もくじ


幸かふくおか 〜「はかたより」〜 その3(夏をあきらめて編)

  旭鷲山が街を闊歩し、なぜか金正日が現れる。大きなミサイルがビルに突き刺さり、雷が鳴り響く。突然「バタバタバタバタッ!」と爆音が迫る。ヘリコプターの音だろうか、否違う!「何だ、何だあ!うわ〜っ!」..深夜一時半、台風並の強風にあおられ、ゲル(パオ)の屋根が「バタバタバタバタッ!」と音をたてる。悪夢から脱出した俺は、月明かりでうっすらと白んでいるゲル内の、天幕のような屋根を、ぼんやりと見つめる。それにしてももの凄い風、音。ゲル初体験の俺は、なかなか寝付かれない。もしかしたら、だだっ広いモンゴル草原の中にポツンと一つ、置き去りにされてしまったのではないか。寝ている間にゲルごと日本からモンゴルへ瞬間移動してしまったのではないかと、心細くなる程の、異様なゲル内の空間。寝ぼけながらも、このまま寝てしまってはまた悪夢へ引きずり込まれると思い、別のベッドへ移る。丸いゲル内、円を描くように置かれている四つの木製ベッド。うち一つは妻に占領されており、残り三つが選べるワケだ。..長崎県、鷹島の「モンゴル村」からこんにちは。短いお盆休みを利用し、一泊二日の小旅行。本物の「ゲル(パオ)」に泊まる為、自らのルーツを辿る為?関家のブルーバードと共にフェリーで海を渡り、はるばるやって来たのだ。

 8月15日(金)初めて訪れた念願の「モンゴル村」。二人で一泊一万円。三人だったら一万二千円。「ゲル」の価値をテントかバンガロー程度に考える人にとっては高いと感じるだろうし、遊牧民であるモンゴル人が実際に使っている、本物!の「ゲル」に泊まれるという事に、ある種のロマンを感じる事が出来る人であれば、絶対格安と感じるに違いない。勿論俺は後者である。

 ここ「モンゴル村」には、モンゴルから運んできた本物の「ゲル」が30棟設置してある。福岡ドームを縮小したかのような白い外観。小さめのきゃしゃなドアを開け「ガツン!!」と思いっきり額をぶつけつつ中に入ると、真っ赤!というか朱色一色のインテリアと、何とも形容し難い独特の香り(臭い)で、一気にモンゴルの世界に引きずり込まれる。

天井一番高い部分で2m50cm位ある「ゲル」内は案外広く、朱色を基調とした調度品は、ベッド、タンス、テーブル、椅子と、すべて木製のモンゴル産。絨毯の色もコーディネートされている。傘の骨の様に、巨大な箸みたいな木が約百本程、屋根の骨組みとして天井の布幕を支えている。まるで大きな傘の中にいるようでもある。この屋根は、実際本当の傘のように雨には強いのだろうが、風にはめっぽう弱いようだ。海の向こうの大陸からモンゴルのパワーを運んできたかのような、もの凄い強風に「バタバタバタ!」と音を立てて暴れまくる。「ゲル」自体はそんな風にはビクともしないのだが、屋根の部分だけはどこかに吹き飛んで行ってしまうのではないかと心配になるくらい、風に敏感に反応する。

  マイマザージャパニーズ(わがまま日本人)観光客向けに特別設置されているテレビとエアコンのお陰で、快適に過ごせた「ゲル」内。アルコール度数38度、推定純度約3%のモンゴリアンウォッカ「アルキ」にノックアウトされ、朝まで気絶している予定が、「バタバタバタ!」の大音量に何度も起こされジタバタしてしまったのには正直参った。ところで、昔必殺技モンゴリアンチョップで活躍したプロレスラー「キラーカーン」は、モンゴルと何か関係があったのだろうか?宮尾すすむのポーズのような、両手同時肩たたきのようなあの技は、本当に威力があったのだろうか??う〜む。「屈強の男」なんて役名で「ふぞろいの林檎たち」に出演してしまって、キラーカーンは本当に満足なんだろうか?..う〜む。

「ゲル」に関する話しをもう一つ。出入口のドアだけど、鍵にちょっと問題があった。内側は、なんと針金のような金具でちょこんと引っかけるだけの簡単なもの。そして外側は、う〜ん何て言うか、鍵を鍵穴に差し込んで回すだけの、とにかくこれまた簡単な構造で、普通に使っていれば問題無かったんだけど、ちょっと応用編的な使い方をしようとして、大失敗をしでかしてしまったのだ。どんな事になったのかというと、「ゲル」内に妻と鍵を残して外に出た俺は、外側の鍵をなぜかロックしてしまったのだ。要するに、妻は中に閉じこめられ、俺は外に出されたまま中に入れない。「な、なんでや?モンゴル式ジョークか?」あ〜あ。結局係の人を探し出し、合い鍵を持ってきてもらって一件落着となったのだけど、あ〜焦った。カエルが馬鹿にしたように鳴く。ゲルゲルゲーロ!あ〜あ。
 なんか「ゲル」の事ばかり書いているけど、今回一番の目的なのであしからず。

モンゴルといえば草原!..体がベタつく程の潮風に吹かれながら、草原の斜面に寝っ転がる。モンゴルといえばバーベキュー!..水平線に沈む夕日を眺めながらの夕食。妻いわく「乳臭い!」夫いわく「とってもミルキー!」な牛肉をつまみに、生ビールをグビグビとやる。体の内側からジュワジュワ〜と生きている喜びを実感する最高の瞬間「あ〜〜!うまいっ!」。

