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新・大森なんでも伝言板

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とりあえず試験レンタル中。旧伝言板ルールは引き継がれます。


♪きむらかずし 2002年02月03日(日)10時32分30秒

そういえばタモリは、「テレビに出ているだけでいい人」になって久しいですね。
それはそれで偉いんでしょうが、個人的には残念です。音蔵 CD 『TAMORI』で
我慢するしかありません。

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田波正 ペイオフ対策はしてるのかな 2002年02月03日(日)09時24分37秒

冬樹蛉様>

せっかく冬樹様からレスをいただいたので、簡単にお返事を。

自分が「おもしろい」と信じることだけをやりつづけて
しかも爆発的に「売れる」ことができるのは、
ほんのひと握りの人だけです。
だから、世間は松本人志を天才と呼ぶ。
本人も口では天才と自称する。
しかし、心の底ではそんなことかけらも思ってないでしょうね。
そこが松本人志のいいところです。

ただ、北野さんや冬樹さんの松本評価に少しだけ違和感を感じるのは、
彼が現在、完全に“芸能人”路線にシフトしているからです。
かつての松本人志は確かに「自分の信じる笑いの探求者」だったかもしれませんが、
いまやテレビ番組では、司会業とフリートークに徹していますし、
舞台にもいっさい出ないし、ライヴもやらない。
おそらく「ごっつええ感じ」を“切った”ときが転回点だったのでしょう。
松本人志はいま「テレビに出ているだけでいい人」となっている。
ただ、個人的にはそれでもいいと思います。

あと、預金残高がン億円ある人は、
どうころんでも「末路哀れ」にはならんと思いますが(笑)。
あ、銀行がつぶれるという可能性はあるか。

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冬樹蛉 「ああ、あの人はべつになんでもない人なのよ」 2002年02月03日(日)06時56分45秒

>田波正さま

>(まあ、冬樹様はダウンタウン一派は
>評価されないかもしれませんが……)

 いえいえ、ダウンタウンは好きですよ。とくに松本人志は。不条理
でいいです。でも、ああいう藝風は、本人の精神衛生には悪いですよ
ね。赤塚不二夫とか鴨川つばめとかみたいに、いずれ精神を病む時期
が来るのではないかと心配です。

>「おまえら、売れとうないんか!
>この世界、売れへんかったらクズやぞ!」

 松本人志がこういう表現をするのは私も聞いたことがありますが、
どうも彼が言うかぎりに於いては、「末路哀れは覚悟の前」と同じこ
とを言ってるように聞こえるのです。つまり、“いま売れている自分”
と“売れへんでいるクズ”とを隔てるものは、“売れているかどうか”
にすぎないということを、若手に対してあえて挑発的に言っているの
ではないでしょうか。というのは、松本人志自身の藝風が、「これで
は売れないから、売れるようにしよう」といった意図からは最も遠い
ものではないかと思うからです。彼は安易な“持ちギャグ”はほとん
ど使わず、あの不条理な反応の斬れ味だけで勝負してるわけですよね。
あれはもう、恐怖と紙一重の笑いというか、ほんのわずかハズすだけ
でスベってしまうギリギリのところを突く至芸です。天賦の才あって
努力が生きるタイプでしょう。生きた『まことちゃん』です。また、
その才に加えて、本気で鬱陶しそうに怒り突っ込みができる浜田のキャ
ラを得たのは、松本にとって宝くじに当たったくらいの幸運でしょう。

 こういう人が、またたまたま売れなくなったら、「売れるようにす
る」ことを目的としてひょいひょい藝風を変えるとは私にはあんまり
思えないのです。というか、変えられないんじゃないかと。おそらく
彼は、自分の藝風が時代に受け入れられず“売れへんでいるクズ”で
いる状態も、現在の自分の状態と同じくらいにありそうなこととして、
ゲンセンカンの主人をやってる自分の写真を見るような感じで、重ね
て見ているんじゃないかという気がします。松本人志はむしろ、「末
路哀れは覚悟の前」という構えを最もよく体現している藝人のひとり
ではないかと私は思うわけです。まあ、本人がなにを考えているかは
知る由もありませんが……。

>「無根拠さに耐えなければならない」

 これは名言ですね。つまり、「おれに関する噂」なわけです。「有
名人が有名人であるのは、有名であるからだ」というトートロジーに、
マスコミに登場するような人はみな、筒井康隆に言われるまでもなく
気づいていると思いますが、そうした有名人のメカニズムを外的規範
として“自分の藝”に優先させるようになったとき、藝はどこかへ行っ
てしまうだろうと思います。極端な話、“無藝であること”さえ、こ
のメカニズムにうまく組み込まれてしまえば、大金を生み出すことが
できる。藝はどうでもいいところまで行っちゃうわけです。そこへ転
げ落ちていかないようにするには、やはり最後は、自分の内的規範に
依るしかないのではないかなと。ある程度売れなきゃそもそも自分の
藝を見てももらえないのですから、売れることは大事ですが、その人
気が「おれに関する噂」にすぎないという無根拠さに耐えるには、や
はり「末路哀れは覚悟の前」スピリット的な、なんらかの内的規範が
藝人本人に必要なのではないかと想像します。

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田波正 結論。 2002年02月03日(日)06時22分03秒

北野勇作様>

> まあ意見を一致させなければならないような問題でもないし。

わたしは伝言板での意見交換で、
意見が一致したり、結論が出たのを見たことがありません(笑)。

>  しかし、こうやって書いてみると自分の考えを再確認することができて
> なかなかいいですね。ありがとうございます。

こちらこそ、個人的な薄っぺらい意見におつきあいいただいて、
ありがとうございました。

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北野勇作 偉い人 2002年02月03日(日)00時46分57秒

