▲侘 寂 萌 インデックス



建売住宅三段飾り@飯山満 「萌え」という概念2

(
2004/11/24の続き)

4) 萌え対象ではなく"同族"に向けた叫び

 「○○タソ萌え〜」というヲタクのセリフは○○タソに向けたものではない。
 ○○タソに萌えている同好の士、同族のヲタクに向けられたものである。

 ここが「愛している」や「好き」などの言葉と決定的に違う点である。
 萌えという言葉は、萌え対象に向けられたものではなく、自分自身に対する独白でもなく(Web日記などではない、純粋に個人的な日記で「萌え」と書くことは基本的に、ありえない)、それ以外の第三者(?)に対する叫び、である。

(女の「か・わ・い・いぃ〜」というセリフも、そのかわいい対象に向けられたものではなく、周囲に向けられたセリフであるが、「萌え〜」とは似ているようで決定的に違う。なぜかといえばそれは女が子宮を持っているから――っていや、これマジで。詳細略)

 よって、「○○タソ萌え〜」というヲタクのセリフは単純に「萌え〜」と省略することができる。
 萌え、という概念において、萌え対象は実は大して重要な意味を持たない。
 極端な話、萌えと言えさえすればネタはなんでもいいのである。「萌え〜」と誰かにいうこと、それ自体が重要なのである。
 であるから、作品のオリジナリティや内容などが問題にされない場合も非常に多い。パロディ同人誌、フィギュア等の関連商品の隆盛の理由はここにもある。

(こういう萌え蔓延の状況で困るのは、古典的な作品作りを志向する旧タイプの製作者たち(ヲレも?)だ。オリジナルに大した意味がない状況で商品が売れない→がんばって萌えゲー作る→萌え状況さらに加速→売れない→さらに萌え萌えゲー作る→さらに...無限ループ)

 さて――。
 萌えを説明するうちに、「萌え」という叫びだけが残ってしまった。
 「萌え〜」というセリフが結局なにを言わんとしているのかといえば、私が繰り返し持ち出すところの「死の恐怖」の吐露であるといえる。
 「○○タソ萌え〜」というヲタクのセリフは単純に「寂しい〜」「怖いよ〜」「助けて〜」「死にそう〜」と言い換えることができる。
 あるいは「ママ〜」。

 ――かなあ? わっかんなーい。

 ただひとつ付け加えたいのは、俺は萌えを盲目的に肯定する最近の流れには反対だってことです。

 なぜなら、それは商売人にとって都合がいいというだけだから。
 萌えって言ってりゃ手っ取り早く金になるンですよ、極端な話。
 それでは、萌えを切実に求める当のヲタク少年たちの心の叫びに、本当に応えることにはならない。

 ――とか、いんちきっぽいこと言ってまとめてみたり。
 おれも萌え〜、というよりも、儲けてぇー。



伊勢神宮 皇大神宮(内宮) 宇治橋 神ノ国

 先日、ずっと行きたいと思っていた伊勢神宮に行ってきた。

 エスクード廃車前の最終ツーリングの折、当初は予定に組み込んでいなかったのだが、青い国道標識の「伊勢」という白抜き文字に、そうだ、伊勢神宮だ、とハンドルを切った。

 張りつめた清浄な空気。
 森閑たる美しい森。
 鳥居、正殿の明快にして完璧な造形。

 いやー、行ってよかった。
 日本は神の国だわな。明らかに。
 行けばわかる。
 さすが神社本庁の総元締、巫女(舞女)さんもレベル高いし。

 ご存知のように、伊勢神宮こと神宮は、内宮・外宮と、双子のように似通った構成の神宮が、伊勢市街と、市街外れの森のなかに存在する。
 そして、式年遷宮といって、内宮・外宮それぞれの社殿のすべてをはじめ、御装束、神宝は20年ごとに新しく作り替えられ、境内の境界にかかる宇治橋(写真)も架け替えられる。社殿のすべては、同じ広さの敷地がすぐ隣に確保されていて、そこに新しく建てられる。(参照:アニメ・お伊勢さん)
 すげえ! なんてSF的な仕掛け!
 これを持統朝以来1300年以上続けてるってんだから恐れ入った!

