なんばりょうすけの
おぼえがき日記 (1)

『宮台真司とその思想』などというだいそれたテーマでホームページを作りはじめて以来、「そのうち鋭いツッコミや批判を受けることになるのではないか」という不安のせいもあって、思想系の言説に積極的に触れながら自分の考えを整理することが多くなりました。

このページはそういった日々を日記形式のおぼえがきとしてつづったものです。おぼえがきだけあって思ったことを整理しきれずにそのまま書いたりもしていますが、あまり目くじらたてずに読み流してもらえれば幸いです。


[1997-10-4] からの日記はこちら
[1997-3-29] までの日記はこちら



1997

[9-15]
『ガール』桜井亜美 (文庫版)がなぜか会社にあったので読みました。帯には
「街を生きる少女の速度に追いついた唯一の小説!」
―― 宮台真司氏(社会学者)大絶賛。
と大きく書かれてました。前作の 『イノセント ワールド』 よりはすっきり読めました。

主人公の女子高生ユーリの残酷さは、「獣でも人間でもなく、全く異質な思考を持つ寄生体ででもあるかのよう」な徹底的に利己的な残酷さとは区別されているのですが、後者のイメージこそは女子高生を知らない私たちが、逸脱した「女子高生」たちに抱きがちなイメージのような気がしました。

作中のマキガミという人物は宮台をモデルにしたのではないか、という話も聞きますが、どのあたりまでモデルにされているのか、ちょっと気になるかも。。。

P.S.
メールの返事が遅れててごめんなさい > 宮島さん


[9-8]
夏休み中に色々書こうと思ってたのに全然書けませんでした(涙)

『週刊宝石』の女装写真 [A.1997z] ですが、いかがでしょうか。私はもう少し背が低くて丸顔が好みですね。

昔大学の学園祭でクラスでゲイバーをやった時のことを思い出します。初めて女装した時は、女装すれば怖いものなしって感じでした。もういまさら何やっても許されそうな気分で、見知らぬ人にも平気で声かけれたし、すごく楽しかったです。

ちなみに翌年の学園祭でも女装したのですが、この時は衣装が似合わなくていまいちノレませんでした。以来女装はやってません。体型も変わっちゃったのでもう女装する気にはなれない。。。

宮台関係のホームページをいくつか紹介しておきます。リンク許可とってないのもありますが、こっちにリンク張ってたり、Yahoo にリンク張ってるものについては問答無用で OK かな。

なとりひろしさんの 宮台氏が努力家でもあることに君は気づいているか? (本当のタイトルはもっと長い。。。) は、宮台ウオッチよりは、ルーマンの勉強ノート?が中心です。没ネタとして「なんばりょうすけとその思想 」なんてのが。。。

ルーマンと言えば岡高雄さんの ルーマンの社会システム理論 というのがあります。まだ工事中のところもありますが、著作リスト、参考書リスト、用語集などがあります。これだけ読んでもサッパリではありますが。。。ちなみにこのページ、さやか(18歳)さんの さやかの HomePageの下にあって、「女子高生(?)がルーマンを?! さては宮台系か?」と思いきや、ルーマンのページは「おとうさんの勉強用のページ」ということでした。

ルーマンに関しては、私が大学時代お世話になった酒井泰斗さんの 日曜社会学 が本格的です。私は毎週日曜日まるまるつぶしたとしてもここまではできません(涙)。メーリングリストもやってるそうです。

最後に、桜井芳生さんの現代メディア文化論・桜井芳生・同時進行型知的探求個人誌を紹介します。ご自分の担当の授業の原稿などが大量においてあります。レイアウトが適当で文字がぎっしり詰まったページですが、入門的な噛み砕いた文章が多くて良いです。ルーマンについてはルーマンのコミュニケーションシステム論入門 があります。

[8-31]
仕事の都合でずれ込んで、今頃夏休みです。しばらく実家に帰りますので先にちょっとだけ更新しておきました。

構造鳥瞰 の宮島さんとはメールで議論していたのですが、そろそろ煮詰まってきたので、近いうちに総括できたらと思います。

宮島さんの運営する掲示版 みんなで構造鳥瞰 でも少し議論(?)しましたが、どうも話が噛みあわない感じ。ぼちぼち続けていこうと思ってます。

議論と言えば NetNews のほうは最近こぶさたです。fj.life.religionfj.soc.men-women, fj.news.usage は今でも読んでますが、ついてく気力がわいてこないので今は見てるだけです。

[8-23]
このホームページもお蔭様で通算 1 万カウントを突破しました。どうもありがとうございます。読んでもらっているという実感はとても励みになります。

先週は体調を崩してしまって、いろいろ情報を頂いていたのですが、ホームページの更新まで手が回りませんでした。ごめんなさい。色々たまってる分は 9 月アタマの夏休みにでもまとめて処理する予定です、ってたまには外に出て遊べよって話も。。。

先月は見逃した朝生ですが、今月はちゃんと見ました。新旧文化人の対決、みたいな設定で始まったのですが、あけてみると一つの対立軸の上でまっぷたつに割れるという感じではなかったです。

岡田斗司夫は今回は交通整理役みたいな感じ。藤井良樹はテリー伊藤にカラまれながらも議論をリードしてました。ちょっと驚いたのは香山リカが自分の講演会の客の態度を批判してたところ。もっといい人ぶるタイプかと思っていたので意外でした。この調子で頑張って欲しいものです。

[8-7]
日曜日に見たエヴァンゲリオンのショックを未だにひきずっている私です。自分でもみっともないと思うほど心を揺さぶられてしまって、しばらくはとても文章を書ける状態ではありませんでした。仕事に差し支えが出るほどの状況で、メールの返事なども滞ってしまって申し訳ないです。

