もくじ


 幸かふくおか 〜「はかたより」〜 その4(秋の夜長に..)

『カッパ』
 雨ニモマケズ風ニモマケズ、雨漏りするカッパニモマケズ。規則正しいサラリーマンは、いつもの様に会社へ向かう。叩き付けるような雨に、これまで懸命に俺の体をガードし続けてきたMYカッパは遂に敵の進入を許してしまった。前面ファスナーの弱点部分から見事に攻め入った雨粒軍団は、なんとYシャツを防御する形でぶら下がっているネクタイを一気に攻め、完全無抵抗状態のYシャツを簡単に突き抜け、ヘインズの白Tシャツに「じわ〜っ」と染み付いて、占領地を拡大する。酒の量を控えてもなかなか引き締まらないお腹、ちょうどヘソのあたりに「ペタッ」と張り付いた。「つうめてえ〜!」スクーター用ヘルメットの中で叫ぶ。「冷てえんだよお!くそっ!」このボロカッパめ!新しいカッパに買い換えるぞ!このっ!..と、怒り心頭に発した時、なぜか「フッ!」と昔の思い出が頭の中に現れた。カラー映像となってハッキリと現れた。それは北海道稚内「日本最北端の碑」でVサインをしているカッパ姿の俺だった。約十年前、初めてバイクで訪れた北海道。カッパを着ていたのは雨が降っていたからではない。9月という時期にもかかわらず寒かったのだ。さすが日本最北端、みやげ物屋ではストーブを焚いていたのを覚えている。近くにいた観光客にシャッターを切ってもらった一枚の写真。年賀状の写真としても使った一枚なので、よく覚えているのだ。思い起こせば高校卒業と同時に始まったバイクライフ。十年以上もの間、雨風を共にしてきたカッパ。考えてみるとこれはスゴイことである。バイクだって「VF400」「GPZ750R」「CB750」と乗り換えているし、ヘルメットもタンクバックも買い換えている。他の者だって、否物だって..ゴホン!ああ、なんと辛抱強い、なんと健気なカッパ!太田のホームセンターから俺の元へ嫁いできた赤黒ツートンカラー、オシャレに白のラインまで入った「ジャパンスピード」のカッパ。雨漏りくらい何だって言うんだ!十年も経てば少しはガタもくるさ!買い換えるなんて言って俺が悪かった!もう一着別のカッパを重ね着すれば何も問題ないではないか!そう簡単なことさ!もう少し仲良くしようネ..と、誰も友達のいない福岡で、パソコンに続き仲間を再発見した俺です。


『雨』
 「カッパ」からリンクして「雨」。梅雨の長雨そして台風の豪雨と、とにかく九州の雨はハンパじゃない。7月頃は、我が家のすぐ脇を流れる「御笠川」が危うく氾濫しそうになった。いかにももろそうな土手の補修に、役所、消防署の連中が急きょ駆け付け事無きを得たが、今でもその時の応急措置のままである。大丈夫かいな?土手だけにそのうちドテッ!と崩れたりして..?でも雨が降らずに水不足で悲惨な夏を過ごすよりもマシなようだ。福岡の人々は危機的な水不足を経験しており、水の大切さは良く分かっている。例えば、風呂の残り湯を洗濯機に移す時に使うポンプなど、市が全額補助してくれる(大野城市の場合)といった具合だ。雨は降らなければもっと困るのだ。「雨雨降れ降れもっと降れ〜♪」と八代亜紀も雨乞いをしてしまうのだ。そんな日は「魚はあぶったイカでいい!」なんてエバりながら、ぬるめの燗酒で演歌の世界に入り込んでしまうのだ。「ひゅ〜るり〜ひゅ〜るりい〜らら〜♪」..そんなんで、えエンカ??
ついでに言っとくと、八代亜紀は熊本県八代(やつしろ)市の出身である。故に出水(いずみ)市なんて、いかにも水が出そうな所が被害に遭ったのは、間違いなく八代亜紀の仕業である!というのは間違いなく間違いである..??そして大型台風19号は、八代亜紀の素顔ほどの恐ろしさを持って(もうやめろ!)ゆっくりと福岡に接近してきた。「スクーターごと吹き飛ばされるんやなかろうか?」と冷や汗たらたらで出社。しかし、こんな時の福岡の人々の対応は、感心する程に素早い。市内の公立小中学校は朝から全校休校。一部の大型デパートは臨時休業。そして台風がいよいよ大接近してきた昼過ぎには、多くの会社が緊急自主帰宅令。電車も午後2時で一時運休。俺も家に帰って台風の通過を待つ。そして午後3時、突然風が強くなり、窓ガラスを突き破りそうな勢いで横なぐりの雨が打ちつけてきた。「いよいよだなっ!フッ..」と意味もなく余裕を見せるが、建物ごと吹き飛ばしてしまいそうな暴風雨には為すすべもなく「いよいよ俺も最後だな..」とすぐさま劣勢にまわってしまう。このへんの諦めの早さは見事だな、なんて思っているうちに、台風はあっという間に通り過ぎていった。大分県寄りに外れたらしい。「フッ!」と言いたいところだが、実際「ホッ!」とする。「涙がホロリとこぼれたら〜ああああ〜唄いだすのさ〜ふなうたを〜♪」八代亜紀の悪口はもうやめよう..


