07月08日
07月17日
07月23日

<< PRE 2014年7月 NEXT>>

2014年7月23日

ライブ終了後、カインズのリーダー・貴日ワタリさん、スペースコーラスガールズの平山佳代子さん、貝原怜奈さん達と♪ 「大丈~夫」のポーズをとっているのは、特撮ライターの池田憲章さんです。

さらに主だったカインズメンバー数人と記念撮影していたら……。

出演者、スタッフ達もドンドン加わって、ちょっとした集合写真になってしまいました! ライブもですけど、本当に楽しい打ち上げでした♪

 いよいよ、本格的な暑さがやってきます。冷夏だと言っていたのに、いつの間にか、猛暑になる、となっていました。すでに、多くの人が、熱中症で倒れています。皆さん、暑さ対策していますか? 私は、エアコン頼みです。エアコンに頼りきって、カゼをひきました。バカですね、ハハハ。皆さんは、こんな事しないように、気をつけて下さい。

~~~~~~~~○~~~~~~~~○

 7月6日、スペースカインズのライブに招待され、江古田にあるライブハウス「バディ」へ行きました。京都旅行をプレゼントしてくれたTさん、Nさんにも声をかけました。
 今回のライブのテーマは、『改造人間vs人造人間』、つまり、『仮面ライダー』と『人造人間キカイダー』の特集。菊池俊輔先生と渡辺宙明先生の作品集です。
 まず、『仮面ライダー』のコーナーから。MCのショッカーO野の説明によると、この日演奏するのは、『仮面ライダー』から『仮面ライダーストロンガー』までの5作品からの抜粋とのこと。昔、神奈川県川崎市の生田という所に小さな、本当に小さな、撮影所がありました。通称「生田東映」。ここで撮られてた5作品です。この撮影所に、1年3ヶ月、『どっこい大作』のために通いました。
『大作』撮影初日、撮影所へ行くのに、長い登り坂をてくてく歩いてきました。「こんな所に、撮影所なんてあるのかな?」不安になってきた時、“マッハロッド”(『超人バロム・1』の車)が見えた。隣には、“サイクロン号”が2台。ほとんど雨ざらし。近くまで行き驚いた。道の脇にスタジオ。門も看板もない。「エ~~ツ!! これが撮影所?」 京都や大泉学園の撮影所ほどではないにしろ、ある程度の設備はあるだろうと思っていたが、想像以上に、悪条件だった。が、この悪条件の中から、『仮面ライダー』は生まれた。『バロム・1』もここで撮影された。そう思うと、今度は逆に、「なんか凄い所だなァ」なんて考えてしまった。
『大作』の撮影が始まった頃は、『ライダー』最後の数本を製作していた。時々、藤岡弘、さんとか、佐々木剛さんと顔を合わせてました。心の中では、結構喜んでいました。『ライダー』撮影終了後は、『V3』。この作品は、最初から最後まで1年間一緒でした。宮内洋さん、格好良かった。『V3』の後は『X』です。数本分のおつきあいでしたが、主演の速水亮さんが同じ事務所だと聞いていたので、初対面なのに、気をつかわないで、話をする事ができました。
『アマゾン』の主役を演じた岡崎徹さんは、イベントで2、3回お会いしたことがあります。とても優しい人でした。今は、長崎にお住まいと聞きました。『ストロンガー』主演の荒木しげるさんとは、残念ながら、お会いすることが叶わなかった。が、やはり、生田で頑張った人として、親近感を持っています。
「生田東映」では、その他、様々な作品が製作されています。主に、石ノ森章太郎先生原作の特撮物です。すぐに思い出せる作品名は、『変身忍者嵐』『ロボット刑事』『イナズマン』、そして、『超人バロム・1』(これのみ、さいとう・たかを先生原作)などです(※編集注=他にも『秘密戦隊ゴレンジャー』『ジャッカー電撃隊』『透明ドリちゃん』等がありました)。ここまで書いて、今、気がつきました。私の出演した『大作』は、石ノ森先生の原作でもなければ、特撮ものでもない。「生田」にあっては、かなり異端な作品だったんだなァ。
 大分、話がライブから外れてしまいました。曲が進み、私の思いは「生田」へとび、一緒に居た、Tさん、Nさんの事も忘れ、聞き入ってしまいました。
「ぼくのライダーマン」が始まる。とたんに、『ライダーマン』を演じていた山口暁(後・豪久)さんを思い出す。「お早うございます」と挨拶すると、にこやかに、「お早うございます」と、丁寧に返してくれた。この人は、もう、いない。
「ロンリー仮面ライダー」。この曲、大好きな曲である。作詞は、プロデューサーの、平山亨さん。「作詞なんてね、5、7、5、7、って書いていけば、なんとかなるんだよ、ムフフ……」と、笑っていた顔が頭の中に浮かぶ。この人も、いなくなってしまった。
「生田東映」に対する愛着と、故人の思い出とで、けっこう涙が出てしまった。『ライダー』のコーナーが終了する。
 休憩後、『人造人間キカイダー』のコーナーが始まる。製作が大泉撮影所だったこともあってか、正直言うと『ライダー』ほど、『キカイダー』には思い入れが無い。番組も、そんなに一生懸命見ていなかった。『キカイダー01』に至っては、1回も見ていない。が、知らない曲が多かったわりには楽しめた。何たって、MC=O野のしゃべくり、ブラス隊の迫力、カインズの歌、スペースコーラスガールズの可愛らしい声。息が合っている。
 実は、堀田眞三さんに、「ライブにいらっしゃいませんか?」と聞いたら、「行けます」と返事をしてくれました。しかし、当日なかなか来ない。休憩中に電話をしたら、関西方面に行っていて、東京駅に着いたばっかりだと言う。「お疲れでしょうから、無理に来なくてもいいですよ」「いや、約束したんだから、これから行きます すぐ帰るけど」「それじゃ、まってます」と、こんな会話があったので待っていると、『キカイダー』のコーナーも、かなり進んだ頃、堀田さんが到着。私の隣に座り、1曲聞いたら、「それじゃ」と言い、帰ってしまった。本当に疲れていたんだろう。約束を守るために来てくれた。でも、ほんの数分でも、会う事ができて、良かったと思う。良い人だなァ。
 エンディング、アンコールで終幕。
 打ち上げは、いつもの通り、楽しくお酒と料理をいただきました。カインズのメンバー、ブラス隊の皆さん、スペースコーラスガールズの3人、その他スタッフの皆さんと挨拶。Tさん、Nさん、楽しめたかなァ。最後にショッカーO野、お疲れ様でした。
 次回も、楽しみにしています。

