文章いろいろ

私は恐らく、「本好き」にカウントされる方だと思います。
毎月の「本予算」はいつもきちきち、月頭の数日で消化されつくしていますし、全く本に触れない日というのは一日もありません。
小学生の時、授業中にこっそり本を読んでいたのが 発覚して、「一週間、学校で一切本を読んではいけません」という罰を受けた時は大変でしたねぇ。


でも、私は本を全然大切にしません。結構あっさりと処分しますし、捨てますし、売る場合だと処分価格が目を覆うばかりに低くても気にしませ ん。著作権者への冷淡さは自分でも驚くほどです。
たぶん、私には、「本は文化財」「本はただの消費財とは違う、特別な存在」という感覚が薄いのです。
それは、言葉や活字の重みが失われつつある時代に生まれ育ったためかも知れませんし、へたくそでも自分で文章を書くことから来る本への近しさがあるせいかも知れません。あるいはもっと根の深い深刻な理由かも知れません。


理由はどうあれ、私はこれほど本を愛し本に溺れていながら、本に対する警戒心を常に持っています。

活字離れや、 古書を「ただの中古のモノのように尊敬もなく売買する」態度に対する批判を目にする度に、冷ややかな気持ちが湧きあがります。

本てそんなに素晴らしいものでしょうか。本当に尊重されるに値するものなんでしょうか。ラジオやテレ ビや映画やゲームや語りや、そういった他の様々な媒体に比べて、より高貴で重んじられるべき存在なのでしょうか。 文化なんでしょうか。知性の屋台骨なんでしょうか。

もしかしたら……本なんてものは、なくたっていい単なる嗜好品 のひとつで、物書きなんて存在は、いなくなって本当は困らない、余剰生産で養ってもらっているヤクザに過ぎないんじゃなかろうか。

自他共に認める大いなる本好きである私は、大した人間ではありません。経済的にも精神的にも自立にはほど遠く、世界に貢献できるようなものを何一つ持っていない、今日死んでも社会にとって損失のない、むしろ死んだ方がプラスになるかも知れない存在です。

そして世の中にはきっと、本など別に好きではないけれど、死んでしまったら惜しまれる素晴らしい人々が生きています。

人を成長させるのに、本を読むという方法を勧めるのは結構なことです。それが役立つ人もきっと多いでしょう。

でも、本を他の媒体よりも高みにある「文化財」として崇める必要があるのか、正直私にはわかりません。本なんてつまらない。物書きなんてくだらない。……でも、それでもなお、書かずにいられないものがあり、書かずにいられない人がいて、本という存在が在り続ける。そういうものではないでしょうか。


自分が本によって救われたからと言って、本が素晴らしい存在だと手放しで誉め称え、誰もが本を読むべきだと訴える。その無邪気さは、自分の神様をところかまわず押しつける狂信者と、そんなに大差がないように思われます。

       

活字離れが叫ばれるたびに、冷ややかな気分がこみあげてくる、その冷笑的な気持ちのまま書いた文章です。

知的スノッブというタイプの人間に対して、私は昔からどうも点が辛くなる傾向があって(たぶん、自己嫌悪が混ざっているせいだと思いますが)、この文章もかなり、とりつくしまのない雰囲気になっています。