『GOD SAVE THE すげこまくん』 9巻 永野のりこ(講談社) でかなり元気がもどりましたが、まだ時折ふっと不健全な思いに駆られることが。。。

こんなんなのでエヴァについてあまりエラそうに批評めいたことを書く気にはなれないんですが、簡単に感想を書きます。

心が弱ってた時に見たせいもあって、最初に見たときはラストシーンの意味するところがぜんぜんわからなくて当惑してしまいました。二回目を見たとき、ようやく納得しました。問題の部分のあらましはだいたい以下の通り。


物語のクライマックスで選択を迫られるシンジ。全ての人が AT フィールドを失い、個としての輪郭を失った終末世界。もはや誰も互いに傷つけ合うこともない世界。しかしシンジは命を賭けてシンジを戦いの中へ送り出したミサトのことを思い出し、この穏やかな終末世界に違和感を感じる。シンジがそう望むならば人はみな輪郭を取り戻し、元の世界に戻ることができる。しかしそうすればまた人は互いに傷つけ合い、シンジもまた誰かに傷つけられ、誰かを傷つけながら生きていく他にない。

この世界へとシンジを導いたレイとカヲルを前に、シンジは元の世界に戻りたいと告げる。シンジは現実の世界で勇気を持って生きることを決断した。

しかし傷跡を残しつつも元に戻った世界で、シンジは自分を取り戻すと同時に心の傷も取り戻してしまう。再び傷つけ合うシンジとアスカ。シンジはアスカの首を絞め、殺害を図る。頬に触れたアスカの掌に何かを感じ、それ以上絞め続けることができず、泣き崩れるシンジ。アスカはシンジを睨みつけ、吐き捨てるようにつぶやいた。「気持ち悪い…」


勇気を持って生きる、という選択をしたところで終っていればハッピーエンドだったのでしょう。テレビ版のラストで見せたシンジ君の笑顔がフに落ちてスッキリした気持ちで帰れたかもしれません。

しかし、選択肢への気付きがあって、自分の意志で選択すればそれでオッケーというわけではないでしょう。終末世界を拒絶する選択を描いたなら、その選択の先にある終らない世界が描かれるべきです。そこまでしてはじめて「あなたはどうするのか」という問いかけが意味のあるものになるのだと思います。

「回答」も「処方箋」も示されないこの物語には不満を感じる人も多いと思います。あのラストは「欠落した者が受容し合わない」救いようのない状況を描いています。結局宮台がエヴァに触れた朝日新聞の記事「シンクロ率の低い生 ―― 少年少女の動きをしばる「現実は重い」という感覚」(1997/2/26 夕刊) [N.1996a] , [B.1997a] で提示している、「シンクロ率の低い生」を肯定したまま生きるための処方箋の 3 つの候補 (1.現実へと召喚する精神療法, 2.リセット可能性の意識化, 3.欠落した者たちの受容の輪) のどれに対しても否定的な表現だと思いました。

[8-2]
宮島 理のコラム「構造鳥瞰」 を紹介します。

リンク許可依頼の形で宮島さんからメールが来ました。「宮台氏に対しては批判的」とのことです。これは佐藤さんの時のように論争をしよう、という意志があるものと解釈させていただきました。

佐藤さんとの論争は、直接の反論などは主にメールでやっていて、論争の成果をお互いのホームページに書く、というような形でやっていたのですが、宮島氏はプロのライターとのことですので、反論などは容赦なく書いていこうと思います。一言でいうとやっぱり宮台の論旨を誤解していると思います。

とりあえず突っ込んでおきたいのは、『週刊アスキー』の宮台真司と香山リカとの対談記事 [A.1997m] への批判 「カウンセラー? いやいや、単なる「同情屋」だ」 シリーズでの宮島氏のキーワード「自意識の発展史観」ってなんなんでしょう?

確かに宮台は、世代によって自意識のありかたが変化してきている、という立場をとっていますが、その内容は宮島氏の言っている「反抗の系譜」とは全然違います。

宮台は子供たちの反抗心の内実についてはたいして評価していないと思います。ただ子供たちの行動は社会のタテマエの虚をつくような形になるので、結果的に社会の病理を照らしている、という点に注目しているのでしょう。子供を持ち上げるのではなく、たかが子供に振り回されてしまう大人たちの側に問題を見ているのです。

あと、宮島氏が「ガス抜き」を「自意識を開放する」ことだと解釈した根拠がいまひとつ理解できないのですが、宮台の言う「ガス抜き」というのは子供の我儘をきいて自意識を満たしてやることではありません。そもそもここで言う「ガス」というのを欲望が肥大したが故の欲求不満と見るところが間違いだと思います。

むしろ「ボクはここ(社会)にいてもいいのか?」と自問したくなるほど自己否定的な観念がベースにあってそれが「ガス」なのでしょう。耐え切れなくなるほどにガス圧が高まれば自己防衛機制が働いて敵探しをしてそこにハケ口を求めるのは当然でしょう。

でも居場所があれば、社会が居場所を残してくれていれば「ここにいてもいい」ということになってガス圧自体も低下するし、敵探しで社会そのものが候補になることも少なくなるのではないでしょうか。

中学生たちが今回の事件について考えたり語ったりすることが「ガス抜き」として機能するのは、同世代に同じ「敵」と戦う戦友とでも言うべき存在がいるということを知って救われるのと、マスコミなどが彼らの存在を認め発言を求めることで、「ここにいてもいいのかもしれない」という希望が出てくるからです。でもこういう「ガス抜き」は短期的にしか機能できないでしょう。

根本的には居場所作り、あるいは居場所をなくす方向の間違った政策の阻止が重要だろうし、不用意になんでも「敵」のせいにする人たち (宮島氏の言葉で言えば「不満足なブタ」)を減らすために、自己責任で選択を強いるような環境作りも欠かせないでしょう。