~~~~~~~~○~~~~~~~~○~~~~~~~~○~~~~~~~~

     それでは また 

金子 吉延

2014年7月17日

京都の旅、2日目は“世界遺産”の鹿苑寺=金閣寺からスタートです!!

修学旅行以来の金閣寺は、変わらず、とってもとってもきらびやかでした。

ビジュアル的にはなかなか珍しい!? 金閣寺の裏側です。

御室小学校の門前にて。ここで、その昔、みうらじゅんさんは待っていたのだろうか!?

サガショーこと佐賀彰さんと。Tさん達が俳優さんと思うぐらい、今も格好いいです!!

東映剣会の田井克幸さんです。 剣会と言えば、福本清三さん主演の『太秦ライムライト』公開中ですね。

映画村のオープンセットでサガショーと。オープンは、秋から始まるNHKドラマのセット準備をしていました!!

4月に出来たばかりの『ヒーローランド』で、たくさんの“後輩ヒーロー”達を従えて♪

“ダブルライダー”と戦う“ショッカー”を見守る!?

会いに来てくれた“ショッカー軍団”の皆さんとパチリ。集まってくれてありがとう!!

大覚寺の掘割です!! 皆さんもいろんな時代劇で見覚えあるでしょう!? 

『必殺シリーズ』では『暗闇仕留人』に出た事がありましたが、この時私を殺す役が“イタチ男”の潮健児さんでしたね。

昨年9月の台風で被害にあった渡月橋周辺も無事復興し、観光客でいっぱいでした。

嵯峨野の竹林では、まさかの出来事が!? どうしても知りたい方は、O野のトークライヴ、または次回オフ会で聴けます!!