そして、モンゴルといえば旭鷲山「技のデパート」と言われる旭鷲山。その元祖とでもいうか「サーカス相撲」の異名を取って、十五年以上前に大相撲で活躍した群馬の力士、栃赤城。TVを見ていて突然の悲報に驚いた。草津のゴルフ場で倒れて急死したという。あれは中学生の時、林間学校かなんかの途中、沼田の町で「左手に見えます呉服屋さんが、あの栃赤城関の御実家でございま〜す」とバスガイドさんが説明してくれたのを思い出す。ご冥福お祈りします。

島国日本の島県長崎、その中の小さな島「鷹島」。佐賀県側の本土の港からフェリーでたったの10分程度の「鷹島」。鷹島沖では700有余年前、フビライによる蒙古軍の襲来が繰り広げられたという。ホジルト市と姉妹都市になっている。水平線の向こうのモンゴルを肌で感じる事の出来る「島」なのであった。

ついでに、今回観光した所を簡単に解説。行った順に付け加えておこう。

☆「有田ポーセリンパーク」..ポーセリンとは磁器のこと。入場料は少々高めだけど、宮殿のような建物は一見の価値有り。別料金で陶芸も体験出来る。
☆「唐津城」..虹の松原も望める天守閣からの眺めは、佐賀県一かもしれない。
☆「呼子.風の見える丘公園」..風車は回っているけど風は見えない。イカ料理が旨いらしいが、知らなかったので食い損なう。残念。するめも旨いらしい。
☆「平戸城」..割と広い丘の上にある。平戸港や平戸大橋が一望出来る。
☆「日本本土最西端の地」..なぜか日本最北端とか、岬とか、端っこが好きな俺。今後もこの好奇心の探求は続く。ここにも記念碑があるのだが、数キロ西に平戸半島が見えるので、いまいち最西端の感激は薄い。でも眺めは良い。この辺りは、小さな島々がたくさんあり「九十九島(くじゅうくしま)」と呼ばれる。「九十九島せんぺい」でも有名である。なんでも、九十九の島にもう一つ人間が加わり百となり、自然と融合するという意味があるとか..す、素晴らしい..ギャグセンス! 〜このあと長崎第二の都市、佐世保市を通過〜
☆「長崎平和記念公園」「長崎原爆資料館」..平和記念公園で千羽鶴を見たくらいではまだ平常心でいられたが、原爆資料館に入って真夏の暑さはスッと消えた。ここだけは軽い気持ちで見学する訳にはいかない。模型とはいえ、実物大の原子爆弾を初めて見て衝撃を受けた。たったこれ一個で..被爆者達の焼けただれた肌をじっくり見て、テレビの映像では分からない痛々しさ惨さを感じた。爆風で吹き飛んだ建物の一部や、高温の熱でぐにゃぐにゃに曲がった鉄を、この手で触って初めて、わずか五十年前に現実として起こった事として認識し、本物の歴史に初めて触れたような気がした。すべては原爆が地上に落ちて、たったの!たったの三秒間に起きてしまった事であるという事が、とても信じられない。ビデオの中で外国人が言っていた言葉が耳に残った。「核は必要である。なぜなら核がある為に、この五十年間世界戦争は起きていないのだ。核のお陰で世界平和は保たれているのだ」と。どう思う?実際に核戦争が起こってしまったらもう一度、この外国人にインタビューしてもらいたいものである。「原爆資料館を見ずして長崎を観光することなかれ」。
☆「新地町」「グラバー園」「めがね橋」..「新地町」は中華街。横浜、神戸に続く、日本三大中華街の一つらしい(横浜中華街と比べると随分狭いけど)。「西湖」という店に入る。妻はチャンポン、俺は皿うどん。皿うどんは揚げ細麺の方。お好みでソースをかけて下さいと書いてあったけど、ソース無しでも十分旨かった。「グラバー園」は、坂本龍馬も訪れたというグラバー邸を始め、いくつもの洋風邸宅が建っていて、内覧出来る。坂の上にあるので眺めが最高なのと、みやげ物屋がいっぱいあり、長崎市内屈指の観光地になっている。そして、最後にまだ見た事が無かった「めがね橋」へ。橋のアーチが水面に写り(逆さ富士のように)運が良ければ、眼鏡のように見えるという所。一方通行と坂道が多く、市電の線路も気になる町中をなんとか走り抜け到着。少々水が少なめながらも、くっきりと見えた「大きな眼鏡」に感謝。

  というワケで、駆け足の長崎旅行。暑い九州の夏は、まだまだ駆け足で通り過ぎるというワケには行かず、まだまだ残暑ざんしょ?..でもそろそろ夏をあきらめて、「○○の秋」に期待したい。9月下旬には、柴田とサエちゃんが「戦中見舞い」にやって来るし、11月下旬には杉下君の結婚式が高崎であるので、是非「赤羽」にも寄りたいと思っている。楽しい行事はどんどん計画したいところ。 とにかく「し組」それぞれの秋。それぞれ実りある秋にしよう!。「はかたより」ももっと内容のある、実りあるものにしたいと思いながら..

                                                     ’97、晩夏 塩川