斉藤が7か月で見た天国と地獄


「それにしても……、ヨイショ、っと」
 17日のキリン杯パラグアイ戦(国立競技場、1対1)を視察したシモエンス監督(ジャマイカ)は、車のトランクを開けながらつぶやいた。
 滞在中のソウルから、わざわざ視察のために来日。日本の印象を尋ねる報道陣の輪からやっと解放されると、厚さ5センチはある分厚いファイルを取り出した。黄色い表紙には、しゃれた字体で「JAPAN」と記してある。
「きょうの日本は、わたしの知っているチームではなかった。意図的か、そうでないのか。昨日(16日、ソウル)のわたしたちの韓国戦(1対2で敗戦)をミスター岡田は必死で分析しないだろう。それと同じだ。ただし、来て良かったこともある」


 日本の分析について、後はコンピューターに任せるだけ、と16日のソウルでは豪語していた。しかし、足りない情報もあったようだ。
「新しい選手2人、28番と16番を観られたこと。昨年の予選にはほとんどないデータだったからね。きょうの16番は特にカギになった」


 28番は今回復帰した伊東輝悦(23=清水)。
 16番は後半、小村徳男(28=横浜M)と交代した斉藤俊秀(25=清水)。昨年の予選、「後がない」と言われたUAE戦(10月、国立競技場)以来、実に7か月ぶりに、ピッチに復帰して来た。選ばれても、選ばれても、チャンスが来るのは、井原正巳(30=横浜M)が警告で出場停止になった時か、DFの誰かに故障者が出た時しかない。「サブ」である。
「岡田監督からの指示は丁寧にボールをつなげ、ということでした。前半DFから出ていたパスは、多くが“行って来いパス(単調に蹴りこむこと)”ばかりでした。後ろからのビルドアップ(押し上げ)をしっかりすること、それを心がけていました」(斉藤)

 シモエンス監督が「カギになった」と話した理由は、後半から日本のボール展開が明らかな変化を遂げたからだという。右に入った斉藤は、井原、秋田との3バックを注意深くこなし、さらに、途中ミスはあったが、前線へのパスをつないだ。アルゼンチン戦を想定するならば、こうした組み立ては攻撃にとって不可欠である。
 95年ユニバーシアード(福岡)の主将も、今年早々代表落ちの辛酸をなめた。昨年ジョホールバルから凱旋帰国した日、斉藤とこんな話をして別れた。
「サブは、相手よりもまず自分との精神的な戦いだと学びました。つまりモチベーションの問題です。常に自分がピッチにいたらと考え続けないと、ただベンチにいるだけになる。そういう怖さを知ったつもりです」

 今回も、御殿場合宿の紅白戦で、自分の先発はないのだろうと半ば思った。しかし、それでは昨年と同じになってしまう。今までと違ったのは、試合前夜も、「自分が先発で行くんだ」という高いテンションを持つことができたことである。代表落ちした時、清水のアルディレス監督(アルゼンチン)はこうアドバイスをした。
「自信というのは、みんなが持っていそうで実は持っていないものだ。だから練習からオーラが放たれるようなプレーをして自信を積むこと。チャンスは必ず来る」

 技術的にも、修正をした。DFのパスの出し方は、決して狙って出すのではなく、その前に何本も何本も、一見無駄と思えるようなパスを積み重ねること。攻撃的な守備とはどういうものか、外国のビデオを何本も繰り返し見た。
「不思議なものです。代表落ちした3か月間で、代表としての在り方について、より多くを考えた気がします」

 オフには、アルディレス監督の自宅(ロンドン)にホームステイし、名門・トットナム・ホットスパーのサテライトに参加させてもらった。滞在中、ある選手が、日本から来た見ず知らずの選手を見つけ、自己紹介に来てくれた。
「クリンスマン(ドイツのエースストライカー)でした。がんばれ、で握手。それだけでしたけれど」 
 斉藤は笑った。
 7か月間で、ベンチから代表落ち、そして土壇場で復帰。
 シモエンス監督はご自慢のコンピューターに、斉藤の情報をどう打ち込むんだろう。

週刊文春・'98.5.28より再録)

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