2日間、私たちを楽しく案内してくれた“天下無敵のガイド”久世さんと一緒に京都駅前で。

 台風が大あばれしています。大量の雨を降らせています。被害も出ています。犠牲者が出てもいます。悲しいです。しかし、これが最後ではありません。むしろ、これからが本番です。逃げようと思っても逃げられるものではありません。気をつけて下さいね。

~~~~~~~~○~~~~~~~~○

 6月28日、京都2日目。前日、早めに寝たせいか、朝早く目が覚めた。
 私の部屋は4階なので、窓の外を電線が横ぎっている。その電線に雨垂れが連なっていた。「アリャ、雨だ」窓に近づいて外を見る。雨はやんでいた。「良かった!!」寝床に戻り、これからの予定を考える。 正午にサガショーと会える。楽しみだなァなんて思っているうち、またウトウトしてしまった。1時間ほどして目を開ける。顔を洗って2階へ。朝食です。「昨日は面白かったね」などと話しながら食べる。食べる。Nさんが、ごはんをよそってくれる。2度もおかわりをしてしまった。本当においしかった。TさんもO野も食べた。ニコニコ食べた。お腹がいっぱいになった。朝から満足。
 部屋へ戻りテレビをつける。土曜日の朝、いつも見ている番組を見ようと思ったが、違う番組を放送している。「全国放送ではなかったんだな」と、思わず独り言。改めて、京都に居るという事を実感する。

 集合時間になったので、1階のロビーへ。ペチャクチャおしゃべりをしていると、ガイドの久世さん参上。この日も1日世話になる。「新門荘」の皆さんに見送られて出発。
 金閣寺へ。ここも、修学旅行以来の訪問です。歩いて行くと、見えて来た。ピッカピカである。子供の頃、大人たちが、「銀閣寺は重厚だけど、金閣寺はキラキラしていて、軽薄な感じがする」と言うのを聞いて、そういう目で、金閣寺、銀閣寺を見た。
 が、今回、大人になって見てみると、金閣寺はやっぱり凄い。再建した物とはいえ、実に豪華である。銀閣寺だって、建てた当初は、漆塗りで仕上げられた、きらびやかな物だったらしい。その塗りが落ちて、現在の姿になった。と、久世さんが教えてくれた。見知らぬ観光客が聞いていて、感心していた。写真を撮るベストポジションを示してくれたり、実に面倒見の良い人である。

 金閣寺を出て、いよいよ、サガショーの待つ東映撮影所へ。が、そこはヘソ曲がりのヨッちゃん。真っすぐには行かない。青影を演じるために、1年間通った、御室小学校の前に寄ってもらい、校門でパチリ。不審者と思われないうちに車に乗り込む。走りながら私が言う。
「ここら辺に、半年間住んだアパートがあった」「ここの銭湯に通った」
 花園駅を見ながら、「ここから京都駅まで弟と列車に乗ったら、蒸気機関車が普通に来たんでビックリしたよ」「へー!!」と、皆。いろんな事が頭の中によみがえる。
 そんな思い出の中でも、一番、思い入れのある撮影所に着いた。
 雨が少しパラついてきた。正門脇の建物の庇の下のベンチに、サガショーが座っていた。私が手を振ると、気がついて、こちらへ歩いて来てくれる。所内へ入る手続きをする。以前は簡単に入れたのだが、第1ステージの火事などがあり、セキュリティーが厳しくなったらしい。サガショー、あいかわらず格好いい。TさんとNさんに紹介する。2人共、元俳優だと思ったらしい(後で、『赤影』のスタッフだと教えました)。

 サガショーと一緒に所内を歩く。第1ステージが、建物ごと無くなっている。『ワタリ』撮影時、藤林の屋敷を作ったステージです。駐車場になってしまった。
 奥へと進む。この日撮影所は休みで人がいない。静かである。それでも、Tさん、Nさんの二人は、撮影所には入れないと思っていたらしく、所内を楽しんでくれているみたいである。