『亜紀の(くどい!)×..秋の!交通安全週間によせて』
 九州に来て3ヶ月「東京(関東)と違うな〜」と思ったことの中で、特にその違いを感じていること。それは言葉でも食べ物でもない。文化や風習でもない(まだそれを感じ取る程の域に達していない)それは何かというと「車の流れ、運転の仕方」である。東京と比べた場合全体的に車の流れは遅く、運転手は周りを気にしない。一番危ないのが、脇道からいきなり飛び出してくることである。どうも走ってくる車のスピードが分からないようなのだ。「ああ、来とったと?悪かね〜!」てな感じだ。飛び出した者勝ちってルールでもあるのだろうか?こっちへ来た当初は何度も「ヒヤッ!」とする思いをした。
 東京の常識「ありがとうのハザードランプ」は、福岡ではほとんど見かけない。恐らくこっちの人は「ん?こげん所で止まるとかいな!」と思い、その車を抜きにかかるに違いない。ウインカーも出さずに曲がったり止まったり、ノロノロ走ったり..「あぶねえ〜!」と叫びたいところだが、こっちの人は全然気にせず「よかよか!」といった感じなのだ。この辺まさにお隣、韓国の「ケンチャナヨ」気質に似ているのではないか。「よか」と「ケンチャナヨ」、九州人と韓国人は距離が近い分、性格も似ているのかもしれない。感情をあらわにした雲仙普賢岳噴火型性格は、身近な人を例にとればすぐ分かる(?)しかし怒りの沸騰点に達するのが早い分、冷めるのも早い。要するにカラッとした大陸気候的性格なのだと思われる。集中豪雨のち晴天、はっきりしていて分かりやすくもある。
 なんで九州人の性格分析になってしまったのか?でも考えてみれば、運転はその人の性格が出ると言われるし、性格を考えれば運転の仕方に関する答えが見つかるのかもしれない。確かに、福岡では東京と違ってセコセコせわしなく走る必要はないし、そこに「よかよか」的性格を合わせ考えれば、福岡一般ドライバーの運転もうなずけるところかもしれない。要するに、元々の性格と交通事情から福岡流が生まれたワケで、ということは東京流の運転が身に付いている俺の方が、福岡流に合わせなければいけないということだ。実際流れに合わせて走っていれば、そうそう危ないこともない。「郷に入れば郷に従え」ということか...「マツダ.デミオ」を購入したペーパードライバーの美弥子さん、くれぐれも性格を出さずに運転するように!。忠告「青でも黄いつけな赤んで〜!」チャンチャン!


『麦の会』
 9月下旬のとある晩、久々に「麦の会」飲み会が開かれた(との事)。私の記憶が確かなら、前回の飲み会はたしか6月中旬「塩さん送別会」サブタイトル「さっさと消え失せろ」飲み会だったはずだ。あれから三ヶ月、麦の会メンバー、そして我が青春の街「池袋」はどのような変化を遂げたのだろうか??..と、四王寺山の夜空に浮かぶおぼろ月を眺めながら、感傷的な気分に浸っていたのもつかの間、「麦の会」ドンチャカ宴会会場からの、酔っ払い共の電話による急襲に遭う。どうやら場所は「いか太郎」らしい。そして息子のとんちゃんが幹事らしい。その幹事はとっても気持ちが良いらしい。豊岡の会社の携帯電話でかけてきているらしい。十人位は集まっているらしい。現在無職の高根沢さんはどうやら再就職のめどが立ちつつあるらしいが、穴見がこの日「麦香村」を辞めたらしい。「FackYou〜!」と自分自身に叫んでいるらしい。青木は相変わらず柳屋らしい。はじめが元気か分からないが母はよろしく言ってくれてたらしい。ミセス組はタキさんスーちゃんの一身同体少女隊コンビが出席で、タキさんパート2のみっちゃんも来ているらしい。池袋の夜は、相変わらずにぎやからしい。そして、これら酔っ払い一人一人と電話応対しているシラフの塩川は疲れているらしい。ノーテンキな青木の大笑い声に腹を立ててもどうにもならない「距離」を恨めしく感じているらしい..が「麦の会」を知らない人は、ここまで何が何だか分からず、怒っているらしい。どうやら「麦の会」について説明する必要があるらしい...

