【5月1日(月)】


 SW/RPの入稿が山を越して、なんとかセミナー前に終わりそうな気配になってきたので、ひと息入れるべく、市川妙典のワーナー・マイカル・シネマに映画を見にゆく。うちからいちばん近い映画館? いや、直線距離なら船堀のほうが近いか。市川妙典は今年できたばかりの新しい駅で、西葛西から東西線に乗って10分少々。
 降りてみると、まわりにはなんにもない。サティだけ。4月末に新しい商店街が完成したと宣伝してるんだけど、店はam・pmとマクドナルドとコージーコーナーだけだったり。

 黄金週間でめちゃめちゃ混んでるかと思ったら、サティは意外とすいてました。ワーナーマイカルのほうも、すんなり切符が買える状態。しかも、今日は映画の日ではないか。とりあえず「アイアン・ジャイアント」見るだけのつもりだったけど、ついでに「アナザヘヴン」も見ることにする。1000円が適正価格だよな、やっぱり。
 場内によそからの持ち込み禁止(ロビーで売ってるものしか飲み食いしてはいけません)ってシステムは、アメリカみたいに入場料の安い小屋だからこそ成立する話で、1800円の料金とる小屋が採用すべきじゃない気が。
 内装はアメリカのシネコンそのまま(喫煙スペースがあるのが唯一の違い?)。料金だけ倍。平日昼間の割り引きとかも導入すべきでしょう。
 サティの一階にはレストランが二軒。片方はいきなり内装がジャングルで、実物大の象が吠える。ご家族連れにはうってつけ。子供だまし放題。

「アナザヘヴン」は、かなりくどい。あと10分カットすればいい映画になるのに。とくにベッドシーンとラスト。ホラー的な見せ場は非常によくできてます。柏木千鶴発動シーンとか。しかし原作でいちばん面白い脳みそ料理ネタはさらっと流しすぎ。せっかくカルボナーラ食べていったのに。
 京極夏彦・綾辻行人・早見裕司登場シーンは、笑える処理になってるので、ファンの人はお見逃しなく。セリフの楽屋落ちもあのぐらいは許容範囲でしょう。
 CGの「ナニカ」は、今日泊亜蘭の「ポセイドニアから来た男」だと思ったけど違いますか。たぶん違いますね。

「アイアン・ジャイアント」は、気持ちいいところと気持ち悪いところが混じっててちょっと落ち着きが悪い。和才洋魂? 日本アニメのハリウッド的アダプテーションなんだけど、プロットがあまりにもアメリカ的なのが痛い。

 23時半ごろ映画が終わって外に出るとあまりにもさびしい街並み。とりあえず本屋と映画館があって、あんまり混んでないから、映画の日にまとめて映画を見るにはいいんだけど、やっぱりふつうは銀座に出るかなあ。




【5月2日(火)】


 SFセミナーの角川春樹企画用に、角川文庫とハルキ文庫のSF関連書籍全リストを作成。といっても、前者は、エクセルに移してある石原インデックスを文庫別に並び替えて、抜き出しただけですが。71年から90年の20年で角川文庫のSFは1300点ぐらい。
 調べてみると、講談社文庫の『エヌ氏の遊園地』も、新潮文庫の『ボッコちゃん』も、角川文庫の『幻想の未来』も1971年の初版で、71年が日本SFの文庫化元年だった模様。早川書房がそれに対抗すべくハヤカワ文庫JAを創刊したのが1973年。しかし出しても出してもどんどん他社文庫(主に角川)に持っていかれてしまうのでした。
 JAのリストと角川文庫SF路線のリストを並べたものもつくりかけたけど、昼間の企画でそこまでつっこんでもなあと思い直し、参考用の角川文庫リストのみプリントアウト。
 というか、エクセルのデータを印刷して10年のさいとうよしこにぜんぶやってもらう。カラオケの曲データをどんどん印刷してるだけあって話がはやいのだった。
 しかし角川文庫のリストは17ページ(笑)。こんなものは配れないので話のネタに使用することに決定。