 一番奥に着いた。と言っても、前回撮影所に来た時より、大分手前である。第16・17・18の3つのステージが無くなって、映画村になっていた。これは、ちょっとショックだった。このステージは、テレビプロで使用していたもので、特に、17・18ステージでは、いろんな忍者たちと死闘を繰りひろげた所でした。そのステージが無くなってしまった。思い出まで無くなってしまったようで悲しかった。
 5人で正門まで行く途中、サガショーが「吉延、これ」と言って、映画村の招待券を4枚手渡してくれた。何から何まで、なんて親切なんだろう。前日、勝手に予定を変えてしまった時も、「ええよ」と、快く承諾してくれた。今の私の中に、昔の青影だった私を見ているのかもしれない。生意気な事を言っても、可愛がってくれたサガショーがそこに居た。

 正門に戻り、驚いた。正門の横に映画村の入口があるのだ。「ええ、こんな所に入口がある!?」と言ったら、「さっき言ったじゃない」と、ショッカーに怒られた。
 撮影所と映画村の境に、門がある所があり、そこで待っていると、サガショーがもう1度所内へ。私たちは、映画村の入口から中へ。
 入るとすぐに、映画のポスターが、ズラリと展示されている。1枚1枚、じっくり見ていたら、何か、トラブルでもあったのかと、サガショーが来た。そうだった、サガショーを待たせていたんだった。「いやあ、ポスターに見とれてた」「そかそか」やっぱり映画人である。納得してくれた。
 5人で映画村へ。撮影所との境、待ち合わせ場所だった所に、小さな小屋があり、人が居た。その人にサガショーが、「こいつの事知ってる?」と聞いた。その人は、私を見て、「さあ~」と言う。「そうか、知らんか。昔、『赤影』いう番組があってな、青影やってたんや」「えっ、じゃあ、金子さんですか!?」と、その人が言う。その人とは、東映剣会の田井克幸さんという方でした。『剣会』と聞いただけで、懐かしさがこみ上げて来る。立ち回りなどでは、絶対に欠く事が出来ない人たちである。最近は、時代劇が無いに等しくなってしまったので、活躍する場が減ってしまった。残念である。「子供の頃、観てましたよ!」と、田井さん。「オレも子供だったよ」と、私。握手をして別れる。楽しい会話だったと、Tさん、Nさんが言ってくれた。

「この先は、目的もなく、ブラブラするだけだから、放っておいて良いよ」と私が言うと、「なんや、ジャマにするんか」と言い、ついてきてくれる。
 ちょっと歩いて、何か飲もうと、『ミルクホール』へ入る。この日、かなり歩いたので、ホッと一息。冷たいコーヒーフロートを注文する。おいしい。旅館を出てから、何か物を口にするのは初めてである。
 いつの間にかサガショーが支払いを済ませていた。本当に申し訳ない。店の外へ出ると、O野のブログを見たファン=『ショッカー軍団』の数人と出会う。小さな可愛い女の子も居る。この人たちと私たちと皆で、かわるがわる写真を撮る。ここでサガショーは、自分が居なくても大丈夫だと思ったのか、「ほな、ここで帰るわ」と言い、帰っていった。心から感謝。

 この後、皆で何ヶ所か見てまわったが、そろそろ次へ行く時刻になったので、軍団の皆さんと別れ、久世さんの車へ。広沢の池を車の中から見、大覚寺へ。ここもお寺ではなく、隣の大沢の池へ。寺の壁沿いに、掘割のような、小川のようなものがある。何かで見た事がある。そう、ここは、『影の軍団』では忍者同士が、『必殺シリーズ』では仕事人たちが、殺し合いをする場面でよく使用されている所なのです。

