神保光太郎 じんぼ・こうたろう(1905—1990)


 

本名=神保光太郎(じんぼ・みつたろう)
明治38年11月29日—平成2年10月24日 
享年84歳(仁堂詩仙居士) 
埼玉県新座市野火止3丁目1–1 平林寺(臨済宗)



詩人。山形県生。京都帝国大学卒。高校時代から文学を志し、昭和10年『日本浪曼派』、11年『四季』同人となる。14年『鳥』『雪崩』を刊行。戦後は第二次『至上律』などの同人となり、『青の童話』『陳述』などを刊行。ほかに『冬の太郎』『南方詩集』『曙光の時』などがある。








ここは どこか 深い山のなかなのか
あなたの声は木樵の錆をつたえる

こつとん こつとん

ほこりに塗れた古時計を見あげて
あなたは朝毎
死んだ太郎を憶い出す
雪ばかり食って
あなたは生きてゐることができる
春のうたを あなたは岩陰に秘してしまった

むっつり

あなたは いつも山嶺の喬木のやうに黙々と立つ
雪崩がいつ襲ふか
あなたばかりが知ってゐるのかも知れない

                                                     
 (雪崩)



 

 昭和9年、画家須田剋太のアトリエがあった浦和の別所沼畔に家を新築して以来、半世紀以上も住み続けて創作活動の拠点とし、光太郎を敬愛していた立原道造もたびたび訪れていたというその家で〈かなしみは水霧をあこがれ 木の葉と化し 私のからだを翔け出て行った〉と詠った詩人光太郎は平成2年10月24日午後2時25分、心不全のため別所沼畔の自宅で死去。よく散歩していたという沼の畔には『青の童話』から「冬日断章」の一章をとった自筆〈沼のほとりを めぐりながら 神をおもふ 水面に映る ひとひらの雲 羊の孤独〉を刻した詩碑がある。また光太郎が住む別所沼のあたりに小屋を建てて住むことを思い描いていた立原道造のスケッチを元に小住宅・ヒヤシンスハウス(風信子荘)も建てられている。

 



  日本野鳥の会の創立者中西悟堂や野火止在住であった作家の中谷孝雄らとともに武蔵野の最後の砦として、急激な新座の都市化から防ぐべく「平林寺の自然と文化を守る会」に与した神保光太郎の眠る塋域は、歴史的遺産の野火止用水が境内にも導かれ、かつての武蔵野の面影を残す広大な境内林の散策路のずーっと奥、松平伊豆守信綱墓所、野火止塚をさらにすぎたあたりに開けた檀家墓地の一角にあった。かなり大きな敷地の五輪塔と墓誌の間に緑がかった墓石、「神保家」と大書されている。境内全域が関東随一、臨済宗妙心寺派の禅修行の専門道場と位置づけられているように武蔵野の禅刹としての風格を感じさせる厳かな佇みであった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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