 ――がしかし、というようなことを俺が知ったのは、それほど昔のことではない。
 俺ばかりでなく、知らない人間は案外多いのではないか。
 日本の教育は間違ってるわな。根本的に。

 森総理の「神の国発言」に対して、2ちゃんの厨房以下の脊髄反射でケシカランとか一斉口撃してた連中。
 そのうちどれほどが伊勢神宮に行ったことがあるだろうね。

 やっぱりあれだ、脳内はダメだわね。

 ――ところで、今回往復した道筋で、このところ殺人事件が2件起きてる。

 タイミングがかち合っていたら、おちおち車中泊もできなかったかもしれないが、その遠因はなにかといえば、「神の国」に脊髄反射で反応するようなハンパな西洋かぶれだってぇことに、当のご本人方は気づいて――ないか。ヨン様騒ぎの自作自演に忙しいしな。



双六小屋と鷲羽岳 「萌え」という概念

 萌え、とはなにか。
 以下の3条件をすべて満たした感情が萌えである。

1) 怖くない

 萌えの第一条件は、怖くない、ということである。
 「○○タソ萌え〜」というヲタクのセリフは単純に「○○タソ怖くない〜」と言い換えることができる。
 周知のようにヲタクはリアル女が怖い。
 これは大東亜戦争の完敗と、それを受けての戦後民主主義教育の結果であるが、加えて、リアル女のヲタクに対する無関心(つまり無言の敵意)を原因とするADSLぢゃなくてPTSDとでもいうべき疾患である。

2) 知っている

 「○○タソ萌え〜」というヲタクのセリフは単純に「○○タソ(みたいなものは)知ってる〜」と言い換えることができる。
 ヲタクが萌えるものは必ず、知っているもの、である。類型、ステロタイプ、パロディ、もっと言えばパクリ。(鉄オタが萌える鉄道世界は、明快なルールに則った、限定された、しかし趣味として関わるには充分に広い、既知の(知っている)箱庭世界、である)
 斬新な萌え――これは絶対にありえない。
 ヲタクにとって、知らないものは怖い、のである。(ヲタクばかりではなく、現代人(市民)の多くが、知らないものに対する恐怖に囚われている)
 であるから、たとえばエロゲヲタの「最近のエロゲはワンパターンでつまらない」というセリフは、根本的に自己認識に欠けている。
 ワンパターンだから萌える(面白い)のであって、仮にワンパターンでないエロゲ(そんなものは存在しえないが)をやったとしても「地雷」としか言わないはずである。
 そういうヲタクが求めているものは「ほんの少しだけディテールの違うバリエーション」なのである。
 つまり、たとえばパロディ同人誌、である。同人の隆盛の理由はここにある。

3) 物理的なセックスの対象ではない

 萌えの対象は必ず、物理的なセックスの対象ではないもの、である。
 恋人に対して、萌えということはありえない。(母性(≠母親)に対して萌え、はありうる)
 萌えの対象は物理的なセックス以前に、物理的な自慰の対象ですらなく、そうではない場合が圧倒的である。(たとえばアイドルの熱狂的なファンの心理。精神的な自慰の対象というべきか)
 また、人間(異性)に限らず、コンピュータや車やカメラなどのマシン、犬猫、「塩ジイ」などといった同性の、しかも老人なども萌えの対象となりうる。(このページでも小林一茶やヤマト運輸に対して萌えと書いている)

 以上、萌えは必ず上記3条件を満たす。

 さて、性欲とはなにか。
 生命の性欲という欲望の奔流は「死の恐怖」という泉をその源流としている。(であるから、将来、仮に不老不死が実現したら、その時点で性欲は消え去るはずである。それでも不老不死をこのまま求め続けるんですかね、現代人は)
 萌えとは、その性欲という流れ(死の恐怖)が、大きく蛇行、決壊、そして伏流した流れである。

 よって、枯れた老人が「萌え」ということはありえない。
 また、死の恐怖をいまだ確と自覚していない子供が「萌え」ということもない。

 そして、女よりも男のほうが萌えに耽溺する度合いが強い。
 それは女が生命を育む器官――子宮を持つからである。うそ、知らね。

(
2004/11/30に続く...)



ガス欠のエスクード@京葉道路 廃車のち大さわぎ

 エスクードをスクラップ工場まで持っていった。

 ――のだが、その途中で、なんとガス欠。しかも場所は高速道路(自動車専用道路)上。

 確かにガソリン残量は厳しかったのだが、これから廃車にする車に給油するのももったいないし、経験上ギリギリ持ちそうだと判断したのだが、悪いことに市街地で渋滞に捕まってしまった。
 高速の出口まであと一歩のところで失速。あわてて車線変更し、なんとか路肩に寄せて止める。

 やや動転しつつ携帯でJAFに救援を乞う。また路肩に設置されている非常電話で交通管制室にも連絡。
 サービスカーの到着は40分後とのこと。トラックの群れがうなりを上げてすぐそばをかすめていく。
 車に乗せていた荷物は当然すべて下ろしていたのだが、ふと万が一の用心にとJAFの会員証だけは車検証と一緒に持ってきていたのが本当に役立つとは思わなかった。

