豊穣の森と渓1 豊穣の森と渓2 番外編 TOP

 雪代で沸き返る滝とゴルジュが連続する険谷に、新緑と岩魚、山菜の誘惑に釣られて分け入った。激流を渡渉し、滝を何回も高巻き、遡行には難渋しただけに、有り余るほどの山菜と鼻曲がりの大岩魚に、感激はクライマックスに達した。豊穣の森と渓のドラマは、何度歩いても瑞々しいほどの新鮮な感動を与えてくれる。
 二日前の大雨と雪解け水が重なり、激流と化した険谷に近寄る者は誰もいなかった。早春の山釣りに行けなかった準会員・小玉氏から、山菜と岩魚釣りに連れてってくれ、との誘いを受けた。私も新緑と山菜に沸き返る渓を歩きたいと思っていたから、すぐさまその誘いに乗った。朝4時30分、肌寒い風が吹き抜ける薄暗い谷に分け入った。とても沢通しに歩ける水量ではなく、数えられないほど巻きを強いられた。
 滝を何回か高巻いた後、竿を出す。萌え出たばかりの新緑に包まれた渓・・・釣り人は、岩魚と山菜の誘惑に奥へ奥へと引き釣り込まれてゆく。それもそのはず、餌を入れる度に、良型の岩魚が雪代から飛び出してくるもんだから、二人は完全に釣り馬鹿モードに突入していた。
 雪代に洗われた美白の岩魚。余りにも白い魚体に、しばし見惚れてしまう。腹部の橙色も鮮やかだ。平均サイズは、8寸から9寸。時々尺岩魚も混じり、7寸以下のリリースサイズは、数えるほどしかなかった。ちなみにリリースサイズは、小玉氏3匹、私が5匹に過ぎなかった。
 この沢最大の難所を上流から撮る。雪代の流れは、ここから一気に圧縮され、落差10mほどの滝を一気に落走している。水量が少なければ、左岸から右岸に渡渉すれば難なく通過できるが、雪代時は、渡渉不可。やむなく、左岸の岸壁を攀じ登り、大高巻きのアルバイトを強いられた。最後は頼る木もなく、ザイルで谷に下りた。この高巻きは、初めて経験するルートだったが、意外にも予期せぬプレゼントが待っていた。
 高巻き途中の高台から新緑に萌える谷を眺める。美わしい新緑の渓谷美に、釘付け。汗が噴出す苦労も吹っ飛ぶ。高巻きルートは、雪崩崩落地・・・谷を歩くだけでは決して出会えない山菜畑が目の前に飛び込んできた。
 旬のウドが、雪崩斜面一面に顔を出していた。その規模は、今まで経験したこともない大規模なものだった。余りの見事さに、ザックに背負っていたカメラを取り出す。旬のウドにカメラを向けると、今度は「採ってください」と語りかけてくる。腰に下げたナイフを取り出し、根元から切り取る。上部の葉の部分は天ぷら、根元の太い部分は生食が絶品だ。
 ニリンソウの群落に顔を出したウド、ウド、ウド・・・。小玉氏は、ウドの生食が大好物。採るだけでなく、斜面に座り込んで、皮をむき、そのまま食べ始めた。この崩落地の腐葉土は厚く、アイコ、シドケも群生していた。しかし、この急斜面はザイルなしには谷に降りられない。そんなことは、すっかり忘れて山の恵みに酔いしれていた。
 高台から望む絶景・・・ブナの新緑に包まれた森と渓に圧倒される。色彩も鮮やかで、まるで春の紅葉を見ているようだった。
 雪代の流れは、殊の外冷たい。写真の流れはかなり深いが、底まで見えるのがお分かりだろうか。それだけに、餌を追う岩魚が何度も見えた。写真正面の岩場に、丸い葉の群落が見えるが、これは絶滅危惧種1A.類に指定されている希少種・オオサクラソウの群落だ。
 希少種・オオサクラソウ・・・谷が狭く、ブナの渓畔林に覆われた、暗く湿り気の多い谷筋に群生している。まだ咲き始めたばかりだったが、群生の規模が大きいだけに、最盛期になれば、暗いゴルジュが百花騒乱状態になることだろう。
 昼前に、採取した山菜と岩魚の処理をする。旬をいかに保ち、美味しくいただくかは、釣り人の最大の関心事だろう。特に釣り上げた岩魚を粗末にしていると、肌色が変色し、内臓部分から骨と身が剥離してくる。それを防ぐには、早めに内臓を取り除き、新聞紙にくるむのが一番だ。右の写真は、残雪に新聞紙でくるんだ岩魚を埋め込み、デポした場所が分かるように、上に山菜を置いた場面。こうすれば、山菜も岩魚も天然チルド状態で、何時間でも旬を保つことができる。
 岩魚の処理をした後、荷物を置き、山菜採りに出掛けることにした。この時、竿を置いて行こうかと思ったが、未練がましく竿を担いで山菜採りに出掛けた。両刀使いも、時に意外なドラマを生むものだ。
 久々に見る大岩魚だ。というのも、大岩魚は、今や源流から姿を消している。40センチ以上の大岩魚は、ダム湖からの遡上か、あるいは大淵が連続する本流でしか、なかなかお目にかかれなくなった。この大岩魚は、滝と滝に挟まれた紛れもない居付き岩魚だ。それだけに感激もひとしおだった。透明な流れに精悍な岩魚・・・釣り人なら、誰しも憧れるシーンだろう。
 渓に舞う大岩魚・・・カメラを構え、釣り上げた瞬間を一人で撮ろうとして失敗した写真だが、その完全な失敗写真に、何故かついつい見入ってしまった。というのも、その感激が実にリアルに蘇ってくる一コマだったからである。この写真は、心臓の高鳴りを押さえることができないまま、とにかく、引き釣り上げた岩魚を記録に残そうと岩魚にレンズを近づけた。すると、危険を察知した岩魚が全身全霊の力を振り絞って空を舞った瞬間だ。それに驚いた私は、無意識にシャッターを押していた。こんな写真が記録に残されていたとは、パソコンに取り込むまで記憶に残っていなかった。まるで、夢の世界が現実に引き戻されるような失敗写真だ。失敗写真だからと言って、決して捨てたもんじゃないですね。
 オスの鼻曲がり岩魚のアップ。この岩魚を釣り上げたシーンを再現してみよう。釣り上げたポイントは、釣り人でもほとんど見向きもしないような、さもないポイント。カーブ地点だが、本流の流れから外れているため、ポイントも小さく水深も浅かった。

