第19章 1984年

パイプライン供給天然ガス処理プラント

試運転指揮

 

アルンLNGの第6トレインを失注して、海外プロジェクトに残る道もあったが、自分の適性は設計部門と見定めて、東頭さんに申し出てプロセス設計部にも どった。しかしそこには 新部長の砂山さんが居て、私の居場所はなさそうに見えた。砂山さんは

「もし新しくできたSBU (Strategic Business Unit)の一つの発電プロ ジェクトに希望するなら紹介するよ」

という。そもそも私は発電プラントプロジェクトに参入したのは間違いと思っていたし、プロジェクトが希望なら海外プロジェクトに残ればよかったわけだ。 要するにプロセス部には邪魔だといっているに等しい。

「なにも分からない部長など相手にできるか」

となにもしないでブラブラしていると東頭さんが国産天然ガスの天然ガス処理プラントの運転指揮をしてくれないかと言ってきた。

 

天然ガスプラントの概要

日本は非常に限られた量の天然ガスしか産しない。特に新潟界隈に産した水溶性ガスの量は枯渇しかかっている。しかし国産天然ガス会社が開発した深さ 4,000-5,000メートルにあるグリーンタフ層 のガスはかなり持続しそうだった。そこで水溶性ガスの時代に敷設した新潟→長野→東京を結ぶ12インチ・パイプラインを使って首都圏に売ろうという構想で ある。そのためにはガス中に含まれる有毒物質である硫化水素や熱量を運ばない炭酸ガスを除去し、鋼製のパイプを腐食させ、ハイドレートを形成してパイプを 詰まらせる水分も除去する必要がある。顧客はフルアー社の開発したジ・グリーコール・アミン水溶液を使うアミン吸収プロセス を採用し、脱水はグリコールとフロン冷媒を併用する低温吸収プロセスを採用した。この設計と建設はプロセス設計は都端君、エンジニアリング・マネジャーは 海野でほぼ完成近かった。

プラントは長岡市の西にある丘陵地帯の北端にあった。長岡市越路地域一帯に広がる帝石の南長岡ガス田0.77tcmと石油資源開発の片貝ガス田0.31tcmとは一体鉱床である。埋蔵量は国内最大級とされる。天然ガスを採掘している貯留層の利用は、当初の地下2,000m付近から4000〜5,000m付近の大深度へ拡大中。

2004年暮れの新潟地震はこの丘陵地帯に並行して東側に横たわる丘陵地帯の直下にある断層が動いたものだ。このプラン トの真東が新幹線が脱線した地点に相当する。 幸い、我々がしっかりした設計と工事をしたため、プラントはこの地震に生き残ることができた。

さてこの丘陵そのものも太平洋プレートが北米プレートをアジア大陸に押し付けた応力によってできたもので、地下にも丘陵とおなじ背斜構造があって、ガスが この背斜構造の下にあるグリーンタフ (大谷石と同じ)にトラップされたものだろう。いわば地震とガスが貯まった原因とは因果関係があることになる。

ガス井は丘の上に数箇所あり、埋設されたフローラインは数キロメートルというものであった。完成したクリスマスツリーに つけた圧力計は数百気圧を示していたと思う。チュービング内は防錆剤を含む油に置換されていたのでボトムホールの圧力はこの油の比重を0.7とし深さを 4000mとすると更に280気圧高いはずだ。ケーシング圧はとみればほぼ大気圧である。これはボトムホールにあるパッカーの上は比重を調整された泥水で 満たされているということを意味している。

ガス井の回りには無論フェンスがあるが、門は開けっ放しで警備員も置かないのどかな田園地帯だった。物騒な最近はそうで はないと思うが、フルアー社から立会いに来たエンジニアはなんと日本は安全ボケしているのかとあきれていた。

 

現場着任

国産天然ガス会社は このような複雑なプラントは動かしたことがないので試運転をしてから引き渡すという稀有な契約だった。そこで運転指導できそうで遊んでいるやつを探したら 私が居たというわけだ。顧客は70名の運転員を直接私の指揮下におくという。念のため、石油会社からもベテラン運転員を数名借りた。