>田波正さま
>ひと言でいってしまえば、
>「売れている人が偉い」し、「おもしろい人が偉い」んですね。

 どっちのほうがより「偉い」というのが個人的な感覚でしかないように
「おもしろい」というのも個人的な感覚でしかないわけで、だからやる方
もその基準みたいなものを自分のなかに求めなければ仕方がない。客観的
にはそれは無根拠ですから、無根拠に耐えなければならないというのはも
ちろんそうだと思います。
 でも「売れている」というのは測定可能ですから、「売れている」のが
偉いと考えている人にとっては、売れているという事実は立派に自分が偉
いという根拠になりえますよね。
 同様に、「テレビに出つづけるということが偉いことである」と自分で
考えていてなおかつテレビ局から仕事をもらい続けることができる人にと
っては、それが自分が偉いという根拠になっているのだろうし、それでい
いと思います。私はそういう人をそれほど偉いとは思わないでしょうけど、
でも偉いと思う人も結構いるでしょうね。それはそれで別にいいと思いま
す。まあ意見を一致させなければならないような問題でもないし。
 しかし、こうやって書いてみると自分の考えを再確認することができて
なかなかいいですね。ありがとうございます。

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田波正 無根拠に耐える 2002年02月02日(土)19時08分33秒

松本人志がどう考えているかはわたしも知りませんから、
以下はわたし個人の考えです。

ひと言でいってしまえば、
「売れている人が偉い」し、「おもしろい人が偉い」んですね。
ただ、ここで問題なのは、
自分が「売れたい」と思っても売れるとはかぎらないし、
自分が「おもしろい」と思ってもみんながおもしろいと思うとはかぎらないことです。
「売れる」こと、「おもしろい」と思ってもらえることには、なんの根拠もない。
売れ線を狙ったからといって売れるとはかぎらないし、
自分では珠玉の芸と思っても評論家に絶賛されるとはかぎらない。

大切なのは、その「無根拠さ」に耐えることではないでしょうか。
耐えられなくなって、なんらかの根拠を求めたくなった人が、
「世間には理解されないがおれの芸はすごい」とか、
「おれは番組なりテレビ局なりになんらかのメリットをもたらしている」とか
「おれは芸術家だ」とか言いたがるのです。

島田紳助の言う「スターの証」とは、そういうことだと思いますよ。
つまり、事実としてテレビに出つづけている人が偉い、ということです。
なぜその人がテレビに出つづけているかは問題ではない。
おそらく、それはたまたま偶然そうなっただけでしょう。
しかしながら、事実としてテレビに出つづけることが重要であり、
それ以外のことはすべてエクスキューズである、ということです。
紳助の言葉は、わたしの解釈では「無根拠さに耐えなければならない」という意味です。

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匿名ネットウォッチャー 人気 2002年02月02日(土)18時56分53秒

テキストサイト系で一時話されてた「アクセス至上主義」に通じるものがありますね。

しかし、現状では普通にやって一日3000〜4000がテキストサイトの上限で、それ以上は無理という感じも。「侍魂」はまぁ、ハリー・ポッターみたいなもの?

SFだと、SF読者にだけ読まれるような作品は、どんなに傑作でもハードカバーで○万程度、みたいな感じですか。

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北野勇作 自称芸術家 2002年02月02日(土)18時37分56秒

 なにぶん他人のことなので実際に松本人志氏がどう思っているのかは
わかりませんが、『これがスターの証』というのは、その人が出ている
という事実とその人がそこに出ているというイメージが番組なりテレビ
局なりになんらかのメリットをもたらしているんだけど、その価値が視
聴率何パーセントとかCD売上げ何枚とかそういうわかりやすい形であ
らわれていないだけのことであって、言葉そのままの意味の「人気がない」
というのとはちょっと違うと思いますよ。
 あ、それから、私は芸術と芸能というのは相反する要素だとは考えて
おりません。表現の形態に関係なく、ある到達点までたどり着いたその
状態を「芸術」と呼ぶべきであると考えております。芸術という分野とか、
芸術家という職業はないでしょう。自分のことをアーティストとか言って
いる人はいっぱいいますけどね。
 あれはいったいどういうつもりで言っているんだろうな。




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田波正 スターの証 2002年02月02日(土)13時31分52秒

北野勇作様>

レスをいただいて大変光栄です。

簡単に言うと、
芸人を“芸能人”ととらえるか、
“芸術家”ととらえるか、
ということじゃないかと思います。
芸能人なら「売れへんかったらクズ」(by 松本人志)
芸術家なら「売れようが売れまいが余計なお世話だ」(by 大岡昇平)
ということですね。

たぶん芸人にはその両面が共存していると思うので、
「絶対売れてやる!」と目を爛々とさせている人も、
「芸を極めたい」と静かに求道している人も、
わたしはどちらも好きです。

ただ、松本人志が

> 笑いをとる戦略のひとつとして「売れたい」「売れ
> 続けていなければならない」と考えているとは思いますが、「売れていればお
> もしろくないことをやってもいい」「うけてさえいればそっちが正しい」など
> とは絶対に思っていないでしょう。

というのは、どうでしょうか。
これは松本人志を“芸術家”としてとらえすぎのような気がします。

以前、「松本紳助」という深夜番組で、島田紳助がこう言っていました。
「人気があるからテレビに出るのはあたりまえ。
人気がなくてもテレビに出つづけるのが一流の芸能人や。
『この人、なんでテレビに出てるんやろ』
と視聴者に首をひねられる。これがスターの証やで
松本も「ほんま、それは絶対そうですわ」と深くうなずいてましたよ。

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北野勇作 2002年02月02日(土)12時38分48秒

>田波正さま

>「おまえら、売れとうないんか!
>この世界、売れへんかったらクズやぞ!」
>と叫んでいたことがありましたよ。

 そうですそうです。もちろんクズ扱いです。観客やスタッフには人間扱い
してもらえません。たぶんこの言葉は、「売れへんかってもええねん、わか
る奴だけがわかったら」というようなそれらしい言葉を、ろくにネタを考え
ることもせずセンスもないような奴が、自分を正当化する言い訳に使うこと
に苛立っての言葉だと思います。それに、舞台での笑いというのは観客を自
分の見方につけているかつけていないかというのはものすごく重要な要素で、
観客の反応がネタの出来不出来にけっこう大きく関わってきてしまったりす
るので、その時点で売れている売れていないというのは大きなことなのです。
映画とか小説とはこの点がいちばん違うところですね。
 まあこういう言葉は実際に舞台に立って客席を沸かせている芸人だからこ
そ言える言葉であると思います。
 松本人志というひとは、笑いをとる戦略のひとつとして「売れたい」「売れ
続けていなければならない」と考えているとは思いますが、「売れていればお
もしろくないことをやってもいい」「うけてさえいればそっちが正しい」など
とは絶対に思っていないでしょう。
 戦略的にある程度までの妥協はするでしょうが最終的には、自分自身のなか
の笑いと客の笑いとどちらを優先するかということについてのためらいはまっ
たくないのではないかな。作っているものを見ればそれははっきりわかります。
あれだけ稼いでいて、なおかつ笑いに対してあれほど頑固でストイックであり
続けられる表現者というのはそうはいないでしょう。ろくな死に方はしないかも
しれませんが。まあ当然それも覚悟の上でしょうね。

