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2018年4月18日

相変わらず、毎月恒例のショッカーO野主催飲み会や、TさんNさん達との食事会には参加して、仲間達と楽しくワイワイやっています。

中でも、佐々木剛さんの店「バッタもん」に行って、剛さんと冗談を言い合うのは、最高のひと時ですね♪

この時は、久し振りに互いの決めポーズをチェンジして!!

 お久し振りです。右の手首を痛めてしまい、ペンを持つ事が出来ませんでした。不便でした。
 それはさておき、暖かくなりましたね。暑いぐらいと言っても良い様な日もありました。春はどこへ行ってしまったのか。
 このまんまだと、日本は四季ではなく、三季、秋も無くなって、二季になってしまうかもしれない。なんてね。下らない事を考えていました。

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 3月中に書きたい事があったんだけど、手首のせいで、書けなかった事を書きます。あんまり楽しい話ではありませんが、読んで頂ければ幸いです。

 3月20日。「今日誕生日だよ、91歳」母が言いました。「ハイ、おめでとうございます」と言いながら思う。
 3月20日……。23年前、当時、建築関係の仕事をしていた私は、外務省の修復工事をやっていた。この日、朝、普段より早く目が覚めた。仕事を手伝っていた弟と一緒に「せっかく早く起きたんだから、早く行こう」と言い、1本早いバスに乗って現場に向かった。
 1時間に3本だから、約20分早かった訳ですね。朝礼は8時半からなので、いつも通りだと、8時ちょうどぐらいに駅に着き、現場に入り、地下の詰め所で着替え朝礼に備える。だが、この日は早く家を出た分、7時40分ぐらいに駅に着いた。
 現場の売店で立ち食いそばを食べ、詰め所で作業場に着替え、朝礼の時間を待つ。
 会場は1階の狭い広場。地下から1階へ。庭へ出る。何かいつもと違う。朝礼が始まる。うるさい。パトカーと救急車のサイレンが、物凄い量で鳴っている。5台や6台ではない。何十台かそれ以上。とにかく凄い。
 回りの人と話す。「地下鉄、事故ったのかな? 凄いよね」仕事開始。10時の一服。この頃、上の様子が少しづつ分かって来る。「ガス事故らしいよ!」「え~!?」「どうしたんだろうね?」仕事再開。
 昼食も詰め所で食べる。食べていると、建築の監督が、詰め所をまわり、「ペンキ屋の○○さん居ますか? 居たら家へ連絡をしてください!」と言っていた。「サリンらしいよ」声が聞こえて来た。「ひどいねェ」
 この時は、事件の映像を見ていないし、ニュースも聞いていない。ウワサ話だけだった。仕事が終わり、帰ろうとしたら、地下鉄は止まり、駅は封鎖されていた。
 そう、外務省へは、霞ヶ関で下車して行く。事の重大さにまだ気がつかない私は、ブツブツ文句を言いながら、車で来ていた仲間に、新橋まで送ってもらい、山手線に乗り家路についた。
 家に着くと母親が、「よく無事だったね!」などと言う。(何てオーバーなんだろ)心の中で思い、テレビをつける。見ているうちに、背筋が寒くなってきた。
 亡くなった方も居た。何千人もの人が救急車で運ばれた。犯行時刻は8時。いつも通りだったら、下車する時間ピッタシ。たまたま早く起き、早く家を出た。いつも通りだったら、今、この文章を書く事が出来なくなっていたかも知れない。運が良かったとか言うのではない。ただただ不思議な感じがするだけだ。
 事件現場から100メートルも離れていない場所に居ながら、家に帰るまで何も気がつかない鈍感さを、3月20日、母の誕生日に思い出している私です。

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  ゴールデンウイークもすぐそこです。体調、気をつけて下さい。

        それでは また

金子 吉延   

 
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