【5月12日(金)】


 2時頃起きて、さいとう姉妹といっしょに出かける。東京駅で2階建てのMAXに乗り、一時間で宇都宮到着。駅のホームで小浜夫妻と合流し、迎えにやってきたさいとう弟のシトロエンでサーコン夫婦が投宿する予定のホテルへ。
 ホテルの駐車場にクルマを入れてから、オリオン通りをぶらぶら歩く。AMSの「ニセUFO写真展」を見物する人とか、買い物する人とか、たこ焼きを食べる人とか。
 オリオン通りのドトールで、さいとう三姉妹の次女とその娘ふたりが合流し、ぞろぞろ歩いて宇都宮餃子館。やっぱりとんかつ餃子でしょう。
 とんかつ餃子が並んだところで山本和人とSF人妻(高根沢町在住)が合流。さらにさいとう三姉妹の真ん中の妹の旦那もやってきて、総勢12人の大所帯。しかし排他的なSF組はもっぱらSFセミナーの話をしているのだった(笑)。DASACONに送り込んでもっとも迷惑なSFゴロはだれか? とか。ちなみに「ゴロ」というのはファンダム用語で、SFなんか全然読んでないくせにファンダム史とファンダム人間関係には異様に詳しく、いつもでかい顔をしてコンベンションとかにのさばっている人のことです。もはや絶滅危惧種かも。ネットゴロなら珍しくないか。

 Dynabookを開いてたら幼女ふたりが寄ってきたので、「じゃあ友子おばちゃんが絵を描いたゲームを見せてあげるね」と、GAINAXからもらった『あにまる・まぐねてぃずむ』を立ち上げる。斉藤友子画伯のゲームは『暁のビザンティラ』以来ですか? しかしまわりがうるさいので音が聞こえないし、幼女ふたりはまだ字が読めない。「なんて書いてあるの?」とうるさいので、友子画伯にナレーションを頼む。幼い姪に絵本を読んであげるやさしいおばさん、みたいな。しかもあにまぐ。りっぱなおたくに育ってほしい。

 紫蘇餃子チーズ餃子ピザ餃子舞茸餃子鮮肉揚げ餃子激辛餃子その他を2時間かけて貪り食ったところで子連れの家族が帰り、残りはホテルまで歩く。途中で見つけたカフェでさらにガレットを食い、さらにSFセミナーの話をしてから(笑)ホテルで解散。

 大森は、さいとう長男のクルマで長女・三女ともども斉藤家へ。書評用の本を朝まで読んで、田植えの人々が出かけてゆくのを夢うつつに聞きながら寝る。
 秋山瑞人『猫の地球儀 その2 幽の章』(電撃文庫)は傑作。この二部作は、いまんとこ今年の日本SFベストワンですね。古橋秀之、『タツモリ家の食卓 超生命襲来!!』(電撃文庫)もいい感じ。ラストはもうひとひねりほしいけど、50年代SFの再話としてはかなり優秀。猫つながりですか。
 クラークの『失われた宇宙の旅2001』(ハヤカワ文庫SF)は、パラレルワールドの2001年再編集版みたいな趣き。没ネタでもここまでしっかり書いてるんだから、あのころのクラークはえらかった。ちょっとだけ載ってるキューブリックのメモが爆笑。




【5月13日(土)】


 お昼過ぎに起床。さいとう弟は、午前4時に起きたら雨だったので消防団の訓練をさぼった模様。しかし田植えはさぼれなかったらしい。いまごろ起きてくるドラ婿は役に立ちません。そういえば姫路でも田植えに参加しないかと従兄弟に誘われたんだったっけなあ。まあ手で植えるわけじゃないので、植えてみたい気持ちがないわけではないが。

 昼飯を食べてから、クルマ二台で次女の家に寄り、さいとう弟に送ってもらってひとりで宇都宮駅。書評用の本を読みつくしたので、持ってこなかった本をパセオの八重洲ブックセンターで購入。
 そういえば、今日のカートレース決勝は中止になったはずだけど、レース見物の人々はどうしたんだろうと思って三村美衣に電話すると、バスで宇都宮駅までもどってきたところでした。中止の決定が直前だったので、ツインリンクもてぎまで行って、動くP3とか見ていたらしい。ロビンソン百貨店の食堂街で飯を食うと言うのでちょっと寄り、またもファンダム話。野尻抱介が再現する小浜家の会話とかを見せてあげる。うーん、これはちょっと再現性が低いんではないでしょうか。でも本物はあまりにも凄すぎるので再現できない。そこまで言うか。
 あと「呼び出し」に関しては三村美衣のほうが先輩だったことが判明。というか、忘れていた事件を思い出しました。まあソラリスの陽のもとに新しいことはないのである。