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田波正 松本人志の言葉 2002年02月02日(土)09時09分17秒

昔、松本人志が、
「おまえら、売れとうないんか!
この世界、売れへんかったらクズやぞ!」

と叫んでいたことがありましたよ。
(まあ、冬樹様はダウンタウン一派は
評価されないかもしれませんが……)

この言葉と「末路哀れは覚悟の上」が共存しているのが
芸人さんの世界じゃないですかね。

笑いの世界には興味があるので、割り込み失礼。

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冬樹蛉 ポプラはみんな生きている 2002年02月02日(土)08時42分10秒

>北野勇作さま

> いや、まったく何度読んでもいいですねえ。どうも、SFが売れないから
>どうすべきか、とか、どうすればもっと売れるようになるのか、というよう
>な議論があまりぴんと来ないのは、たぶんこの『落語と私』があるせいだと
>思います。

 私も「売れるようにする」というところには、あんまり興味ないです。
「好きになってくれる人が増えるように、できるだけ入口を仕掛ける」という
のなら、話はわかるのですが。両者は似ているようでちがうと思います。あの
たいして歌がうまいわけでもない浜崎あゆみが一社の株価を左右するほどに
“売れている”のはあくまで一過性のひとつの現象であって、それ自体はべつ
にどうということはないわけです。ただ、みんなが買ってる浜崎あゆみを初め
て自分の小遣いで買ってみた少年少女が、「ああ、歌てええもんやな」と思っ
てCDをコンスタントに買いはじめ、そのうちほんとうに好きになれるほんま
もんを見つける――ということになれば、浜崎あゆみが一時的に“売れる”こ
とにも意味があるだろうな、そういう“入口”を作る仕事として、“売れるよ
うにする”ことも大事だろうなとは一応思うわけです。でも、そういう仕掛け
は、基本的には、あんまり藝人自身が考えることやないですよね。手塚治虫が
どれほど大御所扱いされても常に“いま売れている”若い人をライバル視して
いたのは、自分が売れなくてくやしいというのではなくて、藝人として負けた
くないということであったのでしょう。このふたつは、表面的には同じようで、
じつは全然ちがいますよね。

 売れるの売れんのという話を藝人本人があんまりしとると、藝人が第一義的
に“売れるようにする”ことに“かまけて”どないすんねん、小賢しい――と、
やっぱり腹の底ではバカにしてしまうのは、『落語と私』のこれがあるからや
ろうなと、私も感じてます。


> 『落語と私』って、小学生中学生向けの本として出てましたよね。たしか
>SF教室と同じポプラ社でしたっけ。初めてこの締めくくりの部分を読んだ
>ときは、あまりのかっこ良さに震えたなあ。

 やっぱり、同じころに震えたはるんですなあ(笑)。そうです、ポプラ・
ブックスですね。私も中学校の図書室で読んだときに震えました。文春文庫
版の「著者より」によれば、ポプラ版は昭和五十年に出てます。ですから、
われわれが読んだのは、出たてのころというわけです。

 「末路哀れは覚悟の前やで」ってのは、米朝一門にかぎらず、上方の若手藝
人さんがときおりテレビのトーク番組なんかで言ってるのを耳にします。それ
だけ知られている名言なんでしょうね。北野さんは上方落語の方々ともおつき
あいが深くてらっしゃいますから、絶対にご存じだとは思っていましたが、い
やはや、同じころに読んでらしたとは、なんちゅうか、やっぱり“魔の196
2年”ですなあ(;^^)。


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北野勇作 『落語と私』と私 2002年02月02日(土)01時13分24秒

>冬樹さま

>『芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良(え)えの悪い
>のと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼって
>はいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以
>外に、世間へお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは
>覚悟の前やで』

 いや、まったく何度読んでもいいですねえ。どうも、SFが売れないから
どうすべきか、とか、どうすればもっと売れるようになるのか、というよう
な議論があまりぴんと来ないのは、たぶんこの『落語と私』があるせいだと
思います。
 これが好きで、これしかできんからやっとるのであって、それではアカン
と言われて別のことができるくらいやったらとっくにやっとるがな、という
のが正直なところだし。
 『落語と私』って、小学生中学生向けの本として出てましたよね。たしか
SF教室と同じポプラ社でしたっけ。初めてこの締めくくりの部分を読んだ
ときは、あまりのかっこ良さに震えたなあ。

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♪きむらかずし ディックの映画化作品 2002年02月01日(金)23時12分47秒

久しぶりにディックの話題ですね〜。

ちょっと Google したら、 MOVIE WORLD という充実した映画サイトを発見。 クローンのレビュー の最後の方に、妙に詳しいディック情報が載っています。

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田波正 マイノリティ・リポート 2002年02月01日(金)21時07分51秒

そうか。やっぱ記憶でものを言うとだめですね。
ちゃんと裏をとらないと。

ディック映画化作品のほうは、気になったので、
imdbで裏をとったんですけど、
短編の映画化はほかになさそうですね。
いや、これもわかんないか。
誰も知らないうちにイランで映画化されてるかも(笑)

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大森 望 少数報告 2002年02月01日(金)17時13分15秒

 ……はスタージョンだっけ。
 ディックのは原作邦題も「マイノリティ・リポート」ですよ。ハヤカワ文庫で短編集出すときから映画のタイトルに合わせたんじゃなかったっけ。
 スピルバーグ効果でこれがベストセラーになると大森もちょっとだけ潤います。

『ディック映画化作品集』は、それをつくるとほかの短編集が売れなくなるから却下。ベスト盤ばかりが売れる風潮っていうのも……。
 オスメントくんは意外と邪悪そうなので、ジャスペロダス役は合うかも。しかしスピルバーグにベイリーが理解できるとは思えん。あ、あれはピノキオだからいいのか。

