■セブンアイ
 
「消防士」


 28日朝、今年初めて手袋をしてジョギングしながら、いつものコース、消防署の角を曲がって坂道を下ったとき、十数年前、務めていた新聞社で主催する市民マラソンで取材した男の子のことを、ふと思い出した。
 たしか午前6時スタートだった。まだ薄暗く、0度に近い寒空の下で待ちながら、ランナーの家族を取材するのは楽しみだった。今も忘れられないのは、幼稚園だったか小学校1年か、男の子の応援である。コースに立ち、走って来るであろう父親の姿を、背伸びして懸命に探していた。「パパがんばれ」と書かれた手作りのプラカードを持って。
「僕のパパ、かっこいいんだよ!」
「すごいね。パパのお仕事は?」
「えーとね、火を消すの。火を消して、危ないところからいっぱい人を助けるの」

 彼のお父さんは消防士だった。一緒にいた母親は、ご主人が火事で倒壊寸前の家屋から子どもを助け出し表彰を受けて以来、息子にとって父が憧れ男に変わったようだ、毎朝欠かさずジョギングに出る父の帰りを、今で待つようになった、と彼の頭をなでながら教えてくれた。
「夢は? 大きくなったら何になるの?」
「ショーボーシ! パパみたいになる」
 彼の話はマラソンの取材と関係がなかったはずなのに、今の印象に残っている。

 新潟県中越地震の悲しみには言葉もない。生き埋めになった男の子を助け出した消防隊員たちは、余震が起きた瞬間、何トンもの岩石の崩落がないかを冷静に確認しながら、少しもたじろいでいなかった。テレビの望遠カメラを通じ、本当に多くの祈りが彼らの「勇気の背中」に注がれていたのだと思う。同時に、余震に胸を締め付けられながらレスキュー隊員を見守る彼らの家族、歯を食いしばって自分のお父さんの強い背中を見ていた、子どもたちの視線も。

 28日朝、走りながらいつもの坂道に入ると、トレーニング用の思い作業靴を履いて走る、20歳代くらいの若い隊員に笑顔であいさつをされ、並んだ。よく会う顔にあいさつを返したとき、なぜか突然、とんちんかんな質問をしたくなった。
「お父さんも同じ仕事でしたか?」
 彼は一瞬驚いたが、返事は早かった。
「ええ、消防士でした」
 十数年前、河口湖で会った彼は、今ごろどうしているのだろう。

(東京中日スポーツ・2004.10.29より再録)

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