 ひとりで新幹線に乗り、大宮から埼京線で新宿。途中、シルヴァーバーグ『アンドリューNDR114』(創元SF文庫)を読了。期待値が低かったせいもあるけど、意外なほどよくできてる。お見それしました。
 新宿で降りてロフトプラスワンに行ってみると、魔術戦士完結記念トークライブは終了してました。なんと、昼間から牧野修や田中啓文や飯野文彦が話をしてたんですか。うっかりオレの日記を読んで夜だと思いこんでゲイの話を聞いてしまった人がいたらすみません。みんな大森が悪いんです。お詫びのしるしに、朝松さんから相互リンク要請のあった、Uncle Dagon Templeにリンクしておきます。

 というわけで、かわりにシネマカリテに行って、小中千昭脚本・清水厚監督の「蛇女」を見る。新宿を歩いてるときばったり出会った岩郷重力と飯田克比呂氏@SFオンラインがこの映画を見にいくと言ってたので、このチャンスに見ておくことにしたのだが、いやはや。
 映画の途中でロビーに出て監督を呼び出す岩郷重力(笑)。おとしまえをつけさせたかったらしい。

 というわけで、長い長い90分が終わって外に出て、ほんとにやってくるらしい監督を待っていると、昼間のロフトプラスワンのあと各所で飲んでいたらしい笹川吉晴%「わたしはコレで幻想的掲示板のボードリーダー候補の地位を失いました」と遭遇(コレってところには、マイクを握るジェスチュアが入ります)。笹川くんいわく、
「大森さんは時間まちがえてるんじゃないかって、みんなで言ってたんですよ」
 気がついたんなら伝言板に書いてほしいなり。とくにタニグチリウイチ。。いや、どうせ昼間なら行けなかったんだけどさ。

 昼間の話を聞いているうちに監督が到着。終電まであんまり時間がないのでトップスへ。見終わったばかりの映画に対する文句をすぐに監督にぶつけられるというのは精神衛生上、非常によろしい。まあ監督自身、どこがけなされるかは重々承知してるらしく、予算と外的制約を淡々と語ったり。なにしろラストシーンは空飛ぶ巨大蛇を出せとか言われて必死に抵抗したらしいので、あれでも健闘したほうかも。しかし1800円払ってみた人はふつう怒るでしょう。
監督「いやあ、信じられないなあ。ふつう見ないでしょう」
大森「でも、意外とお客入ってましたよ。30人ぐらい。アベックもいたし」
「…………。まあ方向性はまちがってなかったと思うんですけどね。あの予算でモンスター物なんかできっこかないから、ヨーロッパテイストで行こうかと。あとは力量不足ですよ」
「『ポゼッション』みたいな……」
「そうそう、『ポゼッション』。あれがやりたかったんだけどなあ」

 まあ、断片的にはいいシーンもあります。あれでラストの地下室がなければ……。ところで「小中ウィルス」っていったいなに? と思ってたんだけど、監督の説明で「抗ナーガ・ウィルス」だと判明。SF映画なのでみんな見ろ(うそ)。あとは小中さんとも話がしたいところである。

 終電で帰宅し、残りの未読本を消化。読んでる途中で本が行方不明になり、長く中断していた五代ゆう『骨牌使いの鏡』(富士見書房)をやっと読了。異世界ファンタジーは一気読みできないのである。国産のハイ・ファンタジーではオールタイムベスト級の傑作じゃないかと思いますが、ダイレクトに反応する回路がないのでよくわからない。




【5月14日(日)】


 きのうの大相撲夏場所7日目、朝ノ霧の「まわしがほどけてモロ出し」事件ですが、ニッカンスポーツはなんとこのニュースが一面(笑)。
 テレビでこの話を聞いた瞬間、ほとんど条件反射のように思い出したのが、なぎらけんいち(当時)の名曲「悲惨な戦い」。ニッカン一面でも、コラムでこの歌詞を紹介してるんだけど、なんかオレの記憶とは違うぞ。十年前まではフルコーラス歌えた曲なのに、いまやちょっと細部があいまいになってますが、出だしはこんな感じ。
「わたしはかつてあのような悲惨な光景を見たことがない。それは十年以上も前の国技館の話です。かたや巨漢の雷電と、かたや地獄の料理人・若秩父が、両者見合って待ったなし、がっぷり四つに組んだそのひたいからは、玉のような汗がだらりんこんと流れ出してきて、若秩父のまわしを湿らすのだった」
 ニッカンが引用している問題の箇所は、「さすが天下のNHK」(なぎらけんいちの発音では「いぬ・えっち・けー」。それがもとで放送禁止になったのだという噂が1973年当時にはありましたが真偽不明)のあとにつづくところで、オレの記憶では、
「すぐにテレビカメラを消せと命じたが、折も悪くもアルバイトを使っていたために、アップで放送してしまったのだ」
 だったはず。
 この曲は、当時、泉谷しげる「黒いかばん」と並んで有名な放送禁止曲(あのねのねの「たらちね」とかもそうだっけ?)だったんだけど、いまも放送禁止のままなんでしょうか。この機会にぜひ再発売していただきたいものである。

