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2013年2月19日

1月の「食事会」では、ショッカーO野のラジオのアシスタント・貝原怜奈ちゃんの誕生パーティーをしました。

ショッカーが着ているのは、私の母が昔作ってくれた物です。「私の形見にあげる」と言ったらショッカーに怒られました(笑)

やっぱり写真は女の子と撮らなくちゃね。 怜奈ちゃんと咲希ちゃんと一緒で御機嫌です♪

 1月1日以来のメッセージです。ちょっとサボり過ぎましたね。ごめんなさい。
 サボっている間に、思い出深い人が、遠い所へ逝ってしまいました。小沢昭一さんです。50年ほど昔ですが、映画1本、御一緒させて頂きました。親子の役でした。
 その中で私は小唄を歌わなくてはいけませんでした。その小唄を小沢さん自身がテープレコーダーに吹き込んでくれました。そのテープを撮影所の一室で何回も聞き、覚えました。唄の途中で小沢さんが、「ここは、ちょっと息をつめて」とか「ここは色っぽく」だとか、説明してくれます。6、7才の子供に「色っぽく」は無いですよね。母は笑ってました。この作品の中では、お神楽も踊るので、三河島という所まで踊りを習いに行きました。
 何日か通いました。稽古が済むと、夏の事だったのでシャーベットを出してくれました。生まれて初めて食べたオレンジのシャーベット。おいしかった。ずっと稽古をしたいと思った。終わったのが悲しかった。小沢さんをテレビなどで見かけると、小唄とシャーベットが頭に浮かんできます、今でも。
 そんな小沢さんが亡くなってしまいました。これからは、シャーベットを見ると、小沢さんを思い出すのでしょうか。
 
 もう一人、昭和の大横綱「大鵬」さんも逝ってしまいました。
『どっこい大作』第1話に、大鵬親方として出演してくれました。後にも先にも、ドラマ出演は、この1作だけだと思います。『大作』出演にしても、七條敬三プロデューサーの並々ならぬ努力があったと聞いています。
 断られても、断られても、すがりつき、北海道まで追いかけ、宿の入口でマネージャーに断られている所へ、親方が通りかかり、寒さでガタガタふるえている七條さんを見て、「一回だけ、出てあげる」と言ってくださった。心優しい方である。
 撮影のため、部屋を訪れ、親方に挨拶をすると、ニッコリ笑って、「よろしく」と返して下さった。
 今思えば、撮影中、親方は一度も台本を見なかった。何事も、片手間ではやらないのだなと思う。
 撮影が終わり、チャンコをご馳走になりました。親方は相撲の事をいっぱい話してくれました。
 貴重な時間というのは、その時には気づかなくて、後になって気がつくものなのですね。もう会えなくなった方々との思い出、大切にしていきます。
 
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 このホームページを作っていただいていてから、もうすぐ、10年になります。ヒット数も19万を越えました。「他称・母」さん、ショッカーO野、ユゲラ、そして皆さんの支えがあってこそのホームページです。
 今までありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。私一人では、なんともなりません。くり返し、よろしくお願いいたします。
      それでは また。

金子吉延


 
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