現場に着任して所長に毎朝交代で朝礼と体操の指導をさせられたのには辟易した。最初の2ヶ月間は出来上がりつつあるプラントを点検し、108箇所の改良点 を指摘して直してもらった。顧客より厳しいと副所長にぐちられたが、よい友達になってくれた。それから都端君の書いた運転マニュアルを見直して、彼が考え たプラント入り口から順次ガス圧を張って行くというスタートアップ手順を変更し、パイプラインからガスをもらって系統にまず圧を張ってしまう方法に切り替 えた。こうすれば発生するコンデンセートがフラッシュして不用な低温の発生を防止できるからより安全なのだ。プラントの運転が安定し、製品ガス品質がパイ プラインが許容できるようになるまではフレアで焼却すればよいのだ。

私が着任したときは極く微量の防錆剤をサファイア製プランジャーポンプでチュービング内に注入していた。ある日、この直 径2ミリに満たないプランジャーのグランドから防錆剤が霧となって漏れているという情報が入った、副所長が駆けつけてスパナでグランドを締めるとサファイ ア製プランジャーがポキット折れてしまった。無論人造サファイアだが30万円が飛んだとガッカリしていた。こういうときはポンプを止めて、メーカーを呼ぶ のが金がかからない方法なのだが、その間、防錆剤の注入は止まってしまう。副所長の気質と自分の気質が似ているので、彼が好きになった。

運転開始前には、システム毎に各種テストそする。そのなかには官庁検査もある。国産天然ガス会社は鉱山会社ということで官庁検査は賢くも鉱山法に基づく検査のみを申請していた。結果 検査項目は圧縮機の安全弁と電気施設しか検査対象にならない。高圧ガス取締法などの適用外なので簡単だった。

ガスインの前にはガス系にはガス圧を張りこみ、ガスコンプレッサーはリサイクル運転、アミン系は循環運転、脱水系の冷凍システムとグリコール循環系もリサ イクル運転で待機させてからガスインするのだ。

 

ガスイン

いよいよ井戸を開ける日がきた。国産天然ガス会社本社の役員らしき人がやってきて、私を呼びつけ、

「本当は友人のいるN社に発注したかったのだが、お宅が安値で受注してしまったのは残念だった。ゆっくりとお手並みを拝 見するよ」

と恨み言をいうではないか。かなり正直な人だ。わたしはこういう人が憎めない。クリスマスツリーの弁を開け、フローライン入口減圧弁だけは顧客が主導権を 握りたいといという。フローライン入口減圧弁を顧客のオペレーターが徐々に開けた。流量が6-8%に達したところで午前中はこの状態を維持するのだとい う。これでは夜になるなと予感したが、静かに待った。午後に流量をゆっくりと上げはじめ、20-30%位になったときであろうか、突然スラグキャッチャー というドラムの液面が急激に上昇した。コンデンセートストリッパーを眼一杯稼動させても処理できない液がスラグキャッチャーに流れ込む。ついにストリッ パーのガスコンプレッサーの能力を超えて安全弁が作動した。と同時にフレアラインに残っていた異物がバケツが風に吹かれて風下に飛ばされるような音を発し つつ、フレアドラムに向かって移動してゆく音が現場にいた都端君のマイクが拾って中央制御室のスピーカーが放送してくれる。フレアドラムに入って落ち着い たようだ。赤面の至り。ダス島の試運転のとき顧客 のオペレーターから配管からミイラがガスボンベが出てくる話を聞いたが、日本の職人さんも外国のように配管内に異物をのこしてくれるものだとこの 時学んだ。

問題はそこにない。いつまでたってもスラグキャッチャーに流れ込む液スラグの量が減らないのだ。これでは顧客が井戸のテスト時に得た液ガス比が間違ってい たことになり、液処理系のボトルネックのために、フル運転できないという事態になると、我々も、顧客も一時真っ青となった。しかしさすがに夕刻近くになる と流れ込む液量が減ってきてほぼ設計値に近くなった。井戸のテスト時に得た液ガス比は間違っていなかったのだ。午前中、流量を6-8%で維持したときに、 ガス流速が遅くて液だけフローライン内に取り残されて溜まっていたものが流量を増すに従い、押し出されてきたに過ぎないとわかった。これで井戸を開けると きはもっと早く開けるべきということを学んだ。いままで2相流の経験はあらゆるプラントの試運転で経験したがこのフローラインの経験は強烈だった。2km という長さが持つエネルギーに圧倒されたものだ。

