鶴岡八幡宮(寺)は前9年の役で活躍した源頼義が前九年の役後の上京の途中、京都の石清水八幡宮護国寺を鎌倉の由比郷鶴岡に鶴岡若宮として勧請(かんじょう)したのが始まりである。若宮は今でも由比若宮(元八幡)として元の位置に残っている。後、源頼朝が本宮 を背後の山裾に勧請した。以後、ここから海に向かってまっすぐ若宮大路が 伸びて今でも鎌倉の中心となっている。
鶴岡八幡宮 2000年
京都の石清水八 幡宮護国寺は平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社である。創建以来、境内の護国寺と一体になる宮寺形式をとり、これ がすべての八幡社の形式として鎌倉まで踏襲された。往時は多くの堂宇が所在し、山麓も壮大である。その後、明治維新の神仏分離において仏式は排除された。 祭神は第15代応神天皇、神功皇后、応神天皇姉。源頼朝によって建立された鶴岡八幡宮は、正しくは「鶴岡八幡宮寺」という。その社役を務める
僧侶である供僧は八幡宮の北西に設
けた二十五の住坊に住んだ。これらを鶴岡二十五坊という。現在は説明の碑があるのみである。彼らは八幡宮寺の実権を握り、神主より上位にあった。その長は
社務職別当であった。別当は頼朝が任命した。特定の宗派ではなかったが、幕末にはすべて真言宗系統であったという。
江戸時代に入ると徳川幕府の庇護を受け大規模化が進み、いまも残る弁天堂は右手池にあり、中央手前に仁王門、左手に護摩堂(現在は祖霊社)、右手に大塔と鐘楼、左
手奥に輪蔵、仁王門の後ろに神楽殿(現在の舞殿の位置にあった)、右手奥に今も残る若宮社、その右に徳川家光の治世に建てられた薬師堂、そして階段を上っ
て中央に楼門と本社、左手に愛染堂、右手に六角堂などが建てられた。白幡社は現在は崖下右にあるが、当時は崖上左奥にあった。下の幕末期の絵はイラストレー
テッド・ロンドン・ニュースのチャールズ・ワーグマンが描いた幕末の鶴岡八幡宮寺で中央に仁王門、そのはるか奥に楼門、右手に大塔が見える。大塔の写真はF.ベアトの幕末日本写真集にある。
幕末期の鶴岡八幡宮寺 チャールズ・ワーグマン画
徳川幕府崩壊後、1868年3月13日に「神主を兼帯していた僧侶に対して還俗する旨の通達」が明治政府から出され、ま
た 1870年に大教宣布がなされると、鶴岡八幡宮においても所謂廃仏毀釈の動きが始まった。同年中に大塔などの仏堂は
破壊され、仏像、仏具、什宝、経典なども破壊・焼却処分されるか散佚した。仁王門の仁王像は寿福寺に移設された。
若宮大路から境内に入ってまずあるのが赤橋である。真ん中が太鼓橋、両側に平橋がセットになっている。右側にある大きな 池が源氏池、左の少し小さな池が平家池である。政子が平安を祈って作ったといわれている。源氏が白旗、平家は赤旗である。これがNHKの紅白歌合戦にまで 伝わっているのだ。
「宝治の乱」 のとき、三浦泰村を討つべく安達景盛の300騎が今小路にあったと思われる甘縄から繰り出し、若宮大路の中下馬から、鶴岡八幡宮の赤橋(太鼓橋)を抜け、 鶴岡八幡宮東の筋替橋(すじかえばし)の北に布陣し、筋違橋の北方にあった泰村へかぶら矢を放ったというの はこの橋である。
![]() 赤橋 |
![]() 旗上弁才天 |
![]() 舞殿 |
源氏池内の中島に祀られている旗上弁才天は鎌倉七福神の一つ。後鳥羽上皇が鎌倉幕府の守護・地頭の台頭をきらって起 した1221年の承久の乱(じょうきゅうのらん)のとき、政子と大江の主戦論に従い幕府軍がここで旗揚げし た。幕府軍が総勢17万騎が東海道、北陸道、東山道経由で攻め、勝利して幕府の基礎が決る。このとき東海道軍を指揮したのが北条時房と泰時、北陸道軍を指揮したのが 北条朝時、東山道軍を指揮したのが甲斐源氏である。
舞殿は静御前が義経をしたって舞った場所とされ
るが、実は当時は舞殿はなかった。「由比若宮」の回廊で
踊ったと推定されている。いまでは回廊も失われてわびしい祠があるだけ。
よし野山 みねのしら雪 ふみわけて
いりにし人の あとぞ恋しき
しづやしづ しづのおだまき くり返し・・・
八幡宮の大イチョウは比企家の血を受け継ぐ頼家の子公暁が北条家の血を引く叔父の実朝を暗殺した悲劇の舞台だ。6,000年前の 縄文海進の時代には八幡宮の大イチョウの下が渚となっていた。この大銀杏が夜の嵐で2010/3/10の朝方4時20分ごろ 強い北風で転倒し、800年の長寿をまっとうした。2010/3/31には切断した幹の根元部分が西側に植え替えられていた。 残った根には土盛りして土をかぶせてあった。数日を置かずして残った根からは芽がでたので再生するだろう。誰も指摘しないが本殿を覆い隠していた 銀杏の木がなくなったためか八幡宮は大きく立派に見える。
倒れた大イチョウ 2010/3/10撮影 |
植え替えられた根元部分 2010/3/31撮影 |
黒文字は世界遺産登録をめざしている国指定史跡
境内の野生動物
源氏池の魚を餌にカワセミとアオサギのつがいが木の上で巣作りしている。アオサギは毎年パートナーが替わるという。アオバズクは八幡宮の外灯に集まる虫を 餌に、夜飛び回る。
池には亀と青代将が生息している。
2000年3月18日
Rev. January 27, 2019