3月11日

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陸上

2001年名古屋国際女子マラソン大会
兼 第8回世界陸上競技選手権大会代表選手選考競技会

12時10分スタート
スタート時気象条件=天候:曇り、気温:8度、
湿度:46%、北北東の風:2.1m
(名古屋市瑞穂公園陸上競技場発着)

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 昨年11月の東京国際女子マラソンからスタートしたシーズン最後のレースとなった名古屋は、天満屋の松尾和美(26歳)が日本歴代8位となる2時間26分1秒をマークし、世界選手権代表の内定基準である2時間25分台をマークするのにあと2秒足りなかったものの、余裕のあるレース運びで優勝を果たした。これでマラソンには99年の北海道、昨年のベルリン、と3連勝と勝負強さを印象つけて、代表の座をほぼ手中にすると同時に、シドニー五輪女子マラソン代表の山口衛里の練習パートナーだった存在から自ら日本を代表する一流ランナーに仲間入りした。
 レースは最初の1キロの入りが3分30秒と、ここのところ続いていた高速レースの展開からはかなり遅れたスローペースでのスタートとなった。スローペースのために、集団が30キロ過ぎても尚10数人がとどまる格好となり、給水やコース取りのたびに転倒者が出るなど波乱含み。一度集団から落ちた選手がまたも先頭集団に追いつくという「逆サバイバル」レースとなってしまった。
レースが本当の意味で動いたのは35`から。松尾のスパートに対して、大南姉妹の妹、敬美(東海銀行)、岡本幸子(沖電気宮崎)2人がついていき、ようやくレースが割れた。39キロ手前では岡本が脱落。2人のマッチレースはトラックまで持ち越されたが、最後は、中国の昆明合宿でスタミナを徹底して鍛えてきた松尾が振り切って優勝。2位の大南は2時間26分4秒で、2人とも、世界陸上5議席のうちの2議席に前進した格好となった。
 国内3レースの結果を踏まえ、東京で日本選手トップの土佐礼子、大阪で初マラソン世界最高をマークした渋井陽子の三井海上2人、松尾と大南、残り1議席は、大阪で日本人2位の2時間27分50秒をマークした松岡理恵(天満屋)か、この日名古屋で、2時間26分21秒で3位になった岡本かどちらかが代表に選ばれる見込みとなる。
 世界選手権の男女代表は5人ずつの派遣で、3月20日の理事会で決定する。また一般種目、トラックは6月に決定することになる。

天満屋で松尾、山口、松岡を指導する武富監督「もともと自分でレースを作るタイプではないので、遅くなることも覚悟はしていた。マラソンで2勝したといっても、それほど大きな自信を持っていたわけではなかった。しかし、年末からの中国合宿の中で、とにかく私が立てた計画その通リにすべてが消化できていたし体調が良かった。24分台は出して欲しかったが、変なところで転んだり、リズムを崩したりといったことがまったくなく、42キロのマラソンを走るコツをよく分かっていると思った。山口とはタイプが全く違う。力強さなどはないが、スピードの切り替えやしなやかさがある」

日本人で3位、記録は大阪の松岡を上回り、世界陸上代表を狙う岡本「あそこで(40`手前)で離れてしまったのが精一杯でした。けれども、思ったよりも楽だったし余裕がありました。苦しいと思っていたけれど、意外に楽に抜けられて自信になりました(前回のマラソンは96年2時間30分48秒)。代表のことは私がドタバタしても始まらないのであまり気にしません。ただ、選んでもらえれば世界で走れるだけにうれしいのですが」

日本陸連・桜井専務理事「松尾さんは基準に2秒足りず、きょうここで「内定」ということができなかったが、3月20日の理事会では当然有力な候補で間違いない。記録は26分だったが、むしろ、潜在的な能力が(デットヒート、サバイバルなどで)分かるものだった。エドモントン世界陸上には23、24分代の力を持った5人を送れることが、アテネへの重要な一歩になると思う」

■2001年名古屋国際女子マラソン大会
順位 選手(所属) 記録
1  松尾和美(天満屋) 2:26:01
2  大南敬美(東海銀行) 2:26:04
3  岡本幸子(沖電気宮崎) 2:26:21
4  下司則子(九電工) 2:27:01
5  安部友恵(旭化成) 2:27:02
6  後藤郁代(旭化成) 2:27:16
7  市河麻由美(三井海上) 2:27:22
8  永山育美(デンソー) 2:27:44