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田波正 スピルバーグ映画化 2002年02月01日(金)16時20分44秒

「AI」のおかげで、オールディスの短編集が出たり、
イアン・ワトスンの長編が出たりするんですから(これはおかげじゃないのかな)、
“スピルバーグ映画化!”はけっこう訴求力あるんじゃないですか。

しかし、「マイノリティ・リポート」の原作が
「マイノリティ・レポート」ってややこしい(笑)。

提案(その1)
「マイノリティ・レポート」「追憶売ります」「変種第二号」「にせもの」等々を
収録して、『ディック映画化作品集』をつくったらどうでしょう。
(ほかにないからだめか)

提案(その2)
スピルバーグ監督にバリントン・J・ベイリー作品を映画化してもらいましょう。
ハーレイ・オスメットくん主演の「ロボットの魂」とかだめかな。

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大森 望 re:マイノリティ・リポート 2002年02月01日(金)14時26分40秒

 オレもたまたま見てました>めざましテレビ。予告編はなかなか派手でしたね。
 しかし結局、話としては「インポスター」じゃなくて「クローン」と対してかわらない気も。
 ま、この映画のおかげで原作はこれからベストセラーになるって意味でしょう(希望)。ハヤカワ文庫SFの原作(を含む)短編集は、SF業界的にはすでにけっこうなベストセラーと言えなくもないが。
 ディックがSFファンの手にとりかえされた結果、「全然売れなくなっちゃったじゃないか!」と主張する人もいるからなあ(ってオレもしつこいね)。


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田波正 ベストセラー 2002年02月01日(金)06時37分12秒

たったいま、めざましテレビを見ていたら、
スピルバーグ監督「マイノリティ・レポート」の紹介があって、
軽部真一が、
「『ブレードランナー』や『トータル・リコール』の原作者である
フィリップ・K・ディックのベストセラー小説が原作です」
 と言ってました。
そうか、ベストセラーだったのか。

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小林泰三 Re: でも、それって 2002年01月31日(木)02時14分46秒

三鷹うい さんは以下のように書かれました。
> でも、それって
>  「自分のことを好きだと言ってくれた人に冷たくしちゃいけないわ」
>  と、ストーカーに遭っている人に説教しているのに似ているような気がす
> るんですが。

「それ」って何のことでしょう?

ひょっとすると、高野さんの「自分の読者だと言ってくれた人まで貶めたりし
ないで」という助言や柴田さんの「後足で砂をかけるのは、いずれにしても四
つ足動物の行為です。人間ならやめておきましょうよ」という助言のことでし
ょうか?

でも、どちらも「自分のことを好きだと言ってくれた人に冷たくしちゃいけな
いわ」というのとは全然違いますね。

三鷹さんは好きだと言ってくれた人に冷たくしてもいいですよ。

>  (そこまで酷いとは言いませんが、「好きだから、自分の思った通りであ
> って欲しい」という意見は、充分暴力の範囲だと思うな。)

「好きだから、自分の思った通りであって欲しい」というのはどなたの意見な
んでしょうか? それから意見が暴力というのは面白い発想ですね。

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冬樹蛉 ロング・ラフ・レター〜狂牛教室 2002年01月31日(木)01時38分30秒

>Psykheさま

> そういえば、祖父は変に厳格なところがありまして「たとえ子供でも、芸には自分の金を支払え」と、
>私に小遣いを払わせてましたねえ。もちろん差額は出してくれたのでしょうけど。まっとうな芸には対価
>を払えという躾だったのでしょうね。おかげで、芸の良し悪しには煩くなっていますが。

 いやあ、ええ話を読ませていただきました。すばらしいお爺様ですね。
そのお話を読んで、逆に藝を提供する側の覚悟の話を思い出しました。
ご存じかもしれませんが(ことに関西人はわりとよく知っています)、
桂米朝師匠が、その師匠・米団治の教えとして、著書『落語と私』(文
春文庫)の締めくくりにこう書いていらっしゃいます――

『芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良(え)えの悪い
のと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼって
はいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以
外に、世間へお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは
覚悟の前やで』

 米朝師匠は人間国宝であらせられるのですから末路哀れどころではな
いわけですが、それでも藝人の“構え”として、いまでもこの言葉を座
布団に敷いて高座にいらっしゃるにちがいないと私は思っています。こ
ういう構えの藝人とPsykheさんのお爺様のような客が出会うとこ
ろに、藝というものが幸運にも成り立ち、育まれてゆくのであろうなと
俗人の私は想像しております。落語家であろうが学者であろうが作家で
あろうが雑文書きであろうが、基本的に、自分の好き勝手にべつにあっ
てもなくてもかまわんような藝をして人様からお金を頂戴する、社会の
お余りでなんとか生かしてもらっている、早い話が河原乞食の裔なので
すから、こういう藝人の構えを忘れてはならんなあと、常々思うわけで
す。そもそも、インクの染みを絵空事の形に並べて金取ったり、あろう
ことか、さらにそれについて御託を並べるインクの染みを売って金をも
らったりなどというのは、最初から仕事と呼ぶのもおこがましい、まと
もな仕事やないんでっさかいにねー。


>Psykheさま、文学少女見習いさま

> どうです?文学少女さまもここは一つ、ファンサイトなぞ開設なさっては。まだあまり同じファンのサ
>イトは開設されてないようですし、すぐに検索エンジンのヒット上位になると思いますよ。ファンの醍醐
>味の一つに、同じ趣味を持つ人との語り合いがありますし、きっと同好の方々が集まるんじゃないでしょ
>うか。

 いやあ、これはいいアイディアですね。まさに読者にできることです。
いかがですか、文学少女見習いさん? たとえば、ケダちゃんとおっしゃ
る方は、小林泰三・田中哲弥・田中啓文・牧野修(まんがカルテット)の
ファンサイト
を作ってらっしゃいます。牧野修さんだけはご自分のページ
をお持ちでないのですが、ケダちゃんの作っている牧野修ファンサイト
は、なんと、ほんものの牧野修が書いているエッセイが不定期に載ります。
牧野修先生の「おれの眼にウロコを貼れ」が読めるのはココだけ!
文学少女見習いさんもファンサイトを作ったら、もしかしたら三鷹先生
の玉稿がいただけるかも?