 SW/RPの入稿原稿が完成。メールで送ってようやく一段落したので、江戸川乱歩賞最終候補作選定会議用の原稿22本を読み始める。連休明けの8日まで読めるのか。




【5月3日(水)】


 SFセミナー当日。
 11時起床。大手町で千代田線に乗り換え、新御茶ノ水から全電通会館へ。12:30開場だと思ってたら、12:00開場で、すでに角川春樹社長は到着してました。そのまま控え室に案内され、なんとなく打ち合わせがはじまる。
 角川春樹事務所の編集者たちは、ゴールデンウィークのど真ん中だというのに大量動員をかけられ、5人がセミナーに参加。しかも社長命令で、セミナー用にレポートまで提出させられたらしい。仕事とはいえ、申し訳ないことである。M松さんなんか、去年もSFセミナーのパネリストとして駆り出されているのに。
 控え室では、主にSFセミナーの重鎮、永田弘太郎氏が大人の貫禄で社長のお相手をつとめてたんですが、そこに登場したのが野田昌宏大元帥。やってくるなり、
「いや、春樹さんに挨拶だけしておこうと思ってね。とにかく『スター・ウォーズ』の翻訳をあたしに回してくれたのはこの人だから足を向けては寝られないんですよ。ところで最近UFOはどうなの、春樹さん。いまここへ呼んでよ。そしたらおれも信じるからさ」
 といきなりUFOネタを振る。社長と社長がUFO話をはじめるともうだれも止められない。春樹社長が5歳ではじめてUFO見たときのエピソードから、「グレイ星人」(発言ママ)とのコンタクト思い出話が炸裂。ハワイに行ったらグレイ星人からの通信で、アラモナ・ショッピングセンターへ行けと言われ、とりあえず行ってみたら、とある店で水晶を売ってて、これだと直観してそれを買って帰り、いつでもUFOが呼べるようになったので、松田優作のリクエストに応えて見せてやったとか。

 ……とまあそんな話を拝聴しているうちに13:00になり、「角川春樹的日本SF出版史」が開幕。オレ的に収穫だったのは、1966年から1969年にかけて出版された角川文庫SFマーク(ヴェルヌ『地底旅行』『海底二万哩』『悪魔の発明』『謎の神秘島』、ウェルズ『宇宙戦争』『タイム・マシン』『透明人間』『モロー博士の島』『月世界旅行』、ドイル『失われた世界』、バローズ『火星のプリンセス』など全21冊)が角川春樹企画だったという話。当時の角川書店は印税も満足に払えない状況で、日本作家に対する信用がなく、苦肉の策として無版権で出せる古典SFから出発した――というような話でした。
 ちなみにデニケンの『星への帰還』が出たのは1971年5月。筒井康隆『幻想の未来』が同年8月で、ここから日本SFの角川文庫大量収録が始まる。
 出版史的に言うと、たしか1970年に角川春樹単独企画でエリック・シーガルの『ある愛の詩』を大ヒットさせるという快挙があり、この成功で、それまでの冷や飯食らいから一転して編集局長に就任した――という流れだと思いました。
 あと個人的に面白かったのは小柳ゆきの話ですね。一年前にデモテープを聴いて、これは行けると直観したとか。どうせなら主題歌があたるより「アレキサンダー戦記」があたるほうがよかったんじゃないかと思いますが、あの絵にあの曲っていうのは、往年の角川アニメそのまんまな雰囲気で、結果的に「あなたのキスを数えましょう」がミリオンセラーになったというのは、角川春樹の神通力いまだ衰えずなのか。

 80年代半ばには、「もうSFの時代は終わった。これからはファンタジーだ」と直観し、富士見ファンタジア文庫と角川スニーカー文庫を創刊した――という話なんですが、はたして真偽はどうなんでしょうか。一般的には、スニーカー路線は角川歴彦企画だと思われている気がするんだけど。
 もっとも、ホラー文庫/ホラー大賞が角川春樹企画だというのは、当時、複数の角川書店編集者に確認しているのでたぶんまちがいないでしょう。

 しかし、春樹社長はひとり演説モードに突入するにちがいないと読んでいたのに、壇上では意外なほど控えめで、時間配分の計算がすっかり狂ってしまったことである。いきなり社員に提出させたレポート(笑)を朗読しはじめたのにも驚いたけど、ラインナップ的には悪くない線でしょう。
 詳細に関しては、SFセミナー2000 関連レポートリンク集などを参照してください。

 というわけで仕事が終わったのであとは控え室でモニター見ながらだらだら。新人SF作家パネルのメンバーを春樹社長に紹介したりとか。近くのVELOCEで休憩し、角川春樹事務所の人々にいろいろと楽しい裏話を聞き(小柳ゆきと春樹社長がはじめて顔合わせをしたとき、春樹社長は開口一番、「きみはビジュアル系じゃないね」と言ったとか言わないとか(笑))てから戻ってくると、小中千昭氏と井上博明氏が到着し、ここにはとても書けない「いまだから話せるあのときの真実」を含む昔話大会に突入。いや、勉強になりました。控え室でずっとカメラを回しているほうが面白かったかもしれないが公開は無理か。

