文章いろいろ

私にとっては、恋は天から唐突に降ってくる困った代物です。
別に運命の出会いとか、一瞬のインスピレーションとか、そういうものとは限りません。ただ、あ、好きなんだ、と不意打ちをくらわされるみたいにして、唐突に好きになってしまう、ということです。それまでずーっと友達だった人に、ある 日突然恋をするとか、そういうものなのです。
ま、それとは別に「どう転んでもこいつに恋をすることは、断じて、決して、天地がひっくりかえっても、ありえんな」とわかってしまう相手というのもいて、その辺りの線引きが不思議だなぁ、と思ったりもしますが。

私にとって、友情は、たとえるなら、となりあった(あるいは組合わさった)二つの色です。

青と白、赤とピンク、オリーブグリーンとアイビーの緑……といった、二色が並んで存在し、調和している状態です。
近い色の人と調和することもあれば、思いもかけない反対色とコンビネーションを組むこともあります。どうしても気に入らない色の人も……います。その色自体が悪い、ということではなく、私の色とどうしてもなじまないというか、隣に並んだ時に不協和音を奏でてしまう色合いなのです。
二人で並ぶとあまり好ましくないけれど、他の人の色を間に挟むと急に調和してしまう色があったり、お互いの色の占める面積が非常に微妙なバランスを保たないと綺麗に見えない組み合わせもあります。
けれど、二つの色は、決して、混ざりません。
重なるように近づいていても、混ざることはありません。それは平行に走る二本のレールのごとく、ぶつかって一つになることは、ないのです。


それが普通なのですが……、ときどき、どうしようもなく惹かれる色にぶつかって、その色と自分の色を重ねて、混ぜ合わせたくなる時があります。
色を混ぜ合わせる、ということは、自分の色も、相手の色も、変化してしまうことを意味します。
けれど、その怖さを知っていてなお、まざりたくなる色に出会うことが、あるのです。
その結果は賭であって、いつも黄色と緑が混ざって美しい若葉の色となるような訳には、いきません。
ときどきは、黒色のように、ひどく強い色を持っていて、私の色などまるきり無視して自分の色で押しつぶしてしまう人に出会うこともあります。


私にはたくさんの友達がいます。大切な大切な友達が、何人もいます。しかし、彼らと私の間には、どうしても混ざらない境界があります。
私は、彼らに様々な話をし、様々な話を聞き、様々な忠告をし、様々な相談をします。

全く考え方の違う人、価値観が違いすぎて喧嘩にならないのが不思議なくらいの人もいます。けれど、大切な友達です。
大切だけれど、彼らに私の生活や存在を揺るがされる訳にはいかないのです。

隣り合って走っているマラソン選手のようなもので、向こうが「あっち走る」と言い出したら私に止めることはできないし、逆に向こうに私の走る速度を決められても困る、そういう関係なのです。
時には向こうの忠告がひどくもっともで、納得できるので、自分の進路を変えてつきあってみたりもします。様々な調和を生み出すけれど、それは調和にしか過ぎず、私はどこまでも私一人で走らなくてはな りません。


私は、好きな人から影響を受けたいし、好きな人には影響を与えたいと思います。好きな人が好きなものを好きになり、嫌いなものを嫌いになります。好きな人の趣味を覗いてみたり、勉強をかじってみたりもします。一緒に走りたいと願います。そして、好きな人の好きなものを好きになりきれない時……とてもとても悲しくなります。
時には、好きな人があんまりにも無邪気にそれが好きだと言うものだから、歯がみしたいほどの嫉妬にかられながら、それでも捨て去ることもできず、その存在をどうしようもない大きな力として、影響を甘受します。

それは時として、取り返しのつかないくらい私を変化させます。色が混じってしまうのですから、仕方ありません。

その代わり、もし、好きな人が私の好きなものを好きになってくれて、私の大切なものを共有してくれたら。たとえば、ぽてぽてと散歩をして、草原の木の 下でお弁当を広げて、空を見上げて、素敵な花の香りがして、そんな些細な瞬間を、笑い飛ばさずにまじめに共に愛してくれたなら、私は、百万回キスをするよりも、満たされることができるでしょう。
お互いが、お互いの色で影響しあえるのなら、それで起こる自分の変化を受容できる、歓迎さえできるのなら、それが恋なのではないかと、思うのです。

       

割と初期の頃に書いたものです。大学3年か4年くらいかな?
恋愛についてあれこれ考えたり話したり書いたりすることが好きなので、この辺りをテーマにした文章は、結構たくさんあります。

当時、交際していた男性とすれ違いはじめた頃で、私はそのひとと出会って得たものを永遠に忘れないだろうと感じていたのに、向こうは私の存在などあんまり覚えていない雰囲気だったので、その辺りのフラストレーションが文章ににじみでていますね。

私は昔から、他人に影響を与えるということに本当に不向きで、たとえば自分の好きなものをいかにも魅力的に紹介するとか、プロデュースするとか、自分の考えに他人を共感させるといったことに、成功した記憶がありません。

そんなこともあって、いつか愛する人が「君に会えて、僕はこんな風に成長して、変わったよ」と言ってくれるというのが、長いこと憧れだったのです。
その憧れは、未だ叶ったとは言えない訳ですが、それがないから不幸だとは思わなくはなりました。