プラントの運転もやっと安定した夕刻、顧客がフローラインの入口に設置したピグ・ロンチャーからピグを一発打ち込んで残ったスラグを一掃したいという提案 があった。私は合意しスラグキャッチャー入り口に設置したピグレシーバーで待ち受けた。200気圧近辺にある圧力計をにらんでいたのだが、流速とフローラ イン長さから計算した到着時間になってもかすかに圧力がふれただけでピグが到着したという衝撃音は聞こえなかった。念のため、ピグ・レシーバーを開けてみ たが何もなし。ただ底の小さなドレン抜きの穴に作りつけのグリッドにスポンジの切れ端のようなものがこびりついていた。ピグが途中でひかかってガスを止め ているという感じもない。いったいどういうピグを打ったのか聞くと、自信がなかったのでエボナイト製の硬いピグはやめてスポンジ状のやわらかいピグを使っ たというではないか。私は

「アッそれなら200気圧ではピンポンボール位に小さくなってしまい。ピグ・レシーバーのドレン抜きの穴に作りつけのグリッドでちぎれてスラグキャッ チャーに入ってしまったでしょう」

というとすこぶる不満そうに

「いや、ガス系に入って空冷器のヘッダーに入り、空冷管を詰まらせているかもしてないから、運転を停止して空冷器のヘッダーをチェックしくれ」

という。私はそんなことはないという確信があるが、逆らってもしょうがないので、合意した。案の定、空冷器のヘッダーはきれいなものだ。私はスラグキャッ チャーの底に沈んでいる可能性を検査した らと思い、私が消火器を持ち、都端と善山がスラグキャッチャーのドレン弁からかなりの量の液を大気放出してみたが、なにもでてこなかった。着火の危険があ るので多量には放出できず、自己満足程度の試みだったが、ついになにも発見できなかった。スラグキャッチャーの中の液に浮いていたかもしれないが 、それがなにか悪さをするともおもえなかった。顧客も満足して、次の日は皆、ピグのことは忘れてしまった。

私は安全弁が吹かないように自ら制御機器の比例帯や微分、積分動作を調節してまわり、スムーズな運転ができるようにし た。

ガスインした翌日、クリスマスツリーが10cm以上地面からせり出してきて緊急遮断弁への計器計装空気配管などに無理がかかっているのが発見された、地下 のガス層の温度が摂氏250度もあり、ケーシングが伸びたためである。これは国産天然ガス会社にとってもはじめての経験だったという。

私の運転指揮のスタイルは朝直の始まる前に全運転員を中央制御室に集め、黒板を使って今日の作業のおさらいをし、各班長と質疑応答してから総員任務場所に 散るというものである。以後は場内マイクまたは無線で指令を出し、報告を受けるという方式をとった。携帯電話機がなかった時代である。夜間は寮の自室に専 用電話器を設置してもらった。幸い夜中に起こされることはなかった。

 

グリコール循環系のトラブル

プラントがすべて順調に稼動し、ガスもパイプラインに送出され、フレアの火も消えた頃、グリコールポンプが突然空気を吸って送液できなくなるというトラブ ルが頻発するようになった。ポンプ吸入側にスパイラルプレート熱交換器があり、ここに空気が入り込むと圧力損失が大きくなるのではと思われたがどこから空 気が漏れこんでくるかが分からない。ついに吸入配管に連なる盲腸のような配管に設置された安全弁が怪しいとにらんだ。そこで安全弁元弁を閉じてみるろ空気 の流入は止まった。そもそもどういう理由でこの安全弁がそこにあるか理由を聞くと、取りこし苦労のように思われたので以後この安全弁は撤去し、 P&ID図から抹消すると宣言して一件落着とした。

 

アミン水溶液のフォーミング

次に発生したことはアミン系の持病のようなものでフォーミングである。この対処はまず各種アンチフォーム剤の投入で緊急処置をし、中期的にはアミン水溶液 の一部をフィルターにかけて微細な鉄粉などのゴミを除去すること、そして長期的には井戸のチュービングやフローラインの保護のために注入する防錆剤の種類 を変えて、アミンとの相性を見つけるという根気のいる作業となる。私は3ヶ月で帰ったのでこれを見届けることはなかった。

