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5月3日 (第4日目)

カトマンドゥ出発

6:30起床。 ホテルで目覚めると外から車やリクシャーのクラクションが 鳴り響いてきた。また今日もカトマンドゥはカトマンドゥなんだなぁ、 とふと思った。お風呂に入る。
7:30朝食。メニューはアメリカン形式でコーヒー、 フルーツ、パン、玉子。
9:00ダルバール・マーグを散歩。
10:30ヒマラヤンジャーニーのソミさんが迎えにきた。 トレッキング・パーミット(許可証)を渡される。

ヒマラヤン・ジャーニーが手配したタクシーに乗るが 運転手は空港の国内線用乗り場の場所を知らなかった。
10:50空港着。 車が止まると勝手に子どもが荷物を持ち、 ヒマラヤン・ジャーニーが子どもを止めないのでそんなものかと 思っていたら、結局子どものポーター代と空港入場料を 請求された。子どもは勝手にやったポーターで、 たった10mほど運んだだけなのにこちらの差し出した10Rsに 首を振り、40Rs(この額は今考えても高すぎる) を要求してきた。払った後でソミさんに 「勝手に持ったくせに払わなきゃいけないなんて 日本とは違う考えだ。チップは気持ちでいいと 聞いていたのに断られるのも驚いた」と不満を言った。 そのせいかソミさんは最終日の国際空港では子ども達に荷物を 持たせなかった。

ソミさんにチップを渡そうと思っていたが、 こちらの質問がうまく伝わっていなかったために 渡すことができなかった。再びカトマンドゥに戻った際に 渡したので問題はなかったが、この時は少し気になった。

X線による検査装置がないのでザックを開けて中を見せなければ いけないが、トレッカーに対しては厳しくなかった。 人間に対しても同様に文明器具はなく男女別の個室に 通されて調べられる。

搭乗までかなり長い時間待たされた。待合い室では 飛行機の案内が流れているのだが、何を言っているのか さっぱり分からない。やむを得ず、何か放送があるたびに 出口に立っている男にいやな顔をされながら質問をした。 空港待合い室内のコーラは20Rs。

乗客は20人、スチュワーデスが1人。お世辞にも安心できる 飛行機とは言えない。 機内に乗り込むとおもむろに飴と綿が配り始められた。 綿はなんと耳栓のためだった。プロペラ機とは言え耳栓がなくても 特に耐えられないことはないと思ったが、この国らしいサービスだ。


ポカラ

ポカラの空港前にヒマラヤン・ジャーニーの事務所に寄った。 空港に降りると例によってタクシーなどの呼び込みが激しいが、 「どこに行くんだ?」と言う質問に「ヒマラヤン・ジャーニー」 と答えると「それだったら空港の目の前だ」と正直に答え てくれる。

この事務所で最初の食事(昼食)をとった。 ガイドは事務的な手続きだけを しており、事務所の子供が私たちの相手をした。 愛想のいい子だったが、 全く英語が話せないので、ネパール語の本を見ながらいくつか 話をした。彼の名はキスナー・バハドゥール・カルキ。 帰り(11日)に事務所に再び寄ったときに再び 彼にあったが、ネパール人らしく非常に恥ずかしがっていたので、 自分たちのことを忘れてしまったのかと思ってしまった。

15:00くらいに乗用車に私たちを含めて5人 (私たち、運転手、ガイド、コック。 この後の文章でも分かるがパーティーの中で ガイドとコックは非常に偉い)が乗って 出発。途中ノーダラでトレッキングパーミット(許可証) のチェックがあった。このちょっとの時間にも 子ども達が物を売りつけようとしてくるから 閉口する。ルムレに到着し、チャンドラコットへ トレッキング開始。


トレッキング・メンバー

ガイド(サーダー):クマール(Kumar)
27歳。真偽の定かでないことの多い男だった。 初めてポカラの空港で会ったときに、本で読んでいた ガイドのイメージとあまりに違うので驚いた。以下は彼との会話。 これらの内容がどこまで信憑性のあるものかは定かではない。


コック(Cooking Boy):ジートゥバッハドゥー(JeetBahadur)
非常に無口。普通に話せたのは最後の日くらいだった。 26歳で双子の子どもがいる。ソン・クーンブ地方に住んでいる。 ヒンドゥー教徒。


キッチン・ボーイ(Kitchen Boy):ヒーラ(Hira)
23歳。奥さんは20歳。女の子が一人いる。


料理手伝い兼ポーター(helping Porter):カールー(Karu)
22歳。


ポーター(Porter):カンツァ(Khancha)
ガイドはサンタという名前だと言い張っていたが、 本人はカンツァと言っていた。 後の情報によるとカンツァとは末っ子のことらしいが、 詳しいことは分からない。ゴラパニで先に帰ってしまった。 ガイドにはチップをあげたいから帰る前に会わせてくれと 何度か頼んでおいたが、結局会えなかった。こういう面では あまりきちんと頼んだことをしないガイドだった。
ポーター(Porter):ラジュー(Raju)
25歳。中国系の顔をしている。非常に童顔。


ポーター(Porter):カンツァ(Khancha)
別のカンツァ。18歳。ゴルカ出身。妻はカンチンという名前。 英語もしゃべれないがこっちの分からないネパール語を話しながら、 にこやかに話しかけてくる明るい若者だった。


ポーターは50kgの荷物を持って山を登る。キッチン・ボーイは 山積みの荷物を持つが食器がほとんどなので軽そうだった。 ガイドとコックは自分用の荷物しか運ばない

チャンドラコット

トレッキング開始
チャンドラコットまでの道は平坦な道。 途中牛がいたので近づこうとしたところ あの重たい体とは思えない早さで 逃げていった。しかし、彼の逃げる方向が 偶然こちらの行きたい方向と同じだったため、 しばらくの間牛がこちらを見つけては すばやく逃げる繰り返しという申し訳ない事態となった。

17:00チャンドラコットの村につき鶏がいたので写真を撮る。 この後、毎日のように鶏の写真を撮ることになる。 ベンチに座るとおもむろにチャー(お茶)と ビスケットがでてきた。これも毎日でるもの なのだが、最初だったのでちょっと感動した。

チベット人のお土産商人につかまり、 アンモナイトとネックレスを買う。 顛末は買い物のページ

99歳のお婆さん


雨が降り始め、雷まで鳴り出した。初日から降るとはついていないが、 結局この後毎日夕方からは雨に降られることになる。 この季節はこういう天気が普通らしい。

夕食
夕食のメニューはカレー、ご飯、スープ (インスタントラーメンみたいな味)、キャベツトマトサラダ、 モモ(餃子のようなもの)。ガイドと山の話などをする。 この付近は道路から近い(とは言っても1時間歩くところ) ので山賊がでるらしい。カメラなどの貴重品は シュラフの中にいれておくようにと指示された。 シュラフの中まで探されたら殺されちゃうじゃないか とも思ったが指示に従った。 このとき、次の日にメンバー全員の紹介をしてくれるように 約束をしたが、結局この約束は守られなかった。
20:45夕食終わり。就寝。


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