 こいつ(エスクード)が別れを惜しんでいるのだろうか――などとつまらないことを考えながら待つ。
 思えばエスクードを買った直後にも、燃料残量警告灯の球が切れているのを知らなくてガス欠したのだった。冬、真夜中、長野県の山の中。
 図らずも最初と最後に一度ずつ、ガス欠で始まり、ガス欠で終わることになった。

 待つこと40分。二台のサービスカーが黄色い回転灯をつけながら到着。たかがガス欠に、大げさなことになって心苦しい。
 サービスマンは2人。ちょっとバンドマンのような雰囲気のおじさんと、若い兄ちゃんのコンビ。
 ウルトラ警備隊かなんかみたいなオレンジの制服に、チカチカとランプの点滅する安全ベスト。
 ツカツカと歩み寄ってきて、ニコリと微笑んだおじさんのなんとも頼もしいこと。
「ガードレールの向こうで待っていてください」
 兄ちゃんが大きく旗を振って通過する車に注意をうながし、おじさんが給油を担当する。

 エスクードの給油口は右。給油をするには走行車線に身を置かないといけない。
 さすがのおじさんも、トレーラーがうなりを上げて通過するたびに、ひるんだ様子を見せる。安全な路肩で見ているこちらでさえ怖い。
 オレのようなニート野郎が、たかが1000円程度のガス代をケチったおかげで、二人のサービスマンが雨の高速道路で危険に身を晒している。

 オレは思ったね。
 次の次(?)に書くSFシナリオでは、こんなメカニックを登場させよう。
 淡々と任務をこなす名もない男たち――そんな男たちを、乏しいオレの表現力のあらん限りを尽くしてカッコよく描く。それがオレの仕事だ!

 給油が済んで、オレは二人を残して本線に合流する。なかなか途切れない車の流れをおじさんがしっかり確認して、発車の合図を出してくれた。最後まで完璧な仕事ぶり。

 スクラップ工場での手続きは簡単に終わり、地元に戻って陸運事務所で廃車の手続きをする。
 しかしこの陸運事務所の仕事ぶりのふざけたことふざけたこと。

 尊大、前時代的、アンチ・ユーザフレンドリー。お役所仕事の極致。
 窓口のバアサンの小憎らしいこと小憎らしいこと。(書類売り場の可愛らしい女の子はとても親身になってくれた)

 なんだろうね。
 交通安全協会だの、陸運振興財団だの、免許や車検の手続きに関わってヤクザがショバ代巻き上げるみたいに商売してる、警察付属の利権天下り団体。
 あのふざけた仕事ぶり。受付は4時で締め切りの一点張りで、職員一同5時までタバコふかして遊んでるくせに受理しやがらねえ。
 こっちは任意保険の引継ぎが出来ずに5万円の損。

(翌週、改めて手続きに行ったら、みんな一所懸命仕事してた。システムの問題は至急改善を求めたいが現場の人たちはよくやってるわな)

 西郷隆盛は100年後のこんな状況(太政官政府の行く末)を予見していたのか――。



尾瀬ヶ原 夕日を浴びる見晴の山小屋と燧ケ岳 エコ

 もはやそんな身分じゃないので(いや最初から)、6年間乗り続けた車を廃車にする。

 ろくに手入れもせず、相当に酷いオイル漏れ状態だというのにオイル交換は数万kmに一度。ほとんど常に焼き付いたような臭いをさせながらも、致命的な故障もなくよく走ってくれた。
 さすがにここ一年ほどは、エンジンがかかりづらくなってはきたが。

 中古での購入時点で走行距離8万km。現在19万km。
 6年間で地球をおよそ3周。
 沖縄を除く日本全国、46都道府県を走り、海岸線はほぼきっちりトレースした。
 テレビのニュースで殺人現場や死体遺棄現場などが映ると、それが海岸沿いならたいてい見覚えのある場所だったりする。

 どこに行っても宿は取らずに車中泊。足をまっすぐに伸ばせない狭い車中でいったい何泊したことか。

 まだまだ行きたいところはたくさん残っているが、ガソリン代を除いた維持費だけでも年間数十万円。
 不当に高い日本の自動車関連税制の改訂を怠っている役人連中を恨みつつ、まだまだ途上国でなら現役でいけそうな車をスクラップにする。

 いよいよ最後のドライブはどこへ行こうか知らん。
 やはり京都か。折り良くそろそろ紅葉も見頃。
 泊まりはやっぱり車中泊で、今回も。ヒガシマル。





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