 

ノンストップ・オペレーション

長岡地方は夏季に落雷の多いところだそうで、東北電力の送電線はしばしば停電するという。それに備えてガスタービンの自家発電装置を備えているが通常は停 止していて停電時に空気タンクに貯めた空気でガスタービンを起動させ2分後にすべてのポンプ、冷凍機を自家発電に切り替える設計になっていた。事前テスト でガスタービンの自家発電装置が自動起動するることも確認してある。しかし実際に停電を人工的におこしてプラントが設計通り動くかためしたいという。マジ かと思ったが、顧客がやりたいというなら逆らえない。覚悟して運転員に指示を出し、各員持ち場に張り付いてもらい、受電回路を切断した。プラントは突然 シーンという無音状態になる 。しばらくするとガスタービンが動き出す音が聞こえてくる。計器類はすべてバッテリーバックアップがあるし、計装用空気もタンクにたっぷりある。アミン循 環ポンプ、グリコールポンプやホットオイルポンプなど重要なポンプはバッテリーバックアップで短時間動くが、その他のマイナーなポンプやガスコンプレッ サー、冷凍コンプレッサーはロード・シェディング 回路により停止したままである。ガスは流れ続ける。液ストリッパーからのガスはフレアースタックの炎を急に元気にさせる。冷凍コンプレッサーが止まってい る間も冷凍能力は必要であるため 、フレオンガスは短期間直接大気放出されるという仕掛けである。自家発電装置が安定したら現場に張り付いた運転員が順次手動で停止中のポンプ、コンプレッ サーを起動してものの数分でもとに戻った。

これで万事めでたしめでたしで顧客ともどのその夜は無礼講となった。

 

サーモサイフォン・中段・リボイラー循環系のスラグフローによるトレイ破損

アミン再生塔の中段につける縦型自然対流リボイラーが重すぎて塔の抱かせるわけには行かないと鉄架構のなかに設置してあった。結果連絡配管が長く太くなり かって塩素化プラントで発生したようなスラグフ ローが発生していたらしい。半年運転後性能がでなくなったというので点検したところトレイの大半が破損していることが判明した。同じ過ちを繰り返したわけ である。プロセス、熱交換器設計、 機器配置設計、配管設計の分業体制の はざまで生じるトラブルでファンクショナル・エンジニアリングの縦割り組織の弊害である。とりまとめのプロジェクトエンジニアがしっかりしていればいいの だが、プロジェクトマネジメントの方に興味が移るとエンジニアリングがお粗末になる。

 

本プラントのその後

このプラントは脈動防止のオリフィスを入れ、破損したトレイを交換して以後、20年間安定した操業をしたらしい。2004年にはガス増量のための改良工事 が完成し、2004年の直下型の新潟地震にもビクともせず、首都圏に天然ガスを送り続けているとのことである。 ガス増量のための改良工事は別会社が担当したが、千代田OBが多数参画した。

グーグルマップで最近の航空写真を見てみよう。左手に一列に並んだタンク群は私の知らないものだ。外は全て昔のままだ。

 
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ガス田を見ると私の記憶にないガス生産井が追加されたようだ。下の写真は私がスタートアップしたものだ。

 
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帝国石油は、2000年に南長岡ガス田(南長岡鉱山)の岩野原基地で地下約1,100mの帯水層まで井戸を掘り、地球環境産業技術研究機構と協力して 2003年から2004年までの約1年半で約1万トンの二酸化炭素を圧入する実証試験を日本で初めて行った。そのため、新潟県中越地震及び新潟県中越沖地 震の原因として、この実験による誘発地震の可能性を指摘する説が存在する。

資源開発大手の石油資源開発(JAPEX)は2012年10月10日、新潟県小千谷市の「片貝ガス田」で4月から進めてきた試掘で、日量約 290,000cmの天然ガスの産出に成功したと発表した。同社が片貝ガス田に持つ油井・ガス井としては比較的大規模。50%能力で年300日、10年間 生産すれば0.3tcmとなる。

February 9, 2005

Rev. October 10, 2012

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