ですから、宮島氏の「自意識の制御」ができるようになるべき、という意見自体には賛成です。「自意識の制御」は単に自意識を抑圧すれば良いというものではなくて、ある程度はそれを言葉にしたり行動に移したりして「迷いながら」でなくては学習不可能でしょう。

宮台の提言する「ガス抜き」や「サルベージ」はむしろそういった「自意識の制御」の学習機会を増やそうというものなのですから、それに対する批判はより具体的な方法論のレベルで行なわれるべきだと思いました。

[7-27]
相変わらず淳君殺害事件を巡る言説がいろんなメディアに散見されますが、あれは快楽殺人だ、とか、あれは決して快楽殺人などではなかった、とか、相矛盾する説がありながらも、直接対決は見かけなかったり、なんともモヤモヤの残る状況です。

容疑者逮捕の後のいろんな騒ぎを見て私が思い出したのは、19世紀のフランスで起こった「リヴィエール事件」でした。

「リヴィエール事件」はミシェル・フーコーが精神医学と刑事裁判の関係の歴史を研究中に発掘した事件で、『ピエール・リヴィエールの犯罪 狂気と理性編: M.フーコー、 訳: 岸田 秀, 久米 博(河出書房) にその詳細が紹介されています。

この事件は一言で言うと、母親と二人の兄弟を鉈で惨殺した20歳の青年ピエール・リヴィエールの行為が狂気によるものか否かを巡る論争です。

混乱を招いたのはリヴィエールが逮捕後に書いた魅力的な手記(犯行に至るまでの経緯、犯行時、犯行後の心境などが詳細に記されている)で、この手記ゆえに彼には責任能力があるという主張がなされ、彼自身それを予期し、死刑を覚悟した上で(というか、それを望んで)その手記を書いたといいます。

しかし一方では犯行以前の彼の素行に異常性があったという証言もあり、彼は子供を脅したり、蛙や小鳥、飼っていた猫などをいたぶり殺し生贄として神にささげたり、野菜畑に突進し、わめきながら野菜をめちゃくちゃにしたりしていた、ということです。それゆえ(それだけではないのですが)精神鑑定では彼は狂気の人で「殺人偏執狂者」であるという主張がなされます。

しかし結局は手記が決め手となって、彼は狂気ではないと判断され、リヴィエールには死刑が宣告されました。が、結局死刑は執行されず、意外な結末をむかえることになります。詳しくは『ピエール・リヴィエールの犯罪 狂気と理性を参照してください。

フーコーがリヴィエールの手記に魅了されたように、少なからぬ人が酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文に心を揺さぶられたことだと思います。しかし、それに惑わされずに、そこに何の問題があるのかを見極めるには、揺れる心を自覚し、味わいさえする余裕が必要なのではないでしょうか。メディアに見られる言説にはそういう余裕が感じられないものが多くて情けない気もします。

[7-26]
ちょっと前のことになりますが、まだ試用社員だった(先週やっと正式に社員に なりました)私にもボーナスらしきものが出たので色々本を買いました。その中から少し紹介。

『アカギ』福本伸行(竹書房) は凄いです。『権力の予期理論』 [B.1989a] の副読本としてオススメします。但し麻雀漫画なので麻雀について最低限の知識は必須。

別冊宝島 70 ザ・中学教師』 は古本屋で買いました。内容は現場の教師や用務員、教科書会社の営業などの体験談や、ルポライターの取材記事、評論家による論考などをまとめたもの。ちょうど10年前に発行された本なので、時代を反映して不良や校内暴力ネタが多く、単純に見ると今の中学生の実態とはかけ離れた話ばかりだと思うのですが、逆に教師の体質というのはそんなに変わってないようなのが印象的でした。

『ソシオロジカルクエスト』編著: 張江洋直,井出裕久,佐野正彦 (白菁社) は近くの本屋で買いました。たぶん近くにある四国大学で使っている教科書か何かだと思うのですが、社会学の入門書のようです。ぱっと見では『社会学の理論でとく 現代のしくみ』 [B.1991a] の易しい版のようで、キーワードや読書案内の欄があって、使えそうなので買いました。これからぼちぼち読んでいこうと思います。

[7-21]

問題の 『異議あり』 [P.1997g] の録画を見ました。
(thanx!! > つぐみさん)

「西部退席」事件ですが、なんとも拍子抜け。宮台がもっとイジメたのかと思ったのですが、あのくらいで絶望するタマじゃないでしょう、西部は。私にはあの退席はただの安っぽいパフォーマンスにしか見えませんでした。とにかく、西部退席後の番組の進行は極めてスムースで、いい話がいっぱい聞けました。

内容的には NEWS23 のそれとダブる部分も多かったのですが、「クラスと学年の廃止」以外に、「専業主婦の廃止」というのを唱えたのがなかなか過激。要は「家族のあるべき姿」(一般に言われているソレは実は 60 年代以降に出てきた観念) に捕らわれて家庭で専業主婦として良き妻・良き母を演じようとする結果、子供への過剰な関与で子供をダメにしたり、形だけのウソ家族の中で子供を腐らせてしまったりする、というような話。

あと、14歳の容疑者の実名や顔写真を公開することの是非をめぐる問題について、あれは人権やプライバシーが問題なのではない、と断言。子供に人権や自己決定権を認めないのが現行の少年法で、人権がないからこそ責任を問われない。欧米では少年犯罪の犯人の実名などが公開されるのは、子供に人権を認めており、かつ、人権を持つに足るだけの自己決定能力を養うような教育プログラムがあるから。だから日本の教育システムを現状のままにして少年法を厳しくするだけではダメ、とのこと。

あと究めつけに辛口だったのは、今回の事件でパニックになって欲しくない、という話。宮台の怒りがどのあたりにあるのかがよくわかるひとコマ。

宮台:
「子供たちにはパニックになって欲しいですけど、大人たちにはパニックになって欲しくない。子供たちがパニックになるのは当然ですよ、そんなの。」
田原:
「子供はね」
宮台:
平常心とか言ってる校長先生はサイテーですよ。 友達に犯罪者がいたらパニックになるのがアタリマエなんです。」
田原:
「ああ、平常心でいるわけがないね。」
宮台:
「ないですよ、そんなもの。」


[7-20]

『世紀末の作法』 [B.1997a] 買いました! この本は単行本になってない雑誌原稿などをまとめたものなのですが、私の著作リスト の隙間を見事に補完するような内容でしたし、NEC の PR 誌の原稿とか、なかなか手に入りそうにない文章も含まれていて、ファンとしては宮台氏からプレゼントをもらったような素敵な気分でした。本当にどうもありがとう!!