 5月3日の日記の以下の記述について、岡本俊弥氏より事実誤認の指摘がありました。

> 関係ないけど、ネオ・ヌル2号の岡本俊弥《SHINCONへの道》とか読んでると、「SHIN
>CONは初心者を排除する」とか明記してあって笑えます。「仲間内の盛り上がりに水を差
>すネオファンは来るな」とか(笑)。

 ってところ。メールによれば、
『この言葉は「関西SFクリスマス」などの、旧来型の大会はそうだった、と書いてある部分です。「SHINCONはショーを目指す」と明記してあるので、要するに趣旨が逆ですね。』
 とのことです。話を聞きながらとばし読みしていたので誤読していた模様。考えてみればSHINCONの基本ポリシーからして、初心者排除なんて謳うわけがないのでした。エッセイのタイトルも、《SHINCONへの道》じゃなくて、《NULLに至る道》でした。「新人賞原稿下読み中毒で、読解力が落ちたのか」とか指摘されてますが(笑)、ネオ・ヌルは手もとにあるのが4号からなんで、日記を書くとき現物を確認できなかったのが敗因でした。
 というわけでお詫びして訂正します。

 ところで、その岡本さんのウェブサイト、岡本家記録では、「夏をめぐるSFの物語 あるいは、“私的”SF大会の歴史とビジョン」と題する連載企画がスタートしている。
 1973年のネオ・ヌル創刊(というかヌル復刊)から74年のMIYACON、75年のSHINCONを経て、85年のUNICON、86年のDAICON5まで続く予定らしい。田中香織は必読。
 しかしこの連載、淡々と事実を書いているようで、要所要所にギャグがちりばめてあるので、若い人にはやや難度が高いかも。たとえば、
大会の開催が決まるまでに、当初委員長に内定していた藤井光が事情あって交代し、「ローン・ウルフの会」を継承した「サイコ・ハウス」代表の清水宏祐が実行委員長に就任した。彼は最年少で、経験もなかったが、大会の委員長らしい恰幅があった。
とか。
 26年前のMIYACONについて「主催者が思っているほど、SFファンは均一ではなくなっていたのである」というあたり、なかなか含蓄が深い。岡本さんがHINCONの公式レポートから引用している、あべりょうぞう氏の文章の中の、『「集める」だけで「集う」ことを拒否するならば、ファン活動の否定であり、ファン活動としてのSF大会の否定ではないか』なんてまるで小浜徹也みたい(笑)。
「古代SF大会の直系の子孫は現在の大会ではなく、実はSFセミナーや京都SFフェスティバルであることが分かる」っていうのはもうちょっと説明が必要でしょう。
 現在の日本SF大会は、「自主企画の集合体」という側面が非常に強くなっている。大会企画(その大会の実行委員会が用意する企画)と自主企画(参加者が持ち込む企画)の比率が逆転したのは1980年代の終わりぐらい?

 このあたりの歴史は、それぞれが自分のわかる範囲で書いて、ウェブ上に置いといてくれると、記憶力のない若者も学習しやすいわけですが。とりあえず『塵も積もれば』をオンライン販売するのはどうか。あれ? もうしてるんだっけか。

 間違い訂正と言えば、早見裕司氏からも、「わたしは『アナザヘヴン』には出てません」という指摘が。ううむ、いったいだれとまちがえたんだろう。お詫びして訂正します。ううむ最近がまちがいが多いかも。

 新刊の山を抱えて珈琲館→ロイヤルホスト→MAG TIME とまわり、《本の雑誌》と《SIGHT》の新刊書評原稿。




【5月15日(月)】


 午後3時起床。
 ぼうっとテレビを見てたら「永遠の仔」のダイジェストをやってました。児童虐待の専門家のコメントを交えるワイドショウ的構成。ただでさえ説明的な話がますます説明的に。しかしざっと見た感じ、原作にものすごく忠実なのでは。ていうか、原作にないエピソードが見あたらない気が。ワンクールの連続ドラマの原作としては、もしかしたらものすごく優秀なのかも。

 ミストラル→珈琲館→ロイヤルホストで仕事。書評原稿を仕上げて送り、SWRPの訳者あとがき。エピソード2はやっとアナキン役が決まったようですが、SWRPのアナキンは気持ち的にはジェイク・ロイドのままですね。オレのアナキンは成長してもヘイドン・クリステンセンはならないぞ。


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