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遺伝子意匠

 アメリカでは、「デザイナーズチャイルド」を防止するために、人間の遺伝子組み換え関連の特許を出さないという方針を固めたのだとか。「デザイナーズチャイルド」というのは、親が子供に望みの知力体力容貌を持たせるために、遺伝子をいじって造る子供なのだそうで。

 それはそれとして、ふと思ってしまったのですが、遺伝子をちょちょいといじれば、望み通りの知力体力容貌を備えた子供ができてハッピー、というのは、あまりに素朴というか単純すぎる発想ですよねえ。

 多分、わざわざ知力体力容貌 の劣る子供を作りたがる親はあんまりいないと思うので、きっと頭良くって運動神経抜群でかっちょいい子供を!という希望なのだと思うのですが。

 まず第一に、遺伝子的にそういう素養のある個体を造れたとしても、実際に本当にそういう人間に、はてさてなりますのやら?

 そもそも「頭いい」「運動神経がいい」「容姿端麗」ってどういうことなんでしょう?

 おはなしを書いていて、そういう要素を持つキャラクターというのは当然出てくるのですが、それを具体的に表現するのはとても難しいです。

 一番具体的に(数値的に)実現できそうなのは運動能力ですが、それだって、足が速くて力持ち等々で運動神経抜群と言えるのはまぁ小学校までで、実際の運動というのは、もっと複雑な要素がからみあったものですよねぇ。
 ただ単に走りゃあいいように見える陸上競技とかでも、綿密な訓練とメンタルコントロールがあってこそ。運動神経でさえこうなんですから、IQ高ければいいってもんじゃない「頭」とか、流行りすたりがあっていちがいには言えない「美貌」については言うに及ばずです。

 んで、百歩譲ってそれが完全にクリアできたとして。そういう子供ができることって、一体幸せなんでしょうかね? 親より子供の素質の方がはるかに優れている訳でしょ?

 実際には人間の価値というのは、有用性や優秀さで計れるようなものじゃありませんが、そういう子供を望むということはきっとその辺りに重要な価値を置いている人なんでしょう。

 で、自分より遙かに優れた子供が生まれ育って、果たして自分を尊敬し愛してくれると、本気で信じているんでしょうか?

 だとしたら、これもまた、もんのすごく楽観的かつ無邪気な話です。

 別に子供が必ずしも親を愛し尊敬せねばならないとも思いませんが、わざわざそんな手間をかけるということは、きっと子供への思い入れは並々ならぬものであるはず。

 そこまでして授かって育てた子供に、さて成人後「ほんとにおふくろって信じられないくらいバカだよな。醜いからあっち行けよ」とか罵られたら、一体その人は立ち直れるんでしょうか……。

 加えて、これは多分に個人的な趣味も入るのですが、「どんな子供が産まれるのかあらかじめわかっている」って、すごくつまらないような気がしません? 自分と相手がわかっていても、産まれてくる子供の性さえ決められないという偶然性こそが、妊娠・出産の醍醐味なのでは。

 「わ、こんな人間ができるのか!」という新鮮な驚きがないのでは、出来の悪いコンピュータRPGのレベル上げ以上につまらない「作業」になってしまうように思えるのですが。

 ……と、つらつら考えてみて、「デザイナーズチャイルド」の利点は何一つないという結論に達してしまいました。一体どんな人が、こういう子供を望むんでしょうかねえ。

 素質が高い方が子供が苦労しなくていいだろうってことなのかしら? でも素質が高い人には、素質が高い人同士での競争がある訳で、しかもそれは素質が低い人同士の競争よりも楽だったりするはずもないと思うんだがなぁ。

 いやはや、世の中には色んな人がいるのですが、デザイナーズチャイルドを望む人の発想というのは、私と全く接点がないもののひとつのようです。

 

       

2004年の日記で書いたもの。
ゲームは様々な要素を数値化するので、「頭いい」とか「かっこいい」とか「運動神経がいい」といったことを、割と簡単に表現できますが、潜在力の数値が常に顕在化するとは限らない訳で、その辺りの虫のいい期待は大丈夫かいな、というちょっと義憤めいた感情が、書いた動機です。
子供が産まれると同時に、親がみんな死んじゃうんだとしたら、こういう試みってのも別の意味を帯びそうですけどね。