当ホームページの URL もちゃんと載ってました。宮台の直電、じゃなくて E-Mail アドレスは Nifty のものが載っていましたが、ここには書きません。知りたい人は『世紀末の作法』をちゃんと買うように。

この本、 [B.1997a] にまとめたような真面目な話以外にも色々ネタがつまっていていよいよ嬉しいです。少年時代、ひとりぼっちで屋上でヤキソバパンを食べた話とか、インタビューで宮崎駿を怒らせた話とか、実は幼いころは関西育ちで誰とでも「ボケとツッコミ」をやりたがる子供だった(そういえば講演の時 「どないやねん」などと言うのを聞いて耳を疑った覚えが。。。)とか。

なお、まえがきによると、今後は単行本執筆にシフトしていくそうで、色々噂だった 『スーパールーズ』 は(あと『テレクラという日常』も)ちゃんと出すハズということです。

[7-13]
宮台が登場した 7/3 の NEWS23 のビデオを見ました。 (thanx!! > gajaimo さん)

こちら に、この番組での宮台の立場を FAQ っぽくまとめてみました。

著作・出演番組リスト のコメント原稿募集は今のところ一つも応募はないのですが、情報提供はいくつか頂きました。どうもありがとうございます。おおむねどこでも似たような内容を話しているようですので、一応上の NEWS23 のまとめで一通りはまとまっていると思います。

ただ、「西部邁 退席事件」の 7/4 の『異義あり』だけは(とってもミーハーな意味で)別格の番組のようでしたので、なんとかしたい。。。これを見た人からの情報をまとめると、例によってのらりくらりと勝手なことを言う西部に宮台は、あの「ニヤリ」って感じの皮肉っぽい笑みを浮かべながら相当イジワルに突っ込んだそうです。耐えかねた西部は席を立ち、後で「話をしても無駄だ」などと電報を送ってきたそうです。

まぁこれはそのうち新ゴー宣にも出るんじゃないかと思いますが。

見てない私が言うのもなんですが、西部の場合この間の朝生など、本当にわかってないのか、わかっててはぐらかしてるだけなのかよくわからない発言(このへんは岡田斗司夫が相当ツッコんでましたが)を繰り返して議論をつまらないところで止めてしまうという、わかっててやってるのなら相当卑怯なことをするし、退席だって似たような意図でやってる気がします。

ほかにも色々ネタがありますが、簡単に。『週刊プレーボーイ』7月22日号に淳君事件についての宮台のコメントが載っています。今日(7/13)の『サンデープロジェクト』で、やはり淳君事件についての議論に参加。途中から見たのですが確かプロ教師の会か何かの人と結構気があってたように見えたですが、どうなんでしょうか。

あと、『諸君!』 に香山リカが書いた「「平気でうそをつく人たち」の危ない読まれ方」 という記事を読みました。この記事、趣旨はわかるのですがペックのスタンスが誤解されている気がするのと、仮にあの本が「トンデモ」だとしても、『トンデモ本の世界』に見られるような効果的なトンデモ批判になっていなくて、なんだか優等生的すぎる発言に終始しているような気がしました。こんなふうにいちいちケチつける私こそ邪悪な人なのかも?

[7-6]

ごめんなさい。今週は日記はナシ です。。。
(って誰に謝ってるんだオレは??)

[6-28]
朝生のことを書こうと思いましたが、その前に淳君殺害事件の容疑者(中学三年生の 14 才の少年)が逮捕されたということで、そのあたりの話を少しだけ。

この事件、犯人は意外に若いかもしれない、と最初は思っていた(確か『FBI 心理分析官』のレスラー氏もそんなことを言っていた覚えがあります)のですが、目撃証言は 30 代とかいうのが多かったので何だか妙な感じがしていました。

でも結局捕まったのは中学生で、報道された目撃証言の数々は一体なんだったの?という感じ。まさかこのところ何かとハバをきかせている 30 代の男性達に対してつのらせていた積年の大怨にヤラレて幻覚でも見たというのか?

新聞には相変わらず「劇画やアニメに接し過ぎて、さも簡単に人の首が切れるような錯覚に陥り」(黒川博行、朝日新聞 6月 29 日朝刊 30 面)などというコメントが寄せられていますが、彼が「錯覚」で人を殺してもいいと思い込んだとは私には思えません。

むしろ、彼はなんらかの理由で日常の現実のほうに手応えが感じられなくなって、手応えのある、より強烈な「リアル」を求めて他人と自分の命をかけたゲームに身を投じたのではないでしょうか。もちろん、人の生き死にが関係すれば「リアル」というのも「錯覚」には違いないけど。

私も中学生くらいの頃は、強姦、殺人、建造物爆破など一通りのことはやりました。もちろん空想の中で。でも、それを現実にできなかったのは、今より良い未来を生きる自分を想像できたからです。より遠い未来へと繋がる選択肢を二度と失ってしまうような選択はできなかったわけです。一方の彼は見てもつまらなさそうな未来よりは、確実にインパクトを期待できる大きな一発のほうが魅力的だったのでしょう。

