もくじ


 幸かふくおか 〜「はかたより」〜  その2(試練の夏編)                                                                      

 不動産屋向きの性格イメージ

 自分の性格分析イメージ

・話し上手で電話好き詐欺師
・攻めの嘘つきキツネ
・図々しく強引押し出し
・油ギトギトとんこつスープ
・長時間拘束、根性、忍耐
・飛び込み、割り込み

・話し下手で電話嫌い高倉健
・守りの正直タヌキ(?)
・すっと控えめ引き落とし
あっさり塩味スープ
・無制限自由、諦め、愚痴
・整列乗車、一本乗り過ごし






 etc..

 てな具合で、一目瞭然「さっさと辞めなさい!」と自分自身に言いたいところ。
だがしかし、逃げ出せない!引き返せない!..そんな状況を自ら作ってしまった以上、泣く泣く耐えるしか道は無いようだ。(今のところネ..) そんなワケで、今日もまた携帯ラジオでFMの音楽なんぞ聞きながら、関父よりレンタル中の90ccスクーターで、真夏の熱風の中を颯爽と駆け抜ける。

「不動産屋はお客に嘘をつき、塩ちゃんは自分に嘘をつく!」’97夏の名言。
「住めば都、働くのが美弥子!」’97夏の名言パート2。
「塩分控えめ、仕事控えめ!」’97夏の理想論。
「お酒控えめ、休み控えめ!」’97夏の現実論。

 元々色白の俺の肌は、九州の突き刺すかのような暑い日差しに耐えかねて、腕の部分だけではあるけど、さっさと皮がむけてしまい「あ〜今年の夏は暑かったわ〜」なんて勝手に秋モードに入ろうする皮を「んなワケね〜だろ!」と叱りつけ二度目の皮むけに向け、鍛えてます。仕事の方でも、一皮むけて逞しくなれればいいんだろうけど、なかなかどうもそっちの方は..現在いっぱい被っているネコの皮を一枚一枚はがすのが精一杯ってとこです。あ〜厚い、否、暑い!

 1997年7月27日(日)。一年ぶりに赤羽登場の清水を交え「し組飲み会」が行われたとの事。柴田から電子メールで連絡をもらった。もちろん俺達、塩川夫妻は欠席。この時、俺からみんな宛に送ったメールと、後日柴田から送られてきたメールを載せておこうと思う。まずは俺が送ったメールから..

《 飲み会参加の、し組のみんなへ 》
『そ〜ですか、飲み会ですか、参加したいなあ..ホント金なんかど〜でもいいから時間さえ取れれば飛行機でひとっ飛び「やあ!遅れてゴメン!」と駆けつけたい心境です。みんな相変わらず元気かい?そこの店はどこだろう?「美味香」?懐かしいなあ!たった一ヶ月だっていうのに、赤羽が随分と恋しいです。こっちの近況は「はかたより」の一部を一緒に送るからそれを見て下さい。来週あたり「はかたより」準備編の最終版も郵送で送るからそっちも読んで下さい。清水にもまとめて送ります。
柴田へ「今後も時々メールで連絡取り合おう。永田さん達にもヨロシク!」
植原へ「イーサーネット繋がったそうでおめでとう。暇があったらメール送って下さい。それと「なおちゃん一丁」送って下さい。マスターにもヨロシク!」
清水へ「久しぶり!上毛かるたで涙を流してます。またそのうち飲みたいなあ」
島田へ「ペンションの件すごく興味あります。履歴書送るから従業員足りなかったら呼んでくれ!」..
とにかくみんな!福岡へ来てくれ!俺がいるうちにね..なんて。会社が大阪本社なのでそのうち数ヶ月大阪へ行く可能性も大です。その前に会社を辞める可能性も大だったりして。俺の方からはとりあえずそんなとこ。後は妻より。あ、その前にミニ情報。「めんたいワイド」という番組ではヒップアップの川上がリポーターやってます。別の番組では十年以上前のアイドル、桑田やすこが出ています。分かんね〜だろうな〜。
それでは美弥子さんより..「皆様におかれましては、暑いながらもお元気でお過ごしのことと思います。九州又は福岡へお越しの際は、是非ともお立ち寄り下さい。主人ともども皆様のお越しを心よりお待ちしております。また、塩ちゃんが寂しがっているのでたまにはメールや電話や手紙を下さい。よろしくお願いします。では、皆様、ごきげんよう。..」だってさ。気取りやがって!まあ、今晩は俺の事など気にせず(当たり前か)みんなで楽しくやってくれよ。ちきしょ〜。くしゃみが出たら、ああ悪口言ってんなあ〜!と思い出すから..じゃあね。』         

