The Life of Franz Liszt
1828(17才)−1832(21才) パリ時代〜思春期
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父を失ったリストは、自分のもとに母を呼び寄せパリに腰を据える事にしました。貴族の子弟にピアノを教える事で収入を得ていました。演奏活動も行っていたましたが、センセーショナルな活動は特に行いませんでした。リストは悩んでいたのです。自分の芸術とはなんだろうか?このままでは単なる一人の演奏家として終わってしまう。その頃、生徒の一人であったカロリーヌ・サン=クリック伯爵令嬢に身分上の問題から失恋したリストはさらに表舞台から遠のいてしまい、新聞にリスト死亡のデマ記事が載る程でした。宗教的、哲学的な書物を読み、解答を見つける日々が続きました。サン=シモン主義者達と交流を持ち、ラムネ神父やショーペンハウアーなどの著作、その他数多くの芸術作品に接することで、リストの悩める精神は徐々に快方へ向かいます。そんな頃、1830年に知合った年長のベルリオーズは、リストにとって、あらゆる意味で指南役となりました。

そんな折、パリを襲う2つの衝撃が、閉じこもるリストを目覚めさせる確固たる契機となります。まずは1830年パリ7月革命が勃発。そのエネルギーは若いリストに多大な創作意欲を沸き起こさせます。そして1831年にパガニーニがパリに上陸。パリを興奮のるつぼに陥れます。ヴァイオリンの魔人パガニーニの演奏を目の当たりにしたリストは“自分はピアノのパガニーニになるのだ”と決意し、演奏技術にさらに磨きをかけるべく猛練習を開始することになります。
この頃の主要作品
1829年 S385 i オーベール〜リスト “許婚”のティロリエンヌによる大幻想曲 第1バージョン
1832年 S420 パガニーニ〜リスト パガニーニの“鐘”の主題によるブラブーラ風大幻想曲
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