とりあえず今日のところはこのくらいにしておきます。

なお、NHK の朝のニュース(おはよう日本 6時台)でも宮台の談話がニューキャスターが読み上げるという形でしたが、紹介されました。今度の事件は特殊な例外ではなく、中学生に集中して見られるイジメや校内暴力などに通じるもので、実際義務教育には手当てが必要だ、というような内容でした。具体的な話、例えば彼の持論の学年とクラスの廃止のような話は一切出てきませんでしたが。

[6-27]
朝生ホームページによると、今日の朝生に宮台が出るように書いてあるのですが、今見ると欠席しちゃったみたいです。新作の執筆で忙しいのかな。

でも今日の朝生はこの日記に出てくるような人がいっぱいでてきてちょっとハッピー。

[6-22]
『噂の真相』の宮台の反論 [A.1997j] は笑えました。小林お得意(と小林自身は思っているだろう) の挑発的な毒舌を逆に散々ネタとして利用したあげくサックリ逆襲してしまうのは宮台らしいやり口ですね。でも「はえぎわはずっと同じ」というのは 93 年の写真( [N.1993a] に掲載)が手元にないので確認できないのですが、ちょっと疑問かも。。。

今月の朝生(27日深夜)に岡田斗司夫が出演予定と、御本人様のホームページに書いてありました。 朝生ホームページ は相変わらず更新が遅れているのですが、「淳君殺害事件」の絡みでメディアの影響うんぬんをやるらしいです。ひょっとしたら宮台も出るのかな?

[6-15]
[N.1997a] にも書きましたが淳君殺害事件の犯行声明文と挑戦状について宮台が少しコメントをしています。

酒鬼薔薇氏に関しては「稚拙」とか「オリジナリティなし」とか文句垂れる人もいるようですが、「巧妙」で「オリジナリティあふれて」いれば OK なんかな? (そういう悪趣味な人もいっぱいいるだろうけど)

サリン事件の時もそうだったけど、「オレならもっとうまくやれるぞ」と言わんばかりのことをただのブラックジョーク以上の真面目さで語ってしまう人っているんですけど、私はイヤです、そういうのは。

今更何わめいても彼(たぶん男でしょう)にさらなるコントロール感を与えて気持ち良くしてあげるだけだし、彼のゲーム(の第 1 ラウンド?) は彼の圧勝だったことは否めません。

『おかしくってもダイジョーブ!!』は通勤の合間にちょこちょこ読んで読了。「オイラもきっとダイジョーブ!!」とは思えなかったけど、楽しめました。この本、 90 年から 93 年の間にその時々の世間の話題を織り込んで書かれた文章を集めたものなのですが、97 年の今読んでも懐かしいばかりではないちゃんとした読みごたえのあるものだと思いました。あの時こういう言葉に触れていたら、今よりもっと幸せだったかも??

『古典入門 デュルケム 自殺論』も、いらぬ誤解を受けないように通勤中コソコソと読みながら読了。今からちょうど 100 年前に書かれた『自殺論』の中でデュルケムは当時のヨーロッパ社会における自殺の急増に対する処方箋として望ましい連体感を与えるような共同体の構築を提案したといいます。

どのような共同体なら OK なのか? デュルケムは近代社会では国家も宗教も家族もダメで、職業集団こそが切札だと主張します。この職業集団というのが具体的にどういうものなのかには諸説あるようですが、その機能と効能を見た印象は「それってオタクちゃう?」という感じ(ややムリがあるかな。。。)

デュルケムの職業集団についての一節(同書 190 ページ)の「職業」をオタクに置き換えると。。。

オタク集団は、他のあらゆる集団にもまして次の三つの利点をそなえている。すなわち、常時存在していること、どこにでも存在していること、そしてその支配は生活の大部分の面にわたっていること、である。(中略) オタクは、どこにいても、オタク集団が自分をつつみこみ、その義務を想起させ、必要な場合には自分をささえてくれることを感じている。
どんなもんでしょう? これって同人誌買い漁ったこともコミケに行ったこともない私の偏見でしょうか。

[6-14]
『SAPIO』5月14日号 の新ゴー宣での宮台批判に対して宮台氏自身による反論がすでにいくつかでているようです。

4/27 日の『独立夜間学校ライターズ・デン 』のイベントでは「僕はハゲてるんじゃなくておでこが広いんです」と前髪をあげて見せたとのことだし、『噂の眞相』 7 月号のグラビア(私はまだチェックできてません。。。)には渋谷センター街のど真ん中で前髪を上げて見事なおでこを披露した写真と共にコメントが載っているとのこと。
(thanx > つぐみさん、横山さん、石井さん)

えっ? ハゲ疑惑以外の反論? 基本的には反論の材料は 『制服少女たちの選択』 [B.1994a] に全部書いてあると思うし、誤解されやすい部分のフォローとしては、『対論 オウム真理教考』 [B.1996a] もあるし今更って感じもします。

でも、今更、でも繰り返し言わなくてはならないこともあるわけで、 『スーパールーズ』 はちゃんと出して欲しいです。 「去年の本じゃ議論もできない!」なんて人も沢山いると思うし。。。

[6-7]
会社勤め始めてから最初の休日ということでぐったりしてましたが、気合いを入れて、読みそびれていた『SAPIO』 6/11 号の新ゴー宣を読みました。

今回は二本立てということで、女子高生ネタとペルー事件ネタ。女子高生ネタについては、女子高生読者(本人によると少し不良よりで、「援助交際」関係は死ぬほどイヤだから未経験とのこと)とのココロアタタマル交流の記録に加えて、ゴー宣に反論してきた「援助交際」少女(元ゴー宣ファンにして現宮台ファン)の手紙に対する反論。これについてはいずれちゃんとコメントしたいと思います。