> そこで、三鷹さまからのお返事にリンクでも張っておけば、皆から羨ましがられること請け合いです。

 文学少女見習いさんへのお返事のみならず、ウェブ上での三鷹先生の発
言を収集・整理してリンクを張っておけば、ほかのファンの方もお喜びに
なることでしょう。私も「三鷹ういホームページ研究」というリンク集を
作って公開・配布していますので、ご遠慮なくご利用ください。改変・再
配布自由です。


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三鷹うい でも、それって 2002年01月30日(水)21時48分57秒

 「自分のことを好きだと言ってくれた人に冷たくしちゃいけないわ」
 と、ストーカーに遭っている人に説教しているのに似ているような気がするんですが。
 (そこまで酷いとは言いませんが、「好きだから、自分の思った通りであって欲しい」という意見は、充分暴力の範囲だと思うな。)

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柴田よしき 昨日はどうもでした 2002年01月30日(水)17時15分42秒

>大森さん トキオ社長の愛らしさにノックダウンされました。ください。

>牧野さん、クラニーさん、他、ROMってた方々

 昨日の超くだらないアンソロジー企画、あたしはまじでっせ。
 本日より版元探しをいたします。もう逃げられません。一緒に「愚か者!」の烙印を押されましょう。田中哲弥さんと小林泰三さんも、逃がしません。詳細はのちほど。大森パパにも協力させます。ええ、させますとも。

>文学少女見習いさま

 拙作をお読みいただきありがとうございます。「紫のアリス」は、「自分の記憶が不確かなことを自覚していない女性」さらに「自分の過去についてきちんとケリをつけず、なかったことにして生きている女性」の悲劇を書いたミステリでございましたね、そう言えば(^^;;;;;

>三鷹ういさん 

 ゆうべは六時間寝ました(^^) ちょっとすっきり。
 後足で砂をかけるのは、いずれにしても四つ足動物の行為です。人間ならやめておきましょうよ(笑)
 誹謗が目的で書き込んだのかどうかはともかくとして、仮にも本を読んでくれた人なんですもの。動機なんかなんだっていいじゃないのよ、ともかく読んでくれたんなら。作品がいいものであれば、動機は不純でもちゃんとファンになってくれるものです。

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Psykhe 絶景かな絶景かな 2002年01月30日(水)15時32分04秒

>文学少女見習さま
 形はどうあれ、憧憬の対象からリアクションを頂けるというのは嬉しいものですね。私も北野さまのコメントに自分の発言の引用を見つけて、ミーハ−魂を揺さぶられました。

 思い出話になりますが、私は京都の呉服屋に生まれて祖父にあちこち連れ回されたんですね。けっこう道楽者で家族の悩みの種だったようですが、幼い私にはまるで底なしの玩具箱のような人に思えました。
 で、その祖父が色々タニマチをやってまして…タニマチってご存知です?お若い方だと(いや、私もまだ若いつもりですが)耳慣れないかもしれませんね。昔、大阪の谷町に住んでいた医者が、力士を贔屓にして何くれとなく面倒を見たところから転じて、今で言う後援会(う〜ん、ちょっとずれるような気もするけど)のような人をタニマチというんですよ。
 まぁ、そんな祖父に連れられて、歌舞練場とか南座の楽屋をちょくちょく覗くという、今にして思えば夢のように恵まれた幼少時代でした。白波五人男だったか楼門五三桐だったか(両方とも、口上が印象的で大好きだったなぁ〜)の真似を良くやってたら、祖父が南座の楽屋に連れて行ってくれたんですよ。あの時役者さんに声をかけてもらったのが、今にして思えば芸道に傾倒するきっかけだったのかもしれません。

 成長してからその役者さんの楽屋にお邪魔する機会がありまして(もちろんしがない書生もどきですから、祖父のようなタニマチは出来ませんでしたので)、「なかなか、祖父のようには満足に応援が出来ないですね」と冗談交じりに申し上げたんです。そしたらその役者さんが、すぅっと真面目な表情になって「ちょくちょくご覧にお越しになってるじゃないですか。それで充分です。お客様にあれこれと当然のように要求するようになったら、その役者は終わりですよ」と仰ったんです。「御爺さまに連れられたあなたが、お小遣いを握り締めてここに足を運んでくださったのが一番あり難かったですよ」とも。一層その役者さんが好きになった出来事でした。
 そういえば、祖父は変に厳格なところがありまして「たとえ子供でも、芸には自分の金を支払え」と、私に小遣いを払わせてましたねえ。もちろん差額は出してくれたのでしょうけど。まっとうな芸には対価を払えという躾だったのでしょうね。おかげで、芸の良し悪しには煩くなっていますが。

 それはさておき、今ではファン活動も幅広くなりました。幼いころからの経験のせいか、ファンの基本はお金を払って作品を鑑賞し率直な感想を述べることだと、私は考えるのですが(それが阪神ファンには苦行に近かったりするんだよな〜)、同人誌を作ったり、コスプレしたり、ファンサイトを開設したり、いろんな表現が選べるようになりましたよね。
 どうです?文学少女さまもここは一つ、ファンサイトなぞ開設なさっては。まだあまり同じファンのサイトは開設されてないようですし、すぐに検索エンジンのヒット上位になると思いますよ。ファンの醍醐味の一つに、同じ趣味を持つ人との語り合いがありますし、きっと同好の方々が集まるんじゃないでしょうか。
 そこで、三鷹さまからのお返事にリンクでも張っておけば、皆から羨ましがられること請け合いです。

 ああ、なんだか久しぶりに歌舞伎を見に行きたくなりました。修行を積んで、祖父の年までには粋な大向うをやりたいもんです。「成駒屋ぁ〜!」とか、「大和屋っ!」とかね。「吉野屋!」ってやると、牛丼屋になりますんでご注意。そういや、「うしとら」は鬼門のことなんてのも、歌舞伎から学んだっけな?