昔々池袋山に「麦香村(ばっかそん)」という村があったそうな。そこに弁当配達、販売屋の「ケータリング」一家があったそうな。佐久間父さんのもと、パート母さんや英ちゃん兄いやアルバイトっ子の面々はそりゃ〜もう一生懸命働き、吐く程に飲んで、喉が潰れる程に唄って、自己破産する程に賭けてたそうな。その子らも大人になり町に出て、皆それぞれ頑張っているんだそうな。そして時々家族みんなで集まって、励ましあったり、けなしあったりしてるんだそうな..それが「麦の会」なんだそうな..
なんだそうか!と理解できる人はまずいないんだそうな。で、どうしても「麦の会」を知りたい人は..

年末の大忘年会に参加するしかないらしい。福岡出稼ぎ中の塩さんが音頭をとって、とんちゃんあたりに幹事をお願いするらしい。そんな予定らしいそうな。


 『柴田来福の巻』
「ここわあ〜赤羽のスズラン通りでえすかあ〜!?」と、赤羽駅ではなく春日原(かすがばる)駅から身長180センチを超すノッポの男が登場。一瞬無視して通り過ぎようかと思ったが「やあ!塩川〜!」と声をかけられてしまっては、逃げようがない。「やあ!柴田!」ハハ..四角いリュックを背負い、お得意の東南アジア的センスの半袖シャツを着こなす男は、紛れもなく「し組の柴田」であった。最後に富山の松島家で別れてから、まだ三ヶ月しか経っていないけど、福岡で会うというのは何だか妙な感じだ。しかもこの俺が「福岡の人」として出迎える立場とはねえ..9月27日、記念すべくお客さん第一号を祝して一句。「また飲もう!待ってたその日がやってきた、今日は柴田の来福記念日」下らん? でもこの「来福」という言い方はなかなかヨロシイ。実際今回、柴田の来福は文字通り「福」を招いてくれた。まず新車!といっても正確には美弥子さん所有なんだけど、ようやく塩川家にも車がやってきたのだ。もひとつは「ヤクルトスワローズ」の「セ界制覇!」これも俺がどうこうってワケじゃないけど、赤羽の「千曲」のマスター&常連客関係者にとって「万万歳の日!」。優勝祝いということで、好評の「辛子高菜」を送らせてもらった。ちなみに福岡では、辛子高菜は酒のつまみではなく、とんこつラーメンに載せる「具」としてポピュラーな食べ物である。紅生姜と一緒でタダで食べ放題、ご飯に載せたりもする。

そしてもう一つ、柴田が手土産に持ってきてくれた粋な「福」それは..ジャ〜ン!「もんじゃ焼き!」だあ!どうだあ!博多っ子めっ!やっ!!うりゃ!!!!と「!」を連発しても迫力無いか..こっちじゃ滅多に見かけんですもんねえ「もんじゃ焼き」。美弥子さんのように「ゲロみたいな食い物」なんて博多っ子みんなが思っとおとですかねえ?もしそうだとしたら「もんじゃ擁護派」としてそれはとても悲しいことである。東京では月島の「もんじゃ」が有名で、柴田が買ってきてくれたのも「月島もんじゃ振興会」なるところの「お土産用もんじゃセット」なんだけど、我々世代の群馬県人にとって一般的に「もんじゃ」は「もんじ」と呼ばれ親しまれている。「もんじ焼き!」そう、よりルーツに近い本格派なのだ。言ってみれば我々(俺だけ?)は自称「もんじ焼きの達人!」なのだ!

