滝尻王子から本宮に抜ける中辺路
熊野古道は2010年に那
智から本宮に抜ける中辺路(なかへち)を歩いている。今回は最もポピュラーな滝尻王子から本宮に抜ける中辺路を愚
直に歩こうという企画である。旅行業者のアレンジしたお仕着せの雰囲気だけ味わうというものではない。
さて幹事の和田が組んだスケジュールは栗栖川バス停13:06⇒牛馬童子口バス停17:26というもので、初日の午後に尾根道を10kmを4時間20分で
歩くことになる。日が暮れても歩けば歩けないことはないだろうと鎌倉トレイルで10km
を歩いてみた。何も担がねばOKだが、3日分の着かえをかついでかつ間食も担ぐと、うまくいって日暮れまでに歩けるかどうかということが分かった。そうこ
うしているうちに2日間で18km歩いたグリーンウッド氏がダウンして、結局4月中旬の計画は流れ、10月に再チャレンジすることになった。ついでに第一
日は滝尻王子から歩きだし、高原熊野神社近くの「霧の宿たかはら」に1泊してゆっくり歩ける計画に変更した。
今
回参加予定の田中が『一遍聖絵』を見ると「足駄にて」熊野参詣とある。ナルホド、古道は修験道、山伏の道、念仏宗徒も「足駄」こそレギュラー・スタイル、
納
得が行く。能、歌舞伎の「勧進帳」の演出的誤りは義経主従が草鞋履であること。「六法」も高足駄でヤルと花道から転倒の危険はあるが、山伏スタイルの仮装
の意味はここでこそ明白となり、酔っ払いタップダンス風の「六法」も面白くなるハズ。しかし、コレをヤリ切れる役者もいないし、歌舞伎民俗学の眼も無い
から誰も疑問に思わないという。
たしかに昔は道路など舗装していなく,、鞋履などすぐ摩耗してしまうし、竹の切株で足を踏み抜くおそれもあったから高下駄は合理的な履物だったわけ。なに
も修験者が格好つけたわけでもないことがわかる。大峰奥駈道で出会った今時の修験者も地下足袋のような履物だった。
9月にサイクリングや金峰山登山で足
慣らしを行った。
出発3日前に台風26号は接近中と判明したが、時すでに遅し、予約した宿は違約金を支払い、割引切符は買い替えたとしても、前後の計画を動かすことができ
ず、ままよと出発することにした。不幸にも嵐に遭遇したら天の与えし試練とホテルで酒でもくらって我慢すればよいこと。正直言えば、ジェットストリームが
蛇行して日本列島上は北から南にながれている天気図をチラッとみたためだ。これで台風は東にそれるだろうか
ら紀伊半島は北風がふくだけで問題ないと感じたためだ。この直観はあたって、被害はむしろ45名の命を奪った大島の土砂崩れや鎌倉の崩壊があっ
た。熊野路では雨こそ降ったが、暴風というものはなかった。
参加者は和田、青木、泰、榎本、田中
第1日目 2013/10/15(火)
事前にたてた計画にしたがって動く。4:45起床。江ノ電始発電車で鎌倉高校前5:30⇒藤沢5:46。
藤沢駅でお結び2個を購入。
東海道ホームで列車を待つ間に、朝食を済ます。藤沢6:08⇒小田原6:42。新幹線ひかり501号2号車で東京組と合流。小田原7:04⇒新大阪9:
30。新大阪で昼飯を仕入れる。
くろしお7号 白浜行きに『自由席特急券』で乗車。新大阪10:02⇒紀伊田辺12:14。車中昼食をとり、雨中行進のためステテコの上に直接カッパのズ
ボンを履く。バス(龍神自動車)にて紀伊田辺駅12:25着⇒滝尻バス停13:02着。
滝尻バス停の少し前で昨年生じた門谷のがけ崩れの修復のために仮設橋を2本使って対岸に迂回する大工事を行っていた。滝尻バス停前の橋を渡って熊野古道館
に入る。雨のため、田中はザックカバーを購入。
熊野古道館にて完全装備で 秦撮影
本日の午后の歩きは滝尻王子から「霧の宿たかはら」までである。総距離3.68km、累積登り411m、累積下り185m。
熊野古道館正面にある滝尻(たきしり)王子跡から古道に入る。入口に世界遺産(World
Heritage)紀伊山地の霊場と参詣道(Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii
