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なんばりょうすけの
おぼえがき日記 (8)


2001
[03-28] 何よりもダメな『サイファ』 (1) - あらまし

以前より予告していた 『サイファ』 (リンク先はbk1の紹介ページ)批判です。まだ不十分ですがいつまでもほったらかしにしておくのもアレなので、暫定的にまとめておきます。まずは宮台・速水が 『サイファ』 において何を主張しているかをざっと見ておきましょう。

『サイファ』 の核心部分は「世界の根元的な未規定性」 (以下「未規定性」) という主張でしょう。噛み砕いて言うと、世界を説明し尽くすような言葉は有り得ないという主張です。宮台・速水は、この「未規定性」をあからさまには見えない形に変換(=暗号化)したもの(例えば「神」) を総称して「サイファ(暗号)」と言います。

かつての社会にとって「未規定性」との遭遇は脅威であり、これを暗号化することには意味がありました。しかし宮台・速水は、現代社会においては「未規定性」はもはや隠しきれず、むしろ「サイファ」の暗号を解いて「未規定性」を論理的・科学的な言葉で説明する(このような説明自体は可能)ことが必要だと主張します。

なぜ「未規定性」が説明される必要があるのでしょう。宮台・速水は「未規定性」を正しく理解することによって、例えば以下のような効用がありうると主張します。

次回以降、これらの主張の是非について批判的に検討していきたいと思います。今日のところはとりあえず雑多なツッコミどころを順不同に列挙しておきます。

色々書いてますがあまりちゃんとつきつめていません。挑発的なのはタイトルだけで、バッサリ斬っちゃうってわけでもないです。期待してた方 (いるの?)、ごめんなさい。とはいえ、私が 『サイファ』 は今までの宮台本の中で一番ダメくさいと思っているのは事実ですが。


[03-24] 論壇誌高ぇーよな

久しぶりに日記を書いてみます。What's New にも書きました通り会社辞めて横浜にきてます。4月からのバイトが一応決まってるんですが、現在は無職です。

前の部屋は収納がやたら充実してたのをいいことに今まで本やら雑誌やら買い漁っては溜め込んでいたので、引っ越しの時は大変でした。雑誌は段ボール10箱分程捨てて、本はブックオフとかで段ボール5箱分ほど売り飛ばしました。半分くらい揃えた 『ゴルゴ13』 も泣く泣く処分。雑誌の切り抜きなんてセコいことはやらない(アイドルグラビアを除く)主義だったのですがそんなことも言ってられなくて宮台絡みで買った論壇誌とかもセコセコと切り抜いてクリアファイルへ。

そういうわけで今後はなるべく本は買わないようにしようと決意したのです。 『論座』 [03-24]も立ち読みで済まそうと思ったのですが、記事が長いし対談まであるので結局買ってしまいました。しかし論座って 780 円もするのね。以前は値段とかあまり見ずに買っていたので気にしなかったけど無職の身にはキツいですね。

っていうか 780 円出して読む価値あるのか? と思ってたら上田紀行氏が 「論壇誌に横溢する「水戸黄門」的お約束(クリシェ)の醜さ」 という記事がそんな疑問に答えてくれています。

なんでも上田氏は毎日新聞の論壇時評欄を三年間も担当していたとかで、毎月論壇誌を読まされるのが大変苦痛であったようです。つまらん、いったい誰が読むんだこんなもの、ということですね。論壇誌を読み続けたせいで自分の文章までつまらなくなった、という自虐的なオチまでつけてますが、実際本文はともかく、いかにも論壇的なタイトルはなんとかならんかと思いますが、ひょっとして目次で浮かないようにという配慮? こういう主旨なんだから配慮しちゃダメだよなーそんなの。


[01-01] 新年のごあいさつ

テレビで芸能人とかが21世紀21世紀と連呼するほどに、なんだか未来が汚されるような嫌な気分になる今日この頃ですがいかがおすごしでしょうか。

去年は10回しか日記かいてないです。前年比約1/3。この調子で行くと再来年にはサイト閉鎖が予想される勢いです。まあどうでもいいですけど。

そもそもあんまり真面目に宮台情報をおいかけてなかったんですが、御本人様サイトが整備されてきたので各種情報はそちらでどうぞって感じです。裏情報的なものは2ちゃんねるでどうぞ。

そういうわけで、これからは批評的な雑文をメインにしていこうかなーと思っています。まずは去年から積み残しになっていた 『サイファ』 批判から、ってことで。

ところで新世紀の初夢は「飼い猫が自分でお風呂に入れるようになる」というものでした。誰か分析してください。。。



2000
[10-03] クラインの壺を巡る楽しい邪推

長らく日記を更新していませんでしたが、久々に書いてみます。

ほつまさんの日記(10/02)経由で、山形浩生氏の 「 『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって」 を読みました。これは浅田彰の代表作の一つ 『構造と力』 に出てくるクラインの壷の例え話はトンデモない間違いじゃないか? というお話です。まぁ納得の行く話なんですが、クラインの壷が例え話として間違っているとしても、浅田彰が 『構造と力』 にクラインの壷の話を書くのは(あるいはクラインの壷の絵を描くのは)別に間違ってはいないかもしれないと思うのです。