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高野史緒 ROMに徹すると約束しましたが 2002年01月30日(水)10時20分14秒

1日おきくらいに見てました。書かないと約束しましたが、あまりにもショックだったので、一言だけ言わせて下さい。

>なたがわたしの読者だというお話は、どうも信用できないなあ。
>むしろ誹謗が目的としか思えない発言しかされていらっしゃらないのですが

って、それはいくらなんでも酷過ぎるのでは。
全体の流れからして、つい疑ってしまいたくなる気持ちは分からなくもありませんが、仮にも大勢の人が見ている前で「あなたの読者です」と公言し、三鷹さんの本を褒めているサイトに言及している方に、こんな露骨なことを言うなんて。
自分に批判的なところのある読者さんも、批判しかしない読者さんも、自分の作品を読んでくれて、それについて考えてくれた人なのだし、作家にとっては大切な存在だと思います。自分のマイナス面を映してくれる鏡は必要だと思うのですが。

自分と意見を異にする人たちとバトルすることは止めません。でも、自分の読者だと言ってくれた人まで貶めたりしないで〜。お願いだから〜。

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三鷹うい 読者にできることはあるんですがね、本当は。 2002年01月30日(水)07時18分58秒

>文学少女見習い さま、

 あなたがわたしの読者だというお話は、どうも信用できないなあ。
 むしろ誹謗が目的としか思えない発言しかされていらっしゃらないのですが、それでも反論すると「後ろ足で砂をかける」と柴田先生に表現されてしまうというのに、笑っちゃうというか、困っちゃうわけです。
 だとすると目的達成ですか。素晴らしいですね。

 読者にできることはあるんですよ、本当は。特に少女小説の場合は、合法で編集部にも一応感謝されて、簡単な割にかなり強力な手がね。でも、それをやるつもりはないというか、意図的にやらないわけです。知っていないはずはないでしょう。
 ということで、柴田先生、この人わたしの読者じゃありませんので、砂はかかても良いんですよ。
(どうして、その程度のことにも気づかないのかなあ。やっぱり寝不足じゃないのかなあ。)

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大森 望 アラビアの夜の砂の王 2002年01月30日(水)04時31分09秒

 ベニーさんご本人がとっくにコメント書いてるのを今ごろ発見。

http://www.bent.co.jp/main/news/20011231.htm

 やっぱり、一部読者的には、「砂の王」完結編という読み方もありなのね。
 しかし当時のログアウト読者の何パーセントが『アラビアの夜の種族』を読むだろう……。

>>本日の宴会出席のみなさま:
 大森はとっとと帰っちゃったけど、お疲れさまでした。
 だからあんなに飲んじゃダメといったのに>とくに浅暮さま。
 次は明後日、あっちかこっちかどっちかでまた。大森はたぶん両方ちょっとずつです。

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文学少女見習い 24時間営業の本屋さん 2002年01月30日(水)01時45分45秒

4日振りに来ましたが、ログの流れの早いですね。
週末の雨で課題図書が一冊も手に入らず、帰宅もこんな時間(涙)
24時間営業の本屋が欲しいと思うのは私だけでしょうか。
ネット通販も良いのでしょうが、やっぱり本屋で買いたい!

三鷹先生>
ご本人だったのですね。
大変失礼致しました。
この頃、理論的な文章を理解する能力も著しく低下したようです。
先生に制作秘話などお伺いしたいのはやまやまですが、理論的な文章は苦手ですのでこれにて失礼致します。
益々のご活躍をお祈り申し上げます。

Psykhe様>
アドバイス、ありがとうございます。
人というのは正しいものや美しいもののみに心を奪われるものではない不思議なな生き物なのだと、ここ数日特に痛切に感じております。
自分の読書傾向にしても同じことが言えます。
時折、「イタ気持ち良い」のも娯楽になるようです。
(台湾式足ツボマッサージみたいなものでしょうか?)
ご賛同して戴けなかったと思われる点に関しても、さほどPsykhe様の思いからかけ離れているものでは無いのでは?と思われます。
(思い違いでしたらスミマセン)

>作家と作品は別物だと思っていますので
全くのその通りだと思います。
作家さんの発言そのものには全く興味もありませんし、同情したとしてもそれで何か為す術がある訳でもありません。
ただ、残念なのは出せる筈の著作が一般読者である私たちに目に触れることがどんどん困難になる状況です。
しかし、肝心の作家さんご自身が認識なさっていないようであればこれもまた為す術はありませんね。

柴田先生>
前回のカキコで、投稿ボタンを押した後に先生の上に乗っかっているのをみて5秒ぐらい思考が停止してしまいました。
グズグズせずにさっさと投稿ボタンを押してしまえば良かったのに失礼致しました。
雑誌は買わない派ですが、罰としてカドカワミステリーを購入しようと思います。
(結局楽しむのだから罰ではないですね)

週末に先生の「紫のアリス」を再読しておりました。
最初に読んだ当時ももちろん楽しめたのですが、今読むと面白さが倍増するのは気のせいでしょうか。

大森先生>
ご病気でいらっしゃったのですね。
全快なされたとのことで、本当に良かったです。
しかし、
>ダチョウのタマゴとかガゼルのスモークとかワニの唐揚げ
おなかがビックリするようなものばかりですね(笑)

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冬樹蛉 アフリカ象が好きっ! 2002年01月30日(水)00時24分45秒

>大森望さま
> ロタウィルスのウンチはたしかに白いんですが、ウンチと呼べるような状態ではありません。むしろオ
>シッコですね。完全に液状。これがシャーシャーと迸るのはけっこう快感です。腹痛も全然ないし、一日
>ぐらいならけっこう楽しいのでは。

 腹痛がないんですか、それはちょっと魅力的かも。休日なら面白そうですけど、電車に乗る日はダメ
だなあ……。なんか、お話を聴いていると、尻から射精してるような感じですね。

> しかし日曜日にひたすら眠りつづけたおかげで大森はほぼ全快し、ゆうべは新宿まで流れてダチョウの
>タマゴとかガゼルのスモークとかワニの唐揚げとか食ってました。お気遣いいただいた方には申し訳あり
>ません。

 おめでとうございます。それにしても、病み上がりにすさまじいもの食べてますね(^ ^;)。そういうワイルド
なものを新宿で召し上がったというと、もしや Rose de Sahara ですか? 噂を聞いて、むかし出張のつい
でにひとりで食べにいったことあります。八十何度とかいう、火が点きそうなイラクの酒を飲まされました。