知らない人のために解説しておくと「もんじゃ焼き」はもともと「文字焼き」といって、明治時代、東京の下町で流行った食い物。小麦粉を水で溶いたどろどろの液体で鉄板の上に「文字」を描きながら、学びながら遊びながら食べたらしい。その「もじ」が「もんじ」となり今の「もんじゃ」になったらしいのだ。要するに我々上州っ子が食べていた「もんじ焼き」は一歩上行く本物志向なのだ。でも逆に言うと時代遅れだったりして..ええい!うるさい!「もんじ焼き」にケチ付ける奴は許さん!だいたい東京のあの、具が器からこぼれそうな程に入った、お好み焼きと区別が付かんような、しかも焼く時に具を先に炒め土手を作りその内側に「もんじゃ」の液体を流し込み云々..などという食い方をする「東京トレンディーもんじゃ」は「上州伝統的もんじ」から見たら「邪道!」もいいとこだ。値段も高いし..シンプルisベスト!「もんじ」に余計な具は要らぬ!
 昔話になっちゃうけど、俺が小学生の頃食べていた「もんじ」というのは、学校帰りに寄る駄菓子屋の、店の奥に置いてある大きな鉄板の焼台で、友達と一緒におやつ代わりに食べていたもの。具なんてほとんど何も入ってなくて、お好みでベビースターらーめん(¥30)や生たまご(¥50)を入れる。ウスターソースをどばどばどばっと入れ(これがもんじゃの味)かき混ぜる。自分の陣地を作って少しづつ焼きながら、小さいヘラでフハフハしながら食べる。わざと鉄板に焼き付けて作る「せんべい」は技の一つ。たまごを崩さないようにしておいて、最後に目玉焼きを作って食べたりもする。「もんじ」そのものはたしか¥100以下。「ラムネ」や「ミリンダ」を飲みながら、子供同士のコミュニケーション。先生の悪口やら女の子の噂話などしていたのだろうか..懐かしいなあ。考えてみれば、つい「会社帰りに居酒屋で一杯!」と寄り道したくなるのは、あの頃の「学校帰りに駄菓子屋でもんじ!あるいはインベーダーゲーム!」といった少年時代の遠い記憶が、無意識のうちに甦るからではなかろうか。のれんをくぐったその奥に昔のぬくもりを求めているのではなかろうか。と、ただ飲みたいだけの衝動を正当化してみたくなる。でも、そうだそうだ!今分かった。今の俺の不甲斐なさを見かねたご先祖様が、俺に夢や希望にあふれていた少年時代の気持ちを思い出させようとして、居酒屋に導いているのだ!そうだったのかあ!そうとは気付かず、伝書鳩よろしくまっすぐ家に帰ってしまう俺は..ああなんと愚かな..今の生活を十分反省し自分らしさを取り戻す為、日々精進させて頂きます!ハイ!

 な、なんか話が外角高目思いっきり外れてしまったけど、そんな「福」を運んできた幸せのコウノトリ柴田と、居酒屋「てら田」で再会を祝して乾杯!いまいちパッとした居酒屋の無い春日原の中では、なかなかの好位置をキープしている「てら田」で焼酎「博多の華」をボトルキープ。やっぱり九州は焼酎が基本たい。焼酎を注文すると、大抵「麦?そば?いも?」と種類を聞かれる。この時臭いが気にならない人は、是非「あ、いもね、いも!お湯割りでね!」と、ちょっと明るめにごく自然に言ってほしい。するとカウンター越しにやきとりを焼いているおやじさんが「むっ、兄ちゃんいくねえ..」と言いたげな目でチラリと見る。ここで「それと梅干し2、3個..」などと言ってはいけぬ。最初は「いも焼酎」本来の味と香りを楽しむべしべし。つまみは魚、あっ、魚と言う字の点点が一つ多いぞっ!と気付いた人、否残念賞「魚+句点」でしたマル(誰も気付かんて!)で、魚魚!刺し身でも焼き魚でも煮魚でも何でも鯉。否鯛たい?「鯛の刺し身の値段−今年は199□年鯛!」と書いてある居酒屋が天神にある。あ、すまん!また外れた。とにかく玄界灘の魚は何でも旨い。どこの店でも魚を注文しておけばまず外れは少ない。が、ここでは定番「やきとり」もいってみよう。まず関東と大きく違う点、あっ、点という字の点点が..(やかましい!!)福岡では、鳥肉だから「やきとり」豚肉だから「やきとん」などとは言わないのだ。鳥も豚も牛だって、みんな仲良く「やきとり!」よかよか!旨いんだからつべこべ言わない!「ずり、さがり、四つ身、豚ばら、二本ずつね!」(訳の分からん人、今すぐ福岡に来るべし!)キャベツの乱切りに酢をかけて、やきとりのっけてハイお待ち!福岡流。..またまた話が大きくゴールポストのはるか上に外れてしまったけど、適当なところで引き上げ、塩川宅で飲み直し。今晩はこのへんで..