その前にちょっと思い出話を。私が高校生のころニューアカブームとやらで 『構造と力』 が売れまくっていたらしいのですが、当時私はそんなブームがあることすら知りませんでした。読んでる雑誌と言えば 『月刊アスキー』 『月刊天文ガイド』 くらいで、AMIGA は凄そうだとか、高橋製作所のニューモデルはかっこいいとか、そんなネタで(一人で)盛り上がってたのでニューアカどころじゃなかったわけです。

そんな私が 『構造と力』 を読んだのは確か大学四回生 (「四年生」ではなくて。。。)の頃で、知り合いが持っていた現代思想ネタの同人誌[1]のギャグの元ネタを知りたくて古本屋で買ってきたのでした。

で読んでみた感想はというと「結局何が言いたいのかよくわからん」でした。クラインの壷のところもさっぱり。ただ現代思想にまつわるいろんなお話の概略や文献の紹介がたくさんあって、便利な本ではありました。

さて、 「 『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって」 の FAQ で山形氏は「浅田氏はクラインの壷のたとえを撤回すればいいのに」(要約)と言っていますが、私はそうは思いません。というか、クラインの壺はたとえですらないかもしれないと思うのです。

まずこういう思想書みたいな本に出てくる図って、必ずしも本文の論理を図示しているとは限らないのではないでしょうか[2]。だから記法に関する厳密な定義もなしにいきなり図が出てきてもいいことになっているようだし、説明図というよりは説明している著者の気持ちというか心象風景というか、なにかそういうものを描いてもよい、というようなお約束になっている気がするのです。つまり図じゃなくて絵ですね。極端な話、想像力を刺激できればそれでオッケーみたいなノリってありません?

貨幣と商品の循環、という説明図ならただのドーナツ(「アサダの壺」) で十分だし、それは「なんとつまらない貧相な壺だろうか!」と言われて当然のつまらない図で、描く必要もないくらいでしょう。でも、ただのドーナツだと「メタ・レベルとオブジェクト・レベルがこんがらがってる」みたいな気持ち、というか気持ち悪さが伝わらないのです。クラインの壷なら数学を知らない読者でも「あー、あの気持ち悪い形をした壷のこと?」って感じでとりあえず気持ち悪さは伝わる、というわけです。[3]

山形氏は「実は確信犯でやっていたのでは?」とも言っていますが、確信犯というのも微妙に違う気がします。確信犯というのは何らかの信念に従って敢えてきまりごとを破ることなのですが、そもそも浅田氏は「図を使って物事を説明するのに説明の論理と厳密に対応する図を描かなくてはならないという決まりなどない」と思っているかもしれません。いや、それ以前に浅田氏はクラインの壷で何かを説明したつもりは全くない のかもしれません。

ここから先は全く邪推の極みなんですが。。。ひょっとすると浅田氏は顧客のニーズに忠実なだけかもしれません。 『構造と力』 の主旨から考えると、モダンはゲームでいうボスキャラなわけです。こいつを倒してポストモダンにたどり着くとクリアーなのです。ボスキャラとの戦いは一番盛り上がるところですから、ボスキャラのデザインには気を遣って当然です。「アサダの壷」ではいくらなんでもショボ過ぎて盛り下がること請け合いなのです。[4]

もう一つの可能性。例えば女の子を口説く時には何かロマンチックなお話をしたいですね。 『少女革命ウテナ』 で鳳暁生が星の話をするみたいに。なぜだかよくわからないけど、不可思議で途方もない話をするとロマンチックってことになってるらしいのです。だからやっぱりクラインの壷なんですよ。「アサダの壷」ではいかんともしがたいのです。 [5]

そして、女の子が[6]「そういえば浅田さん、今日はクラインの壷の話、しませんね」と尋ねたら、浅田彰はこう答えるかもしれません。

「本当のことを言おうか。
……実は思想なんて、全然興味ないんだ。」


[1] 『コミックぱふ』 という、たぶん阪大の学内の一部でだけ流通していた同人誌です。
[2]これは単に私が思想書の内容を解ってないからそういう印象を受けるだけかもしれませんが。
[3]しかし、ご丁寧にもメビウスの輪の話まで持ち出してクラインの壷の定義を補足しているところを見ると、やっぱり浅田彰は本気だったんではなかろうか? 逆に本気じゃないのにこんな補足をするのだとしたら、浅田彰はかなり性格が悪いということになりはしないか、、、という意見もあると思うのですが、私は実際性格悪いんじゃないかと疑っているわけです。
[4]ちなみに普通のゲームの効用は「強くなった気になれる」だが、このゲームの効用は「賢くなった気になれる」。
[5]そういう観点からすると、山形氏のツッコミは無粋なだけで何の役にもたたない(っていうかそんなんじゃ女の子は口説けない)ってことになりかねませんね。
[6]男の子かもしれんけど。


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