#■三鷹ういホームページ研究

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葛西修 愚痴 2002年01月29日(火)22時18分34秒

 捨てハンです。判る人には判りますが、ぼくが出てくると収拾が付かなく
なるので、黙ってましたが、気になって。他意はありません。 

 出版社に切られた事のない作家。
 羨ましいです。妬ましいです。ニクらしいです。
 良心的な出版社でぼくを含め数名の作家を集めて一席、設けていただきま
した。
「すみません。社の方針でお付き合いできなくなりました」
 編集長と編集局長が頭を下げてくれました。

 某社。原稿を預けたままなしのつぶて。
 編集部へ電話をかけても「担当者は不在です」。思い余って自宅へ、電話し
ました(嫁さん、ぼくの友達だったので)。
「ごめんなさい。出社したら編集部がなくなっていました」
 泣いてました。今は鉄工所に勤めているそうです。

 改竄をされなかった作家さん、羨ましいです。妬ましいです。ニクらしい
です。語句の統一程度なら可愛いのですが「君の文章、ひどかったので直し
といたよ。感謝したまえ。わはは」
 なお、ここは印税も払ってもらってません。
 ……あ、腹が立ってきた。

 同様な例では「狼男だよ」事件とか「あなたもSF作家になれるわけではな
い」にも記述がありましたね。

 いわゆる少女小説家。
 実態は何ともいえませんが、そちらをやっていた人に聞くと編集の中には
作家を酌をさせるために呼び出したり(流行っていたころの少女小説家は若
かった)……。
 かような苦労を潜り抜けたおかげで、顔もみたくねーや、的編集とは付き
合っていません。
 ごめんなさい。原稿の遅れはぼくのせいです。

 鉄塔武蔵野線、読んでません。
 仕事場(JR武蔵野線沿線)の鉄塔の後をつけました。
 航空自衛隊の総司令部に繋がっていました。ネタばれしていたらごめん。

 ただの愚痴です。

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ふぉX 2002年01月29日(火)21時02分46秒

>大森さん
宴会のレポートは楽しみにしているのですが、お体にはお気をつけ下さい。
『銀河おさわがせアンドロイド』の解説とても好きです。
呼んだ感想は、
 >2さん、禿同(藁
です。

>Psykheさん、日笠さん
とても参考になりました。ありがとうございます。



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三鷹うい 収穫があったのは初期の会話だけでしたね 2002年01月29日(火)19時30分29秒

>業界片隅人 さま、

>さて、残る問題は、三鷹さんのホームページにある「お知らせ」です。今後のこと
>を考えて公開を継続すると書いておられますが、それなら出版社の実名を出したり
>担当編集者へのうらみつらみみたいなことを書く必要はないのではありませんか?
>某出版社と意見の相違があって、作品の発表ができなくなったという事実を、

 こんにちは。
 うーん、難しいですねえ。
 わたしがおしらせを公開した理由の一つが、次回作を待っている方がいらっしゃったらその方たちに、「ごめんね、出ません」とおしらせする必要があったということです。だから「少なくともここからは出ません」と出版社名を明らかにしておきたいのです。(どうやら数人はいらしたらしくて、公開した意味はあったようです。)
 それから担当編集者へのうらみつらみとおっしゃられても、わたしが書いているのは事実関係だけですから。別に、担当編集者を替えていただければ、問題なく仕事は進行したわけですから、こういうことがあったんだけど、それでも担当を替えなかったのは出版社の方ですよという事実関係を示しただけです。
 わがままで辞めたわけじゃありませんからねえ。
 仕事が詰まっていて、その日程では書けませんということが第一で(これは不不可抗力)、その次が、その日程で書けというのが担当編集者の一存で上司の意見と食い違っていた(これは、角川側の責任)ということですね。
 別に何だってかまわないんですがね。わたしは仕事に文句を言う人間じゃないし、原稿なんか直せと言われたら、言われるままどこまでも直すタイプの書き手なのですが。しかしせめて、担当と上司の意見くらいは一致させておいて欲しい、でないと仕事はできませんということにすぎなかったわけですが。
 そういうのは、「某出版社と意見の相違があって」というのとは違うのじゃないでしょうか。
 わたしは、言われるまま、何の文句も言わないで書いていたんです。相違するような意見なんてありませんから。ただもう、頼むから担当と上司との指示を一致させてくれとお願いしただけで、それを意見の相違と言われると、ちょっと困るんです。
 そういう事情を明らかにしておきたいんです。

>大森望 さま、

> ところで三鷹さん関連の問題はもうだいたい解決したってことでよろしいですかね。三鷹さんのウェブサイトの運営方針については、べつにここで議論する問題でもないと思いますし。

 と、わたしも思います。
 そもそも他者が議論するような問題でもないような気がしますが。
 初めの頃、「結局、経営上の問題だったんではないか」という意見を下さった(とおりすがり)古銭さまには感謝しています。
 いや、同じように結構わけのわからない目に遭っている作家さんが、同じ部署に何人かいらっしゃって不審に感じていたのですが、やっと腑に落ちた気がしました。(実際調べてみたら、すごい赤字が出ていました。なるほど・涙。)

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三鷹うい 収穫があったのは初期の会話だけでしたね 2002年01月29日(火)19時30分23秒

>業界片隅人 さま、

>さて、残る問題は、三鷹さんのホームページにある「お知らせ」です。今後のこと
>を考えて公開を継続すると書いておられますが、それなら出版社の実名を出したり
>担当編集者へのうらみつらみみたいなことを書く必要はないのではありませんか?
>某出版社と意見の相違があって、作品の発表ができなくなったという事実を、