懸案の? 『おかしくってもダイジョーブ!!』と、ついでに『リカちゃんコンプレックス』(共に香山リカ 著)を近所の書店で GET. おいおい読んでいきます。

このところぼちぼち読んでいるのが『古典入門 デュルケム 自殺論』(宮島喬 著)ですが、なかなか刺激的で面白いです。デュルケムの自殺に対するものの見方が、宮台の売春に対するものの見方にそっくりという印象を受けました。

私が宮台的、と思っていた態度の大部分は単に社会学的なだけだったのかもしれません。週プレの記事 [A.1997f] に違和感があったのも、あの記事が彼の社会学者らしさについてちゃんとフォローしていないというところがひっかかったんでしょうね。

それから遅くなりましたが、先日 [5-15] に書いた社会学の最近のトレンドについて、高橋さんからフォローがありました。

曰く、社会システム論が主流でないというのは言い過ぎで、ルーマンなんかは今でもそれなりにトレンディな理論とされているということ、それと「最近はミクロな視点からの分析が多い」というのも 80 年代頃の傾向で最近はまたマクロな視点へのゆりもどし現象もあるとのこと。また、ここ 10 年程は社会学業界の中で何が主流か、というのが見えにくくなっていて、宮台がサブカルチャーに対して指摘しているような細分化(島宇宙化?)が社会学業界にも起こっているのかもしれない、とのコメントも頂きました。

[6-1]
引っ越し後の復旧作業もひと段落しましたが、疲労がたまっていてものを考えるのがかなり億劫になっています。fj への投稿はまだ続けてますが、ちょっとなげやりな気分なので途中でやめちゃうかも。

以前、別冊宝島の『隣のサイコさん』で呉智英が紹介していた 『馬鹿について 人間 ― この愚かなるもの (ホルスト・ガイヤー 著、満田久敏, 泰井俊三 訳) を徳島駅前の古本屋で見つけて購入。まだ「はじめに」しか読んでませんがなかなか楽しそうな本です。

[4-30]『平気でうそをつく人たち』もそうですが、この手の本を面白がってると人格疑われそう。今後は読んでも黙っておいたほうがいいかな。。。

同じ古本屋で見つけた 『監獄の誕生 ― 監視と処罰 ―』(ミシェル・フーコー 著、田村俶 訳)は、『狂気の歴史』 を X 年かけてもまだ読み終ってないくせに購入。これ読み終るのはきっと 21 世紀に入ってからでしょう。

『SAPIO』 をチェックすると小林よしのりがかねてから噂のあった援助交際ネタを描いているのを見つけて購入。でも引っ越しに伴う鬱のせいもあって、ちゃんと読む気になりません。もうすこし落ち着いてからコメントを書くつもりです。

以前からホームページを asahi-net に引っ越すと予告してましたが、なんと asahi-net は徳島県内どころか四国にアクセスポイントがないらしく、困っています( asahi-net のホームページの更新は asahi-net のアクセスポイント経由でしかできないようになっています。)

とりあえず一番近いと思われる和歌山のアクセスポイントにつないでますが、電話代が。。。

[5-25]
引っ越し(Real World の方の)の準備でもう死にそう。やっぱりホームページの引っ越しみたいにはいきませんね。

いつのまにか 5000 カウント突破してますが、せっかく来てもらってもあまり更新してなくてごめんなさい。。。

メールも色々頂いてますが、今、情報をちゃんと反映させる暇がないので、以下に簡単にまとめておきます。

先月あたりの 『へるめす』 に大平健の宮台批判(批判というよりは中傷ではないかという説もアリ)が載っているそうです。また同誌のその前の号あたりには宮台氏が書いた記事があるらしいです。ちなみに 『へるめす』 廃刊の噂というのもあると聞きました。

援助交際は日本固有のものとして認知されているようですが、最近はアジア各国でも「中流家庭の女子高校生や女子大学生による売春」というパターンが問題になっているそうです。ネパール在住の方からネパールの首都カトマンズでもそういう現象(カトマンズの渋谷化!?)が見られるようだ、というメールを頂きました。なかなか興味深い話です。

宮台氏は毎日新聞にもいろいろ書いてるよ、という情報も頂いています。私の怠慢で未だに毎日新聞はノーチェックです。すんません。。。そのうちまとめてチェックするつもりです。

『スーパールーズ』 がなかなか発売されないのは、さては小林よしのりの陰謀か? とかいう説もありますが、どうなんでしょうね?

あと、Wantedに書いた、宮台真司&香山リカのトークライブについては、一通だけ報告を頂いていますが、本人の希望によりまだ公開していません。というわけで引き続き報告お待ちしております。

補完計画 当分書く暇ないです(泣) ごめんなさい > 佐藤さん

[5-18]
『殺したい誤解』 [A.1997d] の連載を全部通して読みました。
(thanx! > 加藤さん)

援助交際の動機の分類とか、去年の夏の朝生の女子高生特集 [P.1996e] は実は宮台一派(宮台 + タブル藤井)による電波ジャックだったとか、「メディア的身体」派宣言とか、もっと早く読んでおけばよかったというような楽しい話が多かったです。

[5-16]
ワイドショーで「80歳の老人が女子中学生と援助交際」みたいな話をやってました。まぁ、これ自体はどうでもいい話(というか私にはイイ話に聞こえるのですが)なのですが、昔スピリッツで連載を持っていたキム・ミョンガンのコメントが良かったです。彼はインタビューのビデオの中で「セックスについて、老人だからとことさら問題視するのはおかしい」と外人っぽい少々たどたどしい口調で切々と訴えるのですが、結局カメラがスタジオに戻ると司会者がせっかくの彼の訴えをブチコワシにするような「良識的」な発言をしてしまうというのはお粗末でした。

取材者側が事件にニュースバリューを感じる感覚そのものに問題を見出し正面から指摘するキム・ミョンガンの態度は見ていて気持ちよかったですし、芸風も宮台などよりは一般に抵抗なく受け入れられるタイプのように思えるので、ちょっと期待。