 翌日曜日、一般的正常意識内蔵型大多数平凡日本人の皆々様方お休みの日曜日。二人揃って仕事に出掛ける変人夫婦。柴田は一人でお留守番。「なんじゃあ〜!こりゃあ〜!!」と松田優作風に叫びたくなるこの状況下。「探偵物語」でスクーターを駆る松田優作になりきり、ヤマハ.アクシスのアクセルを全開スロットル!「これが今の俺、今の仕事、今の生活!今が無いと将来がないんじゃあ〜!」とドリアン助川風に心の中で何度も唱える。むむ?そういえばドリアン助川って、巨人の松井に似てるなあ!「わっはっは〜!」と無理矢理笑って..へへへへ..

サッカー日本代表サポーター用公式ユニホーム(一万円以上するらしい)持参でやって来た、サッカーフリークの柴田。たまたまワールドカップ杯アジア地区予選「日本×韓国」戦がこの日あった。が、TV前で応援していた柴田の声援は、ブラウン管の前でパチパチパチと、静電気と共に飛び散ってしまったようで.. がっくり肩を落としているであろう柴田と、初めて乗る新車「デミオ」で街へ出掛ける。運転手は美弥子さん。さて、街といってもどこの街へ出掛けるかが問題だ。実は密かに行ってみたい店があって、それは中州の餃子店なんだけど、電話をかけてみたら今日は運悪く定休日らしい。中州の屋台もまだ行った事が無いので(何と!俺とした事が本当に信じられん!)行ってみたかったのだけど、「今日は車、しかも新車だしなあ」という訳で、もうちょっと近場の大橋という街に出ることにした。ここは多少夜の賑わいってやつもあって、飲む店も多い分その辺に群がる邪魔な若造も多いんだけど、ちょぴり赤羽を思い出したりする。

計12回の切り返しの末どうにかこうにか駐車した林家ペーパー美弥子さん。 我々大橋探検隊は何軒か居酒屋を物色した後、隊員の意見一致団結で「信長本陣」という結構な賑わいを見せる居酒屋に攻め入る。二晩連続の戦は少々疲れ気味の胃腸に堪える。迎え撃つ「信長軍」の生ビール部隊は軽々と撃沈してやったが、徐々にダメージを負っていった我々は、最後のキムチ鍋激辛爆弾にとどめを刺され、大野城へと退散。帰り道のドライバーはなぜか俺。えっ?。深夜、柴田と二人懲りずに近所の「一番山」でとんこつらーめんを食って一日を締めくくる。

 そして翌日、一般的正常意識内蔵型大多数平凡日本人の皆々様方お仕事の月曜日。二人揃って休みを取った幸せ夫婦。この日は東京からインドネシア.バリ島経由でサエちゃんがやって来る。冗談ではなくホントの話。バリダンスに熱中しているサエちゃんは、柴田と同じく練馬区の公務員。本場バリ島の師匠のもとへ出掛けるのは彼女のライフワークとなっているようだ。2週間以上の長期滞在の後、東京へ戻る前に寄ってくれたのだ。それにしてもアホボケ民間サラリーマンの俺にとって、公務員というのは、休日に関してはホントに羨ましい限りだ。そしてその公務員の特権をうまく利用している柴田とサエちゃん、心から敬意を表したい。ついでに敬意を表する証拠に、福岡空港までデミオでお出迎え。「来福」第2陣御一行様約一名様「ようこそ!」。

バリ帰り、少々日焼けしたサエちゃんはとっても眠そうだったけど、今晩東京へ戻る柴田とサエちゃん、臨時デミオツアー福岡観光編を十分楽しんで帰ってちょうだい。塩川宅にて簡単な朝食を済ませ、まずは天神へレッツゴー!!
天神といえば最近は「天神流通戦争」などと言われマスコミ報道も加熱気味だ。明後日10/1「福岡.三越」がオープンするのだ。いわば今日は「嵐の前の何とか..」そんな天神で、デミオは立体駐車場を初体験し、柴田達は「イムズ」の曲がるエスカレーターを初体験し(珍しいよね?)、三越を迎え撃つ博多大丸地下のパン屋で、昼食用のサンドイッチを買い込んで、西公園にて昼飯。
福岡タワー展望台より福岡の街を一望した後、ダイエーホークスの本拠地「福岡ドーム」へ。昼寝タイムに入ったサエちゃんと、野球に無関心の美弥子さんを残し、柴田と俺は「バックステージツアー」(¥1000)なるものに参加。このツアーに参加しないと球場内に入れないというのは、考えてみれば非常に腹だたしいが、金儲け主義のダイエーのこと仕方無いと諦め馬鹿馬鹿しくも胸にホークスバッジを付け、ディズニーランド.シンデレラ城ツアーのようにわざとらしい案内嬢に連れられ球場内部を見学。実際にグラウンドに降りたり、ブルペン、ベンチ、ロッカールームなどに入り説明を受け、約一時間後ツアー終了時にはすっかりホークスファンと化してしまった俺達は洗脳されやすい質なのだろうか? 