 車に戻り、嵐山へ向かう。と、吉佐登姉さんから電話。京都駅、新幹線改札口で4時半に待っているとの事。この時、だいたい、2時40分。「それじゃあ、ちょっと急ぎますか」と、嵐山では、渡月橋をバックに写真を撮るだけ。嵯峨野の竹林は歩く事なく、車で奥の方へ。竹林の端に到着。久世さんも一緒に写真を撮りましょうという事で、全員、車を出て竹林へ。久世さんが、近くに居る人に声をかけ、カメラを渡し、写真を撮ってもらう。ガイド同士の知り合いかと思ったら、全然違うという。この人のエピソードも面白いんだけど、ちょっとここでは書けない。

 竹林を後にする。「少し早いけど、京都駅へ行きましょう」という事で、京都駅へ向かう。姉さんから、また電話。もう、京都駅に着いていると言う。まだ3時半です。待ってもらう他ない。かわいそうだけど。
 ガイドの久世さんは、Tさんいわく「天下無敵のガイドさん」なのだそうだ。久世さんに、今まで乗せたことのある有名人を聞いた。田村正和さん、ビートたけしさん、そして、トム・クルーズさん。まだまだ、他にもたくさん乗せている。本当に、天下無敵なんだ。2日間、私たちのために、安全運転をし、ガイドをしてくれた。この人に、ガイドを依頼できるTさんも、人脈が凄いと思う。
 京都駅に着き、久世さんに礼を言い、握手をし、写真を撮り、別れる。ありがとう。

 急ぎ足で、新幹線中央改札口へ。Nさんが、お姉さんを見つけ、私もすぐに見つけた。人混みの中に、小柄なお姉さんが、ポツンと立っているのを見て、「ああ、オレって、大事にされているんだなァ」という思いが強くこみ上げて来て、思わず、目がウルッとしてしまった。
 お姉さんに声をかける。「あんたたちに、お弁当と、おみやげ持って来たんよ」なんて、ありがたい。皆も恐縮している。
 近くのコーヒー店へ行く。コーヒーを飲みながら、お姉さん、牧さんの話をする。この人は、牧さんの事が本当に好きなのだ。今、牧さんの話をして、通じる人間は、もう、数少ないのだ。私を前にして思い切り話している。生き生きしている。いつまでも、元気でいてほしい。
 ずっと話している訳にもいかず、改札口の前で、我々は何度も礼を言い、お姉さんの後姿を見送った。
 ホームへ上がると、数時間前に別れた、ショッカー軍団の皆が居て、新幹線に乗り込む私たちを見送ってくれた。小さな可愛い、人見知りをしていた女の子も、手を振ってくれた。

 京都駅を出て、すぐにアルコール。おつまみも出てくる。TさんとNさんが用意してくれた。軍団からも、ビールをいただいた。
 お姉さんからいただいた、お弁当を食べる。これが、おいしかった。この2日間、本当に楽しかった。この新幹線の往復、「新門荘」、川床「雪月花」、ガイドの久世さん。贅沢な事をたくさん、プレゼントしてくれたTさんに、心より感謝します。Nさんも、色々、気疲れしたでしょう。本当にありがとう。旅の間、ずっと盛り上げてくれていた、ショッカーO野にも感謝。
 私の行きたい所へ行き、楽しいこと、この上なかった。ただ、心配なのは、楽しんだのは、私一人だけだったのではないだろうかという事だ。私を楽しませようとばかりに気をつかって、他の3人は、楽しめなかったんではないだろうか。もし、そうだったら申し訳ない。
 とにかく、私にとって、2度と無い、最高の誕生日でもありました。
 何度でも言うが、この旅を企画し、プレゼントしてくれたTさん、気を配ってくれたNさん、私をおちょくりながらも、面倒見てくれたショッカーO野。ありがとう、本当に、ありがとう。
 そして、吉佐登姉さん、サガショー、ガイドの久世さん、お世話になりました。必ず、また、お会いしたいです。ありがとうございました。
     いやあ、楽しかった。