[5-15]
ヤマオカさんの手引で社会学者の高橋一郎さんの授業に潜入してきました。というのも、この日院生の一人(以下 M さんとします)が宮台批判をやる!という情報が某筋(?)から事前にリークされていたからです。

潜入といっても人づてに許可はもらっていたのですが、えらく緊張してしまいました。ほかの学生にしてみれば、いきなりわけのわからん人間に乱入されてもっと緊張していたかもしれませんが。。。

高橋さんは一部では「ブル学者高橋」(ブルはブルマーのブル)として知られる社会学者です。そう言うと怪しげなのですが、専門は「(1)青少年のセクシュアリティ(性愛)の統制様式に関する研究、(2)メディア発達の学校教育に対するインパクトの研究」ということです。

で、問題の M さんの宮台批判ですが、宮台の研究成果に対する批判ではなく、宮台氏の研究者としての(というよりは思想家としての?)態度に向けられていました。つまり、自分は研究者として意義ある人生を送っているという現実から離れて「現実なんてくだらない」というようなことを言うのは無責任ではないか、社会を研究対象とする専門家として未来の社会のあるべき姿(発展していく明るい未来!)のビジョンを提示すべきではないか、というものでした。

確かに宮台氏が未来社会について語る時、不可避的に訪れる社会の変化については語っても、それに抵抗して「こういう社会にしよう」ということは基本的に言いません。むしろそれを動かせない条件とみなして、その条件下でどう生きるか、という話をします。また予想される困難に対しては、包括的な解決策ではなく、抽象的な方法論と個別的な処方箋を提示するに留まります。

宮台氏が否定的に語る「輝かしさ」というのはまさに「発展していく明るい未来」や「問題が包括的に解決される未来」のビジョンです。

宮台氏の示す未来の「輝きのなさ」には、私も含めて多くの人が抵抗を感じる部分ですが、安易な輝かしいスローガンのうさん臭さに散々苛立たされてきた人にとって、それはむしろ受け入れざるを得ない現実です。

M さんとは授業の後も昼休みを丸々費やして議論しましたが、輝かしさに救いを求める Mさんと、既に輝かしさに裏切られた私との間の認識のギャップは埋め難いものがあると感じました。

高橋さんからは社会学会での宮台氏の評判などを聞かせていただきました。社会学者の中には「宮台は堕落した」と嘆く人も多いようです。また、宮台氏がよく引合に出す社会システム論は、最近の社会学の主流からは外れているとのこと。比較的マクロな視点から社会を分析するシステム論は(宮台氏がよく「こういうことは社会学では20年も前から分かっている」などと言うように)現在までに様々な批判にさらされ、最近ではもっとミクロな視点から分析する研究が多いそうです。

[4-30]
『平気でうそをつく人たち』 なかなか面白かったです。この本の著者の M・スコット・ペックは、完全性を備えた自己像を守るために他者を犠牲にするような人たちの精神の病理を「邪悪」と名付け、これを自己愛性人格障害の一カテゴリをなす精神病として定義すべきと主張しています。

これって NetNews などの議論の場で時々見かける「暴れ」にぴったり一致する行動パターンですね。昔はそういう人にも礼を尽くし、言葉を尽くせば落ち着いて相互理解に到達できると考えていたのですが、ここ数年の経験でそういう相互理解の不可能性を思い知らされました。

少数ではありますが、自分に向けられた批判を見事に他人に転嫁してしまって、しかもその態度に一切苦しさを感じさせない人がいます。自分が悪いのはわかっているけど他人の前でそれを認めるのは辛い、といったレベルではなくて、本気で自分は全く悪くないと確信しているとしか思えない行動をとるのです。

しかし、これが人格障害ならネット上の言葉のやりとりだけではどうにもならないのが当たり前かもしれません。精神医学でも人格障害は治らないと言う人は多いようですし。

この本、所々大風呂敷を広げている部分もありますが、それでも程良く抑制の効いた文章で気持ち良く読めました。ただ、「邪悪な」心理のメカニズムを「邪悪な」社会現象にも適用するやり方には少々安直なものを感じます。これは「邪悪性」を抽象的にとらえれば比喩的には正しいのだろうと感じましたが、「邪悪な」社会構造は必ずしも構成員の「邪悪性」によって支えられるわけではないのではないでしょうか。

もっとも、ペックは「邪悪な」人々を治療することだけで社会を救えると考えているわけではなくて、軍隊の健全化について面白いことを言っています。志願兵制度で作った軍隊には社会の中の特に「邪悪な」人たちが濃縮されがちなので公平な徴兵制で軍隊を作るべきだとペックは主張しています。でもそれを言うなら議会にもやはり「邪悪な」人が濃縮されちゃう気がします。人を殺す武器の力も、人を操る言葉の力も、「邪悪な」人間を引き付けるという意味では大差はないかもしれません。

[4-28]
What's New にも書きましたが、近々引っ越しますのでよろしく。

www.tomabechi.com のタイトルのアニメーション GIF で私は大笑いしました。お幸せにね > 苫米地夫妻

[4-25]
『SAPIO』5月14日号の新・ゴー宣は、久々にあからさまな宮台批判です(thanx! > 横山さん)。今は反論する気力なし。小林のロリコン、オタク認識こそ
「わけわかったようなこと言わないで!」
って言いたいなぁ。欄外で『人間劇場』に出ていた岡田斗司夫に対するコメントがあるんだけど、こんな人に「きみは大丈夫だ」とか言われてもなぁ。。。(岡田斗司夫の奥さんがスバラシイというのは完全に同意しますが。)

