようになった1947年から1960年 頃までの期間、露場の風通りを変化させる状況はなかったか?
・・・・・・(現地で確認できたこと:空襲では観測所を含み周辺一帯の 住宅はすべて焼失したが、終戦後すぐに住宅などは復興した。風速に異常を 生んだ原因は知ることができなかった。)

(2)1965年~1995年の期間、観測所の周辺環境に変化はなかった か、つまり道路の舗装、建物の増加・大型化、樹木の成長などなかったか?
・・・・・・(現地で確認できたこと:旧観測所の西側の道路から西は畑で あり<ただし2009年現在は住宅もある>、露場の周りの生垣は手入れされて 一定の状況にあった。 南東側と、敷地の東~北~西方向には樹木があるが、ほとんど変化はなかった という。 しかし、年平均風速を12%減少させたのは、目立たなくとも30年間には樹木 の成長・繁茂はあったものと推測してよいだろう。)

日本各地の風速減少率と日だまり効果による気温上昇量についての統計的な 関係、すなわち 「K39.気温の日だまり効果の補正(2)」 の図39.1(左)によれば、風速減少の12%は0.1~0.2℃の気温上昇が 生じている。本章の後述4節で示すように、この期間の年平均気温は3地点 (室戸岬、屋久島、石垣島)のバックグラウンド温暖化量と比べて 0.15℃ 上昇しており、統計的な結果と矛盾しない。ただし、この日だまり効果による 気温上昇量0.15℃は変動が大きい資料から見たもので、誤差は含むものと 考えるが、ほかにチェックの方法がないので、これを採用して補正する ことにした。

(3)1995年に旧露場から新露場に移転した際に、新露場は旧露場に比べて 風通しがよくなったか? 南大東島は遠く離れた孤島であるため 近傍に適当な観測所がなく、遠方の沖永良部、久米島、宮古島の気温と比較 してみると、1995年の移転に伴って年平均気温が0.07℃ ほど低下している(後述4節の(4)を参照)。 ただし、比較地点が遠方のためにデータのばらつきが大きいので精度は 悪い。
・・・・・・・(現地で確認できたこと:新露場の西側は開けた畑であり、 東側の庁舎との間には広い駐車場がある。旧露場の周りには生垣があったが、 新露場は網のフエンスであることから、風通りは若干よくなったと判断 される。したがって、1995年の露場移転にともなって年平均気温は0.07℃ 低下したとして補正する。)

+0.15℃(1965~1995年)と-0.07℃(1996年以後)は正確ではないが、 これを補正することで、今後の気候変動監視の拠点として南大東島を加えたい。 ここは西太平洋の孤島であり、日本最西端の与那国島と並ぶ重要な気候変動 監視地点となる。

なお補正は、最新のデータ(1996年以後)がそのままの数値で利用できる ように、これを基準に過去データを補正して用いる。

今回の訪問では気象台の台長・新里博美さん、技術課長・新屋勉さん、 高層課長・濱里和男さん、総務課長・松本圭一郎さん、防災気象官・神谷さん、 ほかの皆さんにはたいへんお世話になった。 空港への出迎え、新・旧観測所の案内、観測所の遠景の観察の目的など含め 島内各所の案内、村との共催で行われた講演会「正しく知ろう地球温暖化」の 事前準備、公報、当日の司会・挨拶などでご支援・協力を受けた。 講演では、温暖化の原理と実態を示すとともに、気候監視は住民の理解と 協力によって続けていかねばならないことを訴えた。

2. 旧観測所の周辺環境(終戦時~1995年)
前もって気象台にお願いしてあったところ、磯崎吉正さん(南大東村社会福祉 協議会事務局長)に旧観測所跡へきていただいた。磯崎さんは旧観測所 のすぐ隣に1943(昭和18)年からお住みである。