《 柴田からのメール「昨晩の報告です」より.. 》
『昨晩は、7時から赤羽の「和民」で飲みました。島田も軽井沢から帰ってきて、参加できました。植原は、遅れての参加でしたが、8時半にはやってきて、合計6人での集まりとなりました。やっぱり塩川の話題が筆頭で、メールを見ての感想は、美弥子さんはいきいきしてるみたいだが、塩川は苦労してんなーと皆が言っていました。その後は、適当な話をしていたらあっと言う間に時間が経ってしまいました。島田たちは、10時くらいに帰り、俺はいつものようにべろんべろんになって11時くらいに赤羽を出ました。清水は、サウナか植原の家に泊まるとのことで、その後二人で別の所へ出かけていきました。植原夫人は、俺と同じ時間に帰ったので、二人は女の子がいる店に行くと言っていたような。記憶が確かで無いので、ちょっと分かりませんが。やっぱり赤羽に行くと、昔のようにめいいっぱい酔っぱらうまで飲んでしまいます。それにしても、赤羽で塩川がいない飲み会なんて、変な感じでした。』    柴田 

..実はこの飲み会の日、深夜12時頃、酔っぱらいの清水から福岡に電話があった。恐らく植原家からだと思うけど、寝ぼけていた俺はすぐに電話には出られなくて、留守番電話に切り替わってしまった。受話器を取ればそのまま会話が出来たのだけど、この時なぜか俺は受話器を取ることが出来なかった。福岡での現実離れ、否、理想とかけ離れた現実の生活を送っている今の俺の状況では、ついこの間まで楽しく生活していた赤羽を、自ら置いてきた赤羽を、そして今受話器の向こうで何だかワケの分からぬ事をほざいている酔っぱらいを、「はい、もしもし」と簡単に受け入れるだけの、心の余裕が、悲しいかな無かったのである。赤羽と福岡の回線をつなぐ事が遂に出来なかったのだ。「すまんっ!」。

 しかし、だからといってだねえ、会社に直接FAXを送るのはやめて欲しかったものだ。「ねえ、清水くん!」特に極々私的なFAXを送る時は是非事前に一本電話をヨロシク。でも、文中「友達も無く、右も左も分からぬ福岡の地で一人、唯一本音をぶつけられるパソコンのキーをカチャカチャと..」の部分は全くもってその通り「いっつすとりーと」(?)まさにそのとーり、それが答えだ!。

..初めて電子メールのコピーを載せてみたけど、今後はこんな感じで「し組」のその後を書いていけるといいのではないかと、ふと思った。なっ、いいと思うでしょ?その為にも、出来れば植原達にも電子メールを活用してもらい、島田、清水も時代に取り残される前に、そろそろパソコンを購入して欲しいもんです。

  ここまで新しい仕事に関しては、なんだか気が滅入るような事しか書いていないので、ちょっと前向きな意見を述べておこうと思う。

 入社して早くも一ヶ月が過ぎ、だいぶ福岡での生活にも慣れた。やっとこさ仕事にも慣れてきた。得手不得手、向き不向き、好き嫌いはあるけれど、もうそんな事ぐじぐじ言うのはやめた。俺自身の性格からして、決して営業向きでないのは良く分かっているけれど、やるっきゃない(俺なりに)。数字を上げてなんぼのサラリーマン、民間企業。元々興味のある不動産関係の仕事に、また戻れたこの状況をうまく利用して、もう一つ二つステップアップ。まず取りかけの資格をものにし、弾みを付けたいもの。一つの分野である程度のハクを付け、その分野の事なら何でも来い!と胸を張れる様になってから、次のステージへ進もうかと、そんな風に考える今日この頃。元々飽きっぽい俺がどこまでもつかが問題だけど.. と、林田健二の新曲「青春謳歌」を聞きながら気を取り直しているところ(この曲はホントごきげんで、詩も良い。し組のみんなには是非聞いてもらいたい)。

☆一般的福岡県人の「群馬県」知ってる度。「群馬ってどこ?東北だっけ???」「群馬の人ってみんな、つぶやきシローみたいな喋り方すると?」..呆然。「上越新幹線て何?えっ、グリーン?ブルーの新幹線が本物くさ」前橋市が県庁所在地だということは知っていても、群馬のどこにあるのか、ましてや高崎市に新幹線が止まることなど知る由も無し。赤城、榛名といったら焼酎かいな?草津や水上、伊香保ですら知られていない。群馬には空港が無いと言うと驚かれ、上州弁を喋ると白目をむいてひっくり返る。と、まあ文化、風習、言語、食生活、全く違う遠い国。その違いを身を持って体験したいところだけど、現実として仕事中心の生活..おっと、愚痴になるから止めておこう。今のところ、違和感無く自然に溶け込んでおります。言葉も変わらず、やっぱり俺は俺です。ホッ..

                                                      ’97、盛夏  塩川