Montain Range)と大書した石碑がある。
滝尻王子にて 秦撮影
ジグザグの坂を登るとやがて大きな石の下をくぐる胎内くぐりに達する。中に入ってみたが、リュックを外して腹ばいにならないと出られそうもない。雨も降っ
ていて、泥だらけになりそうなので後ろ向きにでてきた。胎内くぐりをパスして脇を登ると乳岩がある。ここで古道は曲がり、真っ直ぐ行くと古道ではないとい
う看板がある。先を行く外国人カップルは気が付かず真っ直ぐ歩いていってしまった。声をかけても気が付かない。更に登ると不寝(ねず)王
子に達する。王子にはスタンプ台は設置されている。
不寝王子にて 秦撮影
やがて500m毎に設置した番号道標(マイルストーン)1番に達する。急な坂道を上り詰めるとマイルストーン2番に達する。広い山頂で90度折れ曲がる。
坂を下り剣ノ山経塚跡を過ぎるとマイルストーン3番だ。ここから道は2手にわかれる。展望台は雨天のため敬遠して下を巻く。マイルストーン4番を過ぎて石
畳の滑りやすい道を用心してくだるとアスファルト道に出る。アスファルト道でも高原熊野神社にゆけるが、我々は古道を歩くために来ている。古道に入り、坂
道を登り、マイルストーン5番を過ぎると針地蔵尊がある。
針地蔵 秦撮影
マイルストーン6番を過ぎると民家が見えてくる。岩見木工所前で「霧の宿たかはら」に迎えの車を依頼し、疲労した人間を運んでもらう。高原熊野神社(た
かはらくまの)は小さな社だが、大きな神木がある。
高原熊野神社
高原霧の里休憩所を過ぎると「霧の宿たかはら」に到着。(Hotel serial
No.527)ここからの見晴しは絶景。早速冷えた体を風呂であたため、濡れた衣類はボイラー室で乾燥させてもらう。乳
岩ではぐれた外国人夫妻も無事ついていた。台風26号は夜中に時々突風が吹く程度で紀伊半島は無事。関東が大荒れのようだ。事前の読みは的中。夜半心配に
なって自宅の電話をいれるが台風が東にそれて、大したことはないとのこと。風車だけ止めるよう指示。
「霧の宿たかはら」からの眺望
計画では滝尻バス停→高原熊野神社総走破距離3.8km
標準歩行時間110minだったが、滝尻バス停13:55⇒「霧の宿たかはら」16:34着で実歩行時間159min。
実歩行時間/標準歩行時間=1.44
第2日目 2013/10/16
本日の予定は「霧の宿たかはら」から近露(ちかつゆ)王子までである。総距離10.9km、累積登り947m、累積下り
978m。
6:00起床、7:00朝食。昨日の霧は晴れ、宿からの見晴しはすばらしい。
宿からの見晴し
まだ多少小雨がぱらついていたのでザックカバーをつけ、カッパだけ羽織って、8:45出発。
「霧の宿たかはら」にて
比較的平坦な道をゆく。深い杉林のなかで昼なお暗い。
暗い杉林のなかを行く 秦撮影
沢がにが這い回って踏み潰しそうになる。
沢がに 秦撮影
高原池を過ぎて少し登るとマイルストーン11番で大門王子に着く。ミカンで小休止。
大門王子 秦撮影
昨日宿で一緒だった米国人夫妻が追い付いてきたので記念撮影。
皆で記念撮影 秦撮影
坂を下り、マイルストーン14番で十丈(重點)王子跡に着く。ここで昼食。
十丈(重點)王子跡にて
急傾斜をトラバースする道は次第に細くなり、滑落の恐怖が襲う。その途中に小判地蔵の標識がある。飢えと疲労のため、小判をくわえたまま、ここで倒れた豊
後の巡礼を弔っていると看板にある。
狭い道 秦撮影
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小判地蔵 秦撮影
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マイルストーン15番を過ぎると悪四郎屋敷跡がある。悪とは勇猛で強いという意味だという。
一里塚とマイルストーン17番を過ぎてつづら折れの急坂を登ると上多和(うわたわ)茶屋跡があ
る。標高600mで昔は茶屋があったらしい。また三体月伝説がある。林道を横断し、谷底に降りると大坂本王子跡があった。

大坂本王子跡