 昼間の企画は午後7時に終了。去年と同様、春日駅前の焼肉屋で食事――と思ったら休みだったので、近所のステーキ屋になだれ込み、9時前に合宿所入り。いつも思うのだが、オープニングの来場者紹介はいくらなんでも長すぎないか。
 いったん帰宅していた柳下毅一郎から携帯に架電。なにかと思えば、
「バスジャックでたいへんだよ。テレビはぜんぶ生中継」
 しまった、セミナーでなけりゃずっとテレビ見てるのに(この時点では、2ちゃんねるに犯人とおぼしき少年が立てたスレッドが激しく盛り上がっていることなど知る由もないのだった)。

 合宿企画一番めは、一週間ぐらい前に急遽代打で決まった「進化SFの部屋」。この時間帯にこのネタではせいぜい10人ぐらいだろうと思ったら、意外と人が集まりました。のだ博士の人徳でしょうか。『フレームシフト』の遺伝子配列決定方法をめぐる、野田玲子×中野善夫の熱いバトルは見モノでした。大森は主に素朴な質問をする係。こんなんで90分ももつのかと危ぶまれた割には、博士の奮闘のおかげで無事に時間を消化。お勉強企画は質問だけしてればいいので楽ちん。

 二コマ目の企画は、「田中香織のなぜなにファンジン」。60年代は高橋良平、70年代は牧眞司、80年代は小浜徹也と年代別に三人の講師を迎え、田中香織が年表に書き込みながらファンジンの歴史を学習する企画。
 ひみつファンジンの『新少年』まで回覧されていたのは驚いたが、《ネオ・ヌル》創刊号とか思わず熟読してしまいました。岡本俊弥の文章は25年前から変わっていないことを確認(笑)。
 あ、岡本俊弥と言えば、当日記4月23日の記述について、大熊弘俊氏より訂正要望がありましたので引用して訂正します。
(中略)「寺方民」は「寺方民倶」(テラフォーミング)が正解です。
それはさておき、寺方民倶こと岡本俊弥さんは、私より年長でもあり、学識も深くかねがね時流に媚びないSF評論家として心より尊敬しております方です本当です。
そんなお方さまに対して、たとえご本人がいない席にせよ私が「あいつ」などと呼び捨てにするでしょうかいやしません本当です。
きっと私は「お方」といったはずです。再現してみましょう。
「そしたら、ええと、どなたでしたかいな、あのお方、寺方民・・・そう寺方民倶さん、あのお方はんも来はるんですか?」
そうですそうです、だんだん思い出してきました間違いないです本当です。私は確かにそう言いました。大森さん、パラフレーズされたら困ります。困るのです。
たぶん日記を読んだ岡本さんは、くちびるの端で薄く笑いながら、「ほう、大熊ええ度胸しとるやんけ」と呟いたに違いない。そ、それは困るのです。私関西におれなくなってしまいます。
岡本さんこれは何かの間違いです陰謀です私は無実ですそうそう今度近いうちに「風の翼」ホームページを開設しますよ西秋生令夫人の柳生真加さんがいま作ってくれてます出来上がったら連絡しますのでぜひお越し下さいませお待ちしておりまーす! 

 よく考えてみるとたしかに寺方民倶でしたね。しかしとても正気とは思えないペンネームだ。まあ岡本家記録でなにを書かれようが、しょせん寺方民倶のいうことだと思えば……。