 こんにちは。
 うーん、難しいですねえ。
 わたしがおしらせを公開した理由の一つが、次回作を待っている方がいらっしゃったらその方たちに、「ごめんね、出ません」とおしらせする必要があったということです。だから「少なくともここからは出ません」と出版社名を明らかにしておきたいのです。(どうやら数人はいらしたらしくて、公開した意味はあったようです。)
 それから担当編集者へのうらみつらみとおっしゃられても、わたしが書いているのは事実関係だけですから。別に、担当編集者を替えていただければ、問題なく仕事は進行したわけですから、こういうことがあったんだけど、それでも担当を替えなかったのは出版社の方ですよという事実関係を示しただけです。
 わがままで辞めたわけじゃありませんからねえ。
 仕事が詰まっていて、その日程では書けませんということが第一で(これは不不可抗力)、その次が、その日程で書けというのが担当編集者の一存で上司の意見と食い違っていた(これは、角川側の責任)ということですね。
 別に何だってかまわないんですがね。わたしは仕事に文句を言う人間じゃないし、原稿なんか直せと言われたら、言われるままどこまでも直すタイプの書き手なのですが。しかしせめて、担当と上司の意見くらいは一致させておいて欲しい、でないと仕事はできませんということにすぎなかったわけですが。
 そういうのは、「某出版社と意見の相違があって」というのとは違うのじゃないでしょうか。
 わたしは、言われるまま、何の文句も言わないで書いていたんです。相違するような意見なんてありませんから。ただもう、頼むから担当と上司との指示を一致させてくれとお願いしただけで、それを意見の相違と言われると、ちょっと困るんです。
 そういう事情を明らかにしておきたいんです。

>大森望 さま、

> ところで三鷹さん関連の問題はもうだいたい解決したってことでよろしいですかね。三鷹さんのウェブサイトの運営方針については、べつにここで議論する問題でもないと思いますし。

 と、わたしも思います。
 そもそも他者が議論するような問題でもないような気がしますが。
 初めの頃、「結局、経営上の問題だったんではないか」という意見を下さった(とおりすがり)古銭さまには感謝しています。
 いや、同じように結構わけのわからない目に遭っている作家さんが、同じ部署に何人かいらっしゃって不審に感じていたのですが、やっと腑に落ちた気がしました。(実際調べてみたら、すごい赤字が出ていました。なるほど・涙。)

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三鷹うい 一応、間違いは訂正しておきます。 2002年01月29日(火)18時59分22秒

>柴田よしき先生の発言につきまして。、

 事実認識に大きな間違いがあります。

> 繰り返しますが、たとえ両人を並べて言い分を聞いたとしても、会話は噛み合わず、話し合いは平行線をたどる、ということに、確信を持っています。

 これは意図的な言い訳でしょう。担当編集とわたしとで、現実に何があったか検証すると、明らかにわたしが言っていることが事実だとわかるはずです。なぜなら、担当嬢の行動が、明らかに理屈に合わない方角をたどっているからです。
 そもそも書かなくて良い作家に発注した事自体が変でしょう。

>三鷹さんの発言を他の人の分も読んだ上で、三鷹さんの「状況をある程度客観的に見る能力」や「記憶力」などについては、かなり懐疑的になっています。

 この言い分は変ですね。事実関係をごまかそうという意図があります。
 当事者の見解と、当事者以外の推測とを見比べて、どっちが正しいかなどという比較など不可能です。事実を見た人間が言っていることが正しいかどうかを、その場にいない人間の推測で検証しているというわけです。これはどう考えても、まともではありません。たとえ当事者が嘘をついていたとしても、当事者外の推測で検証できるはずがありません。
 どうやら柴田さんは、推測であれ数が多い方が正しいと考えているようですが、それこそ柴田よしきという人間自体が「状況を客観的に見る能力」に欠けていることを証明しています。

>わたしとしては、この件に関しては部外者ではいられない事情がありました。

 しかし事実関係の検証はしていません。実際にわたしにあって、当の編集者と事実関係の確認をする勇気はないわけです。そのつもりはない。
 口出しして、適当な事を言って、に三鷹の嘘がわかると思っていたにもかかわらず、どうやら本当らしいとわかった途端に逃げ出したくなっただけでしょう。

>情報というのは自然ともれてしまうものなのだ、という考え方はないのです。

 この発言は重要ですね。なぜなら、わたしではなく、柴田よしきさんが、自分にとって都合の悪い話は隠していることを証明しているからです。
 わたしは柴田よしきさんに、メイルで、「角川書店と話し合い、その結果課長のY氏が、このことについては話は外部に持ち出さないようにしましょうと提案した」という事実をお伝えしていました。そして、そのことは、けっして私が求めたのではないことも、伝えています。
 つまり、柴田よしきさんは、わたしが情報の秘匿を求めたのではなく、情報を公開しないことを角川が一方的に約束して、そして約束しておきながらその約束を破ったという事実関係を隠しているのです。
 わたしは角川に情報が外部に出ないようには求めませんでした。しかし一方的にY氏が「自分は情報を出さない」と言い出したのです。しかし情報(わたしとY氏とO氏の3人しかいない場所で話されたこと)は、あっさり外部に流出しました。そんな守れない約束なら最初からするなよと、わたしは言っていたのです。

> 元担当も当該編集部も、情報はもらしていません。しかしわたしは、三鷹さんが「何をしたのか」ごく一部ですが、知っています。

 この、知っているという情報が本当であることをどうやって確認することができますか?
 わたしは情報を出さないという角川書店の態度は間違っていると思っています。事実をきちんと出すべきです。そうしないから、間違った噂、推測が、あたかも事実であるかのように、こんなふうに「知っています」と称して、事実以外を語る人間を生み出すのだと思います。
 だからわたしは事実関係を公表することに決めたのです。
 情報を表に出さないという約束自体は、最初にそれを提案した角川書店によって、すでに破られていますからね。

> 三鷹さんとはもう、仕事ができない、と、そう判断せざるを得ない状況に陥ったから、そうした行動に出たと考えます。
> そこまで大手の編集部が追い詰められるのは、よほどのことではないでしょうか?ふつうはもっと、おだやかにことを解決しようとしませんか?

 ほらまた、推測で適当なことを言う人がいるでしょう? こんなふうに。
 「担当を替えて下さい」と言っただけです。それは事実です。もし本当にやむを得ない、追い詰められるといったような状況に至ったなら、どうしてそれを角川が黙っているでしょうか? 黙っている理由も必要もないはずです。そうならばもはや正当な行動なのですから。
 黙っているのは、自分たちがミスをしているからですよ。
 そしてそれを柴田よしきという人は見ようとしないし、見たくないのだと思います。
 だったら、わたしに対する誹謗中傷も辞めるべきだと、わたしは思いますがね。

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管理者: 大森望 <ohmori@st.rim.or.jp>
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