コンプレックスが名波を育てた


「亀にブレーキ」
 どこかコミカルな表現だ。聞いただけで、とにかくとてつもなく遅いことだけはよく分かる。加茂周・前代表監督は、MF名波浩(25=磐田)のことをそう呼んでいた。
「ああいう選手を、亀にブレーキ、そう呼ぶんだ。亀がブレーキ踏んでるみたいに遅いだろ。アイツの足はそのくらい遅いんだ」
 名波が? そんなに遅いの? 加茂監督は自信たっぷりだった。
「日本代表で一番遅い」

 フランスで戦う日本代表がついに決まった。左利きの名波が、「10番」をつけることになるだろう。プレーを見ていて、決して速くはないとは思っていた。しかし誰もが彼の左足に見とれていたのも事実である。「亀」、さらに「ブレーキを踏む」となると、これはもう、ご本人に確認をするしかないだろう。
 名波は笑い出した。
「加茂さんがそうおっしゃっていた? そう、マジで本当に遅いんだ。自分の足を完全にあきらめたのは……」
 今回は、歩みののろい亀が代表の10番になるまでの話である。

 4人兄弟の末っ子だからいつもやんちゃで、動くのは得意だった。しかし、ひとつだけ気になっていたのは、サッカー選手としては特別に足が速いわけではないことだったそうだ。小学校まではそこそこ。左利きゆえに何とか技術でカバーしてきた部分もあった。
 しかし、中学に入って中盤を本格的に任されるようになり、あるゲームでちょっとしたハプニングが起きる。 
 「ドリブルで一度抜いたはずの選手に、もう一度追いつかれ、抜かれたんですよ。あれ? さっき躱(かわ)したヤツじゃあないかって。あれで、もう完全に自信喪失するわ、仲間にも、オマエなあ、いい加減、足遅過ぎるんじゃねえか、なんてからかわれるわ。あの時、はっきり自分の足には見切りをつけたんです。これはもう駄目、思い切って捨てようって」
 今では笑える話だが、当時、「サウスポー」として、自分の力を「真」に発揮しようと考えたのは、実はこの強烈な「コンプレックス」を自覚したゆえだったという。

 名波は考えた。まずドリブルをしない、パスを速くさばく、そして、ボールと人間に対して「寄せる」技術を徹底的にマスターしよう。そして、それを繰り返した。サッカーはよーいどん、でスタートを切る競技ではないから、亀にも十分チャンスはある。
 実際、その技術には絶対の自信がある。まずは、読みを鍛えた。
「もし、自分の3メートル半径のなかにボールでも人間でも入ったら、詰めることでは絶対に負けないと思う。走れないからこそ考えた技術」

 DFも非常に上手い、と評価されている。中でも印象に残っているのは、昨年11月、もう後がないと言われて臨んだ韓国戦(ソウル)である。前半だったと記憶するが、相手が守備の間を縦にぬけ、ボールをキープしていた高(C大阪)がスルーを出した。大ピンチに、名波はまさに「詰める」絶妙のタイミングでスライディングタックルをし、このパスを封じた。
 スパイクの消耗度は激しい。ボール扱いばかりに目がいくが、実際には、こうした詰めの際の切り返しで足にかかる負担が大きいことが理由なのだという。

 96年、オリンピック代表が「マイアミの奇跡」を起こしていた頃、名波はデンマークでの25歳以下日本代表候補合宿に、初めて「ボランチ」役で参加していた。親善試合で、地元の有力クラブ、「ブロンビー」と対戦。敗れた後に、日本の印象を尋ねた際、監督は言った。
「ボランチをやっていた左利きの選手(名波)は抜群だった。日本にもあれだけできる選手がいると甥っ子に言っておくよ。近いうちに代表のエースになるんだろうね」
 この監督は、元ヴィッセル神戸のデンマーク代表、ミカエル・ラウドルップの実の叔父だった。
 2年前、見ず知らずの指導者がした予言は、どうやら的中したようだ。
 スポーツ選手のコンプレックスとは、時に最大の武器にさえなることもあるのだ。
 亀はうさぎに結構勝てる。サッカーが面白い理由かもしれない。

週刊文春連載より・'98.5.21)

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