~~~~~~~~○~~~~~~~~○~~~~~~~~○~~~~~~~~

     それでは また 

金子 吉延

2014年7月8日

「百万遍」の交差点。こんな地名も京都ならでは!?

時間の関係で三十三間堂は外からでしたが、しっかりと目に焼き付けて来ました!!

吉佐登姉さんとの再会に乾杯!! 姉さんの若々しさに皆ビックリでした♪

想い出の歌舞練場をバックに記念撮影。

清水の舞台から京の町を見ながら、思いをはせる……。

昔の建築技術の素晴らしさを痛感!! 修学旅行の時は何も感じませんでしたねェ。

金子家家族の思い出の地でもある銀閣寺。

祇園「新門荘」前にて……、これから“夜の街”へ繰り出す!?

初めての川床料理、よく食べて、よく飲みました!!

 雨の降り方がおかしい。「今までにない」「記録的な」「50年に1度」 昨年も聞いたような気がする。気をつけて下さいね。本当に。

~~~~~~~~○~~~~~~~~○

 6月27・28日、京都へ行きました。27日、朝7時半に、東京駅、銀の鈴で、Tさん、Nさん、ショッカーO野と待ち合わせ。遅れるのは嫌だから、早目に到着。Tさん、Nさん、すでに先着していた。「早いねー」などと挨拶。ほどなくO野も合流。朝食を買いに売店へ。私は朝から肉たっぷりのお弁当。
 ホームへ。7時40分頃、列車が入線。掃除が無いのでそのまま乗車。座席を向い合せて着席。すかさず飲み物が配られる。何と、アルコール類。「まだ8時前だよ」などと言いながら口をつける。「あっ、うまい!!」
 発車。お弁当を食べ、飲み、そしておしゃべりをしているうちに、京都着。
 この日の予定は、まず、東映の撮影所へ行き、『赤影』撮影当時スタッフだった、サガショーこと佐賀彰さんに会い、夜には、白影さんこと牧冬吉さんの奥さん・牧吉佐登姉さんと夕食をご一緒するというものでした。が、しかし、改札口を出るなり、着信あり。吉佐登姉さんからです。
「着いたァ? そんなら、お昼、一緒しよ。12時、南座の前で会おっ。ホナ、あとで」電話が切れた。最初のハプニングである。急いでサガショーに電話をし、なんとか次の日に変更してもらう。駅舎から出る前にドタバタしてしまった。

 外へ出ると、Tさんが、以前からの知り合いのタクシーの運転手にして名ガイドの久世さんを紹介してくれる。2日間、行きたい所へ連れて行ってくれると言う。本当、ありがたい。黒いワンボックスカーに乗り込む。
 最初にどこへ行きたいかと聞かれ、「百万遍の交差点へ行きたい」と言う。百万遍に着く。「お兄さん、ここ何?」O野が言う。そう、何て事のない交差点なのです。ここは昔、映画『ヒポクラテスたち』を撮った時、宿泊施設があった所なのです。撮影中は毎日、何回もここを通った。私にとって、とてもなつかしい所なのです。ただ、四つ角の一角が京都大学だったなんて、当時は気がつかなかった。ただ、「百万遍」という、京都らしい地名が気に入っていた。

 この後、三十三間堂を外から見、南座へ。ちょっと待っていると、お姉さんが来た。あいかわらず若々しい。ニコニコしている。Tさん、Nさんを紹介する。2人共、お姉さんがかわいらしいので、ビックリしている。O野は、牧さんの七回忌の時に会っている。にこやかに挨拶している。
 加茂川を渡り先斗町へ入る。と、すぐに「開陽亭」という洋食屋さんがあり、そこへ入る。「洋食のお弁当が有名なんよ」とお姉さんが言うので、「じゃあ、お弁当」という事になったのだが、ここで私が、メニューの写真を見て、「オムライスがおいしそうだから、オレはオムライスにする」そしたらお姉さんが「オムライスも有名や、私もオムライスにしよ」と言った。他の皆も、「じゃあ私もオムライス」という事で、全員、オムライスになってしまった。
 オムライスを待つ間も、出て来てからも、牧さんの話題をお姉さんは楽しそうに語る。牧さんと一緒に仕事をした人も、もう数少なくなっているので、牧さんの話ができるのを嬉しく思っているのだろう。色々話してくれた。他には言えないような、牧さんの行状を話してくれた時など、吹き出してしまった。Tさん、Nさん、O野も楽しんでくれたと思う。