 第一投・・・ミミズ一匹掛けに、すぐさまアタリがあったが、餌を見事にとられてしまった。こういう場合は、決まって小物サイズ。次のポイントに移動するのが常である。ただ気になっていたのは、正面から小沢が流れ込んでいる。もしかして尺物サイズが隠れているのでは・・・
 第二投・・・なかなかアタリがない。しばらく粘っていると、小さなアタリ・・・。その後、右にも左にも動かない。おかしいな・・・小さくアワセるとズシリと重く水面を割ることができない。心臓がだんだん高鳴る。こりゃ尺はゆうに超えている。慎重に引き釣り上げる作戦に切り替えた。水面から顔を出した瞬間、その頭のデカサに驚く。この沢では見たこともないサイズだ。できるだけ刺激を与えないよう、ゆっくり河原に引き釣り込み、左手で鷲づかみにした。精悍な鼻曲がりの大岩魚・・・。上流に行った小玉氏の姿も見えない。この興奮を写真に撮ろうと思ったが、一人じゃ無理。弱らせないよう素早く上流に走った。小玉氏もそのデカサに驚き、竿を置いて駆け寄ってきた。しばし、岩魚の撮影会モードに入った。「深山幽谷の王者」の風格が伝わるだろうか。
 滝と滝に挟まれた狭い世界に陸封された岩魚の成長は遅い。体長の割りに、一際頭がデカイということは、相当年齢を刻んでいることを物語る。これまで、どれだけの子孫を残してきたのだろうか。その老獪な姿を見ていると、とても食べる気にもならない。「源流の主はリリース」の鉄則どおり、リリースすることに。針から外し、リリースする小玉氏が「誰にも釣られるなよ」と声をかける。
 元気に流れの瀬に向かって泳いでいく「深山幽谷の王者」・・・夢の感激をありがとう。豊穣の森と渓に酔いしれ、感謝、感謝の連続だった。振り返って見ると、今日一日、カメラではなく、釣りに拘った結果得られた感激でもあった。やっぱり、釣りに専念してこそ、釣りの感激も生まれる。そんなごく当たり前の事実に気づく釣り馬鹿の長〜い一日だった。

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