七夕伝承・原始七夕伝承


七夕伝承の発生する以前の「七夕伝承の元となる信仰」について、世界樹信仰からトーテム信仰へ、更にトーテム信仰から西王母信仰へ、そしてその西王母が織姫に、西王母と対となる存在の東王父が彦星へと変化して行く過程を調べてみました。まだ下調べが済んだ段階であります。以下七夕伝承については四部構成になっております。

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「七夕」のような星のお祭りは世界でも珍しいそうです。短冊に願い事を書き笹の葉につるします。そうして織姫(こと座・ベガ)・彦星(わし座・アルタイル)に願い事をかなえて貰うようお祈りします。

七夕行事の起源は何だったのかについて様々な説があります。今までは七夕に関する資料はあまりありませんでしたが、現在資料は探せば探せなくはない状況になってきました。そこで私が独自に調べてみましたところをお話しようと思います。しかし残念ながら調べたものを羅列しただけで結論は出ておりません(..)。


世界樹・宇宙樹信仰(090223)

時は今から1万3200千年遡ります。この頃は氷河期又は氷河期があけた頃で、北極星は現在ある子熊座のポーラスターではなくて、後に織姫星となること座のベガ星でありました。

仏教やキリスト教が普及する遥か昔では、世界的な広がりを持つ「世界樹信仰」があったようです。例えば中国では後に「扶桑」と呼ばれるものになって行きます。

世界樹又は宇宙樹と呼ばれる信仰は、「天地創造のときに、まず1本の巨木が生じて、この巨木から世界は体系的に作られたとする神話」です。この天と地を結ぶ一本の巨木から、全てが生まれ、又全ての秩序が作られていったとする信仰でした。

現在伝わっている宇宙樹信仰では北欧神話の「宇宙樹ユグドラシル」があり、また日本では鹿児島県の「若木迎え」や諏訪大社の「御柱祭」などがあります。


鳥トーテム(090223)

稲作起源は紀元前八五〇〇年頃の中国であるとされています。この頃の遺跡から稲作に必要な「太陽」「水」「鳥」が描かれた土器が出土されます。この中の「鳥」は朝に鳥がさえずり始めることにより太陽を呼び出すとする考えであるそうです。
前述の宇宙樹信仰は頭の部分に日月、中央部に有蹄類、下部にベビなどから構成される柱が神体として扱われていたようで、この柱の神体をトーテムと言います。この中の鳥トーテムが現在でも中国少数民族で西王母信仰の残っているイ族にみられます。このトーテム信仰の1つである鳥トーテムはシャーマニズムとセットで信仰されることが多いようです。この鳥トーテムは「鳥竿(ソッテ)」とも呼ばれ、竿(テ)には柱・竹・竿・棒などが使われました。トーテムと呼びましてもピンと来ない方もいらっしゃると思いますが、トーテムの1種類であるトーテム・ポールと言う言葉であればご存じかと思います

宇宙樹は「地上と天上を支える軸」とされておりまして、星々の中心に見える「北極星」と「地上」とを結びます。鳥トーテムの柱(ポール)は当時の北極星であるベガ星に向かって伸びていたことになります。時代的には夏や殷の頃までと思われます。

この宇宙樹が後に「西王母」と呼ばれるものに変化していくようです。この原西王母ともいえる宇宙樹は絶対神で、天地を疎通させる宇宙軸上で、地上と北とを結ぶ南北軸であり、天地を結ぶ上下軸であったそうです。この絶対神である宇宙樹が南北軸に対して左右に、つまり東西に分裂をおこしたしたそうなのです。


西王母と東王父(090223)

地球の歳差運動により、北極星の位置が「こと座のベガ星」から「子熊座のポーラスター」へと変わってしまったことから宇宙樹は東西に分裂を起こします。恐らくは周の時代と思います。

鳥トーテムの本体であります「軸(ポール)」は、東に太陽の象徴である東王父・中央には左右分裂を示す水の象徴である天の川・そして西にはシャーマニズムの要素もある宇宙樹本体はベガ星の位置を保ったまま西王母へと変化します。
「鳥」は東王父には太陽黒点を表す三羽の烏(又は三足烏)に、西王母には両者を橋渡しする希有鳥へと分裂します。

