文章いろいろ

黎明

先日来、香港で活動している歌手のレオン・ライ(中国名は黎明……すごい名前だ)の歌をずっと聴いている。ほとんどが広東語、一部北京語なので、歌詞の意味なんて全然わからなくて、インストゥルメタルみたいな感じだ。
でも、やっぱり人間が意味のある言葉を載せて歌うというのは、楽器の演奏やスキャットとはまた違う印象になるみたいで、意味は理解できないのに受ける感じは異なる。何でだろうね。


レオン・ライは歌のうまい人で、声もきれいで、それでいて全然必死さというか生々しい熱意を感じさせない雰囲気で歌う。きっと彼のような歌い手は、探せば日本にもいるんだろうけど、今のところ私に縁があったのはこの人のようで、 私はこの出会いに感謝している。

おまけに「普通っぽい美形」で、顔も好みなのがうれしい。面食いなのだ、私は。
香港の芸能人の中でも、アンディ・ラウやアーロン・クォックみたいな「思い切り美形」「神様が手抜きしないで創ってみました」という人は、オブジェとしてひたすら見とれるのにはいいのだけど、どうも人間という感じが持てない。この人のような、隣にいそうでいない、「どこかにいる王子様」という辺りが私のツボらしい。


ついでに言うと、この人は一人でいる時と隣に女性がいる時ではぜーんぜん表情が違う。女性がいると途端にかっこよくなるというか、魅力が当社比256%くらいアップするのだ。
何だか少女漫画でしか登場しないような、マッチョさを微塵もまとわないくせに「かっこいい男性」という人になってしまう。普段は目立たないし優しいだけがとりえのように見えながら、いざという時には絶対命を張って愛する女性を守ってくれそうな雰囲気の持ち主、と言うべきか。
……なんか、レオン・ライのことを長々書くつもりじゃなかったのだが、つい書いてしまった。熱心なファン、という訳じゃないんだけど。何となく、たまに気になって目がいく、というポジションなのだが、これくらいの距離感が私の性格に合っているのかも知れないな。

 

今のところ、この人のアルバムで一番好きなのは「嚮往(字が違うかも、なんせ中国語なの で)」というものなのだけど、どうもこれが好きというのは、曲の問題というよりも出会った時期に原因があるらしい。

この CDに出会ったのは大学院時代、私が最低な日々を、誰のせいでもなく自分のせいで送っていた時期で、毎日が憂鬱だった。どこにいても何をしていても、アパートにひとりでこもっていられる時間が待ち遠しかった、そういう時である。


音楽にほとんど無関心な私が、何を血迷ったかレオン・ライのMTV名編を集めたエンドレスビデオなど編集してしまったのがこの頃だ。
ファンと称するほどひたむきな熱意があった訳ではない。心理学者ならあっさり逃避の一言で片づけそうな感情だ。レオン・ライのきれいな声や姿を見ているのがただただ楽しかった、ということである。

でも多分これは、男性がアダルトビデオを見るような強く激しい感情ではなくて、そういうたとえをするのなら、環境ビデオやヒーリングBGMを鑑賞する感覚なのだろう。


MTVの中で、自分の歌をBGMに女優を共演者に、理想の青年を演じてみせるレオン・ライは、何だか違う星の人のように見えた。
こういう男性に出会えて恋が芽生えたらいいなあ、という気もしないではなかったけれど、かと言ってビデオを見ている間、強く女優に感情移入した訳ではなかった。
ある女性を心から愛する、ひたむきできれいな男性がここにいる、自分の知らない世界のどこかにいるという事実が、私をなぐさめた。それで充分だった。

現実に出会えるのか、演じているこの青年が実際にもこういう人なのか否か、それは全くどうでもよいことだった。どうにも埋めがたく、埋める気もない距離感がそこにはあった。恋でも愛でもなく、天国や神様の存在を確認した時の安らぎに近かったかも知れない。


大学院での自分の有様に失望し、当時交際(という名の片思いを)していた男性の言動に一喜一憂ならぬ一憂一憂ばかりし、家族には合わせる顔もなく、友人にも何も言えなかった私は、この青年のきれいな姿に、おおげさに言えば世界の存在理由を見出していた。彼の姿、というより、彼が演じ体現していた概念のようなものに。


それが彼の本当の姿とは限らないことを、今も昔も私は百も承知していて、だから彼のファンとはとても名乗れなかった。
彼の実像を知ることができたら、それはそれでまた別の楽しみや喜びが生まれることはわかっていたけれど、もっと熱心に彼を追い求める人々の群を目の当たりにし、私は何だか申し訳ないような気がして踏み出せなかった。

今でも「嚮往」を聴くと、この不思議な感覚、宗教的とさえ言えそうな、静かな時間がよみがえる。

真夜中、部屋の電気も点けず、私はじっと曲に耳を傾け、彼の姿を眺めた。朝靄のかかる森の湖をわたる静謐さのような、涼しい安らぎを私は感じていた。

そこにいるのは、ただのひとりの青年、しかし悲惨な自分の現況とは絶望的な距離のある青年 だった。

その姿を心のつっかえ棒に、私は日々をやり過ごしていたのである。

未だに、私はレオン・ライという人の歌や姿に、そういうどこかスピリチュアルな感情を抱いているような気がする。

これを普通の言葉で表現すれば、多分憧れという言葉が一番近いのだろうけれど、これはファンの持つ憧れではない。

おそらくこれからも、彼は私の中で、そういうちょっと表現しにくい位置を占め続けるのだろう。彼の人間性や望みや意志とは、何の関係もなく。

だから、もし彼に会うような日がいつか来たら(それは私が宇宙人に誘拐される可能性よりも低い確率だと思うけど)私は彼に真っ先にあやまってしまうような気がする。

       

iTunesを使い始めて、Macintoshで音楽を聴くというスタイルが定着した頃の、二日分の日記をまとめたものです。

黎明は、今でも香港で「四天王」と呼ばれるほどの歌手であり俳優です。日本にも、漫画家の村田順子さんが代表をやっていらっしゃるファンクラブがありますが、当然ながら私は入っていません。

姉が香港芸能人好きだった関係で、一時期やたらと香港事情に詳しくなった時がありましたが、今はそんなこともなく、相変わらず芸能と名の付くものには縁遠い日々を送っています。