柴田&サエちゃんの共通の友人、小池さんの仕事場へ。この方福岡市の職員であるが、職種がだいぶ異質。遺跡の発掘をしていて、掘り出した土器の破片を貼り合わせて復元作業をしている。知らない人は想像もつかないだろうけど(俺もそうだった)そういう人の仕事場というのは、凡人では全くちんぷんかんぷん。「あ、そこに転がっているのは縄文時代のもので..」「あ、それは1300年前の土でね..」なんて言われても「はあ〜..」「ほお〜っ..」ってな感想しか言えない。中には博物館行きとなる重要遺跡もあるのだが、どこがどう違うのか、説明してもらってもその違いが分からない。ま、そりゃそうか。で、この小池さんも柴田達と同じく相当のアジアフリークらしい。だってこの三人、それぞれ知り合った場所が中国だっていうのだから、恐れ入る。世の中いろんな人々がいるもんだ。一般的アホボケ民間サラリーマンには理解し難い生活が、ちょっと見方(生き方)を変えれば常識として存在するのだ。(...人生再考中)


そして西新には西新の常識として「リヤカー部隊」が存在する。部隊といってもリヤカーで敵地に突撃するワケではない。池袋のダンボールおやじのように昼から酒を飲み、リヤカーでダンボールを集めているワケでもない。リヤカー行商人のおばちゃん(おばあさん)達のことをそう呼ぶのだ。アメ横を小さくしたような商店街の道の真ん中に、2メートル位の間隔でズラリと並んだ「リヤカー部隊」魚屋さん、野菜屋さん、花屋さん、売る物はさまざまだ。揚げ物を食う人、インチキ外国人の食器を買う人、なぜかクリスマス用のローソクを買う人、うどん屋「まあちゃん」の看板の写真を撮る人、我々もさまざまだ。ゴチャゴチャなイメージの西新だが、それだけ店もたくさんある。地下鉄で天神、博多にも近く、海にも近い、おまけに名門校なんかもある。真面目な話になっちゃうけど、この辺はマンションも高い。なかなか頑張っちゃってる元気な街「西新」はエライ!この街では、リヤカー部隊がどこから来てどこへ帰るのか、売る場所は決まっているのか場所取り合戦はあるのか、先発隊とか後発隊とかあるのか、定年はあるのか、リストラはあるのか、そんなことはど〜でもいいのだ。リヤカー部隊のおばちゃん達が元気ならそれでいいのだ。うん、きっとそれでいいのだ。

さらにおいしい「ミニ餃子」が食べられればそれでいいのだ。ということで、我々は柴田がガイド本で見つけた西陣のお店「亜唐夢亭」へ。何となくレトロっぽい雰囲気がある店内、マスターはコック帽をかぶっている。メニューはニラ料理中心で少なめ。お目当てのミニ餃子はというと、確かにミニというだけあって小さい。小指の先程の大きさで、というのは大げさだけど、かわいいサイズ10個で¥400。にんにく控えめであっさり味、いくらでも食べられそうな味だ。欲を言えば具をもっとたっぷり詰めてほしいところ。生ビールと焼酎を少々。
こうして夕食を共にしているのに、夜中には東京で床に就く柴田達。なんか不思議な感じ。21時発の飛行機に乗る柴田達を、地下鉄西新駅で見送る「じゃあね、また!」..いったい次の「また」はいつになるのだろうかと思いながら..「福」を持ってきた柴田君、最後に「服」を忘れて帰って、笑わせてくれてありがとう。ソウルでのサッカー応援の時に着る、大事なサポーターユニフォームとシャツ、ちゃんと送ったから。森高千里のパソコン用CDもありがとう。渡良瀬川の映像を見ながら、遠い故郷を想っております。では、いつかまた!

'97/10