聞き取りの結果、次のことがわかった。 1945年の空襲では付近一帯の住宅などは焼夷弾により全焼したが、樹木は 残った。戦後(1945年以後)すぐ新築復興したが、当時の住宅はトタン 屋根であった。南大東島は絶壁の海岸に取り囲まれ、砂が入手できなかった。 最近はコンクリート建てもできるようになったが、砂は島外から輸入 しなければならない。

旧露場のまわりには生垣が植えられて、毎年手入れされてほぼ一定の状況に あった。それ以外の樹木の状態もほとんど変化は見られないという。

旧露場北と南東
図90.2 南大東島地方気象台の旧露場の北側から見た北方向(左)と 南東方向の写真(右)、煙を出しているのは砂糖工場の煙突 (2009年2月26日撮影)。

北東
図90.3 旧露場北側から撮影した北東方向の写真、左方の煙を出しているのは 砂糖工場の煙突。旧観測所の西側には、畑が広がっていたが、気象台の移転後 の現在は住宅が建てられている。

3.現在の観測所の周辺環境
3階建ての現庁舎の屋上から周囲の状況を観察した。この島へ到着前の飛行機 から見ると、気象台のある集落は別にして、農家は1戸ずつが点在し、各農家 の広い農地の境界と思われる所には防風林があった。地上からは、防風林が 重なる関係なのか、広い林地が続いているように見える。

屋上からの北と東
図90.4 南大東島地方気象台屋上から見た北方向(左)と 南東方向の写真(右)(2009年2月26日撮影)。

屋上からの南と西
図90.5 南大東島地方気象台屋上から見た南方向(左)と 西方向の写真(右)。

屋上からの露場
図90.6 屋上から見下ろした露場(3枚の合成写真のため歪んでいる)。 眼下には駐車場があり、その隣の芝生地の向こうに露場がある。

露場の北と東
図90.7 露場の北方向(左)と東方向(右)の写真。

露場の南と西
図90.8 露場の南方向(左)と西方向(右)。

集落の遠景
図90.9 島の南部にある展望台からみた集落(右手寄り)と、南大東島地方 気象台(遠方のほぼ中央にある)。集落以外の農家は1戸ずつが点在し、防風林に 囲まれているものが多い(2009年2月26日撮影)。

4.バックグラウンド温暖化量
現地の南大東島にきて確認すべきことが確かめられたので、気温データに種々 の補正をほどこしてバックグラウンド温暖化量(都市化や日だまり効果を 含まない気温変化)を求める。

ただし、すでに求めてある全国34地点と比べて、補正が正確にできない ので±0.1℃程度の誤差を含むものと考えなければならない。その理由は、
・南大東島は他地域から離れており、比較に用いる観測所が遠方にあること
・次の図90.10で示す風速の異常な変化を起こした1950年代の周辺環境の詳細が不明であること、
による。

補正は次の順序で行った。ただし、最新の観測データの数値がそのまま使える ように、最新データを基準に過去データを補正する。

(1)1日3回観測の補正(+0.06℃:1947~1952年)
(2)百葉箱から通風筒への変更にともなう補正(-0.1℃:1947~1972年)
(3)1946年以前の気温は(石垣島・名瀬の平均値+0.32℃)により接続し、 1893年~2008年までのデータとして揃える。
(4)1995年の新庁舎への移転に伴う補正(-0.07℃:1893~1995年)
(5)日だまり効果の補正(+0.15℃:1964年以前、0.0℃:1996年以降、1965~1995年は直線的に補正)

補正の詳細説明は次の通りである。
(1)1日に3回観測は24回観測に比べて低い気温として算定される。 「K20. 1日数回観測の平均と平均気温」の図20.1(上段右図)を参照 した。

(2)南大東島では1973年6月1日に百葉箱から通風筒による観測に変更された。 百葉箱内は年平均気温が平均的に0.1℃高く観測されているので、1972年までの 気温について-0.1℃を補正する。
この補正値(-0.1℃)は、 「K23. 観測法変更による気温の不連続」の表23.5に示されている。

