2003年8月9日より1週間、グリーンウッド夫妻は避暑のため、中軽井沢(旧沓掛宿)の親戚の別荘に滞在した。いつもより早い時期に日本列島を縦 断中の台風も無視して、台風の前日、別荘に着く。薄日もさして明るい佐久平から軽井沢に入ると霧の中である。台風が近づいているというのに風がない。避暑 中の読破しようと持ってきた3冊のうちの1冊、ハーバード大名誉教授、デビッド・S・ランデス著「強国論」を読み始める。訳者は竹中平蔵だ。原題はThe Wealth and Poverty of Nations Why Some Are So Rich and Some So Poorでなぜ西洋が東洋を制覇したかという原因をさぐる本である。一言で要約すれば所有権の概念 が確立していたか否かであるという。
一泊した次の日、千ヶ滝温泉に出かける。(Hot Spring Serial No.190)浴 室のドアにプリンスのマークがあるのでプリンスホテルの経営か。雨の中の露天風呂も悪くない。千ヶ滝地区の別荘地は旧軽井沢に匹敵する広さである。星野リ ゾート経営の星野温泉を外から視察後、ホテルブレストンコートを訪問する。このホテル所有の「石の教会」は結婚式場として建設されたものである。フラン ク・ロイド・ライトの弟子、ケンドリック・ケッログ氏設計のこの建物は一見の価値あり。地下にある内村鑑三の資料館も展示内容がよい。(Theme Park Serial No.191)ホテルブレストンコートのレストランでブランチを摂る。(Restaurant Serial No.213)かって訪れた八ヶ岳山麓のマリオ・ベリーニ設計のホテルリゾナーレも星野リゾートの経営である。「石の教会」は現経営者の星野佳路(44才)の父、嘉助(70才)がはじめたもの。北海道のアルファリゾート・トマムの再建は佳路の決断とか。 コクドは千ヶ滝のかなりの土地の所有であるが、星野リゾート系の方が積極的に投資していてコクド系は打ち棄てられているという感じである。
中軽井沢の別荘にて
2003年8月10日、台風一過、晴天となった。チャンスとばかり、車で湯の丸高原に出かけた。追分で広域農道、浅間サンラインに入る。かって浅間山登山の 折り知った道である。浅間サンラインは土地の地形に沿い、丘を登ったり、下ったりするとても気持ちのよい道路だ。東部町新張から地蔵峠に登る。たまたま日 曜日なので地蔵峠から車坂峠に抜ける湯の丸高原を縦走する林道は一般車は乗り入れ禁止である。バスに乗り換えて池の平に向かった。
池の平を背に
池の平はかっての火山の火口であったところだそうであるが、数万年前の大噴火で火口が埋まり、溜まった水に植物が分解しないまま積って泥炭となっているそうである。アヤメ、ノハラアザミ、ワレモコウ、イヌナズナ、ヤナギランが沢山みられた。
![]() ノハラアザミ
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![]() ワレモコウ
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![]() イヌナズナ
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ヤナギラン
礼文島にもあったウスユキソウ(エーデルワイス)、ツリガネニンジン、マツムシソウ、クガイソウ、ヤマオダマキもたくさんみられた。
![]() ウスユキソウ
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![]() ツリガネニンジン
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![]() マツムシソウ
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![]() クガイソウ
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池の平
池の平の西側の火口壁に登れば、開放口の向こうに浅間山の外輪山の黒班山が見える。開放口とは池の平を囲む火口壁の東南の一角が崩壊して水の流れ出 す切れ目となっているところである。西南の火口壁の一つ、三方ヶ峰(標高2,040m)のコマクサは終わっていた。三方ヶ峰からは眼下に佐久平、その向こ うに八ヶ岳、中央アルプス、北アルプスが望めた。火口壁西側の雲上の丘(標高2,110m)から黒斑山を見れば浅間山の中央火口丘がちょっぴり顔を出すのが見える。
池の平を見下ろして
バスで地蔵峠にもどってから子供のころ鳥井峠経由で訪れた群馬県の鹿沢温泉も訪れてみたが、昔の面影はなかった。北側から見る浅間山は凄みがある。再度地蔵峠に取って返し、千曲川とその支流が作り上げた御牧ヶ原台地を見下ろすアトリエ・ド・フロマージュで小休止し、夕食用のチーズとソーセージを仕入れる。(Restaurant Serial No.214)
中軽を拠点として長野の実家に帰ったり、飯綱高原にある長野カントリークラブで開催された高校の同窓会「北ラス会」のゴルフコンペに参加したりして時を過ごす。腰痛で2年間、中断していたゴルフは雨にもかかわらず、なんとか18ホールをまわることができた。ついでに大波賞までいただく。(Golf Cource Serial No.41)
ヨーロッパは猛暑というのに、また梅雨がもどったように連日雨が降り、中軽井沢は寒い位だ。夏というのに暖炉に火を入れる始末である。
夏、暖炉で薪を燃す
約1週間の中軽井沢の避暑を終え、篭坂峠経由、帰宅。折からの連日の豪雨で千曲川、酒匂川などが増水し、自然の恐ろしさ を感じる。堤防に守られた低地に新築の住宅があるところが垣間見える。堤防は人工物である。寿命と限度があるということを人々は忘れてしまっているのでは ないかと危惧する。
昔からある古い民家はそのような危険地帯にはなく、シカットと丘の上に建てられているではないか。温暖化で気候は荒々しくなるばかりというのに税収も減れば自ずと 堤防のメンテナンスもおろそかになり、いずれ家財一切を失う人々がでることだろう。いつ人々は国家が国民の安泰を守ってくれるだろうという甘えたパラサイトナショナリズムに陥ってしまったのだろうか?
全景
2003/8/16
Rev. July 6, 2016