 3コマ目は、「ネットワークのSF者たち Returns」。スラデック部屋の前にちょっと偵察しようとのぞきにいったら、森太郎がいきなり小浜徹也のSFオンライン原稿を朗読。さらに大森がむかし日記に書いたことまで朗読されて、そのまま小浜徹也吊し上げ集会に突入(笑)。
 まさか90分も小浜ネタがつづくとは。まあ森太郎の責任だな。DASACONを知らない参加者もいたのに、話題がこの問題に終始したことについてはのちに不満の声も噴出し、その後、Neo Hybrid Cityでの意見交換に発展してますが、これではますます小浜徹也の思う壺では。
 関係ないけど、ネオ・ヌル2号の岡本俊弥《SHINCONへの道》とか読んでると、「SHINCONは初心者を排除する」とか明記してあって笑えます。「仲間内の盛り上がりに水を差すネオファンは来るな」とか(笑)。
 しかし大森の理解では、SFセミナーが仲間内のコンベンションだったのは80年代の話で、そういう時代はとうのむかしに過ぎ去っている。昼間の企画は一般人歓迎だけど、合宿のほうはファンダム色が濃い――みたいな一方的思い込みが一部に(小浜徹也とか)あのかもしれないけど、綾辻行人とか合宿に呼んでる時点で、すでにそういう前提も崩れてるでしょう。小浜徹也はそれをさして、
「(SF)セミナーが(日本SF)大会化しちゃってるんだよね」
 と、ファンダムの人にしかわからない形容をするわけですが、気がつくのが遅すぎると思うな。
「SF大会化」っていうのがどういうことかというと、必ずしも「SFを読んでいること」が参加者間共通のバックグラウンドにならないってこと(推測)。
 SFセミナーは、今も昔も活字SF志向のコンベンションであり、合宿には、サーコン(serious and constructive)系SFファンの交流の場っていう側面があるわけだけど、今はもうそれだけじゃない。
 もっとも大森としては、ここ数年のSFセミナーに、他ジャンルとの交流を積極的に促すような企画を意識して持ち込んできたつもりなので、SFセミナーの「浸透と拡散」(笑)のA級戦犯なのかも。そういう風潮に対する保守反動勢力からの問題提起として小浜発言を読むという見方もできなくはないんだけど、小浜徹也が考えていることとはたぶん全然関係ないな。
 まあオレだって、「ファングループの例会にはじめてやってきたら、半年は黙って古参ファンの話を拝聴しているのが礼儀だよ」みたいな「ファンダムの常識」が冗談まじりに説かれる時代にちょっとはひっかかっているので、状況の変化に多少の感慨はありますが……という話はまたそのうち。

 3コマ目の終わり近く、すっかり忘れていたスラデック部屋にあわてて駆けつけると、そこは浅暮三文独演会だった(笑)。
「スラデックはヒューマニズムの作家やと思うんですわ。あれはどう考えてもヒューマニズムでしょう。え? なに? そう思わへんの? なんで? おかしいやん。あれはヒューマニズムでしょう。作家を動かす原動力ゆうの? それはヒューマニズムやね」とか、
「けっきょくスラデックは体育会系なんや。あれはどう考えても体育会系でしょう。(以下同文)」とか。
 司会の林哲矢は5分で司会を放棄したらしい。しかし浅暮さんの攻撃はゆるまない。
「オレはそういうことがききたいんや。なんでオレがみんなに質問してるわけ? そういうのは司会の仕事やろう。ちゃんと仕事せんかい。ほんまにもう。ええかげんにしてよ」
 などなど。いやもう爆笑でした。この状況自体がスラデック的と言えなくもない。違うか。
 聞くところによると、美少女ゲームの部屋でも浅暮さんは大活躍だったらしく、企画スマッシャーの名声をほしいままにしていたそうである。
 浅暮さんは、最初の「浅暮三文改造講座」でよっぽど鬱憤がたまったのではとささやかれていたが、大森は見ていないので知りません。

 その後は大広間で午前5時ぐらいまでうだうだ。スタッフ部屋で寝込んでいた小浜徹也を起こすため三村美衣が大暴れした事件とか、セミナーの風物詩が観測されていた模様。




【5月4日(木)】


 6時に帰宅し、ひと眠りして12時起床。1時から新宿三丁目のイタ飯屋(こないだ恐怖の会をやったとこ)で、《遅れてきた新人を祝う会》。牧眞司『ブックハンターの冒険』(学陽書房)の出版記念サプライズパーティ。本人は内緒で企画された宴会で、ほんとにバレてなかったらしい。
 東京ファンダムの古株多数が参集したんですが、なにしろ本人に内緒なので、年賀状のやりとりが絶えている知り合いには秘密招待状が届かなかったかも。
 特筆すべきは、柴野拓美御大のウクレレ演奏。50年前に買ったとおっしゃるウクレレを押入からとりだし、この日のために練習したとか。牧しんじの「あーんあああやんなっちゃった、あーああああおどろいた」の替え歌で、末代までの語りぐさとなることは必定。柴野さんの歌を聞いたのは、十数年前の翻訳勉強会@熱海における「影を慕いて」以来でした。というわけで、これがウクレレを弾く柴野さんの雄姿です。

 一次会終了後は近くのルノワールで休憩。主に昔話とか。




【5月5日(金)〜7日(土)】


 8日の江戸川乱歩賞最終候補作決定会議に備えて、一次予選通過原稿22本をひたすら読む。乱歩賞は上限が550枚なのでどんどん読める。天気がいいので行船公園に出かけ、ベンチでひなたぼっこしながら読んだり。

 佐賀のバスジャック少年は、西鉄バスに乗り込む直前、2ちゃんねるに自分でスレッド立ててた模様。名前がキャットキラーからネオむぎ茶に変わっていたのは不幸中の幸いかも。牧野さんもひそかに胸を撫でおろしているに違いない。



top | link | board | articles | other days