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これから牛馬童子口バス停までは津毛川に架けられた木橋を何度も渡ることになる。
木橋
牛馬童子口バス停で今夜の宿に電話し、迎えの車を頼むことは可能。異論もあったのだが、牛馬童子像を見るために近露(ち
かつゆ)王子まで頑張ろうということになった。
マイルストーン24番をすぎると牛馬童子像が奥まったところにある。この像は思っているより小さかった。922年に熊野行幸を行った花山法皇の旅姿を模し
て明治時代に作られたとされる。牛と馬にまたがっている。2008
にこの牛と馬の首が折れてなくなっているのが発見され、修復された。しかし約2年後の2010年近露市内バス停のベンチにて切断された頭部らしきものを発
見、本物と確認されたといういわくつきのもの。
この石像のある箸折峠の由来は、花山法皇が食事のため休憩をした時に、近くの萱を折って箸代わりにしたからといわれている。萱の茎を折ったとき、そこから
したたり落ちる赤い汁を見て「これは血か露か」と言ったことに由来すると伝えられる。
牛馬童子
坂を下ると展望台があり、眼前に近露の集落が見えた。ここで宿に電話をかける。
近露の集落
日置川にかかる北野橋を渡り、近露王子で宿の迎えの車を待つ。
近露王子にて 秦撮影
「民宿なかの」の主人は鮎釣りの名手で夕食は鮎の炉端焼きなど、鮎三昧であった。(Hotel serial
No.528)
鮎の炉端焼き 秦撮影
「霧の宿たかはら」8:45出発→大門王子1.8km, 50min→十丈王子1.5km,35min→上多和茶屋跡2km, 50min→大阪本王子1.9km,
45min→牛馬童子口バス停0.8km, 15min→近露1.3km
30min 14:46着 実歩行時間=360-30=330min 合計距離:9.3km 標準歩行時間:225min 実
歩行時間/標準歩行時間=1.5。
鎌倉トレ
イルでテストした実歩行時間/標準歩行時間=1.2。
第3日目 2013/10/17
6:00起床、7:00朝食。隣の宿泊客は地元の人で朝食に茶がゆをとっていた。紀州ではこれは普通であるという。
茶がゆ
今日歩く三越峠界隈は宿泊設備がないのでやむを得ず「野中の清水」や継桜王子は車でパスし、小広(こびろ)王子からスター
トし、発心門王子に向かう計画である。総距離9.22km、累積登り738m、累積下り960m。
朝食後、宿の軽自動車2台でマイルストーン39番近くの六角形のログハウスまで送ってもらう。ログハウスは古武道・古武術の研究家の日野晃氏が主宰する
「日野武道研究所(道場)」である。ここを8:08出発。ここから小広王子まではすぐだ。
日野武道研究所前にて宿の主人と 秦撮影
小広王子から下ると町道にでる。すぐこの町道から熊野古道にはいって熊瀬川谷に急坂を下り、木橋を渡る。坂を登ると少し広くなったところが熊瀬川王子跡
だ。ここから坂を登りきると草鞋峠だ。

草
鞋峠にて
女坂と言う急坂を下り、谷筋にそう林道にでると仲人茶
屋跡や岩上王子方面はがけ崩れのため、迂回路をとれという標識がでている。

迂
回路の標識 秦撮影
この迂回路は仲人茶屋から標高671mの岩上峠を越え
て蛇形地蔵まで4kmもある難所だ。本来の古道は3.5kmでかつ谷川沿いの楽な道である。
岩上峠越え
ようやく蛇形地蔵に到着し、湯川川を渡る。
湯川川を渡る 秦撮影
湯川王子で昼食。ここは今は廃村になっているが、戦国時代に御坊平野を中心に紀南に勢力を誇った「湯川氏」一族の発祥の地と言われており、王子社の近くに
は屋敷や田畑があったと思われる石垣や、「湯川一族の墓跡」などがある。昭和30年くらいまで、湯川には村人が暮らしていて、子ども達は、数人、近くの野
中小学校に通ったそうだ。近くと言っても、子どもの足で3時間くらい、かかったらしい。皇太子はここにも来ている。
湯川王子にて
湯川王子から坂を登りつめると三越(みこし)峠だ。ここで米国からの若い女性に会う。ホテルやまゆりに宿泊予定だという。
三越峠にて