「言うは易し、走るは……」

 マラソンの入りが1キロ3分31秒になった時点で、このレース全体のスローペースが決定してしまった。
 このレースでペースメーカー(すでに国際陸連では公認されている)を務めた2人、ボテザン(ルーマニア)、ベルクト(ウクライナ)には、強風の中で17分ちょうどのスピリットを刻むことができなかったこと、後半のハーフの記録が前半のハーフを上回るという、特殊な名古屋のコースに合わせて全体的にレースを自重したこと、代表選考最後のレースだけにチャンスを狙った、力の拮抗したランナーが勢ぞろいしたこと、この3つの要因すべてが悪循環を生んでしまった結果のスローペースだった。実際、99年の東京国際で山口が2時間22分12秒をマークしてから、オリンピックも含めて今年の大阪までのレースのスピード感に慣れてしまっていると、かなり遅く感じるが、それだけに「難しさ」が随所に散りばめられていた。

 集団形成が第一である。
 サバイバルレースとは、一度落ちたらもう終わりという緊張感を示すが、この日はまるで正反対。一度集団を落ちた選手が、また先頭に追いついてしまう展開が、30キロまで続いた。先頭も10人前後。給水のたびにペースが狂うために、一度上がりかけたペースがまたも下がる。
 さらに風の方向が定まらなかったと選手が口々に言うほど、この日、名古屋の風はきまぐれに舞っていたようだ。

 こうした「じれったい」(松尾)レース展開の中、10キロまでに片岡純子(富士銀行、17位)、山内美根子(資生堂、19位)が転倒。ハーフを過ぎてからは、三井海上の坂下奈緒美(9位)、ベテランの安部友恵(旭化成、5位)らトップ選手が4人も転倒している。観ているだけならば、なぜもっとペースを上げないのだ、積極性が足りない、と表することが容易く、表面上は静かな、退屈なレースに見えていた。しかし水面下ではこうした極めて異例ともいえる状況の中で、優勝争いが繰り広げられていた。
 松尾は、そうした難しいレースを自らの冷静な判断によって切り抜けた。3戦全勝の勝負強さは女子でも特筆に価するだろう。

「向かい風がずっと変らず苦しかったし我慢するしかないと思った。ハーフでももう記録は諦めるしかないと考え、後はミスをできるだけしないように、それと余裕を持ってレースを運ぼうと考えました。調子が良かった、24分代の自信はあったといっても不安もありましたから、優勝できたことは本当にうれしい」
「デ・シャ・ブー」なのか、トラックで誰かとデットヒートして勝つ夢を名古屋の前、何度も見ていたのだという。


「脱・山口のスパーリングパートナー」

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 松尾は東農短大から天満屋に入社したが、武富監督が「こういうレベルの選手になるとは露ほども思わなかった」とレース後苦笑するような選手だった。ゆっくり走る朝練習さえも高卒の選手について行くことができない。唯一、中距離などで活路を見出せるかと思ったトラック種目も不振を極め、退社を覚悟して99年、北海道マラソンを花道にして引退しようとしていた。
 ところが、相手とのギリギリでのしのぎあいをするトラック種目では性格的に厳しい、むしろゆったりとしたペースで走れるマラソンのほうが練習には充実して取り組めた。マラソンに転向してから記録が伸び続ける。

 99年北海道では花道のはずが初マラソン初優勝。その力で、山口の練習パートナーを務めることになる。
 山口はこの日、自らもシドニー後最長となるハーフマラソンに出場し1時間10分11秒と、自己記録に数秒と迫る好記録で再スタートを切った。ともにシドニーまでの苦楽をともにしたパートナーだけに、レース後は移動の車の小型テレビにかじりついて応援していたという。トラック勝負でも応援を続けて、ゴール後は大喜びしていた。
「松尾は中国でも絶好調で、よく走り込んでいた。自分は体調が悪く手伝えなかったが、きょうは自分のハーフのレースが終わった後に携帯に電話をして、リラックスしていけば大丈夫だから、とだけ言いました。自分のことのようにうれしいですね」と声を弾ませた。

