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※無断転載を一切禁じます 陸上 静岡国際(パリ世界陸上選考会) 春季サーキット第三戦目で、男女一万メートルが行われ、同種目の男女それぞれの日本記録保持者の高岡寿成(カネボウ、27分35秒09)、渋井陽子(三井住友海上、30分48秒89)が出場。パリ世界陸上の標準記録突破する好レースが期待された。女子一万メートルでは、開幕となった4月20日の兵庫で、約1年半ぶりに一万メートルへ復帰した弘山晴美(資生堂)が、終始トップグループでレースを展開。粘りとリズムの持ち味を発揮し、32分15分72秒で久々に日本人トップとなり(1位は32分12秒91でマロット=ケニア)、標準記録31分45秒には届かなかったものの、6月、最終選考会となる日本選手権に向けて、大きな収穫を得るレースとなった。一万メートルで世界陸上代表を狙う渋井は(すでに標準記録は突破している)トラック練習をスタートしてからまだ3週間程度ながら、7000メートル付近まで先頭集団にしっかりとついて行くレース運びで、こちらも日本選手権に向けて期待の持てる結果となった。 高岡寿成「慎重にレースを運んで、うまく流れをつかんで走ることができたと思う。何とか、元気なところはアピールできたんではないかと思う。ラストは僕の持ち味でもあるんで思い切り行った。(4月29日の織田記念では)失敗したが、失敗をすぐに取り返すことができるのはトラックレースに良いところだと思いう。マラソンはこうはできない」 佐藤信之「自分では28分30秒を切っていければ、というくらいの目標だったので、(結果に)僕自身が本当に驚いています。シドニー後は、自分の考えや計算と違った失敗ばかりに見えたかもしれないが、それでもその中に、調整についての収穫や自分なりのやり方は見えてきつつあった。今年前半は、日本選手権までスピードをつけることを目標に、まだアテネを捨てたわけではありませんから」
「日々、何かしら進歩している」 残り1000メートルになっても、弘山は先頭集団で踏ん張っていた。今季2戦目となる一万メートルは、大越が積極的に先頭をリードしたため、超凡レースとなったサーキット開幕の兵庫とは違い「レース」となった。トラックレースを長く離れマラソンに取り組むと、どうしても集団でのポジション取りの感覚が鈍る。兵庫では、なかなか居心地のいい場所を確保できないまま──それは同時に自分のリズムを保てないことを意味するが──レースを終えてしまった。 兵庫から約2週間、インターバル練習を取り入れるなどして、さらに追い込みながら、29日には織田記念(広島)で5000メートルに出場し、「静岡をサーキットのピークに」というシーズン当初の目的を果たそうとした。 気温も25度を越え、レースだけで日焼けしてしまったが、レース後の笑顔には充実感がうかがえる。日々何かしらの進歩とは、彼女のようなベテランになってしまうと、なかなか持てない感情である。トップレベルで弘山の後の世代になると、高橋尚子、山口衛里のところまで一気に5、6歳あいてしまうだけに、「同世代」が一人もいない弘山の戦いは、実に孤独なものだ。 ひとつのきっかけは、災いが転じたことかもしれない。イラク戦争、SARSの影響から、予定していた3月の中国・昆明合宿を国内に変更。高校時代にインターハイの合宿に行った四国の屋島に、四国電力や九州電工など、主に西の実業団チームとの合同合宿に参加した。もちろん最年長。しかし、マイペースだとか、貫禄を見せるだとか、そういうことではなく、むしろ若い選手達の行動にひたすら目を凝らし、何かを教わりたいと心から願った。 帰ってからは、自宅を片付け、補強をするためのスペースを確保するなど、35歳になろうという今年、ささやかでも新たな進歩を追ってスタートを切った。
(草薙陸上競技場)
男子一万メートルでは、来年のアテネ五輪でマラソン代表を目指す高岡が、終始安定したレース運びで、ラスト1周、キレの鋭いラストスパートを見せて28分3秒62で優勝。高岡自身、春季サーキットでの優勝は94年以来となった。高岡は日本選手権、欧州のグランプリを転戦して7月下旬からマラソン練習に入る。同じく、アテネを狙う佐藤信之(旭化成)も、8000メートルまで先頭集団に喰らいつく粘りを見せ、28分15秒24で4位に入賞、シドニー五輪での惨敗からなかなか浮上のきっかけをつかめずにいたが、トラックランナーを上回る積極性で大健闘を見せた。しかし、男子一万メートル(A標準は27分49秒)をはじめ大会全体では、この日もA標準記録の突破は1種目もなく、兵庫からスタートし、織田(4月29日)、静岡と3大会を行いながらA標準突破者なしという結果に終わってしまった(※すでに昨年突破したものもある)。
この日は、「弘山ポジション」ともいえる、先頭から3メートルほど後ろ、トラックの中側でほとんどストレスを受けない位置を終始キープ。リズムを維持して、トラックでは久々の日本人トップとなった。
「やっとスピードが戻って来たという感じでした。リズムもまずまず。ここまでの練習でも日々、何かしら進歩しているものがあったというか……。まだ私にもできるかな、と思えました」
それこそ自分がマンネリしているのか、停滞しているのか、誰も指摘はしてくれないし、向上しているかの実態がつかめなくなる。体力の衰え以前の、恐ろしい落とし穴は、こんなところにある。夫でコーチの勉氏も常に「彼女の場合は、いつでも気持ちがどこまで充実しているかにかかってきます」と話す。アテネ五輪の予選まであと1年を残す今年は、中でも特に難しい。弘山のキャリアそのものに影響を与えるからだ。
「夕食が終わってからも補強(腹筋や背筋など走り以外の練習)をしたり、朝練でも刺激を受けました。私はのんびりしているところがあるので」
一万メートルでは99年以来となる日本選手権では、渋井や市川といった若手に勝って、しかも31分45秒の標準記録を突破しなければ世界陸上には出場できない。現時点でも厳しい状況だが、今後は菅平で合宿を行いながら、日本選手権を目指す。そこまでに、また数年ぶりに1500メートル(東日本)に出場するなど、また新たな調整にチャレンジする。
勉氏は、菅平での練習計画を、先日妻に見せた。
「ウン? これ何? 桁がひとつ違ってない?」
これまでにない厳しいメニューに、弘山は夫の顔をのぞき込んだそうだ。しばらく考えて言った。
「やってみる」
笑顔で、きっぱりと。
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