坂を下ってゆくとカラマツの明るい植林地を通過する。ここで秦がメンバーのクローズアップ写真を撮影。
突然、大規模な土砂崩れ跡にでた。昨年の台風の豪雨で崩れたらしい。復旧作業をしていた。出かける前に三越峠を少し過ぎたところの古道沿いにはかなり前に
廃村に
なった道川集落があると聞いていた。廃村にしたのは賢明だったのだろう。発心門王子の北を流れる三越川沿いの奥番という集落では8世帯10人が畑仕事など
をしながら暮
らしていたが、2011年の台風12号による土砂崩れのため廃村に追い込まれたという。
大規模な土砂崩れ跡
音無川にそって下るとやがて三叉路に達する。これを南下すれば赤木越えという湯の峰温泉方面に通じている。こ
こで小休止。
音無川沿いに船玉神社がある。しかし周辺に住民は居ない。
船玉神社
更に進んで林道から一段下がったところに猪鼻王子(いのはな)跡がある。ここにポ
ケットに入りそうな小さな石像がある。

猪
鼻王子
沢に沿って登ればそこに発心門王子に15:19到着。

発心門王子にて 秦撮影
小広王子8:08⇒発心門(ほっしんもん)王子15:19着 実歩行時間
431-30min 標準歩行時間=219min 歩行総距離10.9km 実歩行時間/標準歩行時間=401/219=1.61
発心門王子からは「わたらせ温泉やまゆり」の送迎バスを使う。(Hotel serial No.529)
ホテルやまゆりは西国巡礼をした同期生の推薦だが、西日本最大の露天風呂を誇るというだけある。個室の露天風呂もある。此処は関西だと認識しなおしたこと
は露天風呂で唐獅子牡丹に遭遇したことだ。
第4日目 2013/10/18
安井理夫書「小栗判官物語」によれば大日山を越える大日越は、かつては修験者、僧、神官、などの限られた人が祭礼などの特別の時に通る特別な道で
あったようである。この道は毎年4月13日に熊野本宮大社の例祭の一部である『湯登り神事』(県無形民族文化財)の時『湯ご離』をとり、『温泉粥』を食
べ、『湯峯王子』で神事を済ませたのちこの道を本宮まで越すことが今に伝わっている。我々もこれにあやかることにした。
最終日とザックの整理をしたところ、GPSがない。初日の宿に電話したところ預かっているというので着払いで送ってもらうことにした。(後日到着)
朝食7:30 ホテル送迎バスで湯峯王子に向け出発8:30。グリーンウッド氏のカメラのメモリー満杯のため、秦さんのカメラを借りる。湯峯温泉8:43
着。つぼ湯見学。

つぼ湯にて
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つぼ湯
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鼻欠け地蔵9:31通過。月見ヶ丘神社にて小休止9:53。
月見ヶ丘神社にて
大斎原(おおゆのはら)散策10:56。
大斎原にて
大日越 湯の峰温泉→湯峰王子→鼻欠地蔵→月見ヶ丘神社→大日越登り口→大斎原2.6kmに2.1時間かかった。本宮参拝11:15。
熊野本宮大社参拝
昼食後、博物館を見学後、熊野本宮大社前バス停13:21→日足(ひたり)バス停13:46に向かう。
その昔、熊野三山熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社を巡拝する人々は熊野本宮大社に詣で
た後、川舟で新宮、那智をめざした。われわれもそれに倣う
わけだが、今時はエンジン付きの川舟のため、大台ケ原を源流とする北山川が合流して安全な水深が期待できる日足まではバスで下る。
日足バス停
からは船会社のバスで出発点に向かう。料金3,900円を支払い、雨具と菅笠、そして救命胴衣を着用。記念撮影。昨日三越峠で会ったコロラドから来た若い
女
性も一緒である。
日足船着き場にて
それでも昨年の台風時に上流のダムが放流したため大洪水になって下の写真の手の高さまで水があふれ、切符売り場など全て流され、川底の地形まで変わってし
まったという。
日足船着き場付近の熊野川の洪水跡
乗船完了。いよいよ14:20スタート。