(3)南大東島では1945年の空襲があり、年平均気温が揃うようになたのは 1947年からである。1947~1965年の期間について、名瀬・石垣島の平均気温 と比較したところ、

名瀬・石垣島平均気温+0.23℃=南大東島の気温

であるので、この数値を用いて接続した。

(4)南大東島と3地点(沖永良部、久米島、宮古島)の気温差 (南大東島-3地点)は、
1980~1994年・・・・0.31℃
1996~2008年・・・・0.24℃
差・・・・・・・・・0.07℃

したがって、南大東島は1995年の移転により0.07℃ の気温下降があったと見なす。 ただし、南大東島とこれら3地点はかなり離れており、年々のばらつきも大きい ので、精度は高くない。しかし、現地調査の結果、旧露場は生垣で囲まれて いたことと近くには他の樹木も生えていたのに対し、新露場はフェンスで囲 まれ、庁舎との間には広い駐車場があることから風通りはよくなり日だまり 効果による昇温量は小さくなったものと判断し、0.07℃ 下がったとみなす。 すなわち、最新データの気温の数値を基準とし、

補正気温=(~1995年までの気温-0.07℃)とした。

(5)1965年から1995年までの日だまり効果
この補正はもっとも難しい問題である。次に掲げる図90.10を参照すると、 年平均風速のデータに異常が見られるが、前述したように、1947~1960年の 期間について周辺環境の状況が不明である。また、1970~1975年の頃の 風速計種類の変更時期と重なって風速が異常に弱くなっている。これは、 樹木の成長と伐採によるものかもしれない。さらに、1960~1994年にかけて の35年間の長期傾向として年平均風速が12%減少している。この12%の減少は 目立たなくとも周辺一帯の樹木の成長や、住宅の建て替えなどによるもので はなかろうか。

風速南大東
図90.10 南大東島における年平均風速の経年変化。発電式風速計は微風で 回転し難いことを考慮し、赤曲線で実際の長期的な風速変化の傾向を 推定して描いてある(1960年頃の風速4.25m/sから1995年頃の風速3.75m/s までに12%の減少)。 1950年代の風速が異常な変化をしている状況については不明であるが、 「気象官署履歴の表示」の1958年1月1日の記事によれば、”地形的影響を 少なくするために庁舎北側鉄塔(海抜44.4m測器の高さ)上に変更”とある。 当時の官署標石の海抜=14.7mであるので、鉄塔の高さ=44.4-14.7=29.7m ということになる。1958年以前の風速計高度=12.7mであったので、 1958~1961年の風速が大きいのは風速計高度が高かったことによる。 1995年8月1日に新庁舎に移転してからの風速計高度=22mである。

「K39.気温の日だまり効果の補正(2)」 の図39.1(左)によれば、風速減少の12%は0.1~0.2℃の気温上昇が 生じている。

そこで、この期間の年平均気温は遠方ではあるが3地点(室戸岬、屋久島、 石垣島)のバックグラウンド温暖化量と比べてみたい。

図90.11は南大東島と3地点の平均気温の差の経年変化である。風速の減少 する期間の前後について気温差を比較すると、
1947~1964年・・・・・・2.93℃
1996~2008年・・・・・・3.08℃
よって、日だまり効果の増加=0.15℃

前述の図39.1で示した他の19地点で得た統計的な値0.1~0.2℃と矛盾しない。

南大東の日だまり効果判定図
図90.11 南大東島と3地点(バックグラウンド温暖化量:室戸岬、屋久島、 石垣島)の年平均気温の差の経年変化。青印:毎年の値、赤印:5年移動平均

よって、1965~1995年の期間に日だまり効果による昇温が0.15℃年だけ 増加したとみなして補正する。最新のデータを基準とし、1964年以前 の気温は+0.15℃、・・・(直線的に減少すると仮定)・・・1996年以降の 補正量=0、によって補正する。