「ちょっとインターネットやパソコンをのぞいてみろ」って、こういっちゃなんですが、NetNews とかパソコン通信の会議室とかネットの掲示版で発言するようなやつは基本的に自意識をもてあましてるヤツですよ(シロウトの言葉じゃ信用できないという人は岡田斗司夫図書館へどうぞ。)ましてや社会問題関係の話題で発言するようなやつはほぼ間違いなくそうです。だから fj 読んでても soc 系は絶対読まない (というか、一度覗いてイヤになって二度と読まない)という人はいっぱいいます。

だいたい同世代の中でまったりできるやつが優勢になるからこそ、まったりできないやつが追い詰められて対立が先鋭化するわけで、追い詰められた人たちが敷居の低くなった発言系のメディアに殺到したとしてもそれはあたりまえ。そういうバイアスを無視して、中高生はまったりなんかしてない!なんて思われても困っちゃいます。

宮台も指摘しているこの手の多対多メディア体験で生じる錯覚というパターンに小林も見事にハマっているのか?「世間じゃ若者は政治に無関心とか言ってるけど、ホントはこんなにいいやついっぱいいるじゃん」なんていう、「落差にヤラれちゃう」パターンに。って、小林はゴー宣第百五十九章で既におんなじ勘違いをしてたっけな?これはメディアの問題というよりは彼の人格の問題かもね。

「わしの所には...プリクラ貼った女子中高生までちゃーんと手紙きてるぞ」って、HIV 訴訟支援運動の時の間違いをまたここで繰り返してどーする!そうやって表層的な部分にだまされて安心しちゃったあなたが、学生たちを非日常のただなかに(結果的に)置き去りにしてしまったことをもう忘れたの?

あと、宮台の頭髪ネタ、ヤマオカさんが先に用意してたのに遠慮してるうちに小林に先を越されてしまったのは残念。小林もプロなら素人の思いつかないようなネタ使えよな!

(ヤマオカさんの宮台評論ページ 『ちょっとだけ宮台真司』 に、「激論!“援助交際”とニッポン!」 [P.1997b] についての詳細なレポートがあります。番組見てない新ゴー宣読者はこっちもちゃんと見るように。)

「きさまのはえぎわはすでに後退している」ってそんなの四年も前からわかってるって! (「「ブルセラショップの女子高生」 [N.1993a] を参照。当時宮台はオールバックでおでこ丸だしだった。) ちなみに宮台の今の髪型は、

我々新人類世代は「輝かしさ」を
断念して生きるしかないのだ!
というメッセージと読むのが宮台ファンの正しい態度といえましょう。 (thanx! > 横山さん)

まぁこのネタに象徴される(?)ように、小林のツッコミって「なにをいまさら」ってのが多くてヨワリもんです。。。

って結局反論しちゃったよ。

P.S.
佐藤さん、返事はもう少し待って下さい。すみません。


[4-14]
補完計画の第二話の文章は結構ダラダラと書き連ねてしまいました。もう少しサクッとわかりやすく書けたらいいんですが。。。

佐藤さんからとっても素敵なタイトルロゴを頂いたのですが、うちはトップページ以外は基本的にテキストオンリーというスタイルなので、インラインイメージにせずに JavaScript でちょっとした仕掛けを作って見ました。少なくとも Netscape 3.01 では見れるはず。

実はこの仕掛け、岡田斗司夫のおたく Weekly から拝借したものです。(すんません。宣伝したから許して!)

最近いろんな方から情報提供や励ましのメールを頂きます。本当にどうもありがとうございます。私の不徳から返事が遅れてしまったり、せっかく頂いた情報をなかなか生かせていなかったりしていますが、どうか緩く、じゃなくて暖かく見守ってやって下さい。。。

[4-13]
とある人のアドバイスで宮台の「終りなき日常」の原風景を探るために J.G. バラードを読み始めました。書店で探してもなかなか見つからなくて、同じ SF の棚で見つけた香山リカちゃん先生の『おかしくってもダイジョーブ!』(だっけか?)を買って帰ろうかと思った矢先、バラードを見つけてしまったので、バラードだけ買っちゃいました。(香山先生ゴメン!)

買ったのは、短篇集『溺れた巨人』と、「終末三部作」の最初に書かれた『沈んだ世界』(どちらも創元SF文庫)で、今 『溺れた巨人』を読んでいるところです。表題作の「溺れた巨人」は、突如海岸に現れた謎の巨人は(エヴァのように)破局をもたらしたりせず、ただただ腐っていくだけ!というお話でした。

[4-8]
みえない大学本舗 電脳分校電氣アジール「オネアミスの翼 王立宇宙軍」を紹介するページ などの製作者の佐藤賢二さんからメールを頂きまして、●緊急提言:宮台真司先生を「裸の王様」にするなを読みました。

これに反論、というかフォローというか、補完というか、とにかくそんな感じの意味で 宮台シンジ補完計画 を始めました。なんとか思い留まってエヴァネタは控え目になってます。が、そういうこと以前に私の文章、なんとも硬い文章ですね。

第二話 「私のこと好き?」は、宮台氏と女子高生の間の確執について書く予定です。

[4-6]
先日テレビで横浜の米軍兵士が日本人女性を暴行したというニュースが流れた。某局のニュース番組によれば、交際中の女性と口論になった兵士がカッとして暴力をふるった(持ち上げて床にたたきつけたらしい)ということだったが、別の局のニュース番組では同じ事件を、米軍兵士が日本人女性を「レイプ」などというタイトルで報ぜられていた。

暴行=レイプ? 細かい事実関係については前者の番組に比べてはるかに曖昧にしか報ぜられなかったのだが、何を根拠にこの事件を「レイプ」と判断したのだろうか? 仮にその暴行が性的なものであったという証拠があったとしても、この事件を「レイプ」事件として報道するのは問題だ。レイプという言葉は単に婦女暴行という意味もあるが、強姦という意味で使われることが多い。強姦ともなれば通常被害者の告訴がなければ成立しないのだが?


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