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2001年名古屋国際女子マラソン大会
レースは最初の1キロの入りが3分30秒と、ここのところ続いていた高速レースの展開からはかなり遅れたスローペースでのスタートとなった。スローペースのために、集団が30キロ過ぎても尚10数人がとどまる格好となり、給水やコース取りのたびに転倒者が出るなど波乱含み。一度集団から落ちた選手がまたも先頭集団に追いつくという「逆サバイバル」レースとなってしまった。 レースが本当の意味で動いたのは35`から。松尾のスパートに対して、大南姉妹の妹、敬美(東海銀行)、岡本幸子(沖電気宮崎)2人がついていき、ようやくレースが割れた。39キロ手前では岡本が脱落。2人のマッチレースはトラックまで持ち越されたが、最後は、中国の昆明合宿でスタミナを徹底して鍛えてきた松尾が振り切って優勝。2位の大南は2時間26分4秒で、2人とも、世界陸上5議席のうちの2議席に前進した格好となった。 国内3レースの結果を踏まえ、東京で日本選手トップの土佐礼子、大阪で初マラソン世界最高をマークした渋井陽子の三井海上2人、松尾と大南、残り1議席は、大阪で日本人2位の2時間27分50秒をマークした松岡理恵(天満屋)か、この日名古屋で、2時間26分21秒で3位になった岡本かどちらかが代表に選ばれる見込みとなる。 世界選手権の男女代表は5人ずつの派遣で、3月20日の理事会で決定する。また一般種目、トラックは6月に決定することになる。 天満屋で松尾、山口、松岡を指導する武富監督「もともと自分でレースを作るタイプではないので、遅くなることも覚悟はしていた。マラソンで2勝したといっても、それほど大きな自信を持っていたわけではなかった。しかし、年末からの中国合宿の中で、とにかく私が立てた計画その通リにすべてが消化できていたし体調が良かった。24分台は出して欲しかったが、変なところで転んだり、リズムを崩したりといったことがまったくなく、42キロのマラソンを走るコツをよく分かっていると思った。山口とはタイプが全く違う。力強さなどはないが、スピードの切り替えやしなやかさがある」 日本人で3位、記録は大阪の松岡を上回り、世界陸上代表を狙う岡本「あそこで(40`手前)で離れてしまったのが精一杯でした。けれども、思ったよりも楽だったし余裕がありました。苦しいと思っていたけれど、意外に楽に抜けられて自信になりました(前回のマラソンは96年2時間30分48秒)。代表のことは私がドタバタしても始まらないのであまり気にしません。ただ、選んでもらえれば世界で走れるだけにうれしいのですが」 日本陸連・桜井専務理事「松尾さんは基準に2秒足りず、きょうここで「内定」ということができなかったが、3月20日の理事会では当然有力な候補で間違いない。記録は26分だったが、むしろ、潜在的な能力が(デットヒート、サバイバルなどで)分かるものだった。エドモントン世界陸上には23、24分代の力を持った5人を送れることが、アテネへの重要な一歩になると思う」
「言うは易し、走るは……」 マラソンの入りが1キロ3分31秒になった時点で、このレース全体のスローペースが決定してしまった。 集団形成が第一である。 こうした「じれったい」(松尾)レース展開の中、10キロまでに片岡純子(富士銀行、17位)、山内美根子(資生堂、19位)が転倒。ハーフを過ぎてからは、三井海上の坂下奈緒美(9位)、ベテランの安部友恵(旭化成、5位)らトップ選手が4人も転倒している。観ているだけならば、なぜもっとペースを上げないのだ、積極性が足りない、と表することが容易く、表面上は静かな、退屈なレースに見えていた。しかし水面下ではこうした極めて異例ともいえる状況の中で、優勝争いが繰り広げられていた。 「向かい風がずっと変らず苦しかったし我慢するしかないと思った。ハーフでももう記録は諦めるしかないと考え、後はミスをできるだけしないように、それと余裕を持ってレースを運ぼうと考えました。調子が良かった、24分代の自信はあったといっても不安もありましたから、優勝できたことは本当にうれしい」
「脱・山口のスパーリングパートナー」
ところが、相手とのギリギリでのしのぎあいをするトラック種目では性格的に厳しい、むしろゆったりとしたペースで走れるマラソンのほうが練習には充実して取り組めた。マラソンに転向してから記録が伸び続ける。 99年北海道では花道のはずが初マラソン初優勝。その力で、山口の練習パートナーを務めることになる。 松尾も、山口スパーリングパートナーとして力を着実につけ、そこからまた一歩階段を上がった。武富監督は、松尾は、マラソンや自分の感情すべてをコントロールする力があると評価する。練習の中でもペース走や、追い込みの時など、あまり限界を超えてしまうとダメージがある。このため、監督が練習中に止めることもある。しかし「松尾は、きょうは追い込まないといけないので絶対に止めないでください、と言うように冷静に練習に緩急をつけられる。本当にマラソンのコツというのを覚え、実践することができる力を持っていると思う」と、わずか2年前、退社勧告した愛弟子を暖かく見守った。 正式決定は20日になるが、これでスピードと思い切りの渋井、冷静な判断とスピードを持った土佐、レースへの対応力と抜群の調整力を誇る松尾と、タイプの異なる、シドニーとは違った強さを持った代表選手が構成される。
「大南敬美の収穫は……」 2時間26分4秒で2位となった大南敬美(東海銀行)は、8月のエドモントン世界選手権の切符をほぼ手中にし、自身初めてとなる世界舞台への挑戦権を得た。松尾和美(天満屋)とのトラック勝負には惜しくも敗れたものの、昨年の名古屋(2時間26分58秒で3位)に続いて、3度目のマラソンでも自己記録を更新。「満足できるレースだった」と、手ごたえを喜んでいた。 竹内監督「敬美はよく走ったといっていい。手術後は、練習中も呼吸が薄くなって苦しくなったり、止まったりしていた中で、今回も最後まで心配だった。3秒差は確かに惜しかったかもしれないが、選手としてのどん底から這い上がってきたという自信の方が大きい。よくここまで回復してくれたと思う。トラックや駅伝でも途中で呼吸が薄くなって、いきなり手足がしびれてきたりすることもあったので、今回も35キロから(集団の人数が絞られてきてから)は早くレースが終わってほしいというのが正直な気持ちだった。どうしてもマラソンでもう一度復活したいという気持ちが出たレースだろう。勝っていたらもっとよかったかもしれないが、次のレースにはつながる。
第8回京都シティーハーフマラソン 11日、京都シティハーフマラソンが行われ、4月22日のロンドンマラソン優勝を狙う弘山晴美(資生堂)が1時間9分41秒で2位となった。優勝はロバ(エチオピア)で1時間9分19秒だった。また、山口で行われた実業団ハーフでは、山口衛里(天満屋)が1時間10分11秒で8位となった。弘山は日本歴代3位の2時間22分56秒を持っており、シドニー五輪では1万メートルで決勝に進出。山口はシドニー五輪マラソンで7位入賞を果たしている。ともに冬の間は駅伝などのレースに出場していたが、五輪後の最長距離を走り、弘山は賞金レースの初制覇、山口は、世界陸上(8月、エドモントン)でのトラック代表を目指して再スタートを順調に切ったといえそうだ。 |