南大東島の長期気温
図90.12 南大東島におけるバックグラウンド温暖化量(日だまり効果など 補正した気温)、ただし1946年以前は石垣島・名瀬のバックグラウンド温暖化 量を用いて接続してある。青印:毎年の値、赤印:5年移動平均、黒直線: 最小自乗法による直線近似

図90.12は南大東島における気温の経年変化である。黒の実線は直線近似を 表し、気温の上昇率は、

0.83℃/100y・・・・・1893年~2008年(116年間)である。

この気温上昇率は「K40.基準34地点による 日本の温暖化量」で示した34地点の平均値0.67℃/100y(1881~2007年: 127年間)に比べて0.16℃/100y大きいが、その理由の一つは南大東島の気温 変化の評価において、±0.1℃程度の誤差を含む可能性があること、さらに、 戦後のサトウキビ畑の耕地面積が拡大したことが原因なのかもしれない。 つまり、開拓当初は椰子林が生い茂る島であったらしいが、短期間に椰子林 面積が減少しサトウキビ畑が増加した”地表面の改変”による気温への影響 が現れているのだろうか。

南大東島は明治時代に発見され、1890年頃から開拓が開始され、1902年には 数名で黒砂糖の製造、1946年に村制施行、・・・・となっている。 村のホームページに掲載された年代ごとの人口は次の通りである。

1900年・・・・ 23名
1905年・・・・ 422名
1921年・・・・4047名
1943年・・・・3023名
1946年・・・・1464名(戦災によるものか)
1955年・・・・3083名
1983年・・・・1626名
2000年・・・・1412名

南大東島の気温上昇率0.83℃/100yの値はバックグラウンド温暖化量に” 地表面の改変”による気温上昇を含むと見なされるかどうか、検討してみたい。

南大東島の気象資料が揃うようになった1947年以後 の気温上昇率を他の7地点と比較してみよう。

100年間あたりのバックグラウンド気温上昇率(1947~2008年:62年間):
石廊崎・・・・・0.69℃/100y
潮岬・・・・・・・0.70
平戸・・・・・・・0.81
御前崎・・・・・0.95
室戸岬・・・・・0.95
屋久島・・・・・0.91
石垣島・・・・・1.04

南大東島・・・1.00

この比較からは、南大東島の気温上昇率が特別に大きいとは認められない。

村のホームページには、サトウキビの畑地面積が1927年から掲載されており、 1218ha(1927年)、1165ha(1937年)、戦時中と直後は不明、1443ha(1967年)、 1190ha(1987年)、1332ha(2002年)であり、大きな変化はない。

以上の検討の結果、観測年代において、サトウキビ畑の面積の急激な増加は なく、島全体としての環境の変化は少なかったと判断される。

まとめ
(1)西太平洋の代表地点と見なされる南大東島を視察した。旧観測露場では0.15℃ 程度の日だまり効果による年平均気温の上昇が見られる。旧露場から新露場 への移転にともなって0.07℃程度の気温下降があった。これらの補正と、 観測法の変更による補正をほどこすことによって、南大東島における バックグラウンド温暖化量を求めることができた。 1946年以前は名瀬と石垣島の平均気温を用いて接続した。

(2)直線近似したときの100年当たりの気温上昇率は、
0.83℃/100y・・・・・1893年~2008年(116年間)である。

この上昇率は、さきに求めた34地点平均値(0.67℃/100y)に比べて少し 大きいが、南大東島は孤島であり、データ品質のチェックが不十分なこと により±0.1℃程度の誤差を含む可能性がある。

(3)1947年以降の気温上昇率について、西日本の沿岸部にある7地点と比較 したところ、南大東島が特別な大きさの気温上昇率をもつとは認められない。

(4)南大東島の1995年以降の新露場は良好な周辺環境にあり、今後の気候 変動を監視する上で重要な拠点となる。

今後の管理について、露場の風通りを悪化させてはならず、そのため 露場の周りと50m以内には樹木を植えたり建物など造らないよう、現状を 維持していかねばならない。

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