いよいよスタート
洪水で河底の地形がかわり、樹木の枝などが水中につきでているので熟達の船頭でなくては不可能という。無論エンジンを使うが、竿で深さを探っている。3ヶ
所ばかり急流があり、シブキが飛ぶ。
熊野川には柱状節理の断崖や中之島が多い。この断崖に沢山の滝がかかっている。最近の洪水で新しい滝が現れた。
熊野川が最後のS字カーブを描く千穂ヶ峯
(255m)の裏の断崖では船頭はエンジンを止め、櫓を操って操船し、案内人が横笛を演奏して古の川下りを演出してみせた。
御船島(みふねじま)も全島柱状節理の塊だ。熊野速玉大社の例大祭である御船祭の時には神幸船がこの島を三周する。われわ
れも1周した。中之島に生えていた樹木はすべて昨年の洪水で流されたという。
御船島
田中はコロラドからの若い女性を横にご満悦の様子。船では危険なので禁酒なのだが、ひそかに持ち込んだ熊野三山を堪能
したという。
ご満悦の田中
相野谷(おのだに)川河口には水門があるが、ここから逆流して2012年の洪水が発生したという。新宮脇の川岸が熊野川舟
下りの終点だ。15時40分着。所要時間 1時間20分。
バスで新宮前に移動する。ここにかって熊野川河口にあった新宮川原町と呼ばれる「消える町」が復元されている。幕末から明治にかけて江戸えの物流
の町として栄えたこの町には、イカダ流しや川舟の船頭が利用する宿屋、雑貨屋、魚菜屋、米屋、銭湯、鍛冶屋、床屋などがそろっていた。店はすべて「折り畳
み家屋」の仮設小屋で、台風などの大水がありそうなとき、文字通り「店をたたみ」部材を持って避難したのだ。
新宮参拝後、舟会社のバスで新宮駅に移動。
新宮参拝
田中は新宮にはサンマの馴れ寿司、三十年もの(米もサンマもドロドロに溶けて、原型をとどめない、ペースト状の腐れ寿司)で飲ませる珍品酒房を思
いだし一寸舐めたい気分になったが 『和田金』でのKobe
beef 同様、時間的にムリ、次回の楽しみとし、駅前のカフェで焼きそばを夕食とした。
ワイドビュー南紀8号 『自由席に乗車、特急券取得』:新宮17:28⇒名古屋20:48。コロラドの女性は勝浦泊。小口経由の大雲取越えは次回にすると
いう。
新幹線ひかり538:名古屋21:27⇒小田原22:51
感想
参加者の田中は「今回・熊野古道の初日、二日目のカップルと言い、三日、四日目の単身・米人女性と言い、単なる観光客とは違う真剣さを感じました。しか
も、全行程で一人の日本人行者にも出会わなかった不思議、紅葉前の台風襲来情報を考慮しても、一寸妙です。日本人は、私の様に、皆、歩けなくなったのか?
この種の山歩きに興味を失ったのか?何処かで、何かが音もなく崩れ去った様な不気味さを感じます。やはり太平洋戦争の敗北は、この国の根底を決定的に崩壊
させた様に思えてなりません。考え過ぎでしょうか?」という。
米国人は一人でも熊野にやってくるというのは群れないで自分を見つめて真摯に生きるという伝統にしたがっているのだろう。日本は平和で我々が熊野で雨の中
歩いている間に発生した大島の土砂崩れによる60名の死者・行くへ不明者を見るまでもなく、お上の指導がなければ自らの判断で逃げることもしないで虫けら
のように死んでゆく、魂を抜かれた民族だからなのだろう。このボケは「太平洋戦争の敗北」の結果というより、戦前からお上の指導に従うように飼い慣らされ
て太平洋戦争に引き出され無言で死んでいった人々のイメージに重なる。
「昔の熊野古道行幸は陰陽師が占い、出発日を決定、一度出された布告は、天皇と言えども、覆すことは出来ない神の御託宣であった様だ」と参加者の田中は指
摘する。従って、台風にも怯まず、強行した判断は古式ユカシイ伝統に則ったもので、メデタシ!メデタシ!
3回の豪華な食事と酒のために体重が増えるという現象が生じた。
記憶力は海馬の場所細胞(place
cell)が担っている。これを育てるには歩く、サイクリングなど有酸素運動が有効となる。今後も巡礼は欠かせない。次は大台ヶ原が候補に挙がって
いる。
April 4, 2013
Rev. November 22, 2017