希有鳥は古代中国の宇宙観である天蓋説の軸の下にいて、両わきに東王父と西王母を抱えています。西王母は1月1日と7月7日の年に2度、この希有鳥に乗って東王父に逢いに行きます。現在では正月と七夕は別の行事でありますが、この頃までは正月と七夕はセットの行事であったようです。

 東王父は、シャーマン的な要素が強く残った影響から次第にその信仰が薄れ行きます。西王母は不老長寿の象徴(道教に見られる桃源郷のように桃で表されるもの)でもあります。そこで月は欠けても必ず元に戻る事から、場所をベガ星から月へと移動し「不死」の神格化傾向を強めたのではないかと思います。東王父も太陽から 二十八宿 の1つ「牛宿」へ移り、さらに二十八宿の「河鼓」へと変化し、最後に現在のアルタイル星へと変化したのではないかと推測します。(これを調べていたときは、このように考えていたのですが、牽牛(水路などを占います)と言う区分もあり近くに、田畑を管轄する区分もありましたので、引き続き東王父の移動の仕方は調査中であります)

陰と陽(090219)

分裂して日の沈む西に分かれたのが「西王母」、太陽の昇る東に分かれたのが「東王父(又は東王公とも云われます)」であるそうです。「西王母」は月と女性の属性を持ち、兎や蟾蜍を伴い陰の精を表します。駐推前漢墓に描かれております。「東王父」は太陽と男性の属性を持ち三足烏を伴います。空心磚墓にも描かれ「太陽の中に三足烏がいる、それが陽の精である」と云う説明があります。

西王母(090219)

次は西王母と七夕伝承から引用です

西王母は頭に「玉勝」を戴いています。西王母は、元来、ただ一人、大地の中心である宇宙山(世界樹)の頂点にあって、絶対的な権力で持って宇宙全体を秩序づけていた。その秩序づけが、彼女の機を織るという行動に象徴されていた。西王母は、いわば世界の秩序を織り出していたのである。さればこそ織機の部分品である゛勝゛がその頭上に載っているのであった。織機の部品の中でも、特に゛勝゛が選ばれたのは、一人で再生を繰り返す神のありかた(すなわち、円環的な時間の中にある存在)と織機の軸の回転とを重ね合わせて、その軸の回転を制御する゛勝゛を象徴的に使用したものと推測される。
東王父(090219)

西王母が陰の要素を濃くしてから、その対照として陽としての東王父ができたようです。東王父のかぶりものは「三維冠」(他のものをかぶっている画像鏡もあります)で゛維゛と呼ばれているのは天地を結ぶ大綱を指すと考えられています。それが「三」であるのは、3と云う数字が太陽神と係わりが深いためであると云われています。三足烏や3羽の鳥に引かれた太陽を運ぶ雲車なども「3」の数字です。

淮南子のゲイのお話から〜昔中国で一度に10個の太陽が出現しました。時の皇帝は「ゲイ」という弓の名人を呼んで、このうちの9個の太陽を射落としました。その射落とした太陽を調べてみると、9羽の真っ黒なカラスであったそうです。
広益俗説弁から〜上記の話と同じですが、時は垂仁天皇の御代で、太陽は9つ出現します 武蔵野国入間郡で打ち落としたそうです。
八た烏から〜淮南子に「日中に(シュン鳥(ウ))あり」という記述があり、このシュンウが3本足の烏であると解釈されています。天照大御神と高木神によって神武天皇のもとに派遣されたヤタガラスは、天照大御神を祀る神社のノボリに三本足の烏として書かれています。


ガマガエル(090219)

月に住むと言われるガマガエルの正体は「太陽を射落としたゲイ」に西王母が不死の桃をあげようとしたところ、サット盗んでいった東方朔が月まで逃げていってガマガエルになったそうです。(異説あり)

「三足烏を打ち落としたご褒美」つまり西王母と東王父とが夫婦げんかをしている話なのです。七夕伝承の1つに、夫婦喧嘩をして牽牛と織女が物を投げ合う話があります。牛郎は牛の鼻輪を投げます。それが織女三星(注1)。織女は(木俊・・・1文字でにんべん無しでヒと読みます)を投げます。ヒは機織りの道具です。それが河鼓(注2)です。

注1)Lyr3α星(ベガ) Lyr4ε星 Lyr4ζ星
注2)Aql53α星(アルタイル) Aql50γ星(タラゼド) Aql60β星(アルシャイン)の鷲座3星


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