森 敦 もり・あつし(1912—1989)


 

本名=森 敦(もり・あつし)
明治45年1月22日—平成元年7月29日 
享年77歳(雲月院敦誉正覚文哲居士)
東京都新宿区袋町15 光照寺(浄土宗)



小説家。長崎県生。旧制第一高等学校(現・東京大学)中退。横光利一に師事。昭和9年22歳の時、横光の推薦で大阪毎日新聞に『酩酊船』を連載。壇一雄・太宰治らと同人誌『青い花』創刊に参加。その後各地を放浪し、『月山』で48年度芥川賞を受賞、40年ぶりに文壇に復帰した。『われ逝くもののごとく』『天上の眺め』などがある。






  

 「ンだ。それに、ごんごと燃すなださけ、骨だけきれいに、姿なりに残るもんだのう。じさまはそげだ火に焼かれるこったば、熱っちやい言うて、ごけん(怒る)なんども、死んでなにがわかろうちゃやのう」
 と、死んだじさまを笑うのだが、わたしにはかえって、ふとばさまもそうして生きているらしく見せかけている人のような気がしはじめた。こうして死んだ人が、われわれに立ちまじってくるために、さも時間の中にいるように、懐中時計を持って来るということもあり得ぬことではない。なぜなら、わたしたちもこうして生きていると思っているが、どうしてそれを知ることができるのか、それを知るには死によるほかはないのだが、生きているかぎり死を知ることはできないのだ、かくて、わたしたちはもどき、だましの死との取り引きにおいて、もどき、だましの生を得ようとし、死もまたもどき、だましの死を得ようとして、もどき、だましの生との取り引きをしようとするのである。それでもこうして、この世も、あの世もなり立っている。深く問うて、われも人も正体を現すことはない、人は生が眠るとき、死が目覚めると思っている、しかし、その取り引きにおいて、生が眠るとき死も眠るのだ。
                                                                 
(鳥海山)



 

 ずいぶんと長い寄り道になったものだ。奈良や松本、酒田にも住んだし、山形・庄内地方も転々とした。湯殿山や尾鷲、弥彦などにも行った。その経験が『月山』を生み、芥川賞受賞につながった。62歳での受賞は当時、最高齢受賞者の記録(平成25年、黒田夏子が75歳で受賞するまで)だった。
 〈すべての吹きの寄するところこれ月山なり〉——暗く寒い冬を越し、みずみずしく流れ出してくる山の水のように、永い放浪から幻のように再び現れた作家、森敦。市ヶ谷の丘の中腹にある自邸居間の安楽椅子で意識を失い、腹部大動脈瘤破裂により急逝。平成元年7月29日のことである。遺志により葬式は行われず、出棺のときお経の代わりに『組曲・月山』の第10章『死の山』が流された。



 

 外堀に面したカフェで一杯の紅茶を飲んで歩き出した。神楽坂の急坂をのぼりながら、行先もままならず、戻る先もしかりであったある時期の煩悶を思い出す。その苦い記憶もはるか遠くに薄れてしまったが、降りたりのぼったり、歩道に行き交う人々のざわめきと関わるのが煩わしいほどに私の心は静寂を探している。
 やっとその辻を見つけ、左への細道をさらにのぼっていく。袋町地蔵坂、その坂の中途にある光照寺、かつてあった牛込城の跡地に建つこの寺の山門をくぐったすぐ左手にある「森家之墓」、今しがた飾られたばかりの供花が輝き、お線香の煙が碑面を揺るがしている。
 ——傍らの碑に曰く〈われ浮き雲の如く 放浪すれど こころざし 常に望洋にあり 森 敦〉。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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