 おいしいオムライスを食べさせてくれた店を出て、先斗町の歌舞練場の方へ歩く。歌舞練場の前に立つと、牧さんの一周忌、七回忌の時の事を思い出す。一周忌の時には坂口さんが居た。七回忌の時は、O野、ユゲラと一緒だった。七回忌から、もう10年過ぎた。そんな事を考えていると、お姉さんが、「コーヒー飲も」と言い、近くのコーヒー屋さんへ。このお店も、よく牧さんが来ていたらしい。
 お名残り惜しいけど、ここでお姉さんとお別れ。店を出ると、ガイドの久世さんが、車を回してくれていた。車に乗ると久世さんが、「あのお店も有名ですよ」と教えてくれた。

 次は、清水寺。ここも、私は好きである。昔、『影同心』の撮影中だったと思うが、雨が降り、ロケが中止になり、休日となったので、清水寺へ行き、京の町を舞台の上から眺めた。そんな事もあったなァなんて事を考えながら参道を歩く。土産物屋さんが並んでいる道を。息が切れてくる。登り坂である。こんなに長かったっけ。昔は苦も無く歩ったのに。やっと寺の下に。階段だ。こんなにきつかったっけ? 表情には出さず、心で思う。
 いざ、舞台へ。やっぱり良いなァ。ここから見る京の町。しばらく見とれていた。
 皆で記念写真を撮る。舞台の下へ行き見上げると、この建築物の凄さに圧倒された。車へ戻る。
 銀閣寺へ。父が京都へ来た時、銀閣寺の近くの店で、家族4人で湯豆腐を食べた。『赤影』撮影時、父は一人で東京で暮らしていた。文句も言わず我慢してくれた。私は、それが当然だと思っていた。ものすごく親不孝な息子でありました。いろんな事を思い出させてくれる旅であります。
 さて銀閣寺。ここも結構歩きます。中学時代、修学旅行で来た時は、ほとんど、何も見ていなかった。今回は、じっくりと見た。建物よりも、庭が気に入った。木が良い。何故かわからないけど、そう感じた。

「ハァー、疲れた」ワガママな私の一言で本日の宿舎へ。祇園の「新門荘」です。部屋に落ち着き、畳の上に横になる。気持ちが良い。O野が風呂に誘いに来るが、横になっていたいので断る。
 夕食は、Tさんが、京都の夏の風物詩・川床を予約してくれた。ぜいたくである。でも、楽しみでもある。なんたって、生まれて初めてなんだから。
 時は過ぎ、旅館を出る。散歩がてら、O野が行きたいと言っていた店へ。閉まっていた。そこで、観光名所である祇園の町をブラブラ。さすがに人が多い。
 そろそろ予約した時間に近くなったので、木屋町の京料理屋「雪月花」へ。このお店、実は、ガイドの久世さんが、昼間、すすめてくれたお店です。店の中を通り抜け川床へ。飲み物を注文し、周りをキョロキョロと見る。そんな私を見て、皆が笑う。嬉しいんだからしょうがない。空はまだ明るい。東京よりも、日の入りが遅い。
 飲み物が来た。4人で乾杯。ビールがうんまい!! 
 この日の事を皆で話し合っていると、料理が運ばれてきた。食べてみる。おいしい。が、一つ一つ、量が少ない。一口しかない。満腹になるのかな? なんて思ってしまった。が、心配無用。この後、次から次へ、約2時間、料理が運ばれて来る。最後の方では、もう食べきれなくなってしまいました。Tさんも満腹状態になっている。食事中に日も落ち、提灯の明かり川の水の流れる音。いろいろ楽しみました。

 いやあ、美味しかった。楽しかった。Tさんに感謝。この日一日、いろいろ気を使ってくれたNさんにも感謝。ショッカーO野にも……まあいいや。
「雪月花」を後にし、「新門荘」のロビーで解散。部屋に戻って布団の中へ。アッという間に眠りに落ちる。
 28日の報告は次回。なるべく早くいたします。

~~~~~~~~○~~~~~~~~○~~~~~~~~○~~~~~~~~

     それでは また 

金子 吉延

 
<< PRE 2014年7月 NEXT>>


TOPへ