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聖夜

クリスマスは、毎年他人と過ごします。

去年のクリスマス・イブは予定もなく、友達がわいわいパーティをやっているというのにアパートでぐうぐう寝ていたりしてました。

当日は、留学から帰ってきた友人や、高校時代の同級生と顔を合わせて、別に何をするという訳でもなく、お互いの近況報告を兼ねての忘年会です。

こうやって過ごすのは、クリスマスに恋人と過ごすという世間様の習慣に逆らっているから……という訳ではなくて、 ただ何となく、クリスマスに対する思い入れが強くないせいだと思います。
一応、私がまだもっと若く美しく甘い甘いラブロマンスなぞにうつつを抜かしていた頃は、彼氏くんとクリスマスを過ごして渋谷を散歩して、カップルたちが夜の 街へ消えていくのを尻目に、じゃあまた明日ねと門限きっちりに家に飛び込む、などという清く正しいクリスマスを過ごしたこともあるのですけどね。

もともと英国国教会系の学校に通っていたので、クリスマスというと、学校で歌うキャロルやイエス誕生劇ばかりが思い浮かびます。

かと言って家はクリスチャンではないので、気張ってクリスマスを祝う理由もなく、小さい頃は単に「プレゼントをもらえる日」ぐらいでしかありませんでした。

クリスマスには、毎年、家でやっている珠算塾のクリスマス会なんてのがあって、生徒がたくさんいた時期にはお菓子を袋詰めして、ゲームを考えて、なんてことをやっていました。

大人たちが総出で生徒たちを相手に会を進行するのをよそに、私は誰もいない居間で、もらったお菓子をもそもそと食べながら、ただひっそりと本など読んでいました。

向こうからやたら賑やかな歓声が響いてきたのを、よく覚えています。それは、さびしいというのとはちょっと違い、むしろハレの世界の狭間に一人落ち込んでしまった恐怖にも似た体験でした。

夜になって家族が戻ってきて、皆でケーキを食べるとほっとしたものです。

そんな過ごし方をしたせいか、クリスマスは、他人と過ごすものという気がします。
それもいずれは家族になるかも知れないような愛する人と過ごすのではなく、本当の他人、大切な人だけれど私と同じ道をゆくことは多分ないであろう人たちと、束の間、時間をともにする、というのが、私にとってのクリスマスです。
異国の祭りに興じる人々をよそに、自分がどこにいるのかを確かめるように古い友達と話を交わして、その帰り道、自分が本当の異国にさまよい出てしまったかのような恐れをふと感じる、そんな、一年のうちの黄昏時。

私にとっては、クリスマスよりも大みそかや正月三が日の方が、待ち遠しいものであります。
毎年年末年始は必ず家族と過ごします。特に何をするということもなく、ただ家族全員が同じ炬燵を囲んで、くだらないテレビを見て、世間話をして、それだけのことです。

退屈だと言う人もいるでしょうけれど、私にとっての年末年始は家族のための休日です。

そしてそれは、どこか得体の知れないクリスマスよりも、はるかに自分の血肉に根づいた、大切な時間なのです。

 

       

当時の彼氏くんと大変うまくいっておらず(あれ、その頃はもうふられたんだっけか)、とにかくとてもさびしい気分で冬休みを過ごしていた頃の文章です。恋人達のクリースマース♪な雰囲気に対するやっかみと意地が見え隠れしてますね。

ただ、クリスマスに恋人と過ごすというやり方に、今ひとつ乗り気でなかったというのは本当のことで、今でもクリスマスは友達と過ごす方が好きです。
その当時のさびしい思い出と言えば、クリスマスよりも、年末29日の昼下がりに、実家に帰ろうとアパートを出たら、子供を肩車したどこかのパパが歩いていて、そのアットホームな雰囲気に、

「ああ今頃彼氏くんはどうしてるのかなぁ、私のことなぞ考えもしないで」

と思い知らされてものすごく悲しくなりました。その直後、

「なんかこの悲しみ方って、不倫してる女が家庭持ちの男を想ってるみたいでやだな」

と考えてしまい、がっくりきたのを覚えています。