 松尾も、山口スパーリングパートナーとして力を着実につけ、そこからまた一歩階段を上がった。武富監督は、松尾は、マラソンや自分の感情すべてをコントロールする力があると評価する。練習の中でもペース走や、追い込みの時など、あまり限界を超えてしまうとダメージがある。このため、監督が練習中に止めることもある。しかし「松尾は、きょうは追い込まないといけないので絶対に止めないでください、と言うように冷静に練習に緩急をつけられる。本当にマラソンのコツというのを覚え、実践することができる力を持っていると思う」と、わずか2年前、退社勧告した愛弟子を暖かく見守った。

 正式決定は20日になるが、これでスピードと思い切りの渋井、冷静な判断とスピードを持った土佐、レースへの対応力と抜群の調整力を誇る松尾と、タイプの異なる、シドニーとは違った強さを持った代表選手が構成される。
 エドモントンもまた、日本女子マラソンが世界を席巻することは間違いなさそうだ。


「大南敬美の収穫は……」

 2時間26分4秒で2位となった大南敬美(東海銀行)は、8月のエドモントン世界選手権の切符をほぼ手中にし、自身初めてとなる世界舞台への挑戦権を得た。松尾和美(天満屋)とのトラック勝負には惜しくも敗れたものの、昨年の名古屋(2時間26分58秒で3位)に続いて、3度目のマラソンでも自己記録を更新。「満足できるレースだった」と、手ごたえを喜んでいた。
 中間点を過ぎても先頭集団のペースが上がらなかったため、後半は「記録よりも勝負」に作戦を切りかえ、あえて前に出なかった。レースの前半で先頭集団から脱落していった双子の姉・博美のことも心配ではあったが、自分の走りに集中した。
 37キロ付近からの松尾とのデッドヒートについては、「余裕があったので前に出ようかなとも考えたけど、いい流れで走れていたので最後のトラックで勝負しようと思った。でもラスト1キロくらいからだんだんきつくなってきて、トラックに入った時はもう限界だった」と、3秒差を振り返った。
 昨年はトラックやロードの練習中に呼吸が薄くなり、一時的に呼吸が止まってしまうという病状に悩まされ、甲状腺の手術を経験した。レースの途中でいつ動けなくなってしまうかわからない。そんな選手生命に関わる不安と闘いながら走りきったことこそが、記録以上に、このレースの最大の収穫だった。

竹内監督「敬美はよく走ったといっていい。手術後は、練習中も呼吸が薄くなって苦しくなったり、止まったりしていた中で、今回も最後まで心配だった。3秒差は確かに惜しかったかもしれないが、選手としてのどん底から這い上がってきたという自信の方が大きい。よくここまで回復してくれたと思う。トラックや駅伝でも途中で呼吸が薄くなって、いきなり手足がしびれてきたりすることもあったので、今回も35キロから(集団の人数が絞られてきてから)は早くレースが終わってほしいというのが正直な気持ちだった。どうしてもマラソンでもう一度復活したいという気持ちが出たレースだろう。勝っていたらもっとよかったかもしれないが、次のレースにはつながる。
(双子の姉の博美については)昨年疲労骨折をして練習量が半分だったから、この結果はある意味、スタート前からわかっていたこと。調子がよくないことはわかっていたので、レース前はペースを守って走るようにだけアドバイスした」


第8回京都シティーハーフマラソン
(京都市・平安神宮前発着)

 11日、京都シティハーフマラソンが行われ、4月22日のロンドンマラソン優勝を狙う弘山晴美(資生堂)が1時間9分41秒で2位となった。優勝はロバ(エチオピア)で1時間9分19秒だった。また、山口で行われた実業団ハーフでは、山口衛里(天満屋)が1時間10分11秒で8位となった。弘山は日本歴代3位の2時間22分56秒を持っており、シドニー五輪では1万メートルで決勝に進出。山口はシドニー五輪マラソンで7位入賞を果たしている。ともに冬の間は駅伝などのレースに出場していたが、五輪後の最長距離を走り、弘山は賞金レースの初制覇、山口は、世界陸上(8月、エドモントン)でのトラック代表を目指して再スタートを順調に切ったといえそうだ。
 弘山は、今年に入って奄美大島での合宿を行うなどして脚作り、体作りからスタート。このレースでの目標は1時間10分台の突破で、昨年の2時間22分56秒をマークした直前のハーフでの記録を上回っており、夫でコーチの勉氏も「設定した予想以上の結果」と、気温3度、小雪も舞った悪条件下での収穫に手応えをつかんだようだった。中旬からは米国